ハジラの変遷 ――ワタシのことばの選び方(2)――

ハジラの変遷 ――ワタシのことばの選び方(2)――
大村浩一


*4 お笑いに見るハズカシサの変遷

 ハズカシサが最も問題になるのが、お笑いの世界だ。お笑いには究極のリアリティ、皮膚感覚を要求される。少しでも教条臭さ、わざとらしさ、タテマエがハナにつけば、昔の小学N年生に載っていたわざとらしい笑い話、「ぎゃふん」落ちのレベルになり下がる。無論そんなものを、誰も面白がるワケはない。

 お笑いの言語感覚を洗練していった立役者が、萩本欽一である。
 彼は笑いの中から、性的なものや醜悪なものを極力排除し、不条理なものを重んじた。「なんでそうなるの?」などを見ると、今さらながらそのラジカルさには驚く。挨拶をしようとする坂上二郎に両足で飛び蹴りを入れたり、ハダカにして牛乳飲ませたりしてイジメるのだから、今日の漫才と比べてもカゲキさに遜色はない。彼がTVなどで演出して見せた柔和さゆえ、それはお笑いとして、当時子供の私にも恐怖心なくスナオに受け入れられ、理解出来たのだが。
 彼はその言語感覚の水準を、ギャグの一般公募という手法で一般にまで広げた。
「欽ドン」に「下ネタ禁止」というルールがあったのを覚えておられるだろうか。彼は下品さで笑いを取るのはたやすい事を、またそれではマスメディアでは批判を浴び易い事を知っていたのではないか。(ドリフターズがプリミティブ(原始的)で下品なギャグ故にどれ程PTAやマスコミに叩かれたことか)それゆえ彼の洗練された笑いはドリフを圧倒してマスメディアを席巻し、言葉の感受性の水準を市民レベルで大きく変えていった。

 ただ数年のうちに、彼のお笑いは衰退を始める。爆発的に広まって洗練され過ぎた為に、逆にプリミティブな身体性、野性的なパワー、それに伴う部分でのリアリティを失っていったのだ。ヒネクレて巧妙ではあっても、それは笑いにくいものになった。
 代わって台頭して来たのが、たけし等のマンザイ芸人たちだった。下ネタ復活! 尻見せを展開する彼らを見て、最初はこれはお笑いの後退だと私は思ったが、その強烈なオカシサやラジカルさは、萩本のそれをさらにしのぐものだった。
 また熾烈な競争を生き抜いた者らは、やがて言葉の感覚においても卓抜したものを備えるようになった。聞き手の耳と知恵が肥えてきたのに、知的な戦略無しにベタベタの下ネタだらけでは、いずれ愛想をつかされる。
 かくてお笑いの世界では、あらゆるカルチャーに先んじて、洗練とプリミティブへの回帰を一巡した。今はもちろん洗練も下ネタもあるが、それはかつてのものとは違う。一度両極端を経て、その影響や教訓の下に、いまを生きているものだ。


*5 ビックリハウスの「ハジラ」

 ラジオの深夜放送や、萩本欽一が培っていった「投稿文化」とでも呼ぶべきものは、雑誌にも大きな影響を与えることになる。その最も顕著な成功例が、西武グループのパルコ出版から出されていた「ビックリハウス」だった。
 糸井重里の「ヘンタイよいこ新聞」など、企画に対する一般読者の投稿を主体に、高橋幸宏、赤瀬川原平など話題のアーチスト・ミュージシャン等の読み物などを掲載していたこの雑誌は、日本の言語感覚の水準を非常に高めた。いまも刊行されている「三日坊主カレンダー」などでパロディという概念を日本に定着させたのも、この雑誌の成果の一つだろう。「えびぞり」という言葉は、この雑誌の流行語を作ろうという企画から産まれたものだ。
 この本の中に、実は「ハジラ」というコーナーがあった。これは投稿されたハガキのコーナーを問わず、つまらないモノ、感覚の悪いモノ、主旨をなんか勘違いしてるゾというモノを編集部が集めてさらしモノにする、というキビシイコーナーだった。
 私もこのコーナーのギセイになった事がある。幸い文章ではない。キモチワルイものを捜すというコーナー向けに、自分の人差し指の第一・第二関節の間に一つだけ毛穴があると書いたハガキの説明図が「ヘタな絵書かないでくれる。指に見えない」とキャプションされて掲載された事がある。要するにチンポに見えた(笑)らしい。ムッとして「ヘタな絵で悪かったな!」と別の投稿ハガキに書き添えたのを覚えている。
 あれも要するに読者にどう見られるか、どこまで考えて表現したのか、問題意識を持てという事だったのだろう、と今では思っている。

「ビックリハウス」の編集方針は、決して下ネタを禁止するものではなかった。但しその選定基準は極く厳しいものだったと記憶している。末期には森田健作にスポットを当てたりと、かなりプリミティブな企画もあったが、おしゃれな流通業界をリードするあのパルコの雑誌ゆえ、女性の尊厳を無思慮に脅かすタイプのものは決して掲載されなかった。
 洗練の結果の飽和状態からか、新しい企画を打ち出せなくなり、休刊に至ったようだが、紙上に展開された表現の水準は、最後まで後退する事はなかった。


*6 ハズカシイとは本当にいかんのか?

 ここまで見てくると、ワタシの言葉の選択基準である「ハズカシイ」は、結構微妙なものである事は分かる。お笑いでも見てきた通り、現在はむしろプリミティブなもの、少し前には「ハズカシイ」とされたもののほうが、むしろ面白かったり、心にズンと響いたりする時代なのだ。洗練されすぎたものが、却って同時代的なもの、本質や魂、リアリティを失ってしまったようなのである。
 エヴァンゲリオンには実は巧みなトリックがある。表現手法は洗練され、ハズカシイ部分は極力回避するか理論武装? しているのだが、実は「テーマ自体がハズカシイ」のだ。それは近年のアニメが、極力避けてきた領域だった。エヴァはその虚を突いたのだ。エヴァのテーマとは「ヒトの心とその成長」なのであり、その点では「巨人の星」と同じなのである。
 ハズカシイ、けれども重い。「巨人の星」はそのテーマを60年代的価値観に基づくリアリティで描いたから、80年代にはハズカシくて直視に耐えなかった。エヴァはそれを90年代的リアリティで描いているからハズカシくないのである。
 しかし、それもこれも全て、問題意識やハズカシサが存在すればこそ、意識出来ることである。それがあるからこそことばやゲージツ、思想をめぐるハズカシサ=リアリティの欠如の問題・原因を、人は考える事が出来る。

 6年ほど前、現代詩に「湾岸戦争論争」というのがあった。「鳩よ!」の特集号で書かれた反戦詩に対し藤井貞和と瀬尾育生が激烈な論争を展開したアレだ。あの時の問題とハズカシサの問題には、共通するところがあるような気が私にはする。
〈瀬尾育生「ひとこと言いたくなったこと」現代詩手帖1991年5月号P212-213より〉
「おめでたい反戦のメッセージを単純な線でうたっている詩人たちのなかにまじって日本の先端的な詩人たちは、一様に何を言おうとしているのかわからないような曖昧な表情を浮かべている。これらの詩人たちは与えられた主題(恐らくは油まみれの海鵜の写真・大村註)を受け入れながら、その主題を打ち消し、希薄化することによって自分の詩を守ろうとしているのだ。だがいったい何のためにそんなややこしいことをしなければならないのか。」

 たぶん「その主題を打ち消し、希薄化する」ことが、言葉を「洗練」することだと、長いこと誤解されて来たのではないか、という気が私にはする。その誤解に気づかずにここまで来た詩人たちの、思考の浅はかさがさせる「曖昧な表情」に、あの時の瀬尾は苛立ったのではないか。
 表面的な言語感覚の洗練の行き過ぎで、ことばは原始的(プリミティブ)な力を失った。いささか乱暴だが、その失速を彼らの議論の中に現れる「ことば(あるいは詩)の無力さ」と短絡して見る事も出来るように、私は思う。
 一方、その浅はかな詩人たちと一緒くたにされた藤井は、北村太郎・正津勉の対談への批判を通して、このように反論した。
〈藤井貞和「湾岸戦争論」河出書房新社、P100より〉
「わけしりのこましゃくれが詩の無力を口にする、なんだか非常に悪い時代である。(中略)最後の手が詩にさし延べられている「文学者」の討論に、のこのこ出かけていった詩人が、無力理論を振り回して、エンターテイナーであり作家である人の笑いから失語症の苦しみまで(対談中に引用された、いとうせいこう氏の「湾岸以降に客の笑いが取れなくなったとか失語症になった」という話。・大村註)を裁断してのける図である。エンターテイナーにとって笑いの「有効」が大切であり、また作家として言葉に頼むところがあるから不本意な失語症にくるしむのだ。なにを現代の詩人は隠遁思想にふけっているのか。」

 表現のある領域に於いては、「洗練」は「無力化」と表裏一体である。逆に言えば、「ハズカシサ」は「パワー」でもある。
 洗練されてきた筈の日本人の言葉への感受性が、戦後を生きてきたクセに戦争の議論や表現を持ちこたえられなくなるほど脆弱になっていた、とは言えまいか。
 この点に於いては、藤井も瀬尾も実は同じ事を言おうとしたのでは、と私は思った。

 早い話、戦争を含めたあらゆるテーマに対して、バカな詩人もドンカンな詩人もイヤだし、話を通すためにバカやドンカンのふりもしたくない。ましてや「一応皆と反対した」式の免罪符が欲しいのでもない。その上で、なおしぶとく書くべき事は書いていきたいというのが、藤井の言いたかった事ではないか、とワタシは思っている。

 少なくもこの2人は論戦から何かを汲み出し得たと私は思っているが、問題はこの論争をこの2人の次元で理解したヒトが果たして何人いるか、という点だろう。ことばのハズカシサを感受出来ないドンカンな人には、この論争は小市民的な倫理の問題としてしか見えない、ハズだ。


*7 自分がハズカシくないのか

 ハズカシイとは「自分が本来それを果たす充分な能力を持っていた筈なのに、現場でそれが表現出来なくて周囲から劣ったものと見られた事への苛立ち、後悔」である。
 つまりそれは「克服できる事」だと考えているからこそ起きる感情であり、いわばインサイダー的な感覚である。

 これに対して劣等感とは「自分がそれを果たす能力を持っていないと感じていて、かつ周囲からも劣ったものと見られている事への苛立ち、優越した相手に感じる圧迫感」である。これは自分が「克服出来ないかもしれない」と考えているから起きる感情であって、いわばアウトサイダー的な感覚と言えよう。

 前者の場合、ハズカシサを克服するには、自分がよりキビシイ問題意識を持って行動・選択をすれば済む。自分は感受性についてのプロなのであり、新しいものを理解するスキルは、現代を表現者として生きるのに当然に必要なものだからである。

 しかし後者の劣等感、すなわち「アウトサイダー的感覚」を抱いてしまった場合、これを克服するのは容易ではない。なぜなら、克服する方法が2通りあるからである。
 ひとつは「ハズカシイ」と感じた時のように、自分がキビシイ問題意識を持って同時代への理解力を高めていく方法。これは上の場合と結論は同じだから心配はない。
 しかし、もう一つ方法があって。
 史実よりも自分の観念的な説明に、価値観の基礎を置き換えてしまう方法である。私のほうが正しい、ドイツが敗北したのはユダヤ人の内政擾乱の為だ、みたいな。
 一見後者でも同じ目的を達成出来そうに見えるのだが、重大な過誤がある。後者の方法では、本来あるべき、現実を検証しそれに立脚する問題意識は姿を消すのだ。自分を擁護する為に、問題意識をマヒさせると言ってもよい。

 先のオウム真理教の事件では、信者と一般ピープルとの価値観のずれの大きさに私は戦慄した。出家により外界の現実から遮断された世界では、史実はどのようにでも解釈可能である。毒ガス処理装置にヤマトと同じ「コスモクリーナー」などと命名する教団のハズカシサは、ビンカンな人間から見れば耐え難いものであった筈だし、そのウサン臭さは、彼らが選挙での敗北を「違法選挙だ」と叫ぶ不気味さと、根は同じである。

 しかるに私は、問題意識の存在のあるなしによって2つの手法を峻別する。当然「ハズカシイ」を感じ、その理由を追求していく手法をこそ、私は支持する。

 表現者たるもの、必要なのは自分の脳内の思考であり問題意識だ。それがあるからこそ、ことばやゲージツ、思想をめぐるリアリティの問題を人は考える事が出来る。問題意識、そしてその結果のハズカシサが無ければ、洗練からプリミティブに至る、ここまでの思考の一切は始まらない。
 ハズカシサ=虚構への嫌悪を意識出来ないヒトには他者=読者は存在しないし、洗練のプロセスも存在しないのだ。それこそ「オウム的」と呼べるだろう。

 それでも詩は、作品は書けるだろう。書けるだろうが、読者不在で書かれるそれは批評や鑑賞に耐えるシロモノではない。
 だからやっぱり「ハズカシイとはいかん」のだ。

〈完〉

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