ある地方都市で考えたこと
お台場を初めて目にした。深い深い地下を走る電車が地上に出たとたん、私は後悔を感じていた。もちろん用事があってのことなので、来ないわけにはいかなかったのだが、私の目に入ったものはあまりにも醜悪だった。
ものものしく巨大な建物群。海が近いというのになんと渇ききっていることか。なんの秩序もなく、おのれを争うかのような巨大な塊だ。どこかで見たことがある、と思った。しばらくの間、思い迷った末に、ようやく東京都庁のことだと気がついた。
新宿西口の都庁が議論の的になったのは、豪華すぎるのではないかという点だったが、私にはその醜さこそ非難されるべきだと思えた。なぜあのような醜悪な建物を造ろうとするのか。しかも都庁という象徴的な建物であるのに。このお台場で感じたのは、都庁のあの醜さに唖然としたのとまったく同じものだった。
その後、仕事である地方都市を訪れる機会があった。小さな空港から目的地までは一時間に二本ほどの路線バスに乗るしかない。窓の外は農地と住宅が入りまじった、ごくありふれた風景だ。少し退屈しはじめたときだった。それまでの二車線の道路をそれて、曲がりくねった道へと入っていった。軒の低い家の間を縫うような狭さだ。
特に由緒があるような通りとは思えないないが、木造の民家やら、今でも商売しているのかもわからない店がぽつぽつと並ぶ。実のところさほど古いわけではなく、戦争直後に安上がりに建ったもののように見える。バスは道の狭さに速度を落としていたが、ほどなく通りを抜けた。元の広い道路に出たと思うと目的のバス停だった。
バス停の前には大きな歩道橋があった。教えられたとおりにそれを渡って、さきほどのつづきとおぼしき狭い通りへと入っていった。歩道橋の上から四方を見渡しても、これといったものはない。人通りのまばらな地方の町だ。しばらく歩くと橋が見えた。二十メートルほどの短さだが、橋脚から欄干まで分厚いコンクリートのアーチ橋だ。その手前の建物に目がとまった。近づいてみると壁の装飾が美しい。西洋風、あるいは大正風建築とでもいうのだろうか。傷み具合からすると近年のまがいものなどではない。さほど手入れされた様子はないが、いまも日常に使われているようだ。
タクシー会社の営業所らしい。ある政党のポスターが貼られていて、おまけに清涼飲料水の販売機が前をふさいでいる。歴史的建造物ならこんなことはないだろうが、人が住んで、しかも営業しているのなら仕方あるまい。
二階には三つの窓がある。白い木枠の塗装は傷みが目立つが、ちっとも気にならない。窓の間の壁の装飾、軒の支えも美しい。不思議なもので、最近の建物は傷みはじめるとどうしようもなく醜くなってしまうが、古い建造物は古ければ古いなりに美しい。
ゆるやかなアーチ型の橋は昭和十三年架橋と読める。波をかたどった飾りは、ここが海辺の町だからだろうか。橋の下は川ではなく海水の入る運河のようだ。レジャーボートが何艘か係留してあるが、岸壁の大きな鉄輪からすると、かつてはもっと大きな船が出入りしていたようだ。
橋を過ぎても古ぼけた町並みに変わりはない。後で聞いた話では、昔は橋のたもとに大きな旅館があり、船で往来する人々で賑わったという。しかし、見渡す限りの路上には人影はなく、ときおり車が行き過ぎるだけだ。
しばらく行くと、太い格子窓の町家があった。どっしりとした直線が美しいが、もちろん実用的なものだ。おそらくは財産を守るために必要だったのだろう。黒い壁の中二階の窓は八角形に縁取られている。太い木枠と格子が漆喰の黒とよく調和している。内側のガラスは近年にしつらえたものだろう。もとは白い障子だったかもしれない。
注意して見ると、同じような八角形の窓の家がもう二軒ばかりあった。通りは低い山へと続く。小さな町には不釣り合いなほどの、幅二間以上もある広い石段を、数百段登った上には古い神社があるという。かつては賑やかな参道で、両側は、このような窓の町家が軒を連ねていたのかもしれない。
とりわけて美しい町ではない。人通りのまばらな通りに面して空き地が目につく。ほとんどの建物は近年のものだ。古い町家も保存のために意を払っている様子は無い。しかし、あのお台場の醜悪さは、ここには無い。お台場の無機物は、時を経ればさらにその醜さを増していくだろう。しかし、この町で見たものは、古び、傷んでも、損なわれないものを持っている。年月に耐えるとはどういうことかということを考えさせられた。私は恐れる。20世紀の後半以降に造られたものは、なにひとつ後世には残らないのではないか。そして、私たちも、この空白の時代とともに忘れられてしまうのではないかと。
MAY/2005