花日記(3)

花日記(3)
大森吉美


 
7月4日

 世の中に憂さごとありて過すうち
 文月来たりて花を記さん

 世間に暗澹たる事件があってしばらく花日記をつけることもしなかった。でも気付けば、七月。七月は「文月」とも言うではないか。気をとりなおして花を愛でよう、花を愛でるように子供を育てたい。そして子供を育てるように、私は文章を書きたい。
花日記から遠ざかっているうちに、六月だというのにまた台風が来ていた。2回目の台風も我が家の回りはさしたる被害もなかった。
 インパチェンスのさし芽は、台風の間に水に恵まれてしっかりと根づいた。苗床から小さなビニールのポットに移してやる。根がもう少しまわったら花壇に地植えするも良し。ハンギングにするも良し。寄せ植えを楽しむも良し。インパチェンスは夏から10月いっぱいくらいまで長く楽しめる強くて可愛い花だ。ホウセンカの一種と聞いた。温かい冬であれば種が散って楽しめるらしいが、三田は寒いからそうはいかない。
 そういえば、サフィニアのさし芽も倍くらいに大きくなった。先日、お向かいさんからゴールドクレストの根元に腐葉土をひいてやればいい、とアドバイスされてこの間しておいた。
 今日のように暑い日は照り返しを防ぎ、朝、浴びせるようにまいた水を含んでこの季節に水を欲しがるゴールドクレストにはいいらしい。根元に腐葉土などでこうして保護してやることを「マルチング」と 言うのだそうだ。マルチングをした部分だけ黒い土になっている。根元にこうして腐葉土を混ぜたり牛糞をまぜたりして花を植え替えていくたびに土は良くなるものらしい。


7月7日

 今年の七夕も雨模様だった。晴天が続いて空梅雨と思っていても案外七夕だけが雨模様だったりするのだ、不思議だな。伝説の恋人は今宵も涙の雨に濡れるのか・・・。
 雨上がりや雨の小降りになった頃をみて、私は草抜きをする。この季節、抜いても抜いても雑草は生えてくる。春から夏にかけてパンジーを食い荒らすナメクジもそうだ。退治しても退治してもやってくる。あぁ、ナメクジでなぜか連想してしまったが、花のなかでも強い雑草並みの生命力、繁殖力を持つこの季節の花のひとつに「松葉菊」がある。オレンジ、ピンク、ホワイトと種類はあるらしいがよく見かけるのはショッキングピンクに近い花である。その、ネーミングからは楚々とした日本的な菊を思い浮かべるのだが、どっこい、これが結構、バタ臭い?花なのだ。どの辺から「松葉菊」というのか? つらつら眺めて思うに、少し厚ぼったいサボテン様の葉がそう言えば細く長く「松葉」を太らせたように見えなくもない。「菊」と言うには無理があるように思う花も、強い! というところは同じように強い花だから、「菊」に便乗? ということなのかもしれない。勝手な解釈をしながら、私はこの増えすぎた「松葉菊」を抜こうとする・・・が、だが、しかし、根は「ど・どうしてぇ? ここまで伸びてるのぉ?」と言うくらい地中深く、しかも太く生えているのだ。強い生命力の謎がココにあるのかっ。
 ふー、やっと抜けた。
 
 と、そいつを持って近所の空き地に捨てにゆく。そこで、また、私は「松葉菊」の大群を見るのだ。捨てられても、なお たくましく生きていて、美しい(ここまでくるとおぞましい?)花まで咲かせているのだ。そういえば去年、お隣りさんに、「捨てるくらいならちょうだい」とこの花をねだった時に、「うーん、よしみサンにはいいかもしれない。手間がかからなくて丈夫だからねぇ。どんどん増えるし・・」と言われて喜んだ事を思い出した。あの頃は私も「うぶ」だったのだ。
(成長した私は 先日、FCVの歌会で 松葉の菊の葉の様子を「地中から伸びる手」と詠んだものから力強い生命力を感じてうなずいてしまったのだ。去年の私には歌の深い意味がわからなかったに違いない・・・)


7月8日

 昨日に引き続いて雑草のお話。
 末の小学四年生の娘が、「おかぁさん、音読を聞いて」というので聞いていたら、たまたま「ものの名前」の話のなかで雑草をとりあげていた。昨日の日記とあまりにシンクロしていて、驚いてしまった。また、考えるところもあったので、書き留めておこうと思う。
 以下、抜粋
 東京書籍新しい国語の中から「ものの名前」(倉持保男)より

《「雑草」と呼ばれている草でも、注意して観察すればその中にはきれいな花を咲かせるものがあるかもしれません。もし、そのような花を見つけたら、きっと、どんな名前か知りたくなるでしょう。また、その中にまじって ハハコグサ(母子草)、ホトケノザ(仏の座)、ヒトリシズカ(一人静)などのように興味深い名前の草も生えているかもしれないと思ったら、だれでもそれを捜してみたくなるでしょう。(中略)ものの名前を知ることはそのものに対する親しみを増し、知識を深める第一歩になるのです。》

 ハハコグサに一人静? うーん、確かにどんな花だろう? そう思って教科書をのぞき込むと、あった、あった! 写真が。あぁ、この黄色いのが母子草、春の草抜きで随分抜いたっけ。一人静は知らなかったなぁ。確かに白い小さな花びらが緑の葉っぱの上で瞑想に耽っているかのような佇まいだわ。そうよね、生きてる全てのものには命があって、名前があって、個性があって。雑草のひとつひとつもそれにふさわしい名前があるのだ。
 話は飛ぶが・・・
 先日、「小さなものが好き」と言って「ライトスコープ」を持ち歩いている友人が、一緒に散歩してる途中に、やたら、雑草とかの名前に詳しかったのに驚いたのだが、彼女が純粋な理由が少しわかったような気がした。そういうものにひとつひとつ驚きながら、惹かれながら生きていられるならそんなに楽しい生き方はないだろうなぁ。退屈しなくっていいし いつも、勉強するものが目の前に溢れている。小さなもの、名もないもの達がとても素敵に思える生き方は それ自体がきっと「素敵」なのだ。
 あ、そだ。
 小さくて名もない存在は「私」自身もそうなのだ。この世界では、とるに足らない。
でも「素敵」でいたいなぁ。


7月9日

 やはり、梅雨なのね・・と思うような雨続き。梅雨空の合間をぬっては、草抜きや新しいコンテナガーデンづくりをしている。
 今日は3時のお茶にお向かいさんを我が家に招待した。久しぶりにチーズケーキを焼いたのだ。飲み物はこのところハマッテる「バニラティ」だ。紅茶にバニラの香りがするだけで、少しお砂糖を加えるとまるでキャラメルを飲んでいるようなコクの深さだ。甘みを押さえたチーズケーキとは、これまた、ハマル。
「よしみサン、優雅やねぇ」
「あはは、こんな、うっとおしいとねぇ、気晴らしも必要やで」
「蕁麻疹はもういいの?」
「うーん、夜、ちょっと痒いからねぇ、もう ちょっとかなぁ?
 ワインとか飲みすぎたんよ。このごろ急に太ったし。」
「えぇ? そんな、言うほど太ってへんやん?」
(そういえば、彼女は縦にも横にもスゴク立派な体格なのだ。)
「あ、まぁね。でも、産後の肥立ちが悪くて<肝機能障害>と言われた時に、あんまし、太ったらあかんってお医者さんがゆうてたし。」
「ふーん? で、痩せたぁ?」
「3キロくらいかなぁ? ま、ぼちぼちやねぇ。」
 お隣りさんが美容室から帰ってきた車の気配がして、外に出てみるとショートヘアにした彼女がすっかり若返って笑っている。3人でまた、園芸談義が始まる。お向かいさんの勧めで、通信販売の特売品、ムスカリの球根を100個! 注文することにする。(お向かいさんの注文のスケールは単位が違う。)100個で2000円くらいだったかな? 「百個もぉ?」と言う私を、「どばっと咲かすには百個はいる!」と説き伏せて。(どばっと咲かせるというのが彼女らしい。)
 もちろん、植えるのはこの秋で、うまくいって「どばっ」と花が咲くのもまだまだ先の話しなのだが。球根から苗の話しになり、話はもうこの秋を通り越して来春の計画である。
「よしみサン、家にいて暇やろ?」
「えー? (ホントは暇かもしれないがそう言われると悔しい)」
「そうそう、優雅やで。昼寝の時間、お茶の時間、草抜きの時間って」
「そうかなぁ?」
「せやから、まぁ、来年のパンジーは種蒔きからしいぃな。いろんな色や種類があって楽しいでぇ。」
「それ? バカでも育つのぉ?」
「うん、誰がやっても、まぁ、そうやねぇ、、手がかかるわねぇ。」
(おいおい、それじゃ、話が違うっ)
「手がかかるんは、パスやわ。」
「そぅお? 手取り足とり教えてあげるのに。」
「ほんま? うーん、じゃぁ、やってみよかな?」
 で。。。でも、それまで、私の園芸熱はさめずに続くのだろうか?
 うーん。?

|
目次| 前頁(花日記(2))| 次頁(花日記(4))|