ビールの洗礼

12月23日(月)
 まずはホテルの朝食にでかける。
 ここのホテルはデュシット傘下に入ってからサービスが格段によくなったそうで、朝食もその例に漏れない。なにせ各種のおいしい食い物がふんだんに盛られていて飽きることがない。
 思い出しただけあげてみよう。数種類のコーンフレークとそのトッピング(以上シリアルの部)、暖かいクロワッサン、丸パン、くるみパン、トースト、キッシュ、各種タルトにバター、ジャム、マーマレード(以上パンの部)、かりかりのベーコン、ハムステーキ、ソーセージ、オムレツ、目玉焼き、スクランブルエッグ(以上洋食の部)、シーザースサラダ、チシャサラダ、キュウリとトマトにフレンチドレッシング、イタリアンドレッシング、中華ドレッシング(以上サラダの部)、ご飯、チャーハン、焼きそば、焼きビーフン(以上中華主食の部)、レッドカレー、イエローカレー、野菜と肉の炒め物各種、羊のロースト(以上日替わりの部)、お粥(プレーン、海老、豚肉、鶏肉のうち毎日三種:以上お粥の部)、スイカ、パパイア、マンゴー、メロン、パイナップル(以上フルーツの部)、各種ヨーグルト(プレーン、イチゴ、フルーツの三種:以上ヨーグルトの部)、牛乳、グァバジュース、オレンジジュース(以上ジュースの部)。あと、コーヒーと紅茶は好きなだけついでくれる。ああ、去年のベトナム以来の豪勢な朝食だ。
 しゃあさんはお粥が気に入ったらしく、とてもかわいらしい満面の笑顔パート2(パート1は時計をオマケにもらったとき)で、もふもふもふと食べていた。

ホテルから見たマーブンクロンセンター近辺

 そして隣のマーブンクロンセンターへお買い物。
 ここはデパートというより各種の店が雑然と集まったところで、ショッピングアーケードというよりは立体的闇市と呼びたくなるくらいごちゃごちゃとしている。秋葉原のラジオ会館ってありますよね。ああいう店構えで、あれの十倍くらいの売り場面積を誇り、だけど通路の狭さは同じ。しかも売っているものはTシャツからスカートから海賊版ゲームソフトから携帯電話からお菓子から家具からタイ土産の象の置物までなんでもある。上に行けば、映画館から食堂からボウリング場からゲーセンまで、ありとあらゆる遊び場がある。
 ここでTシャツを買う。一枚九十九バーツ。ポロシャツは百九十九バーツ。この「九十九」というところの格安感が涙を誘う。
 ここでしゃあさんはTシャツやらシャツやら上着やら買いこみ、あまつさえ私のデイパックの値段交渉までしてくれたのだが、その値引きのテクニックには頭が下がる。タイのような国では値引きの交渉は当たり前、ということを頭でわかっていても、私はどうしてもそういう交渉が下手なのだ。

 ここでしゃあさんと私の値切りかたを比較してみようか。同じ品物を同じ店の同じ店員と交渉しても、私の場合はこうなる。

私、値札を見て、四百バーツだというのは承知しています、でも、ひょっとしたら、もしや、などと弱々しい期待をおずおずとした態度にこめながら「……はうまっち?」
店員、この値札が見えないか、当たり前だろという傲然とした態度で「四百バーツ」
私、かすかに弱々しいかぶりを振り、いやでも、私にはそんな金ありましねぇだ、お代官様どうかお慈悲を、という弱々しい懇願の態度で「……三百五十バーツ、いやぃ?」
店員、ええいならぬものはならぬ、四百バーツ、今すぐ耳を揃えて出さぬと打ち首じゃ、と言わんばかりにますます傲然として「四百バーツ、ジャスト!」
私、目尻の涙をひそかに拭き、しかしわれら百姓、このままでは飢え死にしかないですだ、なにとぞなにとぞ、いまひとつのお慈悲を、お願えしますだ、と土下座しながら「…………三百八十バーツ……?」
店員、傲然とした態度をふとゆるめ、いたしかたない、お上の特別の思し召しじゃ、ありがたく頂戴するがいい、という態度で「オーケー、三百九十バーツ」
私、感動の涙にうち震えながら、あああなたさまはわが恩人です、この十バーツのご恩は一生忘れません、いや村の鎮守様におまつりして子々孫々伝えていきます、と店員の手をおしいただいて「さんきゅー、さんきゅー」と四百バーツを渡し、あまりの感激に釣り銭も商品も忘れてよろばい去ってゆく。店員、もう来るんじゃないぞ、と刑務所の看守的視線で私を見送る。

 しゃあさんの場合だとこうなる。

しゃあ、品物を店員に渡し、傲然と「はうまっち?」
店員、「四百バーツ」と答えるが、しゃあ、それを聞かずに店の奥にある電卓を指さす。店員、電卓に「400」という数字を打ち込み、しゃあに渡す。
しゃあ、ふんと鼻で笑い、「400」を消して「200」と打ちこむ。
店員、大仰な身振りで手や足を振り回しながら、とんでもない、これはいい品物で四百バーツでも安いくらいなのだ、と主張するが、しゃあ、傲然と無視する。店員、やむなく電卓に「350」という数字を打ち込む。
しゃあ、やにわに電卓を店員から奪い取り、「230」と打ち、しかもメモリーセットして消去できないようにする。店員、数字を消そうとするが消せないので涙を流し、この製品はこれ以上値引きできないのです、これ以上安くすると原価割れして私は路頭に迷う、としゃあの袖を引き訴える。
しゃあ、かすかに鼻で笑い、メモリーセットを解除。店員、これが最後の値引きです、これ以上はどうあっても無理です、という態度を全面に表しながら「300」と打ち込む。
しゃあ、「ならいらないわ」と言い捨て、無慈悲にも店を出ようとする。店員、必死に押しとどめ、どうか出ていってくれるな、私の首がかかっているのです、と泣きながら訴える。
しゃあ、ならば、と電卓に「250」と打つ。店員、涙を流しながら「オーケー、オーケー」と連呼し、しゃあから250バーツを受け取る。しゃあ、店を出る際に、「オマケにこれももらっていくわね」とキーホルダーを持ち去るが、打ちひしがれた店員はそれを止める気力もない。

 ううむ、はたしてこのふたりは同国人なのであろうか。
 しゃあさんはこの卓越した値切りテクニックで、ブラウス五枚千二百バーツを九百バーツに、カンフー風の上着五百五十バーツを四百バーツに、私のデイパック四百五十バーツを二百八十バーツに値切っていた。
 もっともさすがのしゃあさんも、九十九バーツのTシャツは値引きできなかったようだ。まあここはもともと安いところで、ここの九十九バーツのTシャツがカオサンやパッポンの土産物屋で三百バーツに化けるのだからして。しゃあさんの罪ではない。

 マーブンクロンに隣接した東急のスーパーで、今度は食材を買いあさる。
 カレーペースト各種、お湯をかけて一分というフリーズドライカレーとフリーズドライトムヤムクン、ココナツミルク、各種インスタントラーメン、チョコレート、クッキー、タイ限定スナック菓子、ビール、ジュースなどなど。
 レジの店員は、この外国人なにごとならん、と驚愕の目で見ていた。こんなに大量で、しかもまとめ買いならともかく、バラバラの商品を買い込むものだから、レジ打ちに手間がかかるかかる。総額五百バーツ程度だが、レシートの長さがあわや五十センチに達しようかという勢いだった。

 いったんホテルに戻って戦利品を整理し、またもや買い物へ。
 今度はマーブンクロンよりやや上等の、ワールドトレードセンターへ。伊勢丹デパートや、ゼンという日本資本っぽいデパートも入っている。
 ここでしゃあさんはガラスのペンダントやイヤリングなど買い込む。さらにバナナチップスを六袋買い込む。
 本屋にも寄ってみたが、日本の本はやはり高値だった。伊勢丹の食料品売場にも行ってみたが、やはり日本人の奥様むけの高級食材といった感じ。カニカマがなぜかこちらでは高級食材扱いで、上寿司盛り合わせにも堂々と混ざっていたり、クルマエビやハマチより高値だったりするのは妙だが。

シンハビアガーデン

 そろそろ暗くなってきたので、ワールドトレードセンター前広場のビアガーデンへ。クリスマスが近いせいか、イルミネーションが美しい。
 ここは広い会場を三つに区切り、クロースター、シンハ、カールスバーグの各社がブースを作って客を集めている。ブースのまわりにはいろいろな屋台があって、でかいテナガエビやマスの炭火塩焼きをこしらえたり、鶏の丸焼きをこしらえていたり。ステージもそれぞれ独自に作って独自にバンドが演奏し、よそには負けじと大音響を鳴り響かせているので、うるさいことこの上ない。
 とりあえずバンコクに敬意を表してシンハのブースに入る。シンハのカラーらしい黄色い上着のウエイターが案内し、注文を取る。はじめはビールだけ注文して、屋台をうろうろして料理を選ぼうと思っていたが、英語が通じにくいそのウエイターは、ビールを頼んでも立ち去らずに悄然としているので、つい彼の持つメニューから選んでしまう。選びはじめると止まらないのが私としゃあさんで、つい頼みすぎてしまった。
 豚の喉炙り肉は、柔らかくて脂が乗っていてうまい。ラープムーとかいう焼き肉サラダは、トウガラシがごろごろして激辛。ビールが進む進む。インドネシア風のサテーは、ピーナツソースも甘口で、激辛の口直しにはちょうどいい。ソーセージは見た目ほどおいしくなかった。料理にピッチャーふたつで、総計六百バーツくらいだったかな。
 そしてシンハをピッチャーで頼んで飲む。ピッチャーといっても、大ジョッキをひとまわり大きくしたくらいのものだが。しかしここで、タイのビールの飲み方がビアガーデンにとても適していることを発見してしまった。
 ビアガーデンは屋外の空気に触れながら飲むところに醍醐味がある。昼間の熱気が残る空気のなか、ひやりと頬を撫でるひとすじの涼風。ほてる身体に流し込む冷たいビール。喉を通り食道を経て胃にたどりつくまで感じられる温度差。これぞ夏の楽しみ。
 ところがビアガーデンにはビールの劣化問題という、避けて通ることのできない大問題が存在する。すなわち、最初はきんきんに冷たかったビールも、外気の中に置いておくとすぐぬるくなってしまうのだ。この問題は大ジョッキやピッチャーなど、大型のグラスの場合にとくに重大である。これを避けて、小さいグラスでこまめにビールを頼めば、常に冷たいビールが飲める。しかしこれはせわしすぎる。外気を楽しむという、ビアガーデンの悠然とした気持ちにはなりにくい。
 ここで登場するのが、タイ式ビールの飲み方である。タイに限らず東南アジアに多いが、ビールに氷を入れて飲む。だからピッチャーのビールがぬるくなっても、またグラスに氷を入れてビールを注げば、冷たいビールが飲める。タイ方式の方が、日本方式よりもビールの劣化には強いのである。

 いいかげん酔っぱらい、ふらふらとホテルに戻る。
 しかし酔っぱらいながらも、しゃあさんは前夜に味を占めたkasumi嬢ご用達の甘いあま〜いクレープ屋さんに寄ることを忘れないのでした。私はいいかげん酔っぱらってもホテルで缶ビールを飲むのを忘れないのでした。


戻る          次の日へ