未来は、選べ!

未来は、選べ!
阿ト理恵


 90年代最高の「陽気で悲惨」な青春映画「トレインスポッテング」を観た。スコットランド、エディンバラ。いきなり、イギー・ポップのラスト・フォー・ライフというリズムに爽快感のある曲をバックに若者が逃走するシーンからはじまる。オープニングから、かなりテンションが高い。なにから逃げているのか?と、思考する間も与えられず、映像は、疾走してゆく。
 トレインスポッテングという言葉には、「ぼんやりと周囲を見渡しながらも、やってきたチャンスは逃さず喰らいつく」「特定の場所(スポット)に溜まる」という意味があるらしい。直訳は「電車おたく」。
 主人公のレイトンは、ヘロイン中毒。ドラッグ絶ちしよう思っていても、いつも途中で断念。座薬の麻薬を「スコットランド一汚いトイレ」に落とした時、その便器に手をつっこみ、頭をつっこみ、するする入っていったら、とてもキレイなブルーの水のなかというシュールな映像にブライアン・イーノのアンビエント音楽がにくいくらいハマって美しい。ほんとの美しさは、醜さとの微妙な共存バランスなのかもしれない。
 若者たちは、ドラッグとセックスの繰り返しのなかで、ずるずる生きている。ただただ、時を無駄使いしながら流して。なにを待っているのか、なにから逃げているのか? みな無気力だったり、イラだったりしている。それらを、へたな感情移入なしセリフに、シュールな展開、乾いた映像によって、逆に若者の生活がとてもリアルに描かれていて、悲惨なのにじめじめしてないところがこの映画の良さだ。
 ただ群れていただけの薄っぺらい友情を捨てて、主人公のレイトンが、最後に手にいれようとしたものが、案外平凡な人生を予感させるものとは、なんという皮肉、とてつもないユーモア。
 この映画には、お仕着せがましい説教やメッーセージはない。そんなのクソくらいだ。自分で考えろ、自分で選べ、自分の人生だ。その時がチャンスかどうか、それを見極められるまで、待てばいいんだ。「選ぶ」ためには、「待つ」ことも必要だ。「待つ」とは、とても積極的な姿勢だ。どんなことをして待っていたとしてもだ。人には、きっと平等に選ぶチャンスがやってくるものだと。
 未来は、選べ! 自分の手で。「寿命を勘定して」、ラストの主人公レイトンの笑顔はたくましかった。

(おまけ)音楽がなによりいい。イギー・ポップはもちろん、ヘブン17、ブラー、ルー・リード等。そして、主役のユアン・マクレガーの瞳、主役の彼女役のケリー・マクドナルドの制服姿、その他役者がそれぞれ個性的で魅力的だった。小道具なども、かなり凝っていたので、すみずみまで楽しませてもらった。もう一度観たい映画だ。

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