1997/02/28(FRI)

1997/02/28(FRI)



また、だるい足との一日が始まる。この足を引き摺って、また、きょう一日、この地上を這いずり回るのだ。なんという不幸だろう。こんな不幸を神はわたしに課し給うた。だが、わたしにはナーダがいる。及ばずながら作品もある。そんなに不幸とばかりは言えない。頑張ろうよ。頑張るしかないよ。ナーダは、きょうは、午後のモデルと、夜の仕事のダブルパンチで、寝ておかないと体が保たない。だから、わたしは、ナーダの側を離れて、こうして一人で書くことに決めたのだ。決めた以上はやらねばならない。ナーダに少しでも寝てもらうために、わたしは書く以外にないのだ。これはナーダのためなのである。昔、どこかの国で、王様を眠りに誘うために、側近たちがさまざまな話をして聞かせるというのがあった。わたしのいまの立場はこのストーリーテラーに近い。ただ、わたしには、ストーリーテラーとしての才能は、薬にしたくも持ち合わせがないときている。そこで、日記というこの形式でもって、なんとかその代わりを務めようというわけだ。
確かこの王様の話では、面白おかしいストーリーを提供できない者は、殺されたのではなかったか。だからみんな必死だったわけだが、命が掛かっているところが昔話の昔話たる由縁だろう。わたしにもそのくらいの必死さがあればいいのだが。なかなかそうはいかないよ。
ところでいまベルがなって、ナーダの起きる時間を知らせた。ということは、とりあえず、わたしの務めは終わったということだ。いや、務めを果たせたとはいえないが、とにかくナーダの安眠だけは邪魔しないですんだのだ。

そうだ、わたしは一人ではないのだった。わたしにはナーダがいて、一瞬また一瞬、わたしに呼びかけているのだ。そのナーダの呼びかけにこちらも一瞬また一瞬、答えていくことが生きることであった。死ぬというのは、この呼びかけに答えないことであった。わたしは答えるほうを選ぶと彼女に言ったのだ。そうであれば、もう一人ではない。ナーダと一緒だ。しかし、それにしても、なんと心細いことだろう。ナーダは何と呼びかけてきているか。心細くなんかないわ、あなたは仕事をしているし、精いっぱい頑張っているじゃないの。かつて、こんなに必死で何かをやったことがあった? それくらいあなたはやっているのよ。心細いはずないわ。充実しているはずよ。さあ、元気を出して、もっといい仕事をしてちょうだい。あなたならできるわ。ナーダはいま、そう言っている。わたしはこのナーダの言葉に答えねばならない。むろん、希望に溢れた答えなど望むべくもないが、いくぶん自信なさそうであっても、いつものように、わたしの答え方で答えるしかない。
ナーダがそう言うのであれば、頑張ってみるよ。とまあ、せいぜいがこんなところ。

ナーダは何と呼びかけてきているか。いまのあなたは、空しいどころではないわ。充実しているのよ。このわたしがそういうあなたに嫉妬しているのよ。それくらいいまのあなたは素適なのよ。どうしてそれが分からないの。分からないなあ。全然素適なんかじゃないよ。サイテーとしか思えないよ。じゃあ、いままでのあなたはどうだったの。サイコーだったの。わたしは、いままでのあなたと、いまのあなたじゃ問題にならないくらいに、いまのあなたのほうが上だと思う。だって、ちゃんと仕事をしているじゃないの。詩集だって、清水さんのおかげで実現の可能性が高くなっているし、何をいうことがあるの。すべてが以前よりよくなっているじゃないの。生活のあれこれのムダがずいぶん取れたし。すっきりとしてきているじゃない。ゼッタイ以前よりよくなってるよ。ただ体だけが弱ってしまったかもしれないけど、その体を犠牲にして手に入れた成果だもの。大事にしなきゃあね。体がここまで悪くなってはじめて、手に入れることができた成果でしょ。
そう、確かにこれは成果と呼べるものなのよ。体が汚くなればなるほど、作品を中心にしたあなたの精神圏の活動はそれだけ美しく、しかも広範囲に広がるのよ。その意味ではむしろこれからが問題ね。あなたのすべてはこれから先の活動にかかっているのよ。すべてはこれからよ。

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夏際敏生日記2 [1997/02/23-1997/03/20] 目次| 前頁(1997/02/27(THU))| 次頁(1997/03/01(SAT))|