【介助者とは何か:000603】

 介護保険導入によって、ヘルパー育成に力をいれている自治体が多くなった。

名古屋の民間レスパイト施設の会報誌で、ある障害者曰く。

「長年にわたり提供する者(健常者)の都合で作られ続けてきた福祉政策が、本当の意味で『利用者主体』の『ニーズから生まれるサービス』に変化していく日は、まだほど遠いかも知れない」とあった。まったく同感である。

そして、続いてこの言葉があった。「私自身も障害者であり、日々他人に介助してもらう中で生活を組み立てている。介助の「質」に拘らずにいられない。介助者の勝手な「押しつけ」でなく、いつも私の「必要に敏感」になる。そんな介助を受けたいと思う」とある。

 では障害者が「必要」とするものは何か。多分、限りなく健常者に近い生活をすることであろう。ここまでは私にも分かる。
ところが、一体どの健常者の生活を望むのか。健常者にも、生き方と行動がそれぞれ違うように、障害者も、生き方と介助のされかたの好みがそれぞれであろう。

 障害者の側からすれば一人の要求でも、介助者からすれば、それぞれの人生設計にあった多数のニーズに合わせることになる。
それは障害者が言うほど簡単なことであろうか。

 「介助者は障害者の意のままが望ましい」という主張は、その行き着く先は介助者の隷属ということになる。まごころで片づける雰囲気もある。仕事にまごころを要求するのは、ウーマナイゼーション、つまり女性化した仕事とされているものに共通している。つまり、従来女性の仕事とされてきたものが、職業化されたものが多い。

 「障害者は介助者を必要とするが、では、介助者は障害者を必要とするのであろうか」。この「問いかけ」が抜けたところでは、障害者は介助者を手足とみなす、とか、介助者の代替えはいくらでもいる、という驕りを感じる。

 相手の身になってとか、まごころとかの言葉で括られるが、生活まるごとニーズにあった介助というのは、ありえない。

 とにかく、ビジネスとして、仕事内容の明確化、細分化を図るのが大事なことだと思う。

 冷たいようだけれど、障害者の意識改革も必要かもしれない。

<<<

>>>