【ホームレスと給食:031018】

 名古屋駅にホームレスの人が年々多くなっている。

 雪がちらつく真冬にみんなで食べようと、チョコレートを買い込んで出かけたら、日付けを間違えたらしく誰もいなかった。チョコレートを持って帰るのが途端にわびしくなって、ホームレスの人に差し上げたら、とても喜んでもらえた。それから、差し入れをするようになった。

 新聞に、「ホームレスを道路から一斉に締め出し」という記事がまた出ていた。私は身が縮まる思いをした。この人たちは、一体どこへ行けばいいのだろう。収容施設も、人数にかぎりがあるし、何より、半年ほどの期間がすぎれば必ず出なければならないとか。そもそも、この世に出てきたからには、この地球上にいることを許されているはず、という安心感がほしい。歩き続けていなさい、留まってはいけないという公共の場所ばかり。地球上のあらゆる場所が分割されて、たとえ1センチメートル四方といえども、誰のものでもない場所はなくなってしまった。一分の隙間もない地球に、後から生まれてきてしまった不幸者。狩りにでて、木のみを拾い、川で漁をしてなんとか飢えをしのぐことさえできない。土地は全部だれかの、あるいは国家の所有物。木の実一つとっても領有権を侵す泥棒の罪になる。しかし、昨日も今日も食べるものが何もないとは。

 おりしも、職場では給食の残りは全部捨てろと命令があった。給食用に出した食材であるから、給食の時にしか食べてはいけないそうな。未開封のパン、未開封の牛乳、未開封のデザートなど、ゴミが大量に出される。何という贅沢な安全コスト。かたや、居場所の無い人たちは毎日飢えている。現在の安心が贅沢であればあるほど、私は恐怖を感じてしまう。この贅沢の代償は何だろう。そんなにもコストをかけることは、誰のお許しなのか、と。完全完備した安全と美。そこに薄汚さを感じて、かなりの期間、コストのかからない生活を試みていた。

 夜、自分の部屋に入った。ここだけが自分の居場所。歩き続けなくてもいい、この場所。この場所に何日もこもっていたいと思った。いつかは奪われるその時まで。

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