風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     10月                               Top Page  過去の「風日好」>
 元の日記状態では読みにくいので、多少手を入れて、「ユダ」ものを下に続けます。
 なお、北林に関するまとまった拙文としては、「北林智覚書」を見てください。
  ゾルゲ事件について、ネット公開されている解説としては、法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑:特集版 太平洋戦争下の労働運動』から、第4編第4章「ゾルゲ事件」、などが詳しいようです。但し、1965年10月30日労働旬報社発行と古いことにご留意ください。


  10月某日 ユダ(1)

 ためにする言い掛かりだという物言いがあるかもしれない。行きがかりで多少の縁があり、承知の上で書く。
 キリスト者にとって、もっとも唾棄し憎むべき人物はユダである。何枚かの銀貨でイエスを売った密告者というわけで、以来、西洋キリスト教世界からの忌避はユダ個人を越えて、20世紀のユダヤ人問題にも及び、更には今日のパレスティナ問題にまで響いている。
 ところで、私が最初に読んだ、ゾルゲ事件関連の本には、『生きているユダ』という題名がつけられていた。確か古本屋の店先に出されたゾッキ本の中から見つけて買った記憶があるが、一読衝撃を受けた。それは、尾崎秀実の弟である秀樹氏が、病床から絞り出すようにして書いた告発本であって、氏は、兄を含むゾルゲら諜報団の発覚を、党中央にいた伊藤律の密告によるものだと指弾したのである。こうして、伊藤律ユダ説は、政治的経緯も背景にして、以来定説となって流布してきたのであった。
 ところが先年、渡辺富哉氏の『偽りの烙印』が現れた。氏は、尾崎説の論拠のひとつひとつを、丹念かつ執拗に実証検討し、重要な部分を他ならぬ特高刑事の証言に依拠していた尾崎説の論拠を、ほとんど完膚無きまでに崩してしまった。もちろん、事件発覚の経緯が全て明らかになったというわけではない。おそらくもはや解明できない部分も含む歴史の闇は、なお残っているように思われる。けれども、少なくとも、伊藤律に科せられたユダという「烙印」は「偽り」だとされ、名誉回復が計られたわけである。
 (註)以上はごく単純化した書き方だが、事件発覚に関する諸説については、先日出版された古賀牧人編著『「ゾルゲ・尾崎」事典』のY章「事件発覚についての論争」に、詳しくまとめられている。
 さてしかし、もう一人、「ユダ」の名を付された関係者がいる。北林トモである。
 伊藤律が名を挙げたからかどうかは全く別として、事件関係者として最初に逮捕されたのは確かに北林トモであって、次いで宮城与徳、更にゾルゲと尾崎、またゾルゲの同志や、様々な情報提供者が、次々と逮捕されていった。
 市井に生きたトモには、尾崎やゾルゲらとは異なり、殆ど記録も証言もない。が、偶々作家の山代巴氏が、自らの女子刑務所での体験を基にした長編記録小説『囚われの女たち』の中に、獄中で出会ったトモの姿を、留めてくれている。
 ところが、厳しい獄中での心温まる貴重なその交流記録の章に、山代氏は、「ユダの自覚」という題を与えているのである。もちろんユダとは、事件発覚のきっかけとなったトモを指している。(続く↓)

  10月某日 ユダ(2)

 もちろん山代氏は、尾崎氏とは正反対であって、北林トモを告発しているのでは全くない。むしろトモの人となりや生い立ち、また事件に関わる行動について、大きな共感と敬意をもって、彼女から話を聞きだしている。
 そして、だからこそ、トモ自身に信頼され、彼女自身の口から、重大な告白を聞くのである。ただし、もちろん「小説」である。実際にトモがそういったのかどうかは分からないのだが・・・
 トモは、既に宮城が逮捕されているに違いないと誤解して、宮城の名を出してしまったという。
 「無思想で老いて行く夫を助けたい一心で、キリスト教徒の最もさげすむユダの役割をはたしました」
 「それで毎日聖書を読んでいるのですか」
 「わたしはいま、一人で平和を祈ることで救われようとしています。生きて帰れるも帰れないも神のみ心ですから、責めを負うて自殺しようとは思いません。自殺するかわりに、わたしに愛を示してくれるあなたに、わたしのこの経験を伝えて、わたしがこの祖国を、人間がユダに落とされる国だと思っていることを知ってもらいたい。〜」
 〜軟膏を塗る光子の手もとに涙が落ちた。最初の一滴は北林の涙であったが、次に落ちたのは光子の涙であった。
 山代氏自身である主人公「光子」は、トモに心を寄せて、共に涙を流している。光子の善意は疑いえない。彼女は、トモのことばに心から<共感>しているのである。
 だが、だから光子は、トモに対して、「あなたはユダなんかじゃない!」、とはいわなかった。「この祖国」によって「ユダに落とされ」、「キリスト教との最もさげすむユダの役割を果たした」というトモの境遇に涙しつつ、彼女の告白に頷いている。
 つまり光子は、<トモはユダだ>と思っているのである。このシーンを通して、山代氏は、北林トモは「最もさげすまれる」べきユダであったと、そういっている。
 いや、「であった」というのは不正確かもしれない。実はユダもまた、自らの行為を深く恥じて銀貨を投げ返し自ら縊れ死ぬのであって、深い後悔もまたユダのものである。そのことを知る山代氏は、自責するトモの姿をも、ユダに重ねていたのかもしれない。更にまた、「キリスト教徒の最もさげすむユダ」ということばにも問題がある。心あるキリスト者は、ユダにも涙するのであって、ただ彼の弱き心にサタンが入った、というのである。ちょうど、「この祖国」がトモを「ユダに落とした」ように。
 おそらく、それら全ての意味で、山代氏は、トモの章を、「ユダの自覚」と名付けたのであろう。裏切りも、後悔も、弱き心も、そべての点で、トモはユダである。
 だが、そうか。・・・トモはユダなのか?(続く↓)

  10月某日 ユダ(3)

 トモはユダなのか?
 ためにする言い掛かりだという物言いがあるかもしれないが行きがかり上承知の上だ、と書いた。さしあたり簡単にするため、尾崎、宮城とトモだけを比較するが、他の2人を貶める意図は爪の垢ほどもない。ただ、多少の縁あって、トモの助太刀をするのである。 トモは、何故、ユダに擬せられるのか?
 先に触れた尾崎秀樹氏の伊藤律告発とは、事件の発覚は<伊藤律の密告→北林トモの自供→宮城、ゾルゲ、尾崎の自供・・>という経路を辿ったのであって、その出発点は「ユダ」伊藤律の密告にある、というものであった。ところが、渡辺富哉氏の『偽りの烙印』は、伊藤律が発覚の出発点であるというその前提を、事実によって覆した。伊藤の「密告」というのはでっちあげだ、ということになった。となれば当然、伊藤律はユダではない、ということになる。渡辺氏の論証には非常に説得力があり、伊藤ユダ説が「偽りの烙印」であることは、間違いなかろう。
 だが、こうしてえられた伊藤律の名誉回復は、北林トモの名誉回復にも及んだであろうか。残念ながら、そうはいえない。少なくともすっきりとした名誉回復には繋がらない。
 伊藤律経由でなく、いまでいう公安、当時の特高は、宮城とトモの線を掴んでいたらしいから、逮捕されたトモが黙秘のままであっても事件は発覚したのだろう。だが、そうだとしても、先ず逮捕されたのがトモであり、そこから宮城以下の逮捕へと及んだという時系列は動かせない。
 以下、私が考えてみようと思うのは、そういった事実関係の話ではない。事実関係の議論に口を挟む力は、私には全くない。
 以下、私は、北林トモが、また伊藤律が、「ユダ」といわれたそのことについて、全く別の回路で考えてみたい。いうならば、「ユダ」である、あったという告発に対して、事実証拠をあげて反論弁護し、偽りの汚名を雪ぐというやり方は渡辺氏にまかせて、法律論争として、トモに、ひいては伊藤律にも、ある助太刀をしてみようと思う。  そこで、以下では、事実関係については敢えて、告発と争わない。誤っているかもしれない(どうやらその可能性が高いらしい)これまでの通説、つまり、トモが宮城の名を挙げたことが事件発覚のきっかけとなった(逆にいえば、それがなければ事件発覚はなかった)という秀樹氏に発する通説を、そしてそれと同じ前提でトモに対応している山代氏の証言を、さしあたり、仮にそのまま事実と仮定して、話を進めようと思う。
 なお、もうひとつ、ユダその人についても、ここでは問題にしない。イスカリオテのユダその人もまた、原始キリスト教団の伝承の中で、とびきり不利な役割を割り振られたに過ぎないこともありうる。そのことは十分想像できるが、彼には申し訳ないが、ここでは、誠に忌まわしい響きがある、その「役割」だけを借りている。
 そこで、以下の問題は、次の通りである。
 たとえいきさつが通説の通りだとしても、トモは「ユダ」なのか?


 イエスの高弟であったユダは、自ら祭司長の所へ出向いて密告した。だが、いうまでもなく、尾崎や宮城と同じく、トモも、自ら進んで警察に出頭して告白したのではない。ましてや、ユダのように銀貨を受け取ったなどというわけでは無論ない。
 ではトモは何をしたのか。突然逮捕され、遠くへ送られ、厳しい取り調べを受けて、宮城の名前を出したのである。だが、その点はゾルゲや尾崎以下誰もが同じである。一旦自供を始めると、誰もが関係者の名前を出している。確かにトモは最初の逮捕者であるが、事情によっては、その順は逆だったかもしれない。
 もちろん、彼らは全て、逮捕後すぐに自供したのではない。宮城は、自らの口を封じるために自殺をはかっている。トモもまた、何とか一切を話さない覚悟であった。
 トモは、完全な黙秘を通すか、あるいは大杉栄のアドヴァイスのように、何を聞かれても「知らない、忘れた」で通すべきだったのか。あるいは、あの治安維持法下の厳しく老獪な特高取り調べの前ではそれができないというのであれば、むしろ自殺すべきであったのか。・・・そうしなかったことで、北林トモは(トモだけが)「ユダ」といわれる。少なくとも山代氏は、「あなたはユダなんかじゃない!」とはいわずに、ただ、ユダとなったその境遇に涙するばかりであったというのである。(続く↓)

  10月某日 ユダ(4)

 トモはユダなのか?
 何故トモが最初に逮捕されたのかというところは最大の闇の部分に属しているが、それはともかく、山代氏がトモに語らせていることから再現すれば、トモが置かれた状況は、大体次のようなものだったという。
 41年9月28日の未明、北林家に踏みこんだ特高刑事らは、二人を逮捕し、徹底的な家宅捜索をして、手紙類だけでなく、貯金通帳や現金まで押収する。
 以下、引用は、山代氏がトモに語らせていることばである。
 わたしは〜、『知らない』と『忘れた』のほかのことは言うまいと覚悟しました。(中略)
 自動車で駅へ出て、汽車に乗せられて、東京まで連れて来られる長い汽車の中で、彼らはわたしの家から一通残らず押収した手紙や葉書に目を通していました。その中で一番最近のが宮城さんの葉書でした。宮城さんの住所は東京の麻布竜土町の岡井さんの家でした。これはまずい、わたしが『知らない』と『忘れた』を通しても、この住所書きで宮城さんに検挙が及ぶ、わたしはそのことで心が動転しました。
 ところが東京へついて自動車へ乗せられ、連れて行かれたのは麻布六本木署でした。
 連行されたのが宮城の住所と同じ麻布だったのは、偶然だった(少なくともそういうことになっている)のだが、そのことが重要な誤解を生んでしまう。すなわち、
 『これは宮城さんが検挙されて、わたしに検挙が及んだのだ』とわたしは思いました。しかしわたしは〜、取り調べ室へ入るとき、何を聞かれても『知らぬ』『忘れた』で通そうと心にきめていました。
 こうしてトモは、なおも、取調べ室での特高刑事の厳しい追求に抵抗を続ける。
 『お前はアメリカの共産党員だったろう、証拠がある』と言います。わたしは、「確かに昭和八年五月まではアメリカの共産党員だったが、それ以後は共産党とは関係がない』と言いたかったが、『忘れました』と答えた。『お前は家の中から居ながらにして三方の道の人通りが見える家が見える家を借りてくれと頼んでいる。何のためだ』わたしはこれも『忘れました』と答えました。高木は机を叩いて、『スパイ活動をするためだろう』『アメリカの共産党員であるならぱ、日本へ帰れぱ日本の共産党と連絡を取ろうとするのが筋道だ。その筋を通さないのはスバイ活動のために帰国したからだろう』と矢つぎ早に質問を浴びせました。わたしは答えませんでした。
 ところが・・・ (続く↓)

  10月某日 ユダ(5)

 ところが・・
 押収物の中に、まとまった現金があった。少し前に宮城から画の売却を依頼されていたトモが、宮城に渡そうと用意していた金である。
粉河の家に乗りこんで来た特高は、押収した貯金通帳や現金を机に並べました。高木は、『この大金はどこから受け取った?スバイ活動のためにスパイ組織から受け取ったんだろう』と聞きます。これは知らない、忘れましたでは通らないし、絵を売った金だと言えば宮城さんの名前が出ますから、わたしは答えませんでした。そうするうちに夜になりました。
 更に・・
 特高たちは食事に出て帰って来ると、『亭主は今朝の検挙で肝が冷えたのだろう、調べに入る前に泡を吹いて倒れたそうだ』と言いました。芳三郎はまだアメリカにいるころから、秋が深まると喘息の発作が起きていたのですから、わたしはそれが心配になってきて、なんとかして芳三郎は何も知らないことを証明して、今夜のうちにも釈放してもらいたいと思いましたが、その夜は良い知恵もでないまま夜半になって留置場へおろされました。〜
 留置場で芳三郎の姿は見えませんが、その夜は寒いので芳三郎はきっとどこかで喘息の発作を起こしているだろうと思えて、へとへとに疲れているのに眠れません。なんとかして芳三郎はスパイ活動には完全に関係がないことを証明しなければいけないと思いました。わたしが麻布六本木署に留置されたということは、麻布竜土町に住む宮城さんが先に検挙されてわたしの住所をばらしたためではないのか。わたしがアメリカ共産党日本人部にいたということや、三方が道路に面した家を探したことも宮城さんがばらしたのではないのか。そうだとしたら、知らぬ、忘れたを通しても何の役にも立ちはしない。万一、宮城さんがもし検挙されていなかったとしても、粉河の家で押収された宮城さんの葉書から麻布竜土町の住所はばれているのだ。いま一番追究されている多額の現金は、宮城さんの絵を売った金であることと、芳三郎にはこの金の出所を全く知らせてないことだけは言おうと思いました。ところがこのことが、まだ検挙されていなかった宮城さんを検挙させることになりました。
(続く↓)

NEW   10月某日 ユダ(6)

 果たしてトモは当時の状況を正確に記憶していたのか、正確にことばにしたのか、山代氏はトモの語ったことば通りを正確に伝えているのか。それらは問題ではない。問題は、山代氏が、トモのことばを以上のようにまとめた上で、そのトモに、自らをユダだといわせ、それを光子に否定させていないことである。
 第一に、トモは、それぞれ無理からぬいくつかの点から、宮城は既に逮捕されていると思い込んだ(猛々しくも老獪な特高刑事に誘導されて、そう思い込まされた)。そして、もはや宮城の名を伏せても「何の役にも立ちはしない」、と考えた時点で、宮城の名を出したのである。少なくとも、山代氏によれば、トモはそういっている。
 それにもともと、トモは諜報団の一員ではなく、一介の洋裁教師に過ぎない。宮城は彼女を、「自由で解放的なアメリカにいてさえも、天真燭漫の第一印象をあたえるおぱさん」であり、「包みかくしのある生活はできない」人だといっている。
 ちなみに、諜報団に所属する宮城や尾崎、専門国際諜報員であるゾルゲは、どうしたか。彼らもまた全員、ある時点で、トモと同じような状況判断をし、同じように名を出して供述している。
 それなのに、何故、組織外のおばさんに、ひとりトモだけに、「ユダ」の名がつきまとうのか。(おそらく、彼女の性格を知り、心を通い合わせていた宮城自身は、自分の方が「おばさん」まで巻き込んでしまったことに心を痛めこそすれ、彼女を自分を売ったユダだなどとは、全く思っていなかったに相違ない。)
 確かに、トモが、宮城が既に逮捕されていると思ったのは、結果的に誤っており、通説によれば、彼女が宮城の名を出したことによって、事件は発覚したといわれる。しかしそれは、結果論である。
 いな、結果論の決着も、まだついてはいない。もしトモが、死に至るかもしれない拷問にも屈せずに黙秘を通していれば、全てはそこで止まり、宮城以下関係者が発覚しなかったかどうか。おそらくそうではないだろう。彼女が第一の逮捕者であることは間違いない事実であるが、一般に、既に目を付けた組織を摘発しようとするとき、先ず周辺の弱い環から逮捕してゆくというのは、ある意味で常道ですらある。(ここでは触れないが)諸件を考え合わせると、この時点で特高の宮城情報ひいては諜報団に関する情報が全くの白紙であったとは考えられない。11月に続く↓

  10月某日 アラブから見た〜

 10月も終わり。・・・このままでは、今月はすべて、トモへの勝手な助太刀だけで終わってしまいます。ちょっと他のことも書いておかなくては、誤解されそうですね。
 といって、別に書くこともないのですが、たまたま似たような本を2冊読みました。多分前にも書きましたが文庫新書以外は買わない置かない方針?なので、両方とも文庫本なのですが、どちらも分厚く読みでがありました。有名な本なので、今頃読んだのかといわれるに違いありませんが、『アラブが見た十字軍』と『アラブが見たアラビアのロレンス』です。基本的には予想通りの内容ですが、共に、できる限り詳細に事実に語らせようという姿勢で貫かれており、西洋の眼と偏見を批判しつつも、筆づかいの自己抑制と公平さが印象的でした。
 いまは、例えば世界史の教科書の十字軍の扱いなども、昔とは違ってきているのでしょうね??
 
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