恥のライブラリー

恥のライブラリー
阿ト理恵


 わたしは100人にひとりらしいという恐ろしいことがわかった。というのも、1997.3.3毎日新聞「電脳文化的今日」岡田斗司夫の記事で知ったことである。全文紹介して、自分の感想も書きたいと思う。

「パソコン通信での発言って、半永久的に保存されるんですよね。怖いなぁ」
 知り合いに言われ、僕も考えた。パソコン通信への書き込み(これを「発言」と呼ぶ)は、ある程度の分量になると、データライブラリーという場所に移動され、データ圧縮して保存される。見たい人は、一手間かければだれでも見ることが出来る。
 パソコン通信は始まってまだ10年ほどだから、今は10年分の発言が保存されているわけだ。当然、8年前についカッとなって書き込んだ自分のおバカな発言も残っている。なぜおバカな発言が多いのだろうか。
 パソコン通信をしている人の中で、実際に書き込むのは100人に1人の割合だという。残り99人は、他人の発言を読んでいるだけ。発言するその100人に1人の人物は、他の99人に比べて別に深い見識があるわけでも貴重な経験があるわけでもない。単に書き込めるとなったら我慢できないオッチョコチョイな人達なのだ、と僕も含めて断言できる。100人に1人のお調子者が、夜中に盛り上がって書き込んだ文章が永遠に保存されてしまう。中学男子生徒の夜中に書いたポエムを、タイムカプセルに入れて保存するようなもんだ。まさにデジタル資源の無駄使いである。
 おまけに幸か不幸か、デジタル技術は日進月歩。今ではデータ設備も進んで、膨大なデータの中から例えば〇〇さんの発言ばかりを検索する、というようなことも可能になってしまった。オッチョコチョイの僕も、さすがに発言する前に、一息深呼吸するようになった。
 油断していると大変なことになる。数十年後、大人になった自分の息子や娘が、若かりしパパやママの発言を検索できちゃうのだ。そこに「レイ姫、ラブラブでござる〜〜〜!!(翻訳:私はエヴァンゲリオンのヒロイン・綾波レイのことを考えると、心が熱くなることだよ)」と書いてあったりするのだ。
 書き込み1ナノ秒、恥永遠。気を付けよう。

 以上が岡田氏の記事だ。いかがなものでしょう。わたしのように、つい最近、発言をUPしたばかりのものにとってタイムリーな話だった。いやはや、納得しながら、怖くなってしまった。自分のことのようで、そーです、そーなんです(ウルフルズの歌みたいだけど)。書かずにはいられないと同時に、読んでもらいたい気持ちがあり、活字中毒なわたしは、読むことと書くことでは、6対4で書くことが勝つのだ。情熱とかそんな上等なものではなく、ただただ、おしゃべりの延長線上の発言なのだろうと。石橋を叩かずに渡るオッチョコチョイなひとりとして、反省しつつ、それでも、やっぱり、勢いで発言してしまうのだろうと。石橋を修復しながらも、がんがん先に進みたいという好奇心が優先しまうのか。きっと、パソコン通信で発言している人たちって、わたしも含めて、発言せずにはいられない、それぞれの想いがあるのだと思う。仮想空間といわれるこのパソコンという電脳空間で、そんな人達の発言が、恥であろうとなかろうと、発言するという前向きなエネルギーは大事なことだと、わたしは思う。しかし、やっぱり、岡田氏の言うように、気をつけなくっちゃ! と書いた文を一日くらい寝かせてから推敲して、UPした方がいいかなあと思ったのだった。それに、誰だか知らない人様に読んでもらうという前提で書くということが、案外文章修業になり、自分の詩にもプラスになるような気もする。
 あなたも、100人のひとりになってみませんか。

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