泌尿器科医・木村明の日記


三井記念病院とキス釣り


昨日は静岡から帰ってきた後は、嶮山で1勝1敗。

夜は餃子。私には餃子作り以外に、もう一つ、魚を3枚に下ろせるという特技あります。

私が3年目にローテーションしたのは三井記念病院

2年目の東芝病院では部長の下は私だけだったのに対し、三井記念病院は部長の下に、7年目・4年目・3年目(私)・2年目・1年目。

症例数がいっぱい、仲間もいっぱい。

N部長は手術の名人、であるだけでなく、医局人事に決して注文をつけない先生。

大学に近い(御茶ノ水と秋葉原)ので、引っ越す必要がないという事情も若干作用して、医局員がローテートしたい人気関連病院でした。

希望者が多くて、部長が人事に口出ししないと、どうなるか。

毎年、総入れ替えです。2年居たい、と希望を出しても通りません。

定員が多い上に、毎年入れ替わるので、東大医局員で三井記念病院のN部長の手術を見たことがない人は少数派。

東大の医局員の会話で「部長なら、こうするだろうな。」という時の部長とはN部長のことでした。

教授は一人しかいませんから、「教授」で通じますが、

(そういえば赴任されたばかりの教授に〇〇教授!と声をかけたら、教授は俺しかいない、と注意された医局員がいました)、

部長といえば、三井記念病院のN部長のこと、というのは凄いことです。

格上の国公立病院にも部長はいるのですから。

手術の上手かったN部長ですが、皆が感心していたのは、腎結石の再手術。

まだ衝撃波砕石機がない時代。何度も再発する結石。

3度目の腎結石の手術なんて、腎臓周囲は癒着だらけ。鈍的に剥離しようと思ってもちっとも前進しません。

かといって、鋭的に切開していくと、腎動脈を損傷してしまうかも。

腎臓には毎分500ml(心拍出量の10分の1)の血が流れ込んでいます。

腎結石という良性疾患なのに術中出血死の危険と背中合わせの手術でした。

ならば手術しなければ、と今の若い医者は思うかもしれません。

昔は腎結石のせいで腎不全になってしまう人もいたのです。

もう充分な長さになったので、キス釣りの話は明日に続く
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