衆讃前奏曲 BWV.659 来たれ、異教徒の救い主よ
衆讃前奏曲 BWV.639 イエスよ、私は主の名を呼ぶ
教会カンタータ 147番より 主よ、人の望みの喜びよ
フルートソナタ BWV.1031より シチリアーノ
モーツァルト ピアノソナタ第8番 K310
ショパン 14のワルツ
シチリアーノ(1947年録音)以外はすべて1950年7月の演奏
リパッティがこの世を去ったのは1950年のことだ。わずか33才。戦乱の故国を逃れた地で、ごくわずかの、そしてたぐい稀な演奏を残して。
リパッティがコルトーに見出されたいきさつを繰り返そうとは思わないが、大戦と不治の病がこのピアニストに才能を発揮することを許さなかった無念さは、いくら言葉を尽くしても足りないくらいだ。いま、僕たちが耳にできるのは1950年の7月、死の数ヶ月前に一時的な快復をみせた時の録音がほぼすべてなのだ。
僕の手元には三枚のCDがあるが、とりわけて忘れがたいのは、バッハとモーツァルトを収録した一枚とショパンのワルツ集だ。リパッティがバッハの小品を好んだことはよく知られているが、このCDに収められた四曲はなんと言ったらよいだろうか。耳慣れたはずの小品が、このうえもなく美しく、そしてやさしさに満ちている。つつましいほどの控えめさ、息をのむようなエレガントな響き。
ワルツ集には言うべき言葉を知らない。力強いファンファーレを思わせる第4番。そして6番、9番、7番と、風に舞う軽やかな旋律。ここには夜の詩人の姿はなく、やわらかな陽射しとやさしい風にたわむれているようだ。これが数ヶ月後にはこの世に無い人の演奏だろうか。
モーツァルトのピアノソナタ第8番 K310は、僕にはとても聞きつづけることができない。澄みきった結晶のような美しさをたたえてはいるが、同時にあまりにも痛々しい。
バッハ、モーツァルト、ショパン。わずか一か月のあいだにこれほどの曲を、しかも自宅に機材を持ちこんでの録音だったという。リパッティは急がねばならないことを知っていたのだ。十分な体力の快復を待つ時間のないことに気づいていたのだ。
鍵盤に向かうリパッティの前で録音機材を操る人たちは何を眼にしただろうか。あの美しい衆讃前奏曲、いまにも天上に召されるかのようなソナタ。僕には目に浮かぶ。リパッティの背に白い翼がはばたこうとしているのが。
[注] さらにこの後、ブザンソンでの最後の演奏会の録音がある。しかし、十四曲のワルツの最後の一曲を弾き終えることができなかった悲痛さ。この録音のことは何も書くまいと思う。
NOV/2002