麻生秀顕詩集「部屋」を読んで

麻生秀顕詩集「部屋」を読んで
阿ト理恵


 私は、彼の私生活をまるで知らない。したがって、メールのやりとりをしたり、逢ってはいても、へんな先入観なしに、読めたことが幸いのような気がする。この詩集を読んだことによって、彼の私生活を少し覗けた気がしたが、どうなのだろう。詩集を出したことで、もう、それは、すでに終止符が打たれ、過去のことになっているだろうから、今の彼の生活は違うものになっているのかもしれない。それに、この詩集のなかの詩がフィクションということもあるだろう。でも、どうしても、私は詩の向こうの作者を想像しながら読むことを楽しむ体質らしい。

 さて、彼の詩集を読んで。まず、私は、簡単に感想が言えなかったのである。ことばにならなったからだ。もちろん、よかったのである。何度も読んだ。実に、第一印象のおとなしそうな彼をいい意味でうらぎってくれた詩だったのだ。とても内実は激しい葛藤やエロスもあるのだということを。
 ひとり暮らしの部屋という身近な視点から外へ向かっていった彼の正直なこころが、ずいぶん昔にひとり暮らしをしたことがある私のたましいを掴んだ。そして、31歳になるまでの男性の本音の叫びがひしひしと私をひっかいた。しかし、それは、私の眉間に皺をつくるようなものではなく、ざらざらとした心地好い抵抗感だった。彼の詩は、画数の多い漢字が多様されている。詩集を開いたとたん、私は、漢和辞典片手にマゾ的な気分で挑み、彼の世界に浸ったのだった。
 ひとりの部屋というものは、いちばんリラックスできるサンクチュアリでもあるが、外部からのコミュニケーションを全く遮断することもできるということを考えれば、その部屋で倒れても誰も助けてくれないという孤独な厳しさを孕んだ場所にもなる。TV、電話、FAX、パソコンなどによって、逆に孤独感が増すこともあり、そんな密室の二面性を彼はとてもうまく捉えている。例えば、「明るい部屋」という詩で“太陽がまだ弱々しい隙に/散らかった手足をはんだづけ/深呼吸して魂を抜く/長足の進歩を遂げたのは外の景色だけで/ぼくはこの部屋に取り残されてしまった”“これ以上肉を奪わないでくれ! 部屋が削ぎ落とされて光が満ちる/ぼくの居場所は/もうどこにもない”と、彼は、愛着のある場所であるはずの部屋でさえも、居場所ではない気がしているのだ。
 また、彼は独身であることの逃れようもない事実を、きちんと等身大の自分のことばで表現している。「海とマリオネット」より“デイパックに入れて/業のように背負ってきた/人形妻とともに/海に身を投げる真似をする”“人形妻が波にさらわれる/流されていく波形を/追ってはいけないのだ”結婚と独身の間でゆれる青年の気持ちがひしひしと痛いくらいに感じられる詩だ。
 彼がバイクに乗るということも、私は、この詩集を読んで知ったのだが、きっとホンダだろうなと思った。(後日、彼にたずねたら、そうだった)そして、きっと、タンデムをしない人だとも思った。(これについては、まだたずねていない)
 人形妻が本物妻になっても、彼には、ときどき、ひとりでバイクに乗って海へ行ってほしいと思う。そして、これから、どんな詩を彼が書くのかとても楽しみだ。ふたり部屋から生まれる詩もあることを願って。

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