1997/02/27(THU)

1997/02/27(THU)



わたしは自殺を選んだといっているが、ほんとうに選んだといえるだろうか。まず、点滴を抱えた体で自由が利かない。死に場所のハントもままならない状態だ。もっと、外へ出かけて、場所を探して歩かねばならない。行動を起こさなければ話にならない。
ああ、場所さえ見つかれば! その代わり、場所が見つかればあとは何の手間もいらないのだ。文字通り、実行あるのみなのだ。ここで手を拱いていてもしようがない。探しにいこうよ。点滴もって、一人で気軽に出かけようよ。きょうから行こうよ!
もうそれしかないよ。自分でやるんだよ。人を頼らないで。一人でやるんだよ。架空の友達と妄想のなかでおしゃべりしててもしようがないよ。友達は自分一人。これ以上確実な友はいないじゃないか。もうそろそろ、夢は止めて、確実なことを始めよう。
自分の運命はみずから切り開くんだよ。

日記の昨日の部分を読んだナーダと話し合った。最高に充実した約30分間。わたしはナーダの熱意に打たれた。ナーダは、わたしがこうして存在し、そのわたしに触れ、世話をしていることの一つ一つが生き甲斐だと言う。それ以外の何もないと言う。ナーダはそれを力強く話した。わたしはついその数分前に書いたことを、白紙に戻すような心境になっていた。死ぬことをではなく、生きることを、わたしもまた選ぼうとしていた。それほどにナーダの言葉はわたしの深みを打っていたのだ。わたしは遂に言っていた。わたしもまた生きることを選ぶと。抱きしめたナーダの背中を力いっぱい叩きながら「生きるよ。死ぬことじゃなく生きることをやってみる」と叫ぶように言っていた。
わたしは、病いを得て以来はじめて、積極的に生の側に立っていた。しかし、まだ、心安んじて生に加担しているとはとても言えない。だが、少なくともナーダのあの切ないまでの熱意を思う時、わたしはこれまでのように、簡単に死のサイドに与するわけにはいかないだろう。ナーダが生のサイドに留まっているのであれば、わたしもナーダとともにいてもいいのではないか。そして、ナーダが言う通り、書くものを磨いていってある形をなすところまでいくことだ。

こうしてわたしは、ほとんど掌を返すように、ナーダの側、生のサイドに立つことになった。わたしはナーダには負けたということだろう。しかし、だからといって急に新しい展望が開けるというものでもない。どちらかといえば、わたしのこの変化は、生のサイドに立ったというよりは、ナーダのサイドに立ったという色合いが強いようだ。むろん、ナーダ=生なのだが、生の要素よりも、ナーダの要素のほうが強い。しかし、ナーダに向かって、「生きてみるよ」と宣言した以上、生きてみるしかないのも事実だ。もう死ぬことは考えない、生きることだけを考える、大変に心細いけれど、生きることを考えてやってみる、と言ったのだから。生きる、生きる、生きる、それは、ナーダの期待に答えることだ。一瞬一瞬、ナーダの挨拶に応答していくことだ。ナーダは朝、お早うと言う。それに対して、お早うと答えることが、生きるということだ。他に生きることの中身があるわけじゃない。死ぬというのは、この応答をしないことではないだろうか。ナーダの挨拶に答えないことが、死ぬということなのだ。
生きる。生きる。生きる。ナーダと生きること。一人で生きるのではないのだ。声を掛け合って二人で生きる。そうである以上、もう死ぬことは考えないでいいことになる。ナーダが一瞬一瞬わたしを呼んでいる。挨拶を送っている。ナーダはそうやって自分を励まし、またわたしをも励ましているのだ。ナーダはそうやって生きているのである。わたしはそのナーダの呼び声に一瞬一瞬答えなければならない。それがわたしが生きているということだからだ。わたしたちは一人ではない。
生きるの死ぬのと、ここんところずいぶんお騒がせしました。この辺で、少しリラックスして軽い話題を取り上げたい。と言ってすぐにそういう話題にありつければいいんですがなかなかそうは問屋が卸してくれない。軽い話題を軽く話せるというのは、わたしの憧れなんですよ。いつかそうなりたいといつも思っているんです。たとえば、どんな話題がいいのかな。ありそうでないんですよこれが……。

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夏際敏生日記2 [1997/02/23-1997/03/20] 目次| 前頁(1997/02/26(WED))| 次頁(1997/02/28(FRI))|