隊員報告書5号


5.続×4:任国事情

5-1 バケラッタ ヤメラッタ

 中華人民共和国で生活する以上、どうしても中国語とつきあわざるを得ません。ですが、中国語というのは(たぶん中国語に限らず外国語は全て)日本語と発音が違います。特に困るのが日本語だと区別していない音を区別することです。英語にもあるRとLの区別が日本人には難しいということ、日本語の世界で育った方ならわかっていただけるでしょう。
 で、中国語の中にもこういう「日本人に区別しにくい発音の違いが」大量にあるわけです。

 中国では普通のご飯のことを「ガンファン(干飯・gan1 fan4)」と言うことがあります。で、お粥のことは何と言うのかと聞いてみたところ「シーファン」という答でした。私はこれをずっと「湿飯・shi1 fan4」だと思っていました。硬く炊いたご飯が「干」なんだから、その対になるのは「湿」だろうという自然な連想です。
 ところがこの「シーファン」は、実は「稀飯・xi1 fan4」だったのです。
 「shi」と「xi」は中国語では区別されますが、私(日本人)にはどちらも「シー」に聞こえます。その上、ちょうど意味が通じる漢字があったが故の勘違いでした。言われてみれば「お粥」というのは「湿ったご飯」でもありますが「米粒の密度が低いご飯」でもありますね。

 この時思い出したのが『新・オバケのQ太郎』の「バケラッタ ヤメラッタ」という話で、O次郎が大原一家にオバケ語(日本オバケの幼児語)の講義をする場面です。Oちゃんの「バケラッタ」も日本語で表記するから全部「バケラッタ」ですが、実際には一語一語違っているんでしょう。「shi」と「xi」みたいに。また1つ、藤子マンガへの理解が深くなった気がします。
 「お前の発音は違う。正しい発音は『○○』だ。お前の発音は『○○』となっている」と中国人に言われる度に「はじめの『○○』とあとのと、いったいどうちがうんだね」と思ってしまうのですが、たぶん中国人が日本語を聞いても似たようなことを思うでしょうからお互い様です。

5-2 おばあちゃんの思いで

 今年(2002年)は2月12日が、中国が最も賑わう春節(旧暦1月1日)でした。日本の正月は除夜の鐘を聞いたり初詣に行ったりと、割と厳かに迎えるものという印象がありますが、中国は日本と違って大量の爆竹や花火とともに激しく新年に突入します。日付が変わる前から町のあちこちで爆竹が鳴り、それがピークに達した0時前後は、それはやかましい物でした。また、個人個人が打ち上げ花火を買ってきて打ち上げるものだから、360度全方向に花火が見えるというのも、日本では考えられない状況です。火薬は中国の四大発明の1つだそうですが、この骨の髄から爆竹・花火好きな国民性と関係あるんでしょうか。
 こんなことを書いている私も、実は大量に花火を買ってきていっしょになって遊んでました。他の大人どもも、子どもそっちのけで遊んでました。これでもみんな学校の先生なんですけどね。

 で、この花火を買いに行ったときに思い出したのが『ドラえもん』の「おばあちゃんの思いで」という話です。「おばあちゃんの思いで」には、冬に花火を欲しがっておばあちゃんを困らせる幼児の のび太 が登場します。  日本では花火を見つけられず、孫の のび太 に怒られてしまったおばあちゃんでしたが、中国まで探しに来ればきっと冬でも花火を見つけられたでしょう。何しろ春節、つまり冬に最も花火が売れる国ですから。他の季節でも何かにつけて爆竹と花火でお祝いしますから、一年中手に入ります。そんなことを考えながら、自分が遊ぶ花火を選んでいたのでした。
 でも売ってるのは打ち上げ花火とか爆竹とか、ちょっと危険な花火ばっかりのような気もしました。幼児のび太やおばあちゃん向きではないかも知れません。というより、日本では消防法や隣近所が許さないかも。

5-3 中国語対日本語2

JICA中国事務所ホームページへの投稿より。

 2001年10月上旬、私が暮らす広西はやっと夏の終わりに来て、昼の最高気温が30度前後になり、最低気温は20度くらいまで下がってきた頃の話です。そのころ、中国の東北部はもう氷が張ったり雪が降ったりしていました。

 その寒い東北瀋陽で、中国は初のサッカーワールドカップ本大会出場を決めました。この試合はテレビで生中継されていて、試合終了の瞬間「我們出線了」の文字が画面いっぱいに大きく映し出されました。「我們」は中国語で「私たち」という意味、「出線」は予選などを「勝ち抜く」という意味です。ちなみに2008年のオリンピック開催地が北京に決まったときは「我們贏了」と、これまた画面いっぱいに表示されました。「贏」というのは勝負に勝つという意味です。

 この「我們」と言ってしまう所が中国です。これが日本なら、予選を勝ち抜いた代表チームに対して「おめでとう」というような言い方をするでしょう。ところが中国では、勝った人たちを祝福するのではなく、自分達もいっしょに勝ったことにしてしまうのですな。勝った自分に自分で、あるいはチームメート同士で「おめでとう」と言ったらちょっと変ですから、放送局も「勝ったぜ!」とは言っても、「おめでとう」とは言わないのですね。

 日本が予選を勝ち抜いたとして「自分達が勝ち抜いた」と言えるのは、代表チームの選手と監督やコーチくらいで、サッカー協会の人間でもこうは言わないんじゃなかろうか。もしかしたら監督でさえ言わないんじゃなかろうか。こんなところが日中の文化の違いなのかな〜などと考えたりしています。文化……なのかな?

5-4 食コラム:不器用な理髪師

 藤子不二雄Aの短編漫画に「不器用な理髪師」という作品があります。
 主人公はちょっと強面なセールスマン。普段は身だしなみに気を付ける彼だが、この日は徹マン明けでヒゲをそり忘れていた。そこでちょうど目に付いた理髪店に入ったのだが、そこの跡継ぎはとても不器用で・・・というお話です。さらにこの話のオチまで書いてしまうと、セールスマンは不器用な跡継ぎ息子の練習台にされ、アゴからノドにかけてのヒゲを剃っているときにカミソリが滑って殺されてしまいます。

 さて話は変わって、私の百色赴任から9か月後の2001年1月下旬、春節(旧正月)前日のことです。配属先の学校から私に1羽の生きた鶏が贈られました。「春節の前後は商店や市場がほとんど休みになるので外食はできないし、自炊をするにも材料が買えない。だから生きた鶏(腐らない)を飼っておいて、必要なときに肉にするのだ」とのこと。好意はありがたいし、日本の獣医師の誇りにかけて「殺して解体することができない」と言うわけにもいかず、ありがたく受け取りました。
 とりあえずは自室の玄関で飼っていたのですが、冗談じゃなく開いてる店がほとんど無くなった(全く無いわけじゃありませんでしたが)こと、糞などで床がだいぶ汚れてきたことなどもあって、4日後に肉にして食べました。

 この時に思い出したのが冒頭の「不器用な理髪師」です。鶏を捕まえて包丁を持ったとき、あの不幸なセールスマンがハッキリと鶏に重なって見えました。
 でもね、太い血管というのは大抵は筋肉の奥などに隠れているので、皮膚をちょっと切ったくらいでは血管までは切れないんですよね。血管を切るには、血管が浅くなっている場所をきちんと狙って思い切り切らないと。あの理髪師は何度もやっていて経験豊富だからこそ、それができたのかもしれません。7日前に炊いたご飯の強さ以上に、怖いお話ですね。

 なお、愛すべき我が百色農業学校は1年後の春節にも、やはり生きた鶏を贈ってくれました


乳牛の外傷を治療するの図

写真 乳牛の外傷を治療する教師と、見物する学生。


カラオケ大会の舞台

写真 礼堂(講堂)で開催された、学校の第7回カラオケ大会。
この回には私は出場していない。


洪水の百色

写真 2001年7月4日。
右江対岸の那[比十]鎮、建設中の那[比十]大橋の工事現場付近。
洪水で沈んだ家を眺める人たち。


洪水翌日の百色

写真 2001年7月5日、中山橋から。
水位は前日より5mほど下がっているが、まだ川べりの建物の1階は完全に水面下。