Episode-2

Burbank

- Burbank Airport Hilton -  Los Angelsは地下鉄やバス等の公共交通機関がほとんど発達していない代わりに、高速道路が  市内に縦横無尽に網羅されている。驚くべき事に、この高速道路は全て無料で通行できる。  「フリーウェイ」とは、まさしく「タダで通れる高速道路」なのである。  一応制限速度はあるようだが、誰もが狂ったようにぶっ飛ばしていらっしゃる。我々の横では  ボッコボコにボディがへこんだダッジと黒塗りのストレッチャー・リムジンが、どちらも一歩  も譲らずに抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じていた。私は、元暴走族のMくんの助手席に  乗った時以来の恐怖感を味わっていた。  そんなフリーウェイを行きつ戻りつ約1時間、なんとかLos Angels北東の郊外の街Burbankに  到着。Burbank空港の近くにあるBurbank Airport Hiltonというホテルにチェックインした。
 ロビーは明るく、豪華ではないが小奇麗な雰囲気であった。なぜかスーツ姿の外人がたくさん  たむろしている。 「多分、企業のセミナーでしょうね。泊まり込みで落ち着いてできるんで、こういう郊外にある  ホテルをよく利用するんですよ」I氏が説明する。  我々はエレベーターで5階に昇り、それぞれの部屋に入った。  私の部屋は眼下にプールを見下ろせ、日当たりも良好である。部屋のサイズもベッドのサイズ  もエクストラ・ラージ。ようやくアメリカに来た、という実感が沸いてきた。
 ホテルのレストランで昼食をサンドイッチで済ませた後、S氏/I氏は時差ボケのため夕食ま  で寝るとのこと。私はとりあえずホテルの回りを散策することにした。  これが、ひどい。行けども行けどもコンビニひとつ見つからない。  30分近く歩き続けて、ようやく"Fry's"という名の大きなショッピングセンターを発見した。  入り口にはなぜかUFOとおぼしき物体が突き刺さっていた。
Front View of Fry's
 中は巨大なワンフロアで、日曜大工コーナー/家電コーナー/パソコンコーナー等に分かれて  いた。「東急ハンズ」と「城南電気」と「マハーポーシャ」が合体したような感じである。  工具セットとビデオデッキとカラープリンタを巨大なカートに載せ、オバサンがレジにガラ  ガラ運ぶというようなワイルドな光景が、ごく当たり前のように繰り広げられていた。  さらに異色だったのは、店内のそこかしこに飾られてた巨大なB級SF映画のオブジェ達だ。  「地球が静止した日」の異星人(誰も知らないって?)や金星ガニがいたかと思いきや、  極めつけは天井から吊られた巨大アリ!ひげひげがリアルすぎて、子供がひきつけ起こしそ  うな無気味なしろものであった。
Giant Ant in Fry's
 電気コーナーの脇にCDコーナーがあったので、早速ZEPPのCDを探してみる。  まず目についたのはBBC LIVE(当然ながらアメリカ盤)。あとはRemaster Seriesのもの  が数点あるだけ。これでは当地のZEPPファンは可哀想である。(いれば、の話だが)  ホテルに戻ってから、往復の道で自分以外の歩行者に一度も遭わなかった事に気付いた。  こちらでは、歩くということ自体が非常に珍しい行為であるらしい。
 夕方、友人のエリック・ゴーフェン氏に電話を入れた。プロのヴァイオリニストであり、Page  /Plantの日本公演にも参加していた人だ。LA在住の唯一の知人であり、渡米前に電子メールで  「時間が合えばお会いましょう」という話をしていた。  幸いエリックは在宅中であり、「明日の夜、ホテルに迎えに行きます」と言ってくれた。  夜はホテルから車で10分くらい走ったところにあった中華料理屋に繰り出した。  ビールを頼むと、中国人の店員は申し訳なさそうに「ウチはアルコールを出せない」と答える。  アメリカではレストランでアルコールを出すには免許が必要なのである。小さな店では免許を  持っていない(取れない?)ところが多い。以前もニューヨークの中華でこれに遭遇し、「持  ち込みなら良い」とのことで、50メートル先の酒屋まで走らされた経験があった。  今回は運よく隣が酒屋であり、ダッシュでバドワイサーを仕込むことができた。500ミリリッ  トル缶1本で約100円、コーラよりはるかに安い。持ち込みも、慣れれば安上がりで悪くない  仕組みであることに気付いた。
- Sushi in Studio City, 1/26/98 -  時差ボケのせいか、浅い眠りのまま翌朝を迎えた。1階の小部屋でベーグルとコーヒーだけの  簡単な朝食を済ませ、車で10分程の距離にある「A社」を訪問した。  午前中一杯打ち合わせをした後、昼食に出かけた。A社の営業マン氏が我々を案内したのは、  車で15分くらい走ったところにある寿司屋であった。Studio Cityという、文字通り映画スタ  ジオが林立する地域のど真ん中にあり、木造の建物はどちらかと言えば日本そば屋風だった。   「いらっしゃい!」店に入ると威勢の良い板前さんの声が響いた。内装は普通の寿司屋と変わら  ないが、よく見ると中国風のシュールなパステル画等が飾られてて微妙に変な感じである。  奥のテーブル席に案内されて回りを見回すと、我々以外の客は全てアメリカ人だった。  メニューを見ると寿司/刺し身の他、天プラや照り焼きまである。私はアメリカで寿司を食  べるのは初めてだったので、迷わず寿司セットを頼んだ。(ちなみに特上等のグレードは無し)  出てきた寿司は、ネタ/シャリともに巨大であった。一口で食べようとすると窒息しそうになる。  味は特にどうということはなく、地方都市で食べる上寿司クラスであった。噂のカリフォルニ  ア・ロールはアボガドを裏巻きしたもので、なんとも大味なしろものであった。 「これ、ちょっと多すぎるよな」S氏が頼んだ刺し身セットは、日本で言う舟盛りそのもので  あった。苦笑いする我々を尻目に、営業マン氏は慣れた箸さばきで寿司をパクついていた。
 午後の打ち合わせを済ませて、ホテルに戻ってきたのは18時過ぎ。ジーンズに履き替えて19時  ぴったりにロビーに降りて行くと、既にエリックがソファーに座っていた。 「どうも!わざわざ来てくれてありがとう」昨年5月以来の握手を交わす。 「本多さん、Los Angelsにようこそ」エリックはあざやかな日本語で答えた。紺のカジュアルな  ニットセーター姿である。 「さて、何を食べたいですか?LAは、日本食のレストランもいっぱいありますよ」 「こっちに来て以来、洋食を食べていないのよ(^^;) できれば、LAらしい食べ物がいいな」 「なるほど....じゃーですね、Mexican料理はどうですか?LAでは一番ポピュラーな料理です」 「いいね〜。それ行きましょう」
 エリックが愛車のホンダ・プレリュードで案内してくれたのは、Burbankの外れにあるレストラ  ン「ACAPLUCO」であった。カウンタのあるバーコーナーとレストランコーナーに分かれており、  我々はレストランコーナーの方に向かった。
Inside View of ACAPLUCO
 メニューを見ても皆目見当がつかなかったので、オーダーはエリックにおまかせした。  名物のフローズン・マルガリータを飲みながら、タコスやトルティーヤのコンビネーションを  堪能した後、恒例の根堀り葉掘りのインタビューコーナーに突入した。

Talk with Eric Gorfain


 エリックにホテルまで送ってもらう間、彼がプロデュースしたという日本のロックバンド  「Charcole」のデモテープを聴かせてもらった。ギターのストロークが気持ち良く、サミー・  ヘイガー時代のヴァン・ヘイレンを彷彿させる音であった。  そのことをエリックに伝えると、「えー、そうですかぁ?どちらかと言うとブリティッシュ・  ロックっぽい音をイメージして作ったんですが」と不満気の様子であった。    とにかく、楽しく有意義な一夜であった。  東京での再会を誓い、ホテルの前でエリックを見送った。
- Kushiyaki in Santa Monica, 1/27/98 -  翌日も打ち合わせは続き、昼食にはStudio Cityのアメリカン・レストランに行った。  厚切りステーキに山盛りマッシュポテトという、昼間っからヘビーな食事を存分に堪能  した。時差ボケと満腹感で、午後は眠くて倒れそうであった。  夜はA社の社長が「行きつけの串焼き屋に招待する」と言い、彼の運転するワゴン車が我々  のシボレーを先導した。  これが、なかなか着かないのだ。フリーウェイに乗って30分近く走っても、ワゴン車は一向  に停まる気配がない。ヘッドライトとテールランプの洪水の中で、我々は深い疲労と言い知  れない不安を感じていた。  ワゴン車がようやくフリーウェイを降りたのは、なんとSanta Monicaであった。LAの最西端、  海水浴場としてあまりに有名な場所である。  (来て〜来て〜来て〜サンタモ〜ニカ〜)頭の中で、有名なあの曲が鳴り響いていた。
 社長に案内された店は、新橋とかにあるような、ホントに普通の串焼き屋であった。  カウンター席に座っていると、日本人の主人が次々に焼いたものを出してくれる。ビールも  キリンで、熱燗もある。LAに来て半年というならいざ知らず、数日前に来たばかりの我々に  とって、嬉しいのやらつまらないやら複雑な気分である。  そんな中、熱燗のピッチが上がり、Broken Englishで社長と会話も盛り上がってきた。   「ワタシはLed Zeppelinというバンドを非常に愛しているのだが、アナタは知っているか?」 「勿論、知ってるよ。でも私はカントリーミュージックの方が好きなんだ」 「いや、Zeppelinはいい音楽だ。特にこのLAでは良い演奏を何度もしている。  特に、1977年にLA Forumでやった演奏は最高だった」 「1977年?....ふむ、私はもっと前に、彼等のLIVEを一度見たのを思い出した。  1970年くらいに、LA Forumで演奏をしたことがないか?」 「確かに!1970年にはあそこで演ったハズだ。アナタはそれを見たのか?」 「多分ね。でも、ほとんど覚えていない」
 Santa Monicaでは意外な収穫があった。ZEPPの足跡は思わぬところに転がっているものだ。  近辺に自宅があるという社長と別れ、我々はホテルへと引き返した。  部屋に戻ってから、社長もI氏もたらふく飲んでいた事を思い出した。あれでよく無事に  帰れたものだ、と冷や汗をかいた。
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