茨城の城
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隣の茨城県の城です。 小山氏の分家であった結城氏の城は小山城と距離的にも近く、現在は栃木県と茨城県に別れているものの街道1本で両城が結ばれています。 結城の東隣にある下館は、藤原秀郷が平将門の乱の備えで下館、中館、上館の三館を築いた伝承があり、それぞれ下館城、伊佐城、久下田城へと変移します。(伊佐城は陸奥南朝の城2で紹介)現在では特記すべき遺構はありませんが、下館市の由来になった三館の存在には興味深いものがあるのだ。 下館城は、結城家再興の時に結城合戦の功により領地を分け与えられた水谷氏よる築城で、戦国時代の水谷蟠竜斎正村の手腕により、結城家から独立した大名の地位を確立します。
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結城城 |
所 在:茨城県 結城市 本町
地図[MapFanWeb] 交 通:JR水戸線 結城駅下車 徒歩30分 種 別:近世 平城 撮 影:1997年 7月 小山政光の三男朝光が、鎌倉時代の黎明期に結城家を名乗り、結城秀康が越前に移封までの間、結城家の居城でした。 1440年、11代氏朝は、足利幕府間の争いで滅びた関東公方足利持氏の遺児を奉り、幕府軍を敵にまわし結城城に籠城、のちに結城合戦と呼ばれ全国にその名を轟かせることになります。 写真はわずかに残っている三の丸で公園になっています。この城には、家康の実子(秀康)を養子に迎える前に、結城家に伝わるお宝を城下に埋めた埋蔵金伝説が残り、公園のすぐ前の橋の下は明治時代に掘り起こした跡といわれています。 |
下館城 |
所 在:茨城県 下館市下館
地図[MapFanWeb] 交 通:JR水戸線 下館駅下車 徒歩??分 種 別:近世 平城 撮 影:1999年 10月 秀郷の後は伊佐氏の支配を経て、文明10年(1478年)結城家から下館に領土を拝した水谷勝氏により築城され、8代に渡り水谷氏の居城でした。6代目の蟠竜斎正村は武勇の誉れ高く、秀吉や家康ともよしみを通じ5万石の領土を安堵され、自身は久下田城で隠居します。 寛永16年(1639年)水谷氏が備中松山に移封になると、水戸徳川頼房の長男頼重が5万石で入封。3年後に讃岐高松に移封されると増山氏、黒田氏を経て、享保17年(1732年)石川氏が入封すると9代に渡り城主をつとめ維新を迎えます。 五行川の右岸の高台にあった本丸、二の丸は小学校となり、その他も宅地や道路で、遺構はほとんど見受けられません。 写真は小学校横にある八幡神社で、北出丸跡とされているところです。ひっそりと城址の説明看板がありました。 |
久下田城 |
所 在:茨城県 下館市樋口
地図[MapFanWeb] 交 通:真岡鉄道 久下田駅下車 徒歩5分 種 別:中世 平山城 撮 影:1999年 10月 天文14年(1545年)下館城6代目城主の水谷正村が家督を弟の勝俊に譲り、蟠竜斎と名乗った正村が隠居のために築城した城で、蟠竜斎が慶長3年(1598年)76歳で死亡するまでの47年間機能した城です。 蟠竜斎は猛将の誉れ高く、16歳の初陣で46の首を討ち取ったと伝えられています。 隠居後も北に隣接する宇都宮氏系の芳賀氏に牽制をおこない、あわや宇都宮氏と本格的な抗争に入る直前に結城氏の仲介により和解します。 水谷家を安泰に導いたその手腕が評価されますが、隣接する大小名から毛虫のように嫌われ恐れられた事実もあるようです。 写真は50mほどの小山にある郭跡で、石碑などありますが良く見ていません。 南側には結構な深さを誇る掘跡がありますが整備はされてなく、写真を撮ってもなにがなんだか分からんだろうと思い撮っていないのだ。 |