デジタルな友達づくり

デジタルな友達づくり
阿ト理恵


「対人関係能力が低くて悩む子も、パソコン通信ならやりとりができる」
 1997・3・14毎日新聞の記事、精神科医の香山リカのコメントだ。ふむふむ、とても判るなあって思った。登校拒否してた頃、パソコンがあったら、わたしは、一日中、パソコンに向かっていただろうと想像するからだ。それで、癒されたかどうかは判らないけど、少なくとも、毎日死にたいと思っていた気持ちからは逃れられたように思う。それは、きっと、見えないことへの安心感かもしれない。普通は、見えないものには、不安感を抱くだろうが、自分に対して自信がない時は、自分の顔や匂いや声や肉筆を知られずに想いを伝えられることは、すごく楽ちんなことなのだ。NICE BODYじゃなくっても、7オクターブも出る声じゃなくっても、パソコンのなかでは、関係ないのだ。そういう外見的なことで差別されることはないのだ。それこそ、平等な世界ではないかと。先入観のない対等の話ができる環境だと思う。
 香山リカのコメントに次のようなのもあった。
「友情は私たちがこれまでイメージしてきた全人格的なものではなく、特定の趣味、し好にかかわる断片的なものでしょう。ただ、全人格的と断片的の、どちらが良質かというものではない」これに対して、竹村真一(東北芸術工科大助教授)は、「それぞれ自分が必要とされる部分で関係する。一人ひとりは欠けたところがある(必要とする部分がある)から、ネットワークが始まり、関係していく。新しいメディアを通した人間関係づくりです」と言っている。
 確かに、パソコンで繋がっている人とは、たとえば、ここでは、詩というものが共通になっているわけで、それ以外の個人的なもので繋がっているわけではない。その人のたった一部分とだけで関係している。それで、共感できるものがあるのならば、わたしは、それでいいと思う。でも、そこから広がって、全人格でつきあえるともだちに成長できたらいいなあとも思う。しかし、全人格的なものでつきあえる程、みんな暇ではないだろう。大人は仕事、恋、趣味、遊びに忙しく、子供は学校、塾、習い事に忙しく、とにかく、みんな忙しいのだろう。だから、ともだちとのつきあい方だって、電話でアポイントとってから逢ったりするしかないのだろう。いきなり、訪ねて行ってもいつもうちにいるのは、かめやうさぎや犬くらいだろう。
 だからこそ、忙しい人たちのために、パソコン通信は救いのツールになる。特にEメールは早い安い簡単、紙を使わないから森を救う、郵便配達カブから排出されるガスを減らすから空気はきれいになるオゾン層も守られる。デジタル文字に抵抗はあるかもしれないが、肉筆でごまかされないピュアな想いが伝わる気がする。外にでかけられないからだやこころの不自由な人にもぴったりのツール。どんなツールを使って人間関係がはじまったとしても、ともだちになってゆく底にあるものは、お互いのなかから生まれたことばによってなのだから。
 デジタルな友達づくり♪でもいいんじゃない! でも、元気で時間のある人は、外の空気もいっぱい吸いましょうね。

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