1997/03/02(SUN)

1997/03/02(SUN)



何もしないでじっとしているというのはどうだろう。ほんとうに、自分に問いかけてみて、まったく何もしたくないという答えを得たからには、本も読まない、ビデオも観ない、何もしないでいるのだ。瞑想というのはどういう状態をいうのか分からないが、それをまったく自己流に、瞑想と呼んでおいてもいいじゃないか。もちろん、校正の仕事とかは、送られてきたらその都度、やるわけだけれど。あとは、ただ、じっと座っているだけの生活。おそれることなく、いつ、どこでも、とにかく座る。そして、別段、ヨーガのポーズをするのでもなくただちに瞑想状態に入る。むろんこれは便宜上、瞑想と呼んでいるんで、いわゆる瞑想とまったく違うものであって、いっこう差し支えない。することが何もないから、何もしない、ということは決して恥ずかしいことでもなければ、異常なことでもない。それどころか、それは、とても当り前で自然で、ユーモアさえ感じさせることではないか。他人のことなど関係ない、いつでもどこでも、遠慮などいらない、大いに瞑想状態に入るべし、である。人目など気にする必要はまったくない。
さて、きょうはほんとうに書くことがないな。サルトルの『嘔吐』じゃないけど「記すことなし。存在した」という記述で終わるか。

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夏際敏生日記2 [1997/02/23-1997/03/20] 目次| 前頁(1997/03/01(SAT))| 次頁(1997/03/03(MON))|