【人格とは?:00321】

 障害者と接する職業であるが、人格についてつい考えてしまう。ケンスケくんは、意志疎通が殆どできない。 人格とは一体何ぞや?
 人格を「意志」とか、「認識」とかにすれば、犬や猫の方によほど人格らしきものを感じてしまう。しかし、ケンスケくんを重んじようとする。同種族優先、という概念が働いているためであろうと自分では思っている。同種族として、自分の感情との互換性に望みを託して、自己満足でしかない一人芝居を繰り返している。

 同種族優先というが、この同種族をどこまで拡げるかは個人の人生観によると思う。哺乳類? 霊長類? ホモサピエンス? 人種? 同種族の枠を人種まで狭める人は、平気で人種差別が出来るのであろう。もっとひどいのになると、職場では職種まで狭めている人もいる。この手の類は、ケンスケくんと全く二人だけになると、話しかけはゼロにちかくなるから、異種と見なしているのだろうと思う。

 人格を貴重度で決める人もいる。貴重度で決めるのは、優生思想になるから表向きではみんな言わない。でも、この優生思想とは結局のところ、お金に換算しての優生でしかあり得ないのではないだろうか。要するに利用度が高いから貴重というわけで、その他のものと同じく、決して優れているから貴重というわけではない。

 この利用度とは、当たり前ではあるが、自分にとっての利用度で換算されている。だから、養護学校では障害者が王子様、王女様となってしまう。つまり、生活の糧に加えて、自己顕示欲、出世欲、名誉欲、を保障してくれるからである。職種の差で同僚を蔑む人が、障害者をバカ丁寧に扱う、そんな光景を日常茶飯事で目にしていると、そう思わざるを得ない。つまり社会とは違い、養護学校においては障害者の利用度が高いから、ホテル並の扱いをしているだけなのである。考えてみれば、たかが職種で人間差別する人が、知的障害者を同種族として、その人格を重んじられるはずがない。 

 私は人格に「共感」という概念を加味するしかないと思う。
宇宙の法則の果てに、とうとうこの世に生まれてきてしまった、という共感を。そうでなかったら、ウシ、ウマ、ウサギなど、哺乳類の中で、数が一番多いのは人間であるから、障害者ならずとも、これほど貴重度の低い動物はいない。

 ホモサピエンス=60億匹。
代替えもゴロゴロ。 掃いて捨てるほどいる。

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