美容院嫌い(4)

美容院嫌い(4)
鳴門


 勿論、安く上がるに越したことはないのだけど、なんといっても美容院に来ているのだから。それ自体がもう、私にとっては贅沢なことなのだ。美容院で過ごすというのは、気分の贅沢でもある。美容院とはそういう場所なんである。そこでパーマの値段を選べと言われても、お菓子屋さんへ行ってお土産は1,500円、2,000円、2,500円、どの詰め合わせにしようか、というのとは訳が違う。
 せっかく贅沢しに来てるのに、一番安い「Aコース」を選ぶのはどうも面白くない。かといって一番高い「Cコース」はやっぱり高いと思う。じゃあ、中間の「Bコース」にすればいいかというと、ああやっぱり無難に真ん中を取るのね、という感じで、これもやっぱり面白くない。さて、どうしたものか。…などとあれこれ考えさせられると、というか、そんなことをつい考えてしまうので、贅沢気分にいささか傷がつくのである。
 いや、そもそもこれは何の値段なのだ。何が違うというのだろう。そこで美容師に、それぞれのコースで何が違うのか訊いてみる。と、答えは大抵決まっている。これはパーマ液の違いで、値段が高いのはそれだけ髪の痛みが少ないのだと言う。さらにそのパーマ液の説明。
 じゃあ何? お客が選んだら髪が痛むようなパーマ液でも使うっていうことなのね。それなら髪の長さによって(パーマ液を使う量によって)値段が決めてあった方が良心的なんじゃないの?
 …なんてことを考えながらコースを決める。ちょっと不機嫌になる。
「では、シャンプーいたしますので、洗髪台の方へお越しください」
 せっかく座った椅子からまた、よっこらしょ(口には出さない、ぜったいに)と立ち上がり、美容師の後に従う。
 やたら大きな美容院というのがある。美容師の人数も多ければ、客が歩かされる頻度も多く距離も長い。いくら美容院の中とは言え、見知らぬ他人が大勢いる中をまだ出来上がっていないみっともない格好で歩かされるのは不愉快である。できれば一ヶ所にいて、完成するまではなるべく人目に触れたくない。なのに、ヘアスタイルを決める、シャンプー、カット、パーマ、シャンプー、セット、その度に移動させられる。しかも途中で美容師が代わったりするのだ。入れ替わり立ち替わり頭いじられて、それでもじっとしていなければならない。精神的にくたびれる。聞くところによると、男性が行く理容室ではそんなことはないらしい。これはどうしたわけなのかしらん。
 シャンプーについては、中途半端な大きさのガーゼを顔に乗せられること以外には、あまり文句はない。このガーゼが途中でずれたりなんかすると非常に居心地悪くなってしまうのだけど、そうでなければ、人に髪を洗ってもらうというのは、ちょっと幸せな気分になる。首が苦しくないかとか、シャワーの温度は丁度良いかとか、かゆいところはないかとか聞かれて、昔はつい、いいえ、と答えてしまっていたのだけれど、三十才を過ぎたらたらずうずうしくなったのか、今は控えめにではあるがわりと注文をつけられるようになった。美容師の手に合わせて頭を心持ち浮かせたりしたり、なんてことも嫌ではない。お湯の感触、シャワーの音、美容師の指と声、目をつぶっているせいか、それらの醸し出す独特の雰囲気にうっとり浸ってしまう。自分の息で温まったガーゼも、この気持ちよさを演出しているような気がする。顔の上でずれてさえいなければ。
「お疲れさまでした」
 シャンプーでいくらか機嫌がなおったところで、頭をタオルでくるまれて、また歩いてさっきの椅子に戻る。

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