ロシア旅行記(ニーズニ篇)


 4月にロシアに 2週間ほど出張してきました。ロシ アというと、共産国時代は秘密のベールに閉ざされていましたし、ペレストロイカ後 の今は物がない、犯罪が多いなどマイナスイメージばかりで、少なくとも喜んで出か けるような雰囲気ではありません。入国するにもビザが必要で、それをとるには招待 状が必要、行き先もそれに記載された地区に限られるなど、外国人の入国を歓迎する 気配は全くなし。しかも4月のモス クワは東京の真冬並とか。去年11月 から引きっぱなしの風邪とようやくおさらばできそうだと思ったらまた風邪の引き直 しの可能性大である。ともあれ行くと決まってロシアの最新情報を集めようとすると 意外に情報が少ないことがわかりました。余り需要がないのでしょうか。観光案内書 では、地球の歩き方と、JTBのポケ ットガイド位しか本屋にありません。観光地図もJALのモスクワ・シティガイドマップ位です。イン ターネットを探しても、日商岩井のユートピア情報など若干はありますが余り沢山は 見つからず、それもモスクワ、サンクトペテルブルクなど大都市の一般情報止まりで す。あとNiftyに外務省の危険情報 などがあるくらいです。

 さて、パリからの飛行機がモスクワのシェレメーチェボ 2空港に向けて下降し始めると、窓 には雪、下界を見れば川(運河だっ たようですが)は一面の氷で覆われ ている。まさに冬、冬、冬てす。飛行機を降りて、まずパスコントロールに行くわけ ですか、約1015mの列、まあまあかなと思っているとこれが全然 進まない。結局1時間半かかってやっと通過です。想像ですが、VIPのために、一 時止めていたのではないかと思います。しかし、世の中は金です。US$160 出せば、VIPとして入出国手続が 30分以内で済むことを保証するとい う表示がホテルの中にありました。あなたもこれを利用できるのです。

 ようやく税関も無事に出て、迎えの通訳と合い、空港の目の前の ノボテルホテルへ。今夜は夜行列車なので、ここで夕食です。ビルは大きいのです が、何となく活気のない薄汚れた感じ。なんというか、戦後の日本の情景の中に建物 だけ近代建築がある、というような雰囲気です。で、ここのロビーレストランで食事 を待っていると、通訳が妙なことをいいます。我々の後ろに座っている45人組は少なくとも78人はやったことのある殺し屋だ と。怖い怖いロシアとは聞いていたのですが、こんな近くで有名人にお会いできると は。これを聞いて、モスクワの気温はさらに10度低下したのです。そういえば、税関では我々はフリーパスだったのです が、前のロシア人らしい男はスーツケースを開かせられて、係員がチェック。指輪の 箱が沢山出てきて、11つ開けてみていましたが、あんな に指輪を持っているなんて怪しいな。ひょっとしたら、薬かも。で、その男がこの一 人だったのです。税関職員の目は節穴ではないようです。パスコンで(パソコンではないよ)大変待たせられたとかきましたが、一人のコサッ ク人風の男は、窓口の前で30分位以 上も不動の姿勢で待っていました。ロシアマフィア、ロシア同盟国の離反、ストライ キなど反体制組織活動が至る所にあるわけですから、日本やECのように、すいすい通すわけにはいかないとい う事情もわかってきます。

 さて、まだ夕やみには時間があったので、列車に乗る前にモスク ワを少し見ましょうということで、タクシーでダウンタウンへ。道中30分余り、木は枯れ木、ほぼモノクロの世界で す。途中第二次世界大戦でドイツ軍がここまで来たという地点のモニュメントがあり ました。やがて市中へ。そして・・突然日がさすように例のタマネギ寺院、じゃなか ったクレムリンと聖ワシーリ寺院の色あざやかな姿が夕やみの中に浮かび上がってき ました。これって、初見だと本当に夢見るような感じです。

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写真1.聖ワシーリ寺院 写真 2.寝台車

 テトリスは最初に買ったマックゲームソフトですが、その中にも 似たような絵がありましたね。さて、夜行列車で最初の目的地、Nizhny Novgorodに向かいます。モスクワの真東 350 km、ボルガ川のほとりにある産 業都市です。空港もありますが、ビジネス旅行は夜行が普通のようです。ゆっくり走 って目的地には朝の6時半頃に着き ます。1等寝台の中はご覧の通りで なかなか快適です。ぐっすり眠れました。参考までに申し上げますと、ホテルとこの 寝台夜行と有料トイレ以外はトイレットペーパーはありません。

 朝まだうす暗いNizhny Novgorod 駅に下りたわけですが、40年前の白黒映画を見ているような錯覚に陥りま す。迎えのバスで川沿いの道を走ったのですが、まばらな枯れ木の路がどこまでも、 おそらくはシベリアまでも続いているのであろうと思わせるような景色です。葉が出 てくるのは5月になってからだと か。ロシアは日本の西にある国かと考えていましたが、地図を良く見ると西は東経 30度から、東は日本を通り超して、 西経169度くらいまで、約地球の半 周をカバーしています。この地からアメリカ大陸に向けて始めて飛行機が飛んだとい うことで、その冒険家の石像や記念の碑があり、またレストランの看板変わりに小型 飛行機の模型があったりしました。写真は、その石像近くから眺めたボルガ川の眺め です。寒くて長くは外に居られません。ヘールボップ彗星もこの地で始めて見まし た。

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写真3.流氷浮かぶボルガ川 写真 4.ニーズニのクレムリン

 クレムリンといえば、モスクワの城砦宮殿の固有名詞化してお り、辞書にもその様に書かれておりますか、これは間違いで、ここNizhny Novgorod にも、クレムリンがあります。 写真はその内部から入り口付近を撮ったものです。クレムリンの中には第 2次世界大戦の犠牲者の墓碑や戦車 などが展示されていました。

 水爆の父と呼ばれたサハロフ博士が軟禁されていたというのも、 ここニーズニで、現在その家が博物館になっているということでしたが、訪れること は出来ませんでした。ロシアの寒さと暗さを象徴するためにどちらかというと暗い写 真を選んで載せましたが、明るい写真として、ボルボ川の別の写真と、お土産として 忘れてはならないマトリョーシカをお見せしてニーズニ篇の締めくくりとします。(97.5)

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写真5.ボルガの港 写真 6.マトリョーシカ
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