透  視  と  歪  曲 −遠近空間についての試論− 


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 但し、遠近法を美術史的に見るならば、それにもかかわらず右のことは、透視画的手法そのものが、はじめからそのような意味での<視線>の射影幾何学として、イコン空間の神聖さを失った<可視空間>を平面に引き写すためのその手段として始まったということを、必ずしも意味しない。別のいい方をすれば、遠近画法が表現手法として重視されてゆく過程と主題の世俗化との間には、あるずれがあってよい。
 周知のように、手法としての遠近法の成立過程は、空間上の平行な線分の平面写像が延長線上で作る複数の交点が、画面上で、始めはある軸線(消線)に集まり、やがて、一つあるいは少数の点(消点)に集中してゆく過程だともいえる。こうして姿を現した<消点>は、まずは絵画空間の意味論的秩序を作り出す統辞法上の特異点として、つまり、眼に<見える>世界に、ひとつの特権的秩序を構築するための足場として発見され考案されたのであってよい。つまり消点を軸とする統辞的秩序は、必ずしもイコンの特権性の全面的消滅を必要とはせず、むしろ過渡的には、逆にその強調としても役立ちうるだろう。
 例えば、教会のような多柱的構造をもった建造物の内部を正面から見た場合、多数の直線ないし仮想直線が集中する一点に、視線は強く吸引される。当然、この特権的な場所に、建物の主題的中心たるべきイコンが配置されるならば、それは特権的に強調されもしよう。こうした三次元的な建築空間の統辞法が、いわゆる平行透視図を通して二次元的な画面秩序の統辞法に引き写されるといったことが、史的過程としても個別的表現過程としても起ったのかどうか。ともかく、少なくとも、さしあたり絵画の主題が宗教的事蹟から充分離陸し切らない間は、二次元平面を支配する統辞法は、おそらくなお意味論的なそれに傾いたままであり、それが絵画空間そのものの無機的統辞法へと変化してゆくまでは、遠近法、透視画法は、瞬間の偶然的射影を容れる可視的空間ではなく、正反対に、永遠に凝固した神聖空間を秩序づける統辞法としても、一定の有効性をもちえもしよう。
 だが、「近代の歴史は、まさにイコンの解体の歴史」(中沢新一)である以上、例えば宗教的な主題の絵画であっても、表現のなかで、イコン性そのものではなくむしろその主題の物語性が強調されてゆくにつれ、遠近法は次第に空間構成力に偏ってゆくだろう。そして、特権的図像たるイコンの崩壊イコノクラストが進むに応じて、消点に与えられた特権性、より正確にいうなら消点によって秩序付けられた幾何学的統辞空間の意味論的な統辞空間への転化作用は、ますますその重要性を失ってゆくだろう。描かれるべき世界の意味的な<中心>に位置する筈の存在の聖性の消滅が、消点という絵画の特権的中心の意味論的な空虚化をもたらすわけだ。
 そしておそらく、そのようにして特権的秩序の構成力をもった<消点>が発見され次いで次第にその聖なる支配権を喪ってゆくのに対応して、他方で遠近画面から抽出されてゆくものこそが、別の意味で特権的な、他ならぬ<視点>の筈である。聖なるイコンが漂う非限定空間から<消点>に特権の与えられた聖なる可視空間へという方向が、更に、<視点>が支配する世俗的可視空間を導き出すわけだ。描かれた世界から見る主体へ。画面<内>の特異点たる消点の支配から画面<外>の特異点たる視点の支配へ。強調する主題を図の統一ベクトルの中に強調する手法としての透視図法から、描き、見る者の構成力を空間そのものが指し示す描法としての透視画法へ。いまや遠近法そのものが、意味論的なくびきを脱して統辞論的自立性を確保する。そして、これら全ての方向は、二次元および三次元の表現空間に於ける、聖なる秩序空間から世俗空間へという、ひとつの流れの中に束ねられている。いい方を換えれば、画面世界は、その世界の外なる<見る>存在に<とっての>世界となったのである。あるいは、ここで始めて<見る>という行為また<描く>という行為が、それ自体として成立したのだといってもよい。
 だが、それはあくまで相対的な自立でしかない。こうして発見された<視点>の支配力は、主題の世俗化、つまり特権的な、聖なる空間秩序の崩壊によってこそ引き起こされたものであり、従って、<支配>とはいっても、視点はここで消点のもっていた意味論的な特権性を引き継ぐのではない。いまや特権的主題そのものが成立しうべくもない以上、意味論的秩序の解体後に描かれる可視的空間においては、あらゆる<もの>が主題となりうるのであり、それら単なる<もの>たちは、もはや視点を指定する特権的な力をもちあわせてはいない。そして、視点の相対的な支配権の成立とは、実は、このような意味で世界には特権的な視点が存在しないということから、翻って導き出された事態の筈である。  このような事態を実際の絵画において象徴するのが、正面からでなく斜めからの視線の出現である。それは単に描法上の問題ではない。対象世界に没入する、ないしそこから指定された視線でなく、対象世界から逃れる視線。永遠のではなく、次の瞬間にはそこに存在しない視点。遠近法をもたらした空間観念に対応するのは、まさにそのような軽やかな、そういってよければ描かれた空間から逃れようとする視点であった。いま一つは、光である。イコンの世界を<満たす>光ではなく、<外から来る>光。描かれるものは、もはや、聖なるイコンとしてそれ自身光であり、あるいは光のうちに実在し、描く者、視る者に君臨するのではない。つまり光はもはや、見る者をも射し貫き満たす光として、描かれている世界から来るのではなく、ただ画面の外から来るのだ。遠近法が自らの確立に引き続いて引き寄せるのは、このような光なのである。
 いまや、描かれる全てのものは、ただ外からの偶然の入射光によって照らされ、偶然的な、絶えず逃れゆく視点によって構成された空間において、束の間の、偶然的形象のうちに現象するに過ぎないであろう。即ち、視る者と対象と光の三者が、相互に、外的なものとなっている世界。三者の偶然の遭遇によって成立した瞬間世界。こうして、確かに<視点>が画面の構成者、支配者として特権化するとはいえ、その支配権はあくまで相対的なものに過ぎない。あるいは、こういってよければ、視点はいまやまさに絵画空間の<外部>に出たのであり、あるいは、画面にとっていわば<虚>点となったのである。
 そして、そのような世界の相対化故にこそ、<視点>の相対的な支配力、視線の権力は、画面上では<絶対化>してゆくこととなる。確かにこの意味で、「<絵画>の手綱であり舵である遠近法」においては、描かれる一切は、「ありとあらゆる事象の普遍的な審判者たる眼の中に」ある(レオナルド)。とはいえ、このような遠近法的視線の権力、即ち、高山宏のいう<支配>し<所有>する視線のありようの政治史、これ以後、あらゆるヒエラルキーが<眼>に引き寄せられ、<視線>が遠近法を通して政治支配の力と化してゆくという、その辺りの人文学史的事情については、さしあたり私などがここでいうべきことは何もないのだが。
 いずれにしてもこうして、描かれる世界の意味論的な指示力が無化され、世界がただ見えるだけの世界となり、それ故視線がただその<見る>力だけでひとつの権力となることによってはじめて、「見える通りに」描くということが可能となったのだ。

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