反戦のメッセージについての覚え書き
不可解に思うことがある。反戦という声には情緒的という言葉がついてまわる。そして、冷静に考えるという言葉には支持の声が続くような感がある。私が、誇張された印象を抱いているだけかもしれない。しかし、見当違いというほどでもないようだ。
反戦の声がすべて情緒的かというと、そんなことはあるまい。考えかたはいろいろだと思うが、冷静に考えて説えている人もいるだろう。そして、情緒的に叫んでいる人も、もちろん、たくさんいるだろう。単に、他の人の声に同調しているだけの人もいるだろう。それが真実だ。世論とはそんなものだ。
戦争支持の主張はどうかというと、100%の人が冷静な判断でそう言っているわけではないだろう。冷静に考えて支持している人もいれば、感情的に支持している人もいるだろう。もちろん、付和雷同の人もいるだろう。それもやはり真実だ。
どんな世論であれ、よく考えて主張している人、あまり考えずに同調している人、感情的に主張している人、そして、あまり興味のない人もいれば、まったく関心のない人もいる。善し悪しは別として、常にそういうものだ。
私は「イラク問題に対し戦争以外の解決手段を求めます」という主張をした。色分けをするなら反戦の立場だ。しかも感情的だ。その通り。私の主張は根本的に感情に根ざしている。それは「私は殺されたくない」という感情だ。
なぜ殺されたくないのか。これは、なにかの法とかルール、論理的な思考から導きだされたものではない。説明できないものだ。だとすれば、まぎれもなく感情的であるはずだ。だから、私の主張は感情的なものだと思う。
私は殺されたくない。だから、他の人も同じように感じているに違いないと思う。もちろん、そうでない人もいるだろう。事実、聖戦の戦士としてイラクに向かっている人が多数いると報道されている。しかし、多くの人は私と同じだと思う。だから、戦争以外の手段を求める。
私は殺されたくない。たとえ、日本が独裁国家で冷酷な支配者がいて、その支配者が世界に害を為すとしても、その者を除くことに世界が合意したとしても、そのために私を巻ぞえにしないでほしい。私以外の人も巻ぞえにしないでほしい。私や、私のまわりの人が殺されないですむ方法を考えてほしい。
それが他国であっても同じことだ。他国に住む私と同じような人々が殺されなくてすむ方法を考えてほしい。
戦わなければ、さらに大きな犠牲がでるという意見も知っている。そうかもしれない。しかし、戦争では確実に人が死ぬ。確実に犠牲者がでる。だからといって、手をこまねいていて良いわけではない。だから、戦争以外の手段を求める。
戦わなければお前が殺される可能性もあるのだぞと言う声も知っている。そうかもしれない。しかし、あえて私は言う。命を天秤にかけないでほしい。私は崇高な人間ではない。自分の命が危険にさらされれば、人をあやめてしまうかもしれない。しかし、今は人の命を引き換えにはしたくない。引き換えにせずにすむ方法を求めてほしい。
戦わなければ、今この瞬間にも冷酷な独裁者に誰かが殺されているのだという声も知っている。そうかもしれない。しかし、戦争を始めれば、その瞬間からやはり誰かが死ぬのだ。解放のために殺された命は崇高だろうか。貴い犠牲と言う人もいるだろう。だが、それを口にできるのは生きている者だけだ。死者は何も語れない。
だから私は求める。戦争以外の手段で解決してほしい。
これは感情的な主張だ。感情に根ざしていても、求めることは「戦争以外の手段をとること」それだけだ。私の主張は感情的だが、冷静に戦争以外の手段を主張した人々もいる。安保理の過半数の国もそうだった。もちろん真意はわからない。どんな計算を働かせているのかもわからない。しかし、少なくとも感情的に主張したわけではあるまい。ならば、それは冷静な判断というべきだろう。冷静に戦争を支持した国々と同じように。
私は主張する。戦争以外の手段で解決してほしいと。
APR/2003