意見を言うということ
最近「具体的な提案をせよ」という声を良く聞く。具体的な提案がなければ実効性がない。あるいは、具体的な対案がなければ、むやみに叫んでいるのと同じだ。
その通りだ。具体案を提示できること、これはとても大事だ。具体案があってこそ、物事は建設的に進む。子供の頃から、繰り返し、そう教えられてきた。私も極力、具体的であろうと努力している。実際、私の本業や身の回りのことについては具体案を考えることができる。
しかし、本業でないことについては「ちょっと待てよ、なにか変だぞ」と思っても、なかなか具体案は出てこない。具体案だと思っても、誰かの受け売りだったりする。そして、本業よりも、本業でない物事のほうが世間には多いから、たいていのことには具体案は考えつかない。
具体案を考えつかないときはどうするか。黙っていようか、それとも、とにかくノーと言おうか。具体案の無い反対なんて恥ずかしい気もする。でも、黙っていたら賛成だとみなされてしまう。
経済とか国際問題になるとなおさらだ。しかし、待ってくれ。どうして私に、経済や国際問題の専門家に伍していけるほどの具体案が出せねばならないのだ。それとも、専門家なみの見識がなければ、黙っていなければならないのだろうか。
黙っていたらどうなるか。政治家や役人は、やり方を変えないだろう。それでうまく行っているのなら、それもよかろう。しかし、その結果がおかしければ、そのままで良いということはなかろう。やはりノーと言うべきなのだ。
「では、あなたはどうすれば良いと思いますか」だって? 「具体的に提案してください」だって? その言葉はそっくり彼らに返そう。「何のためにあなたたちを選んだのだと思いますか?」「何のためにあなたは、その役職にいるのですか?」
良い結果を出せなければ、閣僚も、知事も、議員も、その地位にいる資格は無い。良い結果を出せる具体的政策がなければ、その地位にとどまる資格は無い。良い結果を出せなければ、その役職にいる資格は無い。良い結果を出せる具体的能力がなければ、その地位にとどまる資格は無い。
もちろん私のような市民だって具体的な提案ができることは大事だ。しかし、それができないからといって黙っていたら、良くない結果を追認するのと同じだ。私はそんなことはしたくない。
AUG/2004