「○○子、先生を許せ」って?

「○○子、先生を許せ」って?
阿ト理恵


 ある詩塾の詩人たちと新宿で飲んでいた。しゃべり倒す詩人Yがトイレで見つけたといって、にたにたしながら、どう思う? って聞かれた落書きだ。「○○子、先生を許せ」この○○のなかには実際名前が入るのだが、実名はまずいだろうから、ここでは、和子にしておきましょうか。「どう思う? ったって、あぁたねえ、そりゃ、決まってるでしょ、先生は和子をヤってしまったってことでしょうがぁ。」
「だよなぁ、ぐはははは、先生よぅ、後悔してるんだろうなぁ、いいなぁ・・・」
 Yはほんとに、うらやましそうだった。男って奴は、ったく。と思いながら、雨が降り出したしっとり新宿からざんざん降りな所沢へ帰り、れろれろした脳味噌を枕のうえに置いたが、休んでくれないのだ、脳味噌の左が。左脳は考えた。これって、奥が深いじゃんって。
 和子は、先生にやられたんではなく、和子がやったのかもしれない、で、先生はできなかったとか、先生はホモだったとか、和子に子供ができたけど先生は逃げたとか、和子は、先生が思っているほど、弱くはないかもしれないし、先生がはじめての人なんて言ってうるうるしながら先生の男心をくすぐりちゃっかり成績アップを狙っていたり、援助交際10人とか、案外したたかだったりして、高校生か中学生かわからないけど、小学生の可能性だったあるぞぅなどと、下世話な想像ですみません。男子トイレだから、先生が女ってことはないよなぁ・・・。いやまてよ・・・。なにが左脳で考えた? って、わたしの左脳なんてこんなものさ。
 そういえば、今、妊娠中絶って、昔の「優生保護法」から「母体保護法」にかわったんだよなあ。しかし、名がかわっただけで、今だ、本人の意志だけではできないという。わたしのように子を産めない女にとって「母体保護法」という名は、正直憤慨するなあ。女の産む性だけを強調されてもなあ、せめて「女体保護法」くらいにしてくれないかなあ。でも、別に、そんなことばで保護されたくもないし。女の「子」に対する考え方は、多様化しているのだから。子を産みたくない、子を産みたいのに産めない、どっちでもいい、など。そういう差から誤解から知らないことから差別がはじまる。だから、妊娠中絶も、不妊手術も、湿っぽい影の話ではなく、もっとおおっぴらに話せればいいなあって思う。子を産めない人は、女だけの問題ではないし、そこには、異性愛者たちの問題だってクローン人間の問題だってある。奥が深いのだ。やっと、左脳っぽい話になったゼ。差脳ではなく。
 話を落書きに戻すが、自分のこと「先生」っていうのもなあ、なんだかなあ、トイレに落書きすること事態、酔っぱらっていたとしても、「金を返せ」と日本語で歌うベン・フォールズ・ファイヴのように陳腐だゼ。

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