キーワードとキーナンバー(2)「現在」

キーワードとキーナンバー(2)「現在」
大森吉美


 さて、前回、図らずも?(というか、それが地だからシカタナイ)現実の「大森吉美」の主婦としての怠慢ぶりを暴露させてしまった感もあるのですがここで一挙に挽回、まではならずとも、ちょっとは、他人が「なーるほど」と唸ってしまう名文を書いてみたい、と思うのですが。(やっぱり、無理かも)
 ところで今、このフォーラムの「藍の書斎」では「現代詩」とはなんぞや? と言う議論が繰り広げられていて、私も興味深く諸氏の諸説を拝読しているわけです。それで、今日はここで「現代」と似ていて親戚のような「現在」という言葉をまな板にのせてみようかと思っています。
 というのも、昨日(2月17日)の夕方の読売新聞の文化面の、私がつい先日まで楽しみにしていた連載小説「卑弥呼」を書かれた久世光彦氏の(筆後感とでもいうのでしょうか)言葉が印象に残っているからです。小説自体は、読まれた方には説明するまでもないのですが、この題名の「卑弥呼」というのは、女性器をあらわす言葉で、小説のなかの「ゆうこ」という雑誌社の記者が地方にあるその類の言葉を集め始め、記事にしてゆく過程でおこる日常のことが書かれています。
「ゆうこ」は「かおる」という恋人がいますが、二人は今の恋人によく見られる《セックスレス》の関係です。ただ、その状態からなんとか抜け出したいと双方が思ってはいるのですが・・・・・。

――《セックス》というモチーフが持っている危険をスマートに緩和したり、賢く相殺してくれるのは、この笑いしかない・・・――引用

 氏はその自らの小説を「<現在>を描いた"笑説"」とおっしゃっていますが、全編を通してそこはかとなく漂うユーモアは毎日読むのも楽しく、また散りばめられた詩的な表現は現実と空想を見事に織り交ぜ、それこそ夕方の慌ただしい一時に精神を解放してくれるようでした。その氏が、やはり「笑い」を意識され、それを根底に文章を書かれていたのだとわかって、あぁやはり、と思ったのです。

――「私たちは笑っているときがいちばん幸福なのです。そして《笑い》だけはなんとしてもジャスト現在(ナウ)のものなのです。――引用

 人間にとって生きてる「現在」を素直にしかも肯定的に実感できるものは、《笑い》の中にいることのできる「幸福感」なのでしょう。私がいつも思うのは、この「肯定的」であることが、それこそ詩作をする上にも重要なキーワードはないかということです。藍の書斎でもどなたかがおっしゃっていましたが、自己カウンセリングの域を出る、出ないという境界線は、どんなに境遇を嘆いてみせても「でも、明日も生きてる」みたいな部分が自分の中にちゃんとあることを知っている。あるいはその辺を肯定し武器にしちゃって《笑い》まで持って来れる太々しさみたいな部分が大切だと思うのです。それがリアリティに繋がってゆくなら、もう怖いものはありません。
 余談ですが・・・・
 同じ、新聞の同じページに大江健三郎氏の「新しい暮らしの手紙」というエッセイが載っていました。こちらは、見出しに「それぞれの人生の物語」となっていて、「現実」に起こったことから深い感動を得る事の出来る新聞記事がある一方で、今の文壇の短編小説には、リアリティから得るそれがナイのではないかと言う危惧が書かれていました。こちらの大江氏のエッセイはこれからも続くようですので、また楽しみが増えました。こちらの読後感もぜひ書きたいと思っています。
 さて、「現在」同じ、読売新聞の夕刊の連載小説は、村上龍氏の「イン・ザ・ミソスープ」です。コチラは村上氏がコンピューターを駆使してCGで挿絵まで作っての連載です。まだ、はじまって間がありませんが、ミステリアスな展開です。

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