キーワードとキーナンバー(5)「山頭火」

キーワードとキーナンバー(5)「山頭火」
大森吉美


 今日は初春ののどやかな午後、お昼寝をしたいけれど感受性に鞭打ってパソコンに向かいました。本当にお昼寝にはちょうど良い日なのに。
 このお昼寝に絶好? の季節、折しも俳句の部屋では初めての句会が催されるとか。横になった頭をふとよぎる五・七・五・・、あぁ、これは寝てる場合ではないと思ったら目がさえてしまった? のでした。
 そんな私でも 俳句の部屋の方に「山頭火」を知らないと言えば、顰蹙をかうかもしれません。
 ――分け入っても分け入っても青い山――(引用)
 が、実はつい先日まで その代表的な句さえ知らなかった私です。
 最初は「さんとうか」、自由律の俳句? と聞いて 「三頭歌」?という新種の俳句の手法かとも思ったくらいですから。無・教養は察して計るべし、なのです。俳句に使われた号、しかも自由律俳句の先駆者としての「山頭火」を知ったのは本当にごく最近の事です。「旅に生きた放浪の俳人」とでも言うのでしょうか? 少し興味があったので、先日、図書館から「山頭火の妻」という本を借りてきて読みました。
 妻、という立場から見れば、「本当に情けない夫」であったろうと思われるその行状は年譜をたどり日記をたどれば生々しく浮かんできます。人間としても その金銭感覚のなさ、酒への執着を思うとき大層、弱い人であったのだろうと察せられます。ただ、文人としての彼は、志の高い情熱家であったのでしょう。ことに、彼が実家の破産で熊本に転居し、「白河及新市街」に参加しだした時の自由律俳句への情熱がその後の彼をずっとささえ続けたのではないかと思います。
 私自身も、「山頭火」(山田啓代著)に抜粋し、書かれている「白河及新市街」末尾の“雨夜より”の引用の文章にとても惹かれました。 
「我らの霊を自然の坩堝に溶かしめ得たる小さきながら輝きを有する結晶、それが我らの句である」
「個々の現象を自己の色彩を以てくすぶしたるもの、われらの句である」
「廣きより深く、複雑より純化して、現実より神秘に潜む」
「季題を知らず、芭蕉を知らず」
 この文章の、「句」を「詩」に置き換えて読んでみても、何の違和感もないように思うのです。最後の「(  )を知らず、(  )を知らず」などは人それぞれにいろんな語句があてはまるのではないかと大胆不敵に思ってしまう私です。
 そしてその( )の中に入る言葉が、これからの「詩」へのキーワードになるのではないでしょうか?
 どのような人がどのような思いで、この小さな俳誌の後記部分に書かれたのかまではわかりませんが、時代を超えて新しいものを生み出す気概にあふれている、文人の情熱が伝わってきます。
 さぁ、あなたならどんな言葉を入れるのでしょう?(  )の中に。
 なんだか、皆にきいてみたいなぁと思ってしまう私なのでした。

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