透  視  と  歪  曲

−遠近空間についての試論− 


 夏の休暇の間にどういう訳か解りませんでしたが、私は遠近感をすっかり失ってしまったようでした。私は友達のスケッチを写して、かろうじて遠近感の喪失を糊塗していました。・・・(少女ルネ<セシュー)
 何であれ私たちがある共同の観念空間のうちに、それに関りつつ<ある>ということは、その共同空間を構成するシンタクスを私たちがそのつど発動させることによって、そのつどそれを維持しているということであるが、しかし私たちが実際そこに関りつつ<ある>際には、シンタクスは、空間を支える一定の規範として、空間の側からやってくるようにみえる。例えばそのとき、逸脱とは何か。
 とはいえ、いまはただ、絵画空間における線遠近法という甚だ単純な例について、さしあたりのスケッチを試みるだけに留めねばならない。単純な例だというのは、けだしそこでは、<見える>という事態に対して<描く>という私たちの側の構成行為が、常に区別できるものとして顕かになっているだろう筈だからである。

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 以下、小論の全てにわたって、実証的な歴史的検討をする能力もつもりも全くないが、やはりまず、ありふれたこととはいえ、画法としての遠近法の成立について一通りの確認をしておこう。
 様々な遠近表現をもつ絵画の歴史において、いわゆる狭義の<遠近法 perspective >、即ち単眼的モノキュラーな線遠近法、透視画法が、部分的補助的な描法の域を越えて、描かれた画面世界の空間秩序そのものをかなり厳密に支配するようになるのは、周知のように、ルネサンス期を遡ることができない。
 15、6世紀イタリアで完成され、後北欧へも広がってゆく、そのような意味での遠近法、透視画法とは何かについては、ここで改めて説明する必要はないだろう。それは、例えば、多少不正確ながら15世紀フィレンツェの建築家アルベルティの『絵画論』にみることができるような、一つのイデエに基づく画法である。「視線は眼を頂点とした視覚錐を造る。視覚錐の軸は中心視線である」。「絵とは、この視覚錐を、底辺に並行な任意の平面で切り取った断面図であって、これは底面つまり見られるものの形と相似形である」。「絵とは」といういい方に注意したい。それ以前にもあった遠近法的な表現が単に拡張されたというのではない。部分的な<もの>の描法とは明らかに別の、絵の秩序そのもの、描かれる<空間>そのものに関する、いい換えれば画面全体を統括するシンタクスに関するひとつの転換が、ここで宣言されている。いまや、視線の幾何学が画面世界の支配的秩序となり、遠近的な<可視>空間が、描かれるべき世界となっているのだ。
  例えばそれ以前に描かれたイコン図像にあっては、画面秩序を構成するのは、厳密な図像学的諸規定であって、日常空間的な眼に見える遠近関係では全くなかった。あるいは、ウスペンスキーのいい方を借りれば、意味論的な統辞法であって幾何学的な統辞法ではなかった。それ故、遠近法が単なる部分的な手法の域を越えるためには、描かれるべき世界が、聖なるコスモス秩序の束縛から解き放たれる必要があった。ジオット派の絵画の中で、イコンの背後に現れた蒼い平面が、ビザンチン絵画の黄金の背景から受け継いだ聖なる輝きを失って<蒼空>となってゆくとき、画面空間に幼い遠近法的表現が少しづつ導入されてゆく。やがて、神の統べる有機的な統一コスモスが消滅してゆき、そしてはじめて、<眼にとって>遠い近いという基軸が、天上と地上、光と闇、中心と周縁などなどといった意味論的な基軸を駆逐して、描かれる世界あるいは空間を律する支配的な秩序軸となる。いまや、人が画面に見るのは、イコンの浮かぶ聖なる空間ではなく、単に、眼にみえる<もの>たちがそこここに定位する、可視的な日常空間なのである。こうして、遠近法の成立とは、絵画技法上の進歩的発明としてではなく、広く絵画を越えた、<空間>という共同観念上の統辞法シンタクスの転換として扱われなければならない。
 「遠近法とは 〜 <透視 Dudchsehung >ということである」(デューラー)。線遠近法という、新しい絵画空間の統辞法の成立とは、世界が、視線によって<見透し可能>だと観念されるようになったということに他ならない。いまや画家は、画面を「開いた窓に見立て」、「透明なガラスからできているかのようなこの平面」に、見える世界を写す(アルベルティ)のであり、即ち「絵画空間」は、「私たちが可視界の一部分をのぞき見る窓になった」(パノフスキー)のである。こうした空間、実体に満たされた不透明な意味場ではなく、任意の実体を容れうる透明で無機的な空間、それは、ある時代において成立した、つまりそれ以前には存在しなかった空間である。
  「ルネサンス−哲学およびルネサンス−数学の最も本質的な課題の一つは、〜 <集合体−空間>を<体系−空間>によって置換し、<基体>としての空間を<機能>としての空間によって置換するという作業であった。空間はいわばその物としての性質、その実体的本性を剥奪され、自在にして観念的な線−構造として発見されねばならなかった」(カッシーラー)。線遠近法とはまさに、そのような「線−構造」としての<体系−空間>を平面に引き写すための、画面の統辞法に他ならない。改めていう迄もなく、絵画空間の革新もまた、無限性と均質性を軸とする、より一般的な空間観念の歴史的革新の、その一つの側面なのである。
  こうして、聖なる実体的空間から無機的な抽象空間へという画法の転換の背後で、図像学を支える神学から製図学を支える幾何学への交替が起っている。だからこそ、遠近法の理論は、絵画技法のなかでは完結できなかった。それは、画家、建築家の手から数学者の手にわたった17世紀、デザルクの射影幾何学において、ようやく完成する筈である。空間が抽象点に、時間が抽象的瞬間に微分され、あらゆる物が瞬間的射影においてまず認知されるようになった世紀、中心をもった有限なコスモスが消滅し、等質空間が無限に広がることとなった世紀である。
 従って、画家が「開いた窓」を通して<可視的>な世界に向かうようになったといっても、それは、絵画理念における狭義の「写実主義」「写生主義」とは、さしあたりは何の関係もない。アルベルティも作りまたデューラーも用いたらしい、カメラ・オプスキューラなど透視画装置に象徴されるように、確かに遠近法は実際の対象世界の射影像をなぞることを基礎手法としているとしても、また確かに「画家は眼に見えないものを描いてはいけない」(アルベルティ)といわれているにしても。たとえその言葉に近代の「写生」に通じる面があるとしても、それは、例えば「前もって祈りの言葉を称えることなしには、決して絵筆をとろうとはしなかった」(ヴァザーリ)フラ・アンジェリコのような画家が「受胎告知」といった聖なる場面を描く際でさえも、いまやそれを<可視的>空間における出来事として、即ちもし画家が実際に見ることができるなら見える<筈>であるように描こうとするという、その意味の「写実」に他ならない。問題はあくまで、描かれるべき世界の<空間>の質にある。
  この意味で、描かれるべき<可視的>世界とは、画家が視覚的にそのつど実際に体験する世界というよりは、画家を含む、人々の視覚体験から抽象された、共同観念空間なのである。見られること描かれることまた感じられること等々を離れて、空間そのものといったものが存在するのでは勿論ない。だが、見ること描くことまた感じること自体が、時代の共同体験としてのみありうるのだ。
 かつて、いかなるイコンも、図像学的に厳密に指定された、有機的な<限定>空間においてしか現れえなかったが故に、遠近法的には、それらは<非限定>な空間に漂っていた。だがいまや、いかなるものも絶対的に無機的な等質<非限定>空間にしかありえないが故に、それらは厳密に遠近法的な<限定>空間のうちに描かれるのである。

 続く・・・次、2へ     終了、contents見出しへ戻る