【越境滞在は悪か?:000823】
「西遊記」と言えば、孫悟空がでてくるので、懐かしい子どもの頃がよみがえる。猪八戒、沙悟浄、など、絵本に描かれた挿し絵と、自分の想像とが入り交じってしまった。誰しもが、私と同じく似ても似つかぬイメージを作っているかもしれない。孫悟空たちの荒唐無稽なエピソードとはうらはらに、三蔵法師はとても立派な高僧として物語はできていた。三蔵法師・玄奘は7世紀の初め、国禁を犯して中国から天竺、つまりインドに渡り、インド仏教の教典や知識を中国に持ち帰ったとされている。それがまた、遣唐使によって日本に伝えられたとも。17年にわたる旅は、およそ3万キロとか。雪と氷の天山山脈や、熱さと渇きのタクラマカン砂漠は辛かったに違いない。しかし、国禁を犯しての覚悟はまた別の辛さがあったことだろう。あの頃の越境は、死罪に値したかもしれない。
現実と虚構がない交じった物語であっても、三蔵法師の越境を、現代では誰も非難しない。むしろ禁を侵す勇気を褒め称え、文化の持ち込みに歴史的意味を見出してさえいる。
現代でも越境は各国で見られる。グローバル化が進んでますます多くなっている。ところが、密入国、または不法滞在者、はたまた、三国人とまで言われ、それだけで重大な犯罪を犯したかのように報道されている。
おかしい。
土地を移動しただけで、何故これほど断罪されなければならないのか。自分が住んでいる土地で生活できないとわかったら、どこか余所で生きる糧をみつけようとするのは、生物として当然の感覚ではないのか。秦の始皇帝の時代、苛政のために民衆が、また焚書坑儒のために知識人が海を渡った。いずれも生命の危険を感じて、大量に日本列島へ亡命し、高度な文化や技術をもたらしたとの説もある。
日本が乗っ取られるなどと言うのであれば、すでに大昔に自分たちの先祖が乗っ取った日本なのだ。また逆に日本からも、縄文時代には何か大きな出来事があったらしく、生きる地を求めてアメリカ大陸や、インドネシア方面まで逞しく渡っていった。そして、決まって取り上げられる「不法就労」なる言葉。 ああ。過去に移動した人たちも、野山の木の実を食べているだけではなかった。持てる技術を使って働いた。そのために文化が入り交じって、より多様な文化となった。考古学など、詳しいことは知らなくても、現代の歴史観では常識となっている。
過去の人たちの移動を良しとするならば、現代の人たちをも認めなければ、あまりにご都合主義ではないか。とはいえ、このご都合主義こそが世界中のイデオロギーとなっている。異議を唱えれば、些末な問題をあげつらわれて袋叩きにされる。そして、しばしば混同されるのが、植民地主義である。しかし、力による一方的な征服とはちがう。個人単位での共生を、何の理論でもって阻むのか。国家主義の汚らしい経済理論でしか、誰も答えていない。
折角、動物という生物に生まれてきた。此処がいやなら何処かへ生きる場所を求めて移動する。そういうDNAを進化させてきた真っ当な感覚を、何故、世界中が忘れるのか。
行き先は、あの世ばかりではないはず。
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