●ブライアン・ウィルソンとスマイル(その3)

いよいよ今月末に、ブライアン・ウィルソンのニュー・アルバム『スマイル』が発売され
る。いろいろと伝わってくる情報を勘案すると、(当たり前のことだが)60年代半ばに完
成できなかったビーチ・ボーイズの未発表アルバム『スマイル』の再現と捉えるべきもの
ではないと思う。ブライアン・ウィルソンという一人のアーティストが、かつてのパート
ナーであるヴァン・ダイク・パークスや現在のパートナーであるワンダーミンツのダリア
ン・サハナジャなどの周囲の助けを借りて、改めて世に問う新しい作品として捉えたほう
が良いのであろう。
『スマイル』が作られようとしていた時代(すなわち1966年から1967年)は、アメリカ、
そしてロック・ミュージックは大きな転換期を迎えようとしていた。ヴェトナム戦争への
アメリカ兵の派遣は50万人にも達しようとしていたし、各地では公民権運動に端を発する
暴動の嵐が吹き荒れていた。音楽の世界でも、1964年のビートルズ・アメリカ上陸に始り
、ローリング・ストーンズやハーマンズ・ハーミッツなどのブリティッシュ・インヴェイ
ジョンが進行していた。『スマイル』でのブライアン・ウィルソンのパートナーであり、
作詞を担当したヴァン・ダイクは、”ヴェトナムにもビートルズにも負けないアメリカイ
ズム”を『スマイル』にこめたというような発言している。そのような状況が40年近い過
去の話となってしまったいま、ブライアンによる新しい『スマイル』はどのように響くの
か。ビーチ・ボーイズも知らない、『スマイル』のブートレッグも聴いた事のない一般の
音楽ファンにどのくらいアピールすることができるのか。そのような興味はつきないが、
それでも敢えて現在この音楽を世に問い直そうとするブライアンの姿勢には敬意を表した
い。
そのようなブライアンのアルバム『スマイル』だが、先だって行われた「スマイル・ツア
ー」と同じく、大きくは3つのパートから構成されているようだ。前回のエッセイで紹介
した曲目を参照してもらいたいが、1曲目の《アワー・プレイヤー》から6曲目の《キャ
ビン・エッセンス》までが1つめのセクション、7曲目の《ワンダフル》から10曲目の
《サーフズ・アップ》までが2つめのセクション、11曲目の《アイム・イン・グレート
・シェイプ/アイ・ワナ・ビー・ラウンド/ワークショップ》から《イン・ブルー・ハワ
イ》までが3つめのセクション、最後の《グッド・ヴァイブレーション》はアンコールお
よびブライアンからの音楽ファンへのメッセージ的な側面で収録されているのではと想像
する。
これらの各セクションに収録された曲は、それぞれ共通したテーマをっていると言われて
いる。この曲どうしの関連性が、『スマイル』の大きな特徴の一つである。そのようなコ
ンセプトでアルバム全体を構成する発想というのは、この時点でのロックには存在しなか
った。そのようなことから、『スマイル』と現代音楽の類似性を指摘する人もいる。確か
に、ブライアンが大きな影響を受けたというガーシュインの《ラプソディ・イン・ブルー
》といった曲との共通性は見出すことができる。『スマイル』に収録された音楽は、プロ
グレッシヴ・ロックやサイケデリック・ロックなども存在しなかった当時のロック音楽か
ら、いや現在の音楽全体を見渡しても大きくはみだししていることは間違いがない。
『スマイル』の3つのセクションの中から今回は1つめのセクションを取り上げ、そのコ
ンセプトについて言及してみたい。このセクションに含まれた曲では、西部開拓や奴隷貿
易に始るアメリカの歴史やアメリカの風物詩が曲の中に盛り込まれている。1曲目の《ア
ワー・プレイヤー》はビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバム『20/20』で公式に
発表された曲だ。荘厳なアカペラ・コーラスで”我々の祈り”が奏でられる。ブライアン
の最初の来日公演のときのオープニング・フイルムと一緒に、この曲がホールいっぱいに
響き渡った瞬間は鳥肌がたったものだ。この曲と一緒に入っている《ジー》は、ザ・クロ
ウズというドゥ・ワップ・グループのヒット曲ということだが、これまでは《ヒーローズ
・アンド・ヴィランズ》の1つの断片として知られてきた。なぜ《ヒーローズ〜》の断片
がドゥ・ワップのヒット曲なのかという疑問が僕の中に長年あった。ブライアンの単なる
思いつきかユーモアかも知れないが、《ジー》という単語を辞書で引くと”(馬に向かっ
て)急げ”というような意味があることがわかる。それでなんとなく合点がいく。アルバ
ムでは、続く《ヒーローズ〜》への橋渡し的な役割で収められたと考えられる。そうか、
その後に続くトロンボーンの部分というのは、本編へのファンファーレのような役割と共
に馬のいななきを表しているに違いない。
その本編の1曲目ともいえる《ヒーローズ〜》では、アメリカを植民地支配したスペイン
人と先住民族であるアメリカン・インディアンの混血の女の子のことが歌われる。ヴァン
・ダイクの書いた歌詞では、”彼女は弾丸の雨の中で倒れ、その魂はいまもダンスを踊り
続けている”とある。それに続いて”英雄と悪漢どもよ、自らの罪を知れ、アメリカン・
インディアンにしたことを”と歌われるのだ。60年代半ばにアメリカがヴェトナムにして
いたことを考えると、ヴァン・ダイクの書いた歌詞は痛烈なメッセージとなっていたはず
だ。現在のアメリカがイラクにしていることを考えてみても、ブライアンが再びヴァン・
ダイクと組んで、現代に『スマイル』を問い直す意義も少しわかる気がする。
続く《ロール・プリマス・ロック》は、《ドゥー・ユー・ライク・ウォームズ》として知
られてきた曲のようだ。この曲は、メイフラワー号でプリマスに到着したピューリタンに
よる西方開拓に関することを歌っていると思われる。これまでブートレッグなどで聴けた
音源では、大海原を船が進んでいくようなイメージの音楽とインディアンの”ンガガガ、
ンガガー”というコーラスに《ヒーローズ〜》のメロディが交錯し、西方開拓の果てであ
るハワイアン・チャントで幕を閉じる。一言で言うと不思議な曲だ。ヨーロッパ人による
北米の植民地政策では、黒人奴隷ばかりではなく、先住民のインディアンも捉えて労働力
としていた。もともとのタイトル《ドゥー・ユー・ライク・ウォームズ(虫は好きかい?
)》というのは、虫をついばむニワトリのイメージを、2輪馬車で先住民達を追いかける
ヨーロッパの侵略者達になぞらえたものだと考えられている。そのような歴史の上に成り
立つアメリカの歴史を、なんとも摩訶不思議な音楽で表現したものである。続く《バーン
ヤード》は開拓後に出来た農場を表現しているようだ。動物の鳴きまねも入っている(ビ
ートルズが『サージェント・ペパーズ〜』に収録された《グッド・モーニング・グッド・
モーニング》で動物の声のSEを入れるのは1年後だ)。《オールド・マスター・ペイン
ター/ユー・アー・マイ・サンシャイン》はブライアンのオリジナルではなく、2曲とも
アメリカのポピュラー・ソングだ。ブートレッグで聴けた音源では、スタジオ・ミュージ
シャンのライル・リッツによるチェロが印象的だった。《ユー・アー・マイ・サンシャイ
ン》はナット・キング・コールやレイ・チャールズでもお馴染みの本来明るいカントリー
・ソングだが、ちょっと聴いただけではわからないほど暗いアレンジで演奏され、崩れる
ように終了するのである。この2曲がなぜ『スマイル』に収録されているのかは不透明な
部分が多かったが、きっとこれから明らかになることだろう。そして最後は、文明による
変化・変質をテーマにしていると思われる凄まじい曲《キャビン・エッセンス》である。
この曲については、以前にも書いたことがあるが、呑気な曲だと油断していると最後にド
ーンと大ドンデンん返しをくうような曲だ。『スマイル』の音源に初めて出会ったころは
、《ドゥー・ユー・ライク・ウォームズ》や《キャビン・エッセンス》を聴くとマジで空
恐ろしくなったものである。ブライアンは明らかに”何か”に取り付かれたような状態で
、これらの曲をレコーディングしていたに違いない。執拗に繰り返される《ヒーローズ〜
》のタイトル部分のメロディが、それを物語っているように思う。これらの曲の殆どのバ
ッキング・トラックは、例によってビーチ・ボーイズのツアー中にレコーディングされて
いる。つまりブライアンの進化する音楽性を阻害する人は、まわりにいなかったわけだ。
ブライアンの集中力と創造性は、この時点ではまだ枯渇していなかった。