UKを知ろう


賢王マクベスとその時代背景

劇団『昴』ザ・サード・ステージ公演
パンフレットへの寄稿




賢王マクベスとの出会い

 今から約30年前、S銀行ロンドン支店に勤めていた私は、夏の休暇
に風光明媚な湖水地方から北上し、スコットランド一周のドライブ旅行
を家族と楽しんだ。(今考えると、奇しくも11世紀のスコットランド国王
の支配領である)

 旅に先立ちスコットランド史を読んで驚いた。なんと、「マクベスは、
巷説とは異なり、賢王であり、スコットランドを17年の間、見事に統治
し、平和と繁栄をもたらした」「1050年にはローマに巡礼し、貧者に
"種を播くがごとく"お金を施した」と書かれているではないか。

 これまで「シェークスピアのマクベス」により、王位を簒奪した悪王と
のイメージしかなかった。これを機にマクベスの実像を調べてみた。
マクベスの無念さを晴らしてやりたい思いもあったが、別の意味もあ
った。

 それは、在英中から「ノルマン・コンクェスト」(フランスのノルマンデ
ィー公ウィリアムによるイングランド侵攻)に、興味を持っていたから
である。マクベスの時代は、まさにウィリアム公の時代であり、当時
のイングランドとスコットランドの両王室の対立と亡命受入れの深い
かかわりが分かった。

 帰国してノルマンの征服を歴史小説に、また約5年の滞英見聞録
を私家本に上梓した。還暦退職後はこれらをホームページで公開し
てきた。

 先日昴ザ・サード・ステージから「史実のマクベスを演じたい」という
メールを頂き、その心意気に感じてささやかな協力をすることとなった。
インターネットの世界は時間空間年代を超えてまことに面白い。


「マクベス」の舞台ハイランドと古都スクーン

 私たちは一口に英国とかイギリスというけれども、それは間違いで
ある。イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドで構成
される連合王国United Kingdom UK である。

 民族も異なる。アングロサクソン民族のイングランドに対して、スコッ
トランドやウェールズ、アイルランドなどはケルト民族である。

 地理的には大ブリテン島の中南部はイングランド西部はウェールズ。
スコットランドは北になる。地理感覚的には日本の東北や北海道の
イメージである。
 イングランドには高い山はない。スコットランドはローランドと呼ばれ
る南部の平原地帯と、ハイランドと呼ばれる北部の高原山岳地帯に
二分される。現在の首都エディンバラはローランドの中心地である。
 ローランドは古くからイングランドの侵略に曝されてきた。
 それに対してハイランドには小部族ともいえるクランが割拠してケル
トの風習や伝統が色濃く残っていた。

 マクベス王の時代の首都はハイランドのスクーンである。スクーン
には、古代スコッツ族がアイルランドから持参した運命の石「スクーン
の石」があった。スコットランド国王は、この石に座って戴冠した。
(余談であるが、素朴なケーキのスコーンは、「スクーンの石」に因ん
で作られたと伝えられている)

 イングランドとケルトの歴史的な民族抗争と融和の問題は現代にも
残り、政治や経済、文化や芸術に今なお深く影響している。ケルトの
音楽、演劇、文学が哀愁と陰影を帯びているのは、アングロサクソン
のケルト制圧の歴史と無縁ではない。



注目すべき王位継承制度タニストリー

 コットランドのケルト民族はクランclannという血縁集団の制度に支
配されていた。クランはチーフchiefと呼ばれる族長に支配されていた。
(ケルト語でクランとは"子供たち"の意味でありチーフが父の役割で
あった)さらに族長が集まって、モーマーMormaer(王あるいは大領主)
を選出していた。

 スコットランド全土を支配する国王High King は大領主モーマーた
ちの中から選ばれた。王位継承権者には母系も含まれ、男系長子
相続ではなかった。

   タニストリーという王位継承制度は、現在の王の孫までを含む王
族の中から、国王に相応しい人物が国王存命中に主要な族長たち
の会議で次王に選ばれた。婚姻を通じて大氏族は姻戚関係になって
いるので、母系を含む候補者は多数になった。王族の中で最も優れ
た者を国王あるいは次王に選ぶというタニストリーの合理的制度が
かえって災いして、不満をもつ大氏族による王位簒奪の争いが激し
かった。

 ダンカン王とマクベス王は母系の従兄弟である。祖父マルコム2世
(アサル氏族の大領主)はタニストリーを改革し、男系相続にしようと
考えたが、男子が生まれなかった。そこで後継者として長女の子ダン
カンを国王にした。

 マクベスはハイランド北部マーレー氏族の大領主で王位継承権の
有力候補者であったが、王位を主張しなかった。


国民の信望を失ったダンカン王の外征

 ダンカン王は領土欲の深い王であり、再三南のイングランド領など
への侵略を図ったが、いずれも失敗した。外征は国民に多大の出費
と人命の損失をもたらし、不信が広まった。

 最後の遠征はスコットランド北部オークニー伯領への侵略であった。
当時のオークニー伯は、ダンカン・マクベスと母系の従弟であるソー
フィンであった。(注1)

(注1)森護著「スコットランド王室秘話」では、ソーフィン伯はマクベス
   の異父弟となっているが、最近憶良氏が入手した資料では従弟
   との系図であり、史実面での納得性があるので、近日「薊の国」
   を改定の予定。

 その領土はオークニー諸島だけでなくヘブリデス諸島とスコットラン
ド最北端のケイスネス・スザーランド地方をも含んでいた。マクベスの
領土であるマーレー地方とは国境を接していた。

 ダンカン王軍は配下のアサル氏族にアイルランド傭兵やスコットラ
ンド南部クランを加えオークニー伯と戦ったが、マクベス軍は戦わな
かった。
ダンカン王の失政に失望していたマクベス将軍とオークニー伯は戦
場で連合したのである。バークヘッドの戦いに敗走したダンカン王は
鍛冶屋で捕らえられ殺害された。

 ダンカンの遺児マルコム(後のマルコム3世)は、イングランドの貴
族ノーサンブリア伯シュアード(シワード、マルコムの母の従兄弟)の
伝手で、ロンドンのエドワード懺悔王のもとに亡命した。


名君だったマクベス王

 マクベスは少年期10年間を国内最高の師について学んでいた。
 1040年国王に選ばれて以来善政を敷いた。盟友ソーフィン伯と
終生力を合わせ、両国は共に平和で繁栄した。

 在世中ただ一回反乱があった。1045年、ダンカン前王の父ダンケ
ルド大修道院長兼アサル大領主クリナンによるものであるが、ソーフ
ィン伯と連合しこれを制圧した。マクベス王とソーフィン伯の連合によ
り、スコットランドは政治だけでなく対外軍事力も安定していた。

 ノルウェーやデンマークのヴァイキングたちは、侵略の矛先をイング
ランドに向けた。

 イングランドでは一時ヴァイキングの子孫のデーン王朝が成立して
いたが、1042年に途絶え、アングロサクソンのエドワード王子が亡
命から帰国、1043年戴冠した。

 マクベス王は、1050年ローマ巡礼の旅に出た。やむを得ぬとはい
え従兄ダンカン王や、彼の父ダンケルド修道院長殺害の懺悔と供養
のためである。国王が巡礼のため留守をしても不安がないほど国内
の政治と軍事力は安定していた。


タニストリーを終焉させた名将マルコム3世

 イングランドのエドワード懺悔王のもとに亡命したマルコム王子は、
懺悔王よりマクベス王征討の支援を受け、親族のシュアード伯が司
令官に任命された。

 マルコム王子はマクベス王を破り、その嗣子ルーラッハ王を殺害し、
マルコム3世として国王になった。
 また後年エドワード懺悔王と血縁のマーガレット姫を王妃にした。
 マーガレット王妃は数多くのクランのタータン・チェックを決めたこと
で有名である。王妃はクランたちに誇りを持たせ、スコットランドに文
明開花を齎し、国民の尊敬を受け、キリスト教の布教に貢献したので、
死後ローマ教皇より聖女に列せられた。(エディンバラ城聖マーガレ
ット礼拝堂)

 マルコム3世もまた国内の統治にすぐれ、武将としても率先してイン
グランドのウィリアム征服王と再三戦い、遂に戦死した。マルコム3世
王の後は、彼の王子たちが王位に就いて、スコットランドのタニストリ
ー制度は終焉し、男系相続制度となった。


なぜシェークスピアはマクベス賢王を悪王に仕立てたか

 1603年、パトロンのエリザベス1世女王の逝去はシェークスピアに
とってショックであった。女王が処刑したスコットランドのメアリー女王
の遺児ジェームス6世が、イングランド王ジェームズ1世として両国の
兼王となった。
 シェークスピアにとっては劇団の存続と保身が懸っていた。スコット
ランドから来た新王の庇護を受ける必要があった。

 イングランドの王室には、ウィリアム征服王の末子ヘンリー王にマル
コム3世の姫マチルダが入嫁している。またスコットランド王朝は、そ
の後バンクォーが始祖のスチュワート王朝になっている。

 史実は枉げられ、復讐劇に魔女が加えられ、登場人物の換骨奪胎
が行なわれた。見事な「シェークスピアのマクベス」の上演にジェーム
ズ1世は満足した。
 以後名優たちがマクベスを演じ、映画になり、世界の観客が拍手喝
采してきた。
 今回「昴のマクベス」がどのように演じられるのか、まことに興味深い。



『ロンドン憶良見聞録』「シェークスピアは罪作り」
『われ国を建つ』(続ノルマン征服記 第2部 薊の国)
   第 10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(1)
   第 10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(2)

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