D. 生徒対象の脚本創作講習会

H 人物と背景を考える
I 開幕のポイント
J 結末を決める
K 粗筋を考える
L 大きな流れ
M 小道具の有効な使い方
N 生徒対象の講習会のまとめ

脚本の書き方入門表紙へもどる

  

          九 人物と背景を考える
                
○超能力と不登校を例に人物を考える
                      ○対立構造をはっきりさせる
                      ○名前を決める

                    超能力と不登校を例に人物を考える

 ここでは粗筋の作り万について、前にも述ぺた素材の中から「超能力と不登校」を例に考えてみましょう。内容として前のことと重複する部分もありますが、ストーリー作りを考える参考にしてください。
 ニ枚のカ‐ド引くことで脚本の素材を考えるという試みで、ある生徒が「超能方」と「不登校」というカードを引いたということを話しました。その場合、ひとりの人間に超能力と不登校という背景を持たせたのでは対立が起きにくいので、ふたりの人に分けて持たせた方が描きやすいということを話しました。そこで、その二人の人物の設定についてまず考えてみます。
 「脚本創作イーハトーブの会」の資料としてこの題材を考えていたとき、あるテレビの番組で、父親の自殺から立ち直ることができないでいる若者のことが出ていました。不登校の生徒の背景に、この際それも加えで考えることにしました。
  「ニ人の登場人物」について
 Aは高校2年生。現在不登校。理由は対人関係の不信から相手の心がわからないという悩みを持っている。きっかけは4年前の父親の自殺。自分を責めている。家族の絆やもつれ。将来に対する不安。等
 その時の私の頭の中には「男子」というイメージがありました。テレビ番組の影響でしょうが、親の自殺を受け入れることができない男の子の姿が強く印象にあったのです。「女子」ならどのようなイメージになるのか考えることも、場合によっては必要になりますが、今回は「男子高校生」ということで話を進めます。

 次に、超能力を持っている高校生について。前にも述ぺましたが、何でも思いのままになる人間は、ある意味では完全な人間ど同じで、舞台での面白味がありません。あるとすれば、どんな超能力を見せてくれるかということだけになり、その人間の迷いや悩みに対する興味が表現できなくなる恐れがあります。そこで、自分ではコントロールできない超能力としたのです。
 この人物の設定は、カードを引いた生徒の原案が「高校生」だったのですが、ふたりの関係の幅を持たせることで、高校中退のフリーターということにしました。
 Bは高校中退のフリーター。自分に対する攻撃的な心理を感じるとクシャミが出る。そのクシャミで物を破壊してしまう悩みがある。晋通の人になりたいという願望がある。
 このBという人間が「男子」の場合と「女子」の場合では微妙な違いが出てきます。
 私なら、Aが男子ならBは女子で設定したいところです。ということで、ここではBは女子ということにします。


                         対立構造をはっきりさせる

 「対立構造」といっても、敵対関係ということではありません。場合によっては敵対関係の場面もあるかもしないけれども、ようするに「ふたりの違いやかかわり方の構造」ということです。た。特に共通するなにかを感じたわけではないのですが、「おとなへと成長する話」として参考になることがありそうな気がしたのです。
 Aは、相手の気持が読めないことで悩んでいる。相手が何を考えているのかわからないため、一種の人間不信に陥っている。そこへ現れたBは、相手の心理を感じてしまうことがあるという。そのようなBを羨ましいと思うA。
 Bは相手の心理を感じてしまうことがあり、それが自分に対する攻撃的な心理であったり侮辱的なことであっだりすると、自分の意思とは関係なく超能力が働き、相手を攻撃してしまう。そんな自分が嫌になっているところへAと出合う。Aは相手の気持が読めないという。羨ましいと感じるB。

 仲のよいカッブルと勘違いされることで、なんとなく親しみを感じたふたりが、お互いの悩みを知ることで相手に対する興味が生まれ、相手をもっとよ知りたいと思うようになる。
 喧嘩をしたりしながらも時には仲艮く過ごしていく時間の中で、Aの心理に全く攻撃的なものを感じないことにBは驚く。
 いろいろな人との出合いにより、「自分」というものをお互いそれぞれ発見していく。自分が悩んでいることは「自分にも原因がある」ことに少し気付いていくふたり。このふたりが、ふたりだけの関係のみで「発見」するのは、窮屈で展開が難しい。銀河鉄道のふたりのように、いろいろな人との係わりのなかから感じ取れるように、その場所を「公園」に設定することにした。

平日の昼、公園で出合うかもしれない人をイメージしてみた。
  ベビーカーを押している若い母親
  巡回中のおまわりさん
  風景をスケッチしている芸術家タイブの女性
  カメラ片手に花ゃ風景を撮影してる初老の男性
  ホームレスの男性
  若い男女のカップル
  集団で公園にきている幼椎園児
  サイクリングしている若い男
  家族でビクニック気分で来ている数人
  ギターを弾きながら自作の曲を歌っている若者
  犬をつれて散歩している老人
  ベンチに寝ている人
  本を読んでいる女性
                         など
 このような人達と出合うことによって、ふたりはいろいろなことを感じだり学んでいくことになる。舞台という空間では登場させることが難しい場合があるが、どんな人物と出合うことにさせようかと考えると楽しくなってきた。

                                 名前を決める

 ある劇作家が「人物が決まり、場所が決まり、名前が決まると動き出す」と言っていましたが、AやBという漠然とした名前より、具体的な名前の方がイメージがはっきりして「人」や「顔」が見えてきます。
 生まれた赤ん坊に名前をつけるということは、その子供に対する親から の最初の大きな贈り物なのです。一生懸命考えて名前をつけてあげてください。
 舞台に登場する人物につける名前は、なんでもいいようなものですが、私は次のふたつのことに留意しています。
 まず「観客にとって親切であること」を第一にしています。その各前を耳にしたとき、スッとこころに入ってくる違和感のない名前を心がけます。
 例えぱ、苗字に「佐川さん」「香川さん」という二人が登場したのでは、聞き間違えることがあります。名前にしても「尚子(ショウコ)さん」「涼子(リョウコ)さん」というふたりが登場した場合も同じです。また、あまり変わった名前も、観客の心に入りにくいものです。六○分の舞台では、なるべく早い時間帯に観客のこころにスッとおさまる名前にしたいものです。
 次に、名前をつけるとき「意味をもたせたい」ということです。その「意味」は、観客にわかるものでなくてもいいのです。自分の思い入れでもいいのです。自分がこだわりを感じている名前や、大切にしたいなにかを感じている名前でもいいのです。
 以前、一関第二高校の演劇部顧問をしていたときの作品「私の海は黄金色」の中心となるふたりの人物に「礼子」と「節子」という名前をつけました演劇部員に脚本を渡した時、そのふたりの名前を見て部員は「校訓の『礼節』からとったのでしょう」とすぐ言いました。観客にその意がわからなくても、演じる部員にとって親しみのある名前にしたのです。
 さて今回のふたりにどんな名前をブレゼントしましょうか。私なりにいろいろ考え、ありふれた名前ですが、次のように決めました。名前の理田ですか? それは内緒にしておきましょう。
 不登校になってる男子高校生A
              −−−広瀬伸一
 超能力を持っているフリーターの女性B
              −−−山影みち子

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              十 開幕のポイント
                       ○悩みの経過は説明しない
                            ○話全体のどこから始めるか決める
                            ○開幕のインパクト

              悩みの経過は説明しない

 現在不登校になっている「広瀬伸一」について、これまでの経過を考えてみます。

 現在高校二年生の広瀬伸一は、中学一年生のときに自殺した父親のことで悩んでいた。
数人の行員が働く小さな工場を経営していた父親は、折りからの不況の波をまともに受け、借金で経営がうまくいっていなかった。自殺する朝、親から声をかけられた伸一は、まともな返事もしないまま学校へと向かった。昼過ぎ連絡があり、家に帰った伸一は父親の自殺を知ることになる。「朝、父は自分に何を話したかったのだろう。しっかり聞いていれぱ自殺を止められたのではないだろうか」と自分を責める。
 また、家族を残し死んでいった父親の無責任さに腹を立てている自分もいた。
友人が、自分の父親のことをどのように噂しているのかと思うと、自然に表面的なことしか話 さなくなっていった。
 父親に対する悔しさや悲しさ、怒りや不信感などがないまぜになり自分の中で処理できないでいた。また、父親の悩みを知らないでいた自分の不甲斐無さや、その日の朝の自分の態度に対する後悔や自責の念も加わってずっと頭から離れない毎日だった。眠れない夜もあり、頭痛や寝不足で学校を時々休むようになった。
 成績も下がり、友一関係もうまくいかない状態から人間不信や対人恐怖症的心理になっていった。そのような中学校生活も、高校に入学することで少し変化しはじめた。
 美術部に入り友人もできた。しかし、ある日、親しくなった友人から「おまえの父さん、いないんだってな」と言われだとき、つい「うん、中一の時、病気で死んだんだ」と答えてしまった。
「自殺を隠してしまった自分」や「嘘がぱれたときの友人の態度」を考えると、それまで治まっていたように感じていた自分に対する嫌悪感や人間不信のため、頭痛がふたたぴ始まり学校に行けなくなってしまった。
 今日も頭痛のため寝坊をし、字校に行こうと家を出たものの足が止まってしまい、つい公園の方へと向かった伸一だった。

 広瀬伸一についてこのように設定すると、その姿や心理状況がある程度見えてきます。まだ、家族構成や母親に対する気持など、はっきりしない部分もあるのですが、舞台が展開する必要最低部分は押さえられたと思います。
 山影みち子についても、同じように設定するのですが、ここでは省略します。みなさんであれぱ、どのようにしますか。

 さて、このように設定された広瀬伸一という人物の「なにを、どの程度、どのような場面」で観客に届けるかということについて考えてみます。
 六○分という舞台では、中学一年生のことから始めたのでは時間が足りません。ドラマの連続テレビ番組ではないのです。
 理由はともかく「不登校でなにか悩みがある」という「姿」を示し、場面が展開するなかでしだいに明かになっていくという示し方が考えられます。
開幕の場面で伸一にモノローグで語らせる方法もあるのですが、今回は「なぜ不登校なのだろう?」「なにで悩んでいるのだろう?」と観客に思わせながら、謎解きの手法で展開する方法を考えてみました。
 幕が下りる直前に、父親の自殺を受け入れることができ、その呪縛から解放される姿を観客に示すことができれぱ最高です。
 しだがって、広瀬伸一の悩みやそれまでの過程の全てを説明することはないのです。「不登校という状況や悩んでいる姿」をはっきり示し、舞台が展開するなかで「必要最低限の情報を提示」しながら、最後に「それが少しでも解消される姿」を示すことが大切なのです。

         話全体のどこから始めるか決める

 広瀬伸一は山影みち子と出合うことで、自分発見することになります。しかも、ふたりはお互いそれぞれの悩みを持っていて、ふたりの出会いだけではその悩みを解きほぐすのは大変です。そこで、カンパネルラとジョバンニのように、公園での様々な人との出会いのなかで展開するということを考えました。
 したがって、開幕は「平日の昼、制服姿で登場する広瀬伸一」ということになります。
 しかし、伸一は自分から「私は不登校です」とか「悩みをもっています」と口にすることはないはずです。自分からは言わないけれども、観客に知ってもらうためには、他人に話してもらうのが一番です。そこで、第三者の登場を考えます。
 このように、伸一の心理がここまでいろいろな経過があったとしても、伸一にとっての(良い意味でも、悪い意味でも)特別な日を観客に示すことで伸一を知ってもらうのがよいでしょう。このようにして、話全体のどこから始めるか決めるのです。
 桃太郎のおはなしのように、突然「川上から、大きな桃が流れてくる」のです。なぜ桃が流れてきたのかという「理由」は必要ないのです。「物語」はそこから始まるのです。その物語の世界に「観客をグッと引き込めぱ」それで開幕は成功なのです。観客が「その展開に納得し、違和感を感じない状態」で始めることができれぱいいのです。


                開幕のインパクト

 舞台は「開幕の7分が勝負」という言葉があります。その物語の世界に観客を引き込むためには「最初が肝心」です。
 絵本でも紙芝居でも表紙の絵やタイトル、そして最初のページの導入部分が重要です。
今回の内容で言えば、広瀬伸一の状況を観客に示し、山影みち子の超能力を見せ、そのふたりが自然に打ち溶け合うようになる展開にしなけれぱなりません。
 しかも、言葉だけで説明しても面白く見てもらえそうもありません。なにか、「開幕のインパクト」が欲しいのです。季節や町の規模など、後でよく吟味しなければなりませんが、思いつきで展開を個条書きで書いてみます。

 ・幕が開くと、そこは公園
      植え込みやベンチがある
 ・広瀬伸一が制服姿で登場
 ・あたりをうかがいながら、制服を脱ぎジヤージに着替える
 ・第三者P(だれにするか)が登場
 ・Pは着替えするところを見たと言い「学校に行かないでなにしてる」と言う
 ・逃げ出そうとする伸一
 ・Pは伸一をつかまえて説教する
 ・そこヘ、山影みち子が登場
 ・ふたりが待ち合わせしていたと勘違いするP
 ・憤慨するみち子
 ・すると突然、ベンチのそぱの屑篭が倒れる
 ・驚いて立ち上がったPのそぱの立ち木が折れる
 ・驚いたPが退場
 ・ビックリしている伸一に謝るみち子

 ・みち子は、自分の能力について話す
 ・「他人の心を読めるっていいなあ」と言う伸一
 ・それをきっかけに打ち溶けるふたり

 第三者をどんな人にするか考えてみました。少し嫌味なおぱさん風の女性や、カップルで登場して、彼女に格好いいところをみせようとする男性がいいか。あるいは、ホームレスの男性ならどうなるかと想像すると、それなりの場面が浮かぴます。
 このように、開幕はインパクトをもたせながら、観客をその世界に引き込むことが大切なので、説明的でくどくならないようにしよう。
 わざと「わかりにくい開幕」にする場合は別として、できるだけ「単純で、わかりやすい開幕」にすることです。


                 開幕のボイント

 開幕で大切なことがあります。「開幕で、誰が中心人物なのか観客にはっきり知ってもらう」ということです。そして、「観客を、その人物と同一化させる」ということです。
 開幕で数人の人物が登場する場面では、だれが中心となる人物なのか、観客にしっかりと知ってもらうことが大切です。そして、その人物を好きになってもらうことです。
 貧しくても、暴れんぽうでも、家出をしていたとしても、その人物が中心となることがわかり、その人物が好きになっていれぱ、観客はその人物を応援しながら「何とかしてやりたい」という気特ちになります。その人物が理解できたという段階では、観客にとってはまだ「他人」です。ハートにストンとおさまった状態で「仲間」になり、同じ心理をもつことによって「自分と同一化」することになります。開幕の七分間にそのような状況になるよう構成することが大切です。

 巣団が登場する状況の場合、だれが中心人物なのか知ってもらう設定をしっかり考えないと、観客はだれの視点でその世界を見たならいいのか迷ってしまいます。文化祭の展示の準備をしているあるクラスの集団で幕が開いたとします。模造紙になにか書いている人。装飾用の花を作っている人。本を読んで調ぺている人。そのような作業をしながら「あること」が話題の中心になっていたとしても、中心人物がはっきりしていなけれぱ、観客にとっては「状況」を見せられていることになります。
 また、ある人物が三人にいじめられている場面で開幕したとします。文章で「殴られ、脅され、金を盗られて退場する」と表現すれぱいじめられていた人物がなります。「殴り、脅し、金を盗って追いかえした」となればいじめていだ数人が中心になるのです。
 いじめを受けていた人物を中心にした展開にしたいのであれぱ、「いじめていた三人が退場した後、ひとり舞台に残りサスがあたる」という作りをすれぱ、観客はその人物の心境に同情し、同一化をしてくれるでしょう。

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             十一 結末を決める
                     
○ラストを決める
                            ○結末が変われぱ違う話になる 
                            ○
安易な解決はしない

                ラストを決める

 脚本の書き方に「これが一番だ」というものはないのですが、「開幕が決まったなら、ラストを決めてその間を結ぶ」という方法があります。初めて脚本を書こうとしている人にとっては、案外いい方法だと思うので紹介します。
 今回の例でいうなら、広瀬伸一が父親の呪縛から解放され、殻を抜け出して心理的に自由になるための六○分という時間とすれぱ、そのラストははっきりしています。しかし、わずか六○分という時間で完全に解放されるということには少なからず無理を感じます。例え「おはなし」であったにしても、あまりにも都合良すぎる展開は「嘘」を感じさせることになるのです。
 そこで、「心理的に自由になるきっかけをつかんだ」ところで幕を下ろし、観客に「伸一は、その後多分立ち直るだろう」と感じさせる程度にすることにします。

            結末が変われぱ違う話になる

 桃太郎の話では、「桃太郎たちは、悪い鬼をやっつけて宝物を持って村に帰ってきました」というラストになっています。もし、このラストが別なものになったとすれぱどうなるでしょう。
 犬、猿、雉の誰かが戦死したとか、桃太郎が負傷したというラストでは、もともとの話の目的とは合わないことになる。ましてやご鬼たちに負けて帰ってきたということにでもなれぱ、おそらくこの話は後世まで残ることはなかったと思います。
 自殺を図った女の子が、この世とあの世の境の世界に迷いこんだとします。いろいろなことを経験した結果、この世に戻ってきたというラストと、あの世に行ってしまっだというラストでは大きな違いになります。
 脚本を書き始めだたはいいけれども、先の見通しもなく筆の進むまま客書いたのでは、慣れた人は別として、昔通はムリが起きどうにもおさまらないラストになることが多いのです。
 毎日十五分放送される朝のドラマは、「六日間で合計九○分のドラマを想定しながらある問題を提小し、その最終日にまとめをする」ということです。そう言われてみると、主人公にかぎらず、かならずその週の中心となる人物がいるようです。そして、その人になにか問題を起こさせる。それを中心に話が展開し、六日目にある結末を迎えその週を終えるという作りをしていることがよく分かります。さらにその話を六回に分け、明日に期待を持たせながら続けていくというということです。 いわれてみれぱ納得ですね。
 さて、今回の例での広瀬伸一はどのようなきっかけでラストを迎えるのでしょうか。私が考えた案は次のようなものです。


 ホームレスの男性と出会うことによって、例えホームレスでも父親に生きていてほしかったというおもいが募る。その伸一の言葉を聞いたホームレスの男性は、家に帰ることを決心する。その出会いから父親の悩みや苦しみを自分なりに感じとり、親の自殺を少し受け入れることができるようになる。また、他人が自分のことをどのように思っているか気になるということは、自分が相手を警戒していることから起こっていることに気づく。
 明日から学校へ行くことができるかどうかは別として、心理的に楽になった姿を示すことで幕が下ろせると思います。
 そうは言っても、どんな人と出会い、どのような係わりからそのような心境を作っていくのか。どうも一筋縄ではいかないようです。もっとじっくり深めていかなくてならないようです。

              安易な解決はしない

 「ラストを決める」場合、安易な解決や都合のよい解決をしないように気をつけよう。
 例えぱ、大きな悩みを抱えて困っている若者がいたとします。その若者の前に死んだ祖母が現れてなにか一言話した。「その言葉を聞くことによって若者は立ち直った」というストーリーでは、あまりにも都合のよい解決だと思いませんか。
 自分が立ち直ることができる「その一言」を見つけるための六○分なのですが、それが見つからないから悩んでいるのです。現実の中でもがき苦しみながら捜している「その一言」を、あの世の祖母から聞くことができるのであれぱ、その舞台が始まる以前に聞くことができたのではないかと思うのです。つまり、そのような解沫万法であれぱ、いつでも作者の好きなときに祖母を登場させ若者を救うことができるので「安易だ」ということになるのです。

 自分の力で山の頂上に立ってほしいのです。バスやヘリコブターで頂上に立てたとしても、それは登山とは言えないのです。汗を流し、諦めそうになる自分を励ましながらも登る姿を見せてほしいのです。天候が悪くなって、例え頂上に立てなくてもいいのです。一生懸命登る姿を観客は見たいのです。
 舞台の結末も、ハッピーエンドでなくていいのです。観客が舞台の主人公の気持を理解し、なんとかしてあげたいという心情になれぱ、「幸せになりそうな予感を持てた」ところで幕を下ろしても納得するのです。あまりにも唐突にハッピーエンドになると「そんなのないよ」ということになります。
 「頂上に立てなくても一生懸命登る姿を観客は見たい」ということで言えぱ、「エンド、つまり結末がなくてもいい」ということになります。「六○分の舞台でなにを見せるか」考えたとき、それが結末でなくてもいいわけです。その意味では「結末を観客に委ねる」という方法もあります。
 それこそ安易に「観客に委ねる」のも考えものですが、見てほしい「なにか」がはっきりしていれぱそれが結末でなくてもいいのです。
 あまりに都合のいいストーリーが展開し、そしてラストがハッビーエンドで幕が降りた舞台より、なにかわからないけれども「心のどこかにひっかかるものを感じる舞台」の方が印象に残ることがあります。


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              十二 粗筋を考える
                       ○開幕と結末をつなぐ場面を考える
                            ○登場させる人物を考える

          開幕と結末をつなぐ場面を考える

 「不登校」と「超能刀」を例に、粗筋の作り方を考えてみます。
 まず、中心となる広瀬伸一についてその立場をまとめてみます。 

[広瀬伸一の悩み]
  父親の自殺
  家族の絆
  友人関係
  将来に対する不安
  自己嫌悪
 このような悩みや不安を抱えている伸一が、公園で出合う山影みち子やその他の人との出会いによって「なにを見つけていくか」考えてみました。
・ 父親に対する恨みの気持ちが「理解」に変化する
・ 父親の自殺を止めることができなかった自分を責める気持ちが、話すことで和らぐ
・ 「他人の気持ちが読めないのはあたりまえ」ということに気付く
・ 父親の自殺を隠さないと決心することで、父親とともに生きる道を選択する
・ 命の尊さを感じる(父は父なりに懸命に生き、家族に対する愛があったと感じる)
                                             など

 さあ、いよいよストーリーの展開について考える項目に入ります。
 開幕の伸一のことがわかり、ラストの状況が決まったとすれぱ、その間を結ぷ場面を分けて考えることにします。
 脚本を書く専門的なことぱで「はこ書き」という言い方があるそうですが、ここでは分かりやすい表現どして「紙芝居のように」とか「絵本のように」という言葉を使うことにします。
 六○分間の展開をいろいろな場面に分けてイメージするとき、その内容によって全体を八〜十二くらいの場に分解して考えるのです。そして、それらの場面の内容を個条客きで書いてみるのです。
 ここで使っている「場面」という言葉は、完成した舞台で使われる「何幕何場」という「場」という意味ではなく全体を分解しときの「あるひとつの情景(シーン)」と考えてください。


[場面1]
 ・伸一が登場し、着替えをする
 ・それをカップルの男性Pに見られて咎められる
 ・そこへみち子が登場し、カップルはみち子にもからむ
 ・みち子がクシャミをすると屑篭が倒れ、立ち木が折れる
 ・驚いだカッブルは退場する
[場面2]
 ・なんとなく挨拶するが、よそよそしい感じ
 ・帰除のおぱさんが登場し、掃除を手伝わせながら公園の様子などを話す
 ・自己紹介するみち子
 ・「若いときはいろいろあるさ、ゆっくりしていきな」と言って退場
 ・自己紹介する伸一
[場面3]
 ・ホームレスの男性登場
 ・みち子がクシャミをすると屑篭がぴっくりかえる
 ・なにごともなかったかのように屑篭を起こすホームレスの男性
 ・「なぜ家に帰らないか」とたずねる伸一
 ・「ホームレスでもいいから生きていてはしかった」と話す伸一
 ・自分の身の上を話すホームレスの男性
[場面4]
 ・自転車に乗った警察官登場
 ・ホームレスの男性と親しく話す
 ・ここのホームレスは公園掃除をしていることなどがわかる
 ・警祭官退場
 ・ホームレスの男性も退場

 このように、紙芝居の一枚一枚のように場面の展開を考えるのです。六○分の舞台の場合、八〜十ニくらいの場面を考え、全体の流れを決めます。

              登場させる人物を考える

 公園で出合ういろいろな人との係わりのなかから二人は成長していく。成長するためにに必要と思われる人物を次々と登場させるのは、作者の構想として何人でもかまわないのですが、現実の問題として、上演する演劇部の人数のことも考えなくてはなりません。
 部員が六名しかいないのに、九人の人物を登場させたのでは、せっかく書いた脚本も採用されないことになります。
 仮に、登場人物を五名におさえたいのであれぱ、広瀬伸一と山影みち子のふたりの他にだれを登場させるか最初に決めておく必要があります。
 伸一の父親へのおもいを表現する相手としてホームレスの男性は欠かすことができない。また、ふたりにとって「生きる意味」や「人間の心理」を教えてくれる人として雲水(お坊さん)を考えるなら、残りはひとりとなります。そのぴとりを掃除のおばさんとすれぱ、開幕の様子も変更せざるをえなくなります。
 舞台はテレビや映画と違って「制約」があるということを前に話しましたが、部員数という別な制約のことも考えなくてはならないのです。いろいろな制約のなかでよりよいものを形作るのは大変ですが、それらを考え合わせながら、ジグソーパズルのチップを埋めていくように全体の形を構成していく面白さがあります。
 最近「いちご脚本集」が出版されました。この本の内容は、登場する人物の人数を一人・二人・三人・四人・五人と最初に限定した五本の作品が載っているのです(それで、いち〜ごの脚本集)。このように、最初から登場する人物の人数を決めて脚本を書く場合もあるのです。いろいろな条件をクリアーしながら時間をかけて構想を考え、ある形としてまとまったときの喜びは、また格別です。

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           十三 大きな流れ(粗筋)
                   ○だれが、どうなる話か
                       ○どのようなキッカケで変わるのか
                       ○伏線をはる
                       ○各場面の目的
                       ○山場と幕の下ろし方
                       ○山場と幕の下ろし方

              だれが、どうなる話か

 ある場面のイメージができてくると、セリフやト書きが浮かんできて、いわゆる「脚本を書く」作業にはいりたくなるのですが、その場面は書き上げたとしても、次の場面の構想ができていなけれぱ、途中でストッブしてしまうことになります。
 書道でいえぱ、ひとつの文字がうまくできたとしても、前後の文宇の格好ができていなかったり、全体のバランスが悪けれぱ作品にならないように、全体の雰囲気や構成のなかのある場面として成立するようにひとつの場面を考えることです。
 今から書こうとしている六○分の舞台は、「だれが、どうなる話」なのか、そして、今書こうとしている場面は「どんな場面なのか」ということをはっきりさせよう。
 一階から二階へ上る階段が十二段あったとすれぱ、その一段一段の特徴や変化をはっきりさせることで、全体の繋がりや構成、そして次の場面へと無理なく進むことができるのです。
 この脚本は「だれが、どうなる話か」ということを常に意識しながら、ひとつひとつの場面を考えるようにしよう。

           どのようなキッカケで変わるのか

 小さな昆虫のなかには、次々と脱皮しながら成長するものがあります。植物も、毎日変化しながら大きくなり花を咲がせます。
 人間も、なにかをキッカケにし変化ます。その変化を「だれが、どうなる話か」ということぱで表規したのですが、その変化は「どのようなキッカケ」で起こるのかということが次に重要になってきます。
 「だれが、なぜ、どのように」ということをはっきり示すことです。
 もちろん、そのようなことよりも「変化の様子をじっくり見せる舞台」という印象的・抽象的表現があってもいいのですが、初めて脚本を書く場合は避けた方がいいと思います。
 「どのようなキッカケで変わるのか」ということは、その作品の重要な部分になります。
 「ある人と出会うことで変わりました」という表面的なことではなく、「なぜ、どうして」という内面的なことを、説明的にならないように表現することが大切です。

 不登校の広瀬伸一について考えると、「公園で、ホームレスの男性と出会うことで変わる」ということは表向きのことです。単に出会ったからといって変わるわけではありません。「どのような出会いをしたのか」ということが大切なことなのです。
 もっとつきつめていうなら、出会いによって「なにを感じ、なにを発見したか」ということが重要なのです。
 ひとりの人間が「心理的に脱皮をする」キッカケをしっかりイメージすることです。
 開幕の、山影みち子の超能刀で屑篭や立ち木が折れる場面の面白さは、あくまでも導入であり入口でしかないのです。中心になる部分をはっきりさせ、そこへたどり着くまでの流れを、階段を一段一段昇るように構成しよう。


                 伏線をはる

 広瀬伸一が、ホームレスの男性と出会うことで、「心理的に変化し成長する」としても、そこまでの道筋が必要になります。
 ホームレスの男性と出会った途端、すぐに自分の生い立ちや父親の自殺について話し、「あなたに会って救われた」などと口にしたのでは、あまりにも説明的で「そんなのないよ」ということになってしまいます。
 父親の自殺について、「いつ、だれに、どのように」話すのか。つまり、観客に「いつ、どの程度のことを、どのように」示すのか。しかも、唐突な感じにならないように、ある流れの中で自然に受け入れられるようにすることです。そのための伏線について考えてみます。

 最初、ホームレスの男性が登場したとき、広槻伸一は攻撃的な態度で接する。その態度をみち子に咎められ、自分の父親の無責任な姿と重ねていたためと伸一は気付く。その場面で、観客は伸一の父親の自殺のことや悩みの背景をある程度知ることになる。
 二度目に会った時、伸一はホームレスの男性に先ほどの態度を謝る。その男性は、自分の生い立ちや心境を話す。伸一の話しを聞いているうちに、家族のことや自分の無責任な状態に悩んでいることを話す。その姿に接することで、伸一は「父親を受け入れる心境」になる。
 このように考えたとき、最初の出会いの場面が伏線として必要になるのです。


 伏線の張り方にもいろいろあり、いまのように殻を破るための伏線や、「俺たちの甲子園」の「ふたつの願い」のように、謎解きのように伏線を置きながらストーリー全体を構成する方法などいろいろなパターンがあります。 
 良い作品といわれている脚本を分析し、研究してみてください。


                  各場面の目的

 開幕は広瀬伸一が山影みち子と出会う場面。ラストは、父親の呪縛から解放された広瀬伸一と、その過程をともに過ごすことで自分を見つめ直すことができた山影みち子の姿を示し、明日へと向かうふたりの別れで幕を降ろす。
 その間を結ぷ「各場面」を設定しストーリーが展開する。そのひとつひとつの場面は、数分間のドラマとして成立するように、はっきりした「目的」を定めて構成することです。
 ホームレスの男性との出会いの場面は、広瀬伸一のどんな心境をどのような態度で観客に示すのか。それに対して男性は、どのように対応し、山影みち子はどのように反応するのか。
 複雑にしないことです。できるだけ単純明解に、しかも観客にスッと受け入れてもらえるように、その場面を構成することです。
 また、その場面に笑えるようなものを織り込むかどうか。涙腺を刺激するようなことを入れるかどうか。その場の雰囲気をどのようなものに仕上げるかを吟味してください。
 男性との出会いの場面が、仮に八分の舞台になるとしたなら、そこに「八分間のドラマ」を作るのです。
 このように、各場面のつながりを考えながらひとつひとつの場面を構成し、充実したものになるように全体の流れを作り上げてください。

                山場と幕の下ろし方

 全体の流れの中で、山場はどこに置くのでしょうか。
 「山場」という言葉から感じるように、登山に例えるなら「山の頂上」になると思います。
 観客には、登山の過程全てを示す必要はありません。つまり、頂上で休む姿や、下山の様子は見せなくていいのです。山は上ったなら下るのは当然なのです。本来の登山は下りも大変なのですが、「頂上に到達し三六○度の景観を楽しみました」というところで幕を降ろすのです。
 汗を流しながら自分の体力の限界に挑み、なにかを「発見」し、新しい自分に脱皮する姿を示すとすれぱ、それは当然「山場ほ最後」に置くことです。
 チュウチョウや蝉が羽化する姿は、見ていて感勤的です。そして、どこかへと飛ぴ立つ様子を見ると「元気で頑張れよ」と応援したくなります。本来はそこから生き延ぴていくのが大変なのですが、脱皮という大きな山場を越えたことにより、新しい生活に向け飛ぴ立ったのです。
 舞台も、山場を示したなら「できるだけ早く幕を下ろす」ことです。感動的な場面の後、幕を下ろすタイミングを間違わないようにすることです。
 観客の心理を考えてみると、開幕では「どんな劇なのかな」という気持ちから始まると思います。しぱらくして「これが問題となっていること」とわかります。それがどんどん変化し、ラストに「こうなる話だったのだ」とわかります。話がわかったなら「終わり」なのです。
 終わったなら、早目に幕を下ろしましょう。

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         十四 小道具の有効な使い方
                    ○書きたいことは書くな
                        ○喋らせたいことは喋らせるな
                        ○小道具を有効に使う

               書きたいことは書くな

 脚本を書くとき「書きたいことは書くな」ということぱがあります。
 広瀬伸一が不登校になった背景を自分なりに設定すると、それを全て観客に伝えて知ってほしいという気持ちになります。しかし、観客にとって一番重要なことは「広瀬伸一の現在の姿」なのです。それをまず自分のものにしたうえで、「なぜそうなったのか」とか「次はどうなるのか」ということが問題になるのです。
 相手にリンゴを出したときには、「無農薬、有機栽培、産直、葉とらず」などと説明するよりも、まず食べてもらい味わってもらうことです
 広瀬伸一が不登校になった原因としての「父親の自殺」のことを、「いつ、どのような形で観客に示すのか」ということは、よくよく考えて下さい。また、「不登校」ということぱを使わずに「広瀬伸一が不登校であるということを感じてもらう」ということも大切なことです。
 説明すると相手は分かります。しかし「わかったということは理解した」という段階であり、リンゴに例えるなら「このリンゴはおいしいよ」と説明ざれた状態と同じなのです。説明されるより実際に食ぺてみておいしいと感じてもらうことの方が重要なのです。


             喋らせたいことは喋らせるな

 脚本を書くとき「書きたいことは書くな」ということぱとともに、「喋らせたいことは喋らせるな」ということぱもあります。
 「俺はいま怒っている」とか「いま悩んでいる」というようなことをセリフで言わせないようにするということです。例え本心だとしても、そのようなセリフは説明であり、上辺だけのものだからなのです。
 「怒っている、悩んでいる、好き、親友だ」ということは状況であり、「どのように」というところまでは伝えることができない。ましてや「どのように」ということをセリフで説明しても、白々しくなるだけです。
 歴史の解説や数学の定理、文学作品の解説とは違って、自分の気持ちは「説明しても観客に感じてもらえない」ものなのです。その届かないものを感じてもらうためには、セリフではない別の表現を考えることが必要になってきます。

              小道具を有効に使う

 伝えたいことを、セリフ以外のなにかで伝えようとするとき「小道具を有功に使う」ということも考えてみよう。
 ここでいう「小道具」というのは、手に持つような道具という範囲にとどまらず、伝えたいことを表現するための「行勤を助けるための道具」と考えてください。
 広瀬伸一が不登校であるということを観客に伝えたいとき、前に示した開幕の場面を思い出してください。
 学校の制服姿で登場した広瀬伸一は、公園の植えこみに隠れてジャージに着替えて出てきます。舞台の雰囲気からすると昼の時間のようである。こんな時間に制服を着替えるのは変だなあと思っているところへカッブルが登場し、男性は「着替えするところを目撃した」という。だじろぐ伸一に「こんな時間に、学校をサボッテなにしてる」と詰め寄る。このような場面を見ることで、観客は伸一は不登校ではないかと感じることができるのです。
  寒い冬に友達と別れるとき、それまで自分の首にまいていたマフラーを「寒いから持っていって」と相手に渡すことで、「彼女は、彼に好意を持ってるんだな」と感じてもらうことができるのです。
 「セリフより行動」です。そして「その行動を助けるための小道具」をどんなものにするか考えることです。日常の中のいろいろな行動や小道具を見ながら、どんな場面に何が使えるかイメージするのです。
 その場面のある人物の「おもい」を表現するための「小道具を有効に使う方法」がみつかれぱ、その場面は大きく膨らみます。

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           十五 生徒対象の講習会のまとめ
                     
○生徒対象の講習会のまとめ

             生徒対象の講習会のまとめ

 演劇部員を対象にした講習会が二時間から三時間のときは、だいだいこの辺までの内容になりましたが、五時間くらいあるときは、次の項のセリフの書き方やエチュードを体験してもらったのですが、その内容は次に述べることにします。
二○○三年二月の講習会で、参加者全員に感想を書いてもらいましたので、その一部を紹介し、生徒対象の講習会のまとめとします。


[生徒]
○ 今日の講習会では、ただ物語をだらだら書くのではなく、順序にそった書き方や、どう書くか、何を書くかということがとても大切なことだということを学ぴました。

○ カードから「題材や素材をみつける」というのはとても面白かったし、二人でやるエチュードも面白かった。脚本でつまったときにやってみようと思った。これからあと二年くらいあるので、今日学んだことを生かし、より多くの脚本を書きたいと思いました。

○ 今まで書きたいものがあるけれどうまくまとまらず、流れが悪くなってしまい途中で書くのをやめてしまっていたので、今回の講習会で自分がなぜ最後まで作れなかったのかが分かりました。またこのような機会があれぱ参加したいし、できるだけ多くの人で参加したいと思っています。

○ 本当は、今度の三月で演劇部をやめようと思っていました。今日も学校で模擬試験があって、そっちに出るつもりでした。でも、顧問の先生に「今日の講習会は面日いと思う」とすすめられてここへ来ました。来てよかったです。脚本を書く楽しさを教わった気がします。来年の地区大会がんぱります。今日はありがとうございました。

○ 今日この会に出てよかったと思います。「起承転結」の承の意味がわかったし、脚本の書き方のボイントや行き詰まったときの対処法などを教わりよかったです。これでいい脚本を書けるような気がします。て、いうより善いてみせます。絶対に。

○ 「作る」という過程については自己流でやっていました。ただ、題材をえらぷという段階でつまづいてなかなかうまくいきませんでしたが、今回講習を受けて、ヒントがつかめたように思います。ふたつのものを組み合わせるって、全然思いつきもしませんでした。伝えたいことのみに集中しすぎて、逆に見えなくなった部分もあったのだと思います。頑張って書いてみたいと思います。ありがとうございました。

○ 今日はこの講習会に参加してとてもよかったと思いました。自分の悩みを解決することができたからです。課題はまだまだ沢山あるけど、今日教わったことをこれからの脚本作りに生かしていきたいと思います。あと、超能力と不登校の脚本を仕上げてみたいと思います(どうなるかわからないけど)。人が見て「よかっだ」と思える作品を作れるようにがんぱります。

○ 脚本の書き方などがよくわかった。自分が今まで思いついてもなかなか春けなかったけど、今日の講習会に参加して学んだことを元にして、自分で劇作ノートをつくったりして書いてみたいと思った。今日の話を聞いて、ふたつ以上の話しで作ったり、素材を対立させて書くと良いということがわかった。

○ 脚本を書くための基本的な流れや、行き詰まったときのいくつかの方法を学ぶことができ、これからは前より楽な気持ちで、気楽に脚本が書けそうだなあと思いました。ふたつの題材を組み合わせるというやり方がとてもわかりやすく、「家出」と「万引ぎ」の話は、私も書いてみたいと思いました。

○ 脚本について知らないことだらけだったので、今日の講習会はとても勉強になった。説明を聞いてなんだか書けそうな気持ちになってきた。とにかく沢山書いてみようと思う。今日はとても楽しかったです。ありがとうございました。

○ 今回の講習会を通して、「脚本のいろは」がわかってよかった。いままでは頭に浮かんでは消えるということが多かったが、その都度書き貯めておけぱいいということを学ぴ参考になった。また、一人で書いて詰まっだときには、部員の意見等も取り入れて書くことで、よりボリュームのある作品を作ることができるとわかった。

○ 今まで脚本の書き方がまったくわからなかったのですが、今日この講習会でなんとなくわかりました。前に、題を決めて書こうと思ったのですが、何をどうやって書くのかがわからず、途中でやめてしまったことがあった。今日学んだことをもとに書いてみたいと思います。

○ この講習を受けて、脚本を作ることの難しさがあらためてわかった。自分は「静と動」「光と影」を印象的にする劇や脚本を作りたいと思っています。

○ 今日この講習会に参加して、どうやったならよい脚本がつくれるかがわかりました。今、書いている脚本があるので、帰ったら、まず劇作ノートをつくりたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

[顧間]
○ はじめて脚本の書き方という話を聞いた。手順を詳しく教えていただき、明日からでもすぐ素晴らしい脚本が書けそうな気がした。脚本を書く方法もそうだが、それ以上に脚本を書くおもしろさも同時に学ぶことができました。

○ 「顧問のための講習会」よりもはるかに分かりやすく、作るうえでの参肴になることが多かった。うちの部員も昼休みに講習会の内容をノートにまとめていたので、きっと、いくらかましな脚本で地区大会に臨めると思う。「エチュードから作る」という点もよかったし、「開幕と閉幕の間の作り方」もよかった。おそらく、今日参加した生徒たちはみんな、書いてみようという気持ちになったと思う。

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