1997/02/26(WED)

1997/02/26(WED)



最重要事。ナーダのこと。彼女は死ぬことに反対している。しかし、どこかで賛成でもあるのだ。ただ、彼女は、わたしに較べると、はるかに社会を引き摺っているので、世間体を気にしているところがある。まずは、この部屋をどうするか、どう片づけてからにするか、それを考えるのだ。これは、自殺者の考えではない。自殺する人間は、もう少しエゴイストである。他人に迷惑をかけるのは最小限に押さえたいが、そればかりを気にしていると、死ぬことはできない。はっきりと、ナーダは、自殺者ではないのだ。わたしは、そこまで丁寧に周囲のことを考えてはいない。もう少しなり振り構わないところがある。それよりもとにかくこの自分が死ぬことが重要である。自殺と一口に言うが、実際にやる段になると、なかなかに大変である。わたしの場合で言えば、場所の選定が問題だ。ビルからの飛び降りとまでは決まっている。高さが20メートル以上、下がコンクリートであること。これが最低限の条件だ。高さはだいたい7階建て以上ということだが、できれば、10階くらいがいいようだ。それと、人に発見されないこと。
要するに、下がコンクリートになっている10階建てくらいのビルの屋上で、できるだけ人目につかない場所、ということになる。
この場所さえ見つかれば、他には別に用意するものなどはない。場所が決まれば、あとは実践あるのみだ。

ああ、こんなことを相談できる友達がいれば、どんなに楽しいことだろう!かれは、体の自由が利かないわたしに協力して、あたかも公演の会場を探すように、わたしの死に場所を探すのを手伝ってくれる。こんな所があったんだがどうだい?といった感じだ。まったくどんなに楽しいことだろう。そして、できたら最後まで付き合ってくれるのがいいな。むろん、かれは死んだりはしないけれど。最後の瞬間までそばにいてくれるか、あるいは全然関係のない場所にいてくれてもいいんだ。ああ、そんな友達こそほんとうの友達ではないか。死の話になると早々に逃げ出すようなのは、友達でもなんでもないんだ。人と人との関係というのは、生だけでなく、死もまったく平等に話し合える関係であってはじめて成り立つものではないだろうか。死を特別視して、これを避けるような友情はマヤカシだ。
ナーダは、ここにわたしが書いたような友達にはなれないにしても、少なくとも、生についても、死についても分け隔てなく、話し合えるようにしようとは約束してくれた。しかし、死ぬことに関しては最後まで反対の模様だ。だからといって、二重帳簿のようなものを見せ合っても意味がない。わたしとしては、どこまでも全力でナーダに自分をぶつけるしかないし、彼女としてもまったく同じだろう。
ここには、男性と女性という問題が、横たわっているような気がする。ナーダはやはりわたしとともに死ぬというよりは、最後までわたしの世話をして、わたしを看取りたいと思っているのだ。これは、優れて女性特有の性質ではないだろうか。わたしの死に場所を探してくれるような友達は、やはり男性であろう。ナーダは女性なのだ。現にいま、ナーダが毎日の生活のなかでこなしている仕事にしても、女性にしてはじめてできる類の仕事であろう。彼女はわたしを最後まで世話して、そして看取る気だ。この性質は、わたしにはもっとも考えにくいものである。まさに、わたしがこの世で、これだけは避けたいと思ってきたのが、彼女を看取ることだったのだから。わたしにはこれだけはどうあってもできないのだ。それができないからこそ、わたしが自殺を選んだ経緯については、すでに述べた。

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