【孤証は証ならず:000212】

 「甲山裁判、支援通信NO341」にこんな報告があった。
筑波大の客員教授ビル・クリアリーさんの冤罪についての講演の一部。

 「アメリカでは年に約1万人ぐらい、重い犯罪で起訴された人が無実なのに有罪判決を受けます。オハイオ州の大学の教授が冤罪のことを研究しています。裁判官、検察官、弁護士、及び警察官にアンケートをとりました。その結果によると、毎年1万人ぐらい、冤罪の試練を体験します。冤罪の原因は、何でしょうか?
研究結果によると一番の原因は、目撃者の間違いが起こりやすいことです。53%は目撃者の間違いから起きます。次ぎに11%の原因は偽証証言です。他の理由もあります。検察官の態度とやり方です。過度の熱意をもつ検察官は危ない。偏見のない検察官が一番よいとおもいます」

 日本では何の原因が多いのだろう。アメリカでは目撃の間違いとあるが、本当は偽証証言が多いのではなかろうか。
知人でも、裁判に疎い人は、冤罪をまさか、まさか、と言って信じようとはしない。戦前ならともかくも、まがりなりにも民主主義社会となっている現代ではあり得ない、という主張を何度聞いたことだろう。私も目を疑った。ええっ!!! 年間1万人?
そのうち、かなりの人が釈放されたとは思うが、しかし、それを獲得するまでに、どんなにか恐ろしく、空しい思いであったことか。

 つい先日2月7日にも草加事件で少年らの冤罪が確定した。
神戸事件と同じく、被害者の親が加害者とされる少年の親に賠償を求め、その民事裁判の過程で少年たちの無実が分かった、というもの。バカにしている。あまりにバカにしている。検察官は証拠の矛盾を覆い隠した。それが今回あからさまになった。過去の事件をいくつ見ても、検察官が故意にしたことの罪は問われていない。あらためて思う。日本での冤罪は何の原因が一番多いのだろう。

 「一人だけの思想は思想になりきれない」「孤証は証ならず」という言葉が頭の中で交差する。この世に誰一人として我が身の潔白を信ずる人がいない、という状況をどのように考えればいいのだろう。けた違いに軽いことだけれど、職場でこういう状態が我が身に降り懸かったことがあった。
忸怩たる思いは今でも忘れられない。

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