ドキュメンタリー「McCartney 3, 2, 1」


人生。ポールが自身の人生を語っています。
Paulの言葉に貴重な写真の数々、そして映像。
誰もが人生なのですが大好きなThe Beatlesのメンバーの一人、Paul McCartneyが自ら人生を語っています。

2021年7月16日に米Huluで配信された6回にわたるドキュメンタリーシリーズ「McCartney 3, 2, 1」がディズニープラスで公開となりました。
2021年11月に入会し12月には退会するつもりが1か月延長決定!

上手くPaulから言葉を引き出す音楽プロデューサー、リック・ルービンの聞きだす力が凄いです。

頭だっかちの知識と知っている話しでもPaulが語る一言一言に驚きと感動の渦に飲み込まれ目頭が熱くなりそうな時間でした。

目次

  • 1.ディーズ・シングズ・ブリング・ユー・トゥギャザー 31分を観た直後の感想

  • 2. ザ・ノーツ・ザット・ライク・イーチ・アザー 31分を観た感想

  • 3. ザ・ピープル・ウィー・ラブド・ワー・・ラビング・アス! 29分を観た感想

  • 4. ライク・プロフェッサーズ・イン・ア・ラボラトリー 30分を観た感想

  • 5. クドント・ユー・プレイ・イット・ストレイター? 30分を観た感想

  • 6. ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード 27分を観た感想


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    1.ディーズ・シングズ・ブリング・ユー・トゥギャザー 31分を観た直後の感想


    いきなりの"All My LOving"。
    間奏で奏でるGeorgeのリード・ギターを聴きながら「カントリー!」。
    そしてJohnの3連を奏で続けるサイド・ギター。
    1970年代と異なり1960年代初期はまだオーディオ機器が普及していないため思いついた曲を覚えるしかなかったことから亡き父の思い出を語りながらいつしかJohnとの思い出に。
    「この四つ目」に「ハト胸」ですか。
    2人は仲良しです。

    新しいコードを覚えると曲造り。
    その覚えたコードに10代の頃に年上の女性たちの気を引こうとフランスの芸術家気取りした思い出から"Michelle"を創作した思い出をマルチトラック音源をトラック毎の音量を上下させながら語ります。
    そしてGeroge Martinに指導を受けながらハーモニー。
    ハーモニーといえばBeach Boys。
    大西洋を挟んでお互い刺激を与えより良いものを創造していった話し。

    "Sgt Pepper s Lonely Hearts Club Band"の曲作りからアルバム創り。
    そして"With A Little Help From My Friend”のベースについて。
    ジミヘンドリっクスがアルバム発売2日後のライヴで"Sgt Pepper s Lonely Hearts Club Band"を奏でるライヴを鑑賞した思い出など一言一言が例え知識として頭にあっても新鮮で驚きです。

    10代の頃、レコードを買うのは本当に大変だった話から学校に通うのに公共バスに乗っていた時のGeorgeとの思い出。
    そして2人で行ったヒッチハイクの思い出。
    きっとこの頃から年下の友達だったのでしょう。

    そして"While My Guitar Gentley Weeps"のマルチトラックを聴きながらあの少年がこのような曲を創作するようになった話しを。

    The Beatlesはレゲエを取り入れてもThe Beatlesで"Ob-La-Di, Ob-La-Da"に。


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    2. ザ・ノーツ・ザット・ライク・イーチ・アザー 31分を観た感想


    10代の頃、作曲しているで返ってきたのはJohnだけで曲作りがJohnとより密な兄弟になったこと。
    Paulがピアノを奏でながら和音について説明しながら作曲する過程を具体的に説明してくれます。
    積み重ねて覚えた弾ける和音を並べ替えてベース音をいじり、上げたり下げたり、速くしたり遅くしたり。
    いつしか"Let It Be"に。

    The Beatlesは音楽的に一番近いバッハを好み、バッハにビートを足しただけ。とは。思いもしませんでした。
    それをピアノを奏でながら話しながら説明します。
    そして曲は"Eleanor Rigby"が流れレコーディング当時のことをピアノを奏でながら話します。
    「これはロックンロールだ」というGeorge Matinの言葉から弦楽八重奏による力強く刻む和音。
    しかしその演奏に上手く歌えなかった!?とPaul。しかしダブル・トラックにして聴けるようにしたとか。
    全く次元が異なる一言です。
    ピッコロ・トランペットとくれば"Penny Lane"。
    トランペット奏者のデビッド・メイソンを招きGeoge MartinにPaulが奏でて欲しいメロディを口で奏でた時の二人の反応。
    そして「よしやってみよう」と思わせてしまうPaul。
    そして見事なソロを奏でるデビッド・メイソン。
    ピッコロ・トランペットのトラックの音量を大きくして聴く2人。あの高音を聴いた時のPaulの嬉しいそうな顔といったら。

    1960年代のPA卓は楽器のように扱うことが出来たという話しから再びピアノを奏でながら"Lady Madonna"のイントロになる過程を。

    更には"Band On The Run"のマルチトラックを聴きながら。
    レコーディング時の会話も再生されます。
    "Band On The Run"のトラックをベースと歌、ドラムとギターと歌、ドラムとギターにしながら ラゴスでレコーディングしたアルバム「Band On The Run」を制作時のエピソードなど。

    サンタさん、お願い。この音源と機械をボクに。宿題もするし勉強するし、良い子にしているから。

    それにしても盗まれたデモ音源。黒人5人はどうしたのでしょうか。今も持っているならば一儲け出来ると思うのですが。

    インタビュアーのリック・ルービンがPaulの窓を開けるために聴かせる曲は何と「アルバムに埋もれた曲の一つ」とPaulが言う"Waterfalls"。
    モーツアルトの作曲は「相思相愛の音を書くこと」。
    後悔はあまりしない、前進するのみ。音楽や人生、前進するしかないと言うPaul。
    凄いですリック・ルービン。

    最後に1968年の"Blackbird"音源。

    それにしてもPaulが奏でる曲"Life Can Be Hard"の美しいこと。


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    3. ザ・ピープル・ウィー・ラブド・ワー・・ラビング・アス! 29分を観た感想


    いきなりの"Back In The U.S.S.R"。
    ボーカルとベースのトラック。ボーカルとギターのトラックの音量を上げ下げしながら楽しむ2人。
    そしてレコーディング時のエピソードを語るPaul。

    「自分たちが人気があると気付いたのはいつ?」という問いに対し、The Beatlesの歴史にある通り段階的に人気が上がっていった話しをするPaul。
    エドサリバン・ショーで"I Want To Hold Your Hand"を演奏する映像が流れ上ったことを表しています。

    初期はファンのための曲を創作していたが自分たちの歌を創作し始め4分の3拍子のJohnとPaulで歌う"Baby's In Black"、ファンには人気が無かったとか。
    リアルに新譜を聴き楽しんでいた当時の方々はそうだったことでしょう。
    私も1970年代に音楽が好きになり新譜を楽しみにしていたミュージシャンやバンドも、彼らが成長した新しいレコードを買って聴いた時、その成長についていけず好きではなくなったことが多々ありましたから。

    "And I Love Her"、あの印象的なイントロにギターのバックがあっての曲とのこと。確かに。
    それにしてもボーカルが美しいです。
    皆が曲を創るようになったこと。後年、母校で教師をした時、生徒に教えたことは「曲を終わらせること。聴いている人が曲が終わることをわかるようにすること。」など語る。

    お気に入りはキンクス、ボブディラン、ジミヘンドリックス。特にジミヘンドリックスの最初に観た時の話しを。
    仲間意識が凄く高かった世代、お互いが影響しあっていた世代。
    そして"Lucy In The Sky With The Diamond"をトラック毎に聴きながら、Paulが高音で「AH」と歌ったいるところで声が途中で切れている音が流れる。
    これは凄い発見です。多分、今の今まで音に埋もれ誰も気づかなかったミスのような気がします。

    1968年、インド、訪問するしかなかった状況であったこと。
    インドでは色々な曲を創ったことから"Dear Prudence"を創ったエピソードから歌はフォーク・ソングであるがベース・トラックだけを聴きながらベースは全く違うフォークではないアレンジであること。
    更に歌とコーラスだけのトラックを聴きながらいかに長く息継ぎなしに長く歌えるかをチャレンジしていることを確認する。
    そしてマハリシ、マントラ、めい想。皆が進む道を作ってきたThe Beatlesであったことを語るPaul。

    "Hey Jude"の映像を観ながら第3話も幕を閉じます。


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    4. ライク・プロフェッサーズ・イン・ア・ラボラトリー 30分を観た感想


    いきなり"I'm Only Sleeping"の逆回転弾きギターのみの音源。
    The Beatlesの音への追及と探究、それがエンジニアを動かし機械を操りあの音を創作していた話し。
    その行為を許容したGeorge Martin。

    "Maxwell's Silver Hammer"のベースだけを取り上げたその音はチューバみたい。
    そしてさり気なく奏でるシンセサイザー・モーグ。
    でもPaul、金床を奏でたのはマルではなくRingoだったようですよ。マルはGet Back Sessionでは叩いたけど、Abbey Road SessionではRingoが叩いたような。
    更にピアノのアルペジオの部分は自身の奏で方ではないのでGeorge Martinだったかもしれないと語るPaul。
    もし自身だったらテープの再生速度を半分にして1オクターブ低く奏でたのかもしれない。

    その話から"A Hard Days Night"の間奏におけるGeorgeのギターに繋げ、その間奏を再生速度を半分にして聴かせるなんて。

    そしてイントロのコード、ジャーン!はGeorge Martinが考えたとは。

    George Martinが発針器を使ってピッチを上げ、最終的に犬にしか聞こえない音を創作し、それをアルバム「Sgt Pepper s Lonely Hearts Club Band」に入れた話し。
    "Tomorron Never Knows"でのテープ・ループの話し。
    The BeatlesにGeorge Mrtinが準・科学的な技術を呈示しながらThe BeatlesをThe Beatlesのメンバーと共にプロデュースしていたような組み合わせだったのでしょうか。

    Ringo語録、Ringoとの出会い、衝撃的なドラミング。
    Get Back Sessionにおいて軽い曲だったはずの"Get Back"がRingoのドラミングで一転したエピソードなど、曲をリズムが決定させる話しの続きで"Another Girl"。
    "Another Girl"のスイングするカントリーなリズムは完璧で、記録として残るからPaulとRingoは完璧を目指していたと。
    ただPaul自身が奏でるギターのフレーズは「誰が弾いたか覚えていないけどひどいからボクと言いたい」だなんて!
    「ノッテいたから弾き損じた、ギターは曲に追いつけなかったけどリアルで味がある。」と言うリック・ルービンの聞きだす力に表す力。この素晴らしいインタビューが出来た最大の功績はリック・ルービンです。

    話しは再び1970年代、Wingsの"Live And Let Die"からいつしか21世紀の現代に。
    ”Check My Machine"というこの曲はなど単にグルーブを楽しんでいると語るPaul。
    かねてからの私のようなPaul好きにはそのPaulの楽しむ気持ちが時に気づかず好きになれない時があるのかもと思い始めると流れ始める"You Know My Name"で幕を閉じるのでした。


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    5. クドント・ユー・プレイ・イット・ストレイター? 30分を観た感想


    "Lovely Lita"のベースと歌のみなどトラックの音量を上げ下げしながら何の音を選択するか。
    それにしてもベースを変えた一人、Paul McCartney。

    作曲、"I Lost My Little Girl"。
    Johnとの出会い、The Beatlesの誕生は奇跡だったのかも。
    もしイギリスで徴兵制が停止になっていなかったらJohnとPaulはそこで別々の道に進んでいたかもしれません。
    歌だけの"This Boy"を聴きながらそう思うのでした。

    突然、聴こえてくる"Something"のイントロ。
    ドラムとギターが音量が小さく、Georgeの歌とベースだけ、そしてギターのリフが小さめに。
    美しいです。
    PaulのベースとGeorgeのギターが会話をしているなんて!

    より良いものにしようとする、メンバーの誰よりもより良いものにしようとするPaul。
    それを言えばどうなるかをわかっていながら、より良いものに考えを声にするPaul。
    その連続だったのでしょう。

    ベースと言えばこの曲という曲の一つ、"Come Together"。

    The Beatlesが終わって改めてThe BeatlesのファンになったPaul。
    そのThe Beatlesが終わった時のことを問うリック・ルービン。
    言葉を選びながら当時のことを語るPaulの悲しげな顔。
    リック・ルービンがインタビュアーだからこそ語るPaul。
    そしてアルバム「McCartney」創り。
    この"Maybe I'm Amazed"で聴こえるギターは本邦初公開!
    そしてLinda。

    1970年代のPaulの活動について語った文章を読み上げるリック・ルービン。
    その文章にPaulが「誰の?」と問うとその答えは「John Lenonn」。
    その答えを聞いたPaulのニヤッとしながらも複雑な顔のPaul。
    この顔は今もJohnが生きていたらという顔なのか。
    Johnと過ごした日々を思い出している顔なのか。
    残念ながらリック・ルービンの頭が被さり観続けられないの残念と思う中、"Helter Skelter"で幕を閉じるのでした。


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    6. ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード 27分を観た感想


    "Yesterday"の旋律が突然、浮かんだ時とその後のこと。
    Johnに「誰の曲?」、そしてGeorge Matinに「誰の曲?」。誰も知らない。

    そしてリヴァプールやハンブルグで音楽をレコードから学び演奏していた頃を語り続けるPaul。
    まさにザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード。

    "And Your Bird Can Sing"、ベースの音量を最大に、歌。そしてギター。
    「創作の喜びが伝わってくる」とPaul。
    それに応えるリック・ルービンの言葉の数々。
    Paulの「いいグループ!」とはご謙遜。

    Johnとの曲創り。
    2人で腰を据えての曲創り。

    "Here There And Everywhere"。
    寝ているJohnを待つ間、曲のきっかけをPaulが創り、起きてきたJohnと一気に創り上げたこの曲。
    お気に入りの曲といえばJohnも同じ"Here There And Everywhere"。
    素敵な曲の一つです。

    誰よりも早く前衛音楽に親しんでいたPaul。
    Johnが創作した"A Day In The Life"に可能性、壮大な曲になる可能性を感じ、Paulの手元にあった曲を繋げ、そこに前衛音楽をブレンドしたPaul、The Beatles。
    そして頼れるプロデューサーGeorge Martin。

    PaulにとってJohn、George、そしてRingo。
    更にGeorge Martin。
    最後にLinda。
    そこにGeoffrey Emerickも居て欲しかったような気持ちが残ってしまいました。

    西洋音楽という何世紀にもわたる歴史。
    その何世紀にもわたる長い歴史の中で、20世紀に花開いたロックという音楽。
    その代表的な作曲家、ミュージシャン、バンド、それはThe Beatles。
    それを改めて確信したインタビューだと思いました。


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