タイ日記その6:バンコク貧富譚

11月7日(日)
 今日は疲れたので、思い切り怠惰にしてみるつもり。
 七時頃周りが騒がしく目覚める。隣で共同シャワーを使う音、トイレを使用後、バケツで水を流す音がひっきりなしに聞こえる。しかし、ファンを最弱にして再び寝る。晴れているが乾期の気候は涼しく、風が心地いい。
 九時頃起き上がり、ようやく顔を洗う。なにしろこの部屋には洗面台もないので、いちいち鍵をかけてシャワー室まで行かねばならぬ。
 下に降りて朝食をとり、10時頃ようやく出発。ワットポーに行ってマッサージを受けようという、きわめて怠惰な企画。

 ところが船着き場がなかなか分からない。通路が狭い上、英語表記がないのだ。これはどこの船着き場にも共通して言えること。ここかと思って入り込んだらユニセフの建物だったり、レストランだったり。分かりにくい。これは、「地球の歩き方」の地図が実際と違っていたせいもある。断じて私の方向音痴のせいではない。しかし、船着き場は狭い。薄暗い。雑然としている。

 二十分ほど待ったか、ようやく船が到着。数人の乗客と一緒に乗り込み、「タ・ティエン?」と聞くと4バーツ請求された。五分も乗っただろうか、それらしき船着き場に到着。観光客らしきのがぞろぞろ歩いている。それについて入場。
中国人西欧人 寺院内は広く、きらきらしい。あちこちに老子のような中国人像が門を守護するように立っている。それはいいが、同じように守護しているように立つ西洋人らしき像はいったいなんなんだ。

 

 

 

寝釈迦 寝釈迦像はさすがにでかい。ああもでかいと、つい仮面ライダーXに出てくるキングダークを連想してしまう。

 寺院もおもしろいが、とにかくマッサージだ。と意気込んで行ったら、あら、行列している。整理券を渡されて待つように言われる。
 やっと私の番だ。藤田弓子をちょっと怖くしたようなおばさんが担当。それにしても私の表現は、「誰々を怖くしたような」というのがやたら多いな。それだけ怯えていた、ということでしょうか。
 このマッサージ、結構ハードなのだ。ピピ島のマッサージはソフトだったが、ここのは指圧という感じ。それも小太りのおばさん全体重を指にかけてくるのだ。指をぼきぼき言わされること数十回、腰をぼきぼき言わされること数回、いやハードでした。

ワットアルン せっかくだからワットアルンにも行こうと渡し船に乗る。こちらの観光客は少なかった。やはりまだ塔に登れないからか。でも、近くでみるときらきらして、いっそう美しい。夕暮れでないのが残念だが。
 ワットポー側の船着き場に戻り、ちょっと早いが帰ろうとしたのだ。船に乗る。その船が反対の下流に流れていったのは、断じて私が道に迷ったのではない。「バンランプー?」と聞いた私の言葉にイエスと答えた船員が悪いのだ。

 慌てて降りた次の船着き場。ここはラチーニという野菜市場のあるところらしい。せっかくだからちょっと覗いてみるか。おお、あるある。香菜、白菜、緑や赤や黄色の大小さまざまの唐辛子。菊の花。果物。ミカンを半キロ10バーツで買ってみる。三個だった。はっさくを酸っぱくなくしたような感じですかすかしている。ちょっと失望。この市場で食事を頼む。卵と豚バラの煮込み。骨ごとぶつ切りにしてとろとろ煮込んだらしく、細かい骨が残って食いにくいが、髄のゼラチンが溶け出して美味い。

 昼食を食べて少し元気が出てきた。バスに乗り、王宮へ出かける。王室が現在も使用しているだけあって、警戒が物々しい。あちこちで軍人が警備していて、ちょっと変なところへ行こうとするとすぐ警告される。
 行列に並んでチケットを買う。125バーツ。ちょっと高いと思ったが、これは王宮とワットプラケオ、ウィマンメーク宮殿の入場料も兼ねているのだ。
ワットプラケオ ワットプラケオは、まあ、皆さんご存じでしょう。きらきらしさも頂点に達した感じだ。エメラルド仏も、ああ高いところでは翡翠だかエメラルドだかプラスチックだか分かりませんな。
 王宮は一部しか公開していない。白い制服の警備兵が直立不動でいる。それと並んで観光客が記念撮影するのも、やはりタイと言うべきか。バッキンガムじゃあんなことせんもんね。
爪寺院 王宮の中で、ひとつ、人間の爪の長く伸びた指に囲まれた建物があった。ちょっと気持ち悪い。「黄金の手」なのだろうか?

 結局宿に戻ったのは五時過ぎ。クロークで聞いてみたら、シャワー、トイレ付きの部屋は今日もいっぱいで入れないとのこと。おいおい、話が違うじゃないか。
 どうもタイ式のトイレは使いにくい。ペーパーでなく、バケツに汲んだ水で尻を洗い、かつ排泄物を流す方式なのだ。ペーパーは濡れた尻を拭くのに使い、トイレでなく横のごみ箱に捨てる。試行錯誤の結果、水で尻を洗うのでなく、尻を拭いた手を洗うようにするとうまくいくことがわかった。それにしても尾籠な話ですんません。

今日の収支
 残金 1300バーツ
 朝食 50バーツ
 船 4バーツ
 ワットポー入場料 20バーツ
 マッサージ 1時間200バーツ
 渡し船 往復で4バーツ
 ワットアルン入場料 10バーツ
 喜捨 5バーツ(少ないなあ)
 間違えて乗った船 4バーツ
 ビール 35バーツ
 髭剃り、石鹸 70バーツ
 ミカン 10バーツ
 昼食 60バーツ
 バス 8バーツ
 王宮入場料 125バーツ
 船 4バーツ
 水 7バーツ
 宿泊 100バーツ
 夕食 160バーツ
 洗濯 20バーツ
 残金 400バーツ

11月8日(月)
 涼しくて腹を冷やしたのか、水分の取り過ぎか、それとも疲れか、初めて下痢をした。二時間おきに財布を掴み、鍵をかけては共同トイレまで走る。めんどくさいな。冷えた下痢だから征露丸も効かない。

 予定外だが宿を変わることにする。カオサンより静かだと聞いてワットチャナソンクラム近くの宿にしたのだが、昼間は工事、夜はドミトリーで鳴らす大音響のテレビ。清潔で涼しいのはいいのだが、部屋にシャワーもトイレもなく不便だ。
 チェックアウトし、まずは航空券のリコンファーム。バンコクに電話ボックスは多いが、使えるものが少ないのだ。金を入れると素通りして出てくるやつとか、なにも聞こえないやつとか、ひどいのは金を入れてもうんともすんとも言わず、金も返さず、ただ液晶に「ERROR 505」と表示されるものもある。ビルゲイツの回し者かおのれは。
 ようやく使える電話を捜し当て、航空会社へ電話。意外なほどすんなりと話が通じた。ほっ。

 船でシリラート病院へ。ここには日本の鬼畜系人間に有名な、法医学・解剖学博物館があるのだ。よほど有名らしい。入り口に、「博物館」と日本語で書いた矢印があった。日本人だけなのか、鬼畜系は。
 博物館は広い病院のいちばん奥の方。矢印が至る所にあるので、私のようなものでも迷わず辿り着けた。二階へ上がる。
シリラート病院 そこに殺風景な別世界が。まず迎えたのは骸骨標本。男だなこれは。その向こうにはミイラ化した人間が。これが有名な、連続婦女暴行殺人犯人、シー某の標本である。死亡時のキャストと、ミイラ化した本人が展示してある。いいのか、こんなことして。
 まあ、これは犯人だからしょうがないとして、奥にはどうも被害者らしい、女の腰部でちょうど子宮のあたりがえぐり取られている、ジャック風の標本もあるのだ。これ、何の罪もない被害者だよな。うむむむ、いいのか。
 と思ってよく見ると、この博物館は圧倒的に被害者のほうが多いのだ。法医学の教育資料としてだろう、銃弾とそれで撃たれた骨や臓器が並べて展示してある。他にも、ナタで一撃された頭蓋骨、ナイフが貫通した心臓など。残念ながら写真撮影禁止だったので、記憶した限りを、下手なスケッチでこちらに
 標本でなく写真も数多い。列車に轢かれ頭がちぎれた死体、タイヤの跡が残る自動車事故の被害者、手榴弾で首がもげた死体、キッチンのガス爆発で黒焦げになった三つの死体、などなど。
 それはわかるとしても、絞首刑の縄まで展示するのは教育効果があるのか?
 胎児も多数展示していた。奇形児はあまり目立つものがなかった。腫瘍のできた胎児、小頭症の胎児、みつくちの胎児くらいか。とてもリタ=クリスティナのような華麗なものはなかった。
 入れ墨の皮膚の展示もあったが、こちらの入れ墨は西洋の水夫が肩に入れるような小さな単色のものなのだな。改めて入れ墨芸術は日本固有のものだと思った次第。
 中学生くらいの見学が多かったが、中にはカップルで、ぴったり寄り添いながら親しげに死体写真を鑑賞しているのがいた。五年後にはあっぱれな鬼畜系に育つであろう。

Sawadee Bangkok Inn さてと、部屋探し。荷物を抱えてカオサン通りへ。すでに人だかりが出来ている。DDインへ行ったが、何とすでに満室だとか。しかたがない、次善の評判の、サワディー・バンコク・インにしよう。入り口への狭い路地にいざりが座っているが、無視して進む。こちらもエアコンルームは満室だったが、なんとかシャワー、トイレ付きのファンルームを確保。320バーツ。ううむ、ここはタイで泊まったもっとも狭いホテルだ。でもトイレが部屋にあるのは心強い。テレビもあるし、タオルまであるなんて、なんて高級! と安宿に慣れた身では思えるのだ。

 明日と明後日はバッポン通り近くに泊まって、バンコクの最低と最高を見極めてやろう、と思い、旅行代理店へ。狙っていたバッポン通り近辺のホテルは扱っておらず、シーロム通りのナライホテルにした。1550バーツ。コミッション付きで1750バーツ。これだってとても泊まれないと諦めていた高級ホテルだ。カオサンから移るとびっくりするぞ。きっとボーイが制服を着ていたりするのだぞ。ロビーに冷房があったりするのだぞ。部屋に冷蔵庫がついていたりするのだぞ。テレビにリモコンがあったりするのだぞ。しかも、空港行きのエアポートバスがホテルに来たりするのだ。きゃあっ。

 夕方になって少し元気が回復したので街に出る。市場でバッグを購入。ずっと使っていた香港製のバッグも、そろそろいっぱいになってきたのだ。しかし私は、日本製のバッグを買ってないな。カオサンで偽プレスカードを購入。会社名を「雑文日記」か肩書を「雑文ライター」にしたかったのだが、その部分は変えられないと言う。やむなくパスポート番号の欄に「雑文デイリー」と記入してごまかす。
 ビールを飲み、少し買い物。この悪趣味なカオサン通りでもっとも悪趣味だと思ったTシャツを購入。ウィスキーのボトルを購入。あまり値切れなかった。どうもこういうのは苦手だ。

 テレビをつけるとドラキュラの映画をやっている。喜劇仕立てらしい。ああ、ドラキュラ伯爵がグルーチョ・マルクス、ヘルシング教授がバスター・キートン、イゴールがハーポ・マルクスで馬車の運転手がチコ・マルクス、ジョナサン・ハーカーがハロルド・ロイドでミナ・ハーカーがセルマ・トッドという映画がどこかで作られないかなあ。

 またカオサンに出る。今度は学生証を作る。「雑文大学」にしたかったのだが、誤字があまりにおもしろいので結局そのままにする。なるほど、彼らは会話は達者だが読み書きはうまくないのだな、と妙な優越感を抱く。
 バーでメコンとソーダ。大量の氷を入れると妙に美味いのだなこれが。スキヤキと称するものをつまみに頼んだが、トムヤムクンのような壺に牛肉と葱を煮込んで卵を落とし、醤油で味付けしたそのものであった。やはり唐辛子は効いていた。花売りの少女が来る。こちらまで来たら写真を撮らせてもらおうと待ち構えていたのだが、幸せ薄い私は通り過ぎて奥の幸せそうなカップルに売りつけにいった。しくしく。
 カオサンは結構物乞いが多い。花売りは商売だが、いざりは空き缶をかかげて金をねだっていたし、「学校に行きたいのですがお金がありません」というプラカードを持った少女もいた。
 タイは基本的に豊かな国だと思う。というのは、子どもが綺麗な服を着て、屈託なく笑っているからだ。これは南部の田舎でも、バンコクでも同じ。物乞いは外国人の多いカオサンの特殊現象だと、思いたい。日本の焼け跡闇市のように。

今日の収支
 残金 400バーツ
 両替 5万円のトラベラーズチェックを17974バーツ
 船 4バーツ
 病院へ寄付 10バーツ(寺の倍なのはなぜなのだ!)
 揚げパン 3個18バーツ(甘かった。残念)
 船 4バーツ
 ビール 40バーツ
 宿 320バーツ
 明日と明後日の宿(予約) 3500バーツ
 酒、水等 212バーツ
 夕食 27バーツ
 バッグ 199バーツ
 カセット 85バーツ
 プレスカード 100バーツ
 ビール 60バーツ
 焼き鳥 20バーツ
 Tシャツ2枚 360バーツ
 ウィスキーボトル 550バーツ
 メコン&ソーダウォーターズ 300バーツ
 学生証 80バーツ
 西瓜 10バーツ
 残金 12500バーツ

11月9日(火)
 ううむ、二日酔いだ。メコンを一瓶、宿に戻ってタイのワインとかいう怪しげな酒を呑んだからな。
 ホテルを出てタクシーに乗る。トゥクトゥクを探したがなかったのだ。まあいいや、高級ホテルに乗りつけるのだからな。

王侯貴族のホテル しばらく大きな通りを通って、いよいよナライホテルに到着。中に入ると、おお、ロビーが広い。コーヒーショップもある。レストルームもある。部屋に案内されて一驚。きゃあ、豪勢なダブルベッド。むろんエアコンもある。バスルームも広い。むろんバスタブもある。タオルもテレビも冷蔵庫もある。陳腐な感想ながら、こう言わざるを得ない。「まるで王候のようだ」私の考える王侯は、ずいぶんと安上がりなのだな。あまりに豪華なのでとりあえずうれしくて、バンザイなどしてみる。
 少し休んでタニヤ通りに向かう。ここは日本人御用達の通りだ。日本語の看板が至る所に立っている。全部クラブだ。

 ここのタニヤプラザへ。洋書の店でタイ料理の本とタイの熱帯魚の本を買う。日本書の店でバンコク情報誌を買う。週刊プロレスを見つけ、嬉しいので買ってしまう。ああ、三沢はベイダーに負けたのか。やっぱり社長としてすべてをかぶり過ぎるよ。なんだか力道山死後の日本プロレス社長、豊登とかぶってきた気がするのは自分だけだろうか。まあ、今の全日本には遠藤幸吉や芳の里のような悪辣な人間はいないと思うが、それでも、馳浩と百田兄弟が組んで三沢と川田の足利工コンビを追い落とし、小橋をエースに擁立するくらいのことはあるかもしれないのだぞ。

 タイの飲料はみな甘い。氷を大量に入れて飲む習慣なので、濃いめに作っているのだという説があるが、そうかもしれない。シンハビールも同じ理由でアルコール度数と味が濃いという話だし。コーラはペプシが主流。ジュースはミリンダとセブンアップがファンタよりやや優勢。これらのジュース、色が恐ろしい。日本でも昭和40年代までは合成着色料入れまくりだったが、その時代を彷彿とさせる。日本ではあのころ、ファンタグレープがゴールデングレープになったんだよな。タイのファンタはタイ語表記なので、ファンタのアルファベット以外は読めない。従ってメロンなのかグレープなのかスイカなのかマンゴなのか、よくわからない。オレンジ色と赤と緑と紫色がある。開栓して覗いてみると、かき氷のシロップのような鮮やかな色。味も、シロップを炭酸に溶いたような味がする。

 道を歩いていると何度も呼び止められる。マッサージの客引きだ。小さなカタログを掲げてしきりに誘う。ヌードの女性が並んでいる。本当にマッサージなのか。バッポンと歌舞伎町、どちらが怖いのだろうか。いちど誘いに乗ってみると面白い体験なのだろうが、ちょっと怖いからなあ。

スネークショー そこからスネークファームへ行く。病院の付属施設で、資金調達のため蛇のショーを見せているところ。まずスライド上映の後、ショー。コブラやサンゴヘビ、バイソンなど続々登場。コブラを怒らせたり、毒牙から毒液を採取して見せたり、蛇に蛇を食わせたり、いろいろとやってみせた。
 このままルンピニーでムエタイを見に行くつもりだったが、ちょっと吐き気がする。どうも体調が悪い。ホテルに帰ろう。

 

191

 途中でセブンイレブンに寄る。ワインクーラーを買って、雑誌のコーナーを見ると、おお、「191」があるではないか。これは鬼畜系の死体満載の雑誌なのだ。カウンターに出すと、おねいさんは、「本当にこれを買うのか?」としきりに聞く。外国人だし、週遅れでもあったのだろうか。「買う」というと、ニヤリと笑って袋に入れた。やれやれ。こういう雑誌や昨日の法医学博物館を見ると、タイで死ぬのだけはやめておこう、とつくづく思う。死体写真の他にも、UFOの写真があったり、セクシーピンナップ(とはいっても下着まで)が載っている、タイの東スポの如き雑誌だ。

 ホテルで二時間ほど寝る。少し回復。夕食だけ食べに行く。近所のシーフード屋。ボーイにまたも「カブトガニはあるか?」と聞いたがまたも空振り。やむなくカニのカレー炒めと、バイ貝のようなもののグリルを頼んだ。カニは半匹をぶち割って卵と炒めた豪華版で、さすがにおいしい。バイ貝もピピ島のように黒焦げにせず、栄螺のつぼ焼きのような風味。
 ホテルへ戻る途中、子犬が道端に座っていた。撫でてやろうとすると、カニの味が残っていたのだろうか、手をぺろぺろと舐めた。

 

今日の収支
 残金 12500バーツ
 タクシー 70バーツ
 昼食 150バーツ
 本 1500バーツ
 ワインクーラー 50バーツ
 夕食 380バーツ
 残金 10350バーツ

11月10日(水)
 パンダバスでカンチャナブリーツアーに出発。参加人員がたった三名ということで、マイクロバスでの移動になった。
 八時に出発。途中休憩をとって、十時半頃クワイ川の、あの有名な鉄橋の上流二十キロほどのところに到着。ここからボートで川を遡る。飛沫を立てながら、勇壮に移動。十五分ほどでモン族の村に着く。ここはミャンマーとの国境十五キロほどの地点だそうだ。
 村でタバコを買ったり、学校に案内してもらったり。残念ながら昼休みで生徒はいなかった。凄いな、ここの子供は。小さいうちからタイ語、ビルマ語、英語の三カ国語を習うのだ。

 そして象に乗る。背中に据えた台の上に腰掛ける。近くで見ると、けっこう剛毛が生えているのね。耳の裏って、黒い斑点がいっぱいあるのね。などとしげしげと見ていたら、鼻から水を吹きかけられた。ぱおおっ。
 頭に乗ったガイドの誘導で象は歩く。細い山道を。高いなあ。地上三メートルだから当然か。そのうち山道の傾斜が激しくなり、下り坂へ。先には崖が見える。おい、おい、ここから降りるつもりか。
 がくんと衝撃を感じ、台からずり落ちそうになる。象は確かめるように、足を踏みしめながら泥んこの坂道を降りていく。ゆっくりやってくれよ。もしあんたが足を踏み外して倒れたら、私は軽くて複雑骨折。悪くて内臓破裂で即死か。ああ、タイの新聞には載りたくない。博物館にも送られたくないっ。
ようやく坂道を降りてほっとしていると、先にもっと急な下り坂が。三十度はあるぞ。ひゃああっ。
象に乗る この恐怖の山道を越えた先に、川があった。象は川にゆっくりと入る。腹まで浸かっていたから、水深は一メートル以上あるだろう。鼻から水を吹きながら、象はゆっくりと歩く。
 そして村の入り口の船着き場へ。総行程約三十分の象の旅だった。山あり谷あり、川ありの迫力満点のトレッキングでした。

 またボートに乗り、川沿いのホテルで昼食。このとき、最初で最後のタイスキを食す。ひとり旅だったからね。スープがうまいなあ。

 そこから山道を鍾乳洞へ。私はサンダルだからなあ。ちょっと怖くなり、ガイドの人に「ここ、サソリはいますか?」と聞くと、「いっぱいいるね。いっぱい」と。いっぱいいられても困るなあ。
洞窟の蝙蝠 洞窟は誰もいない。コウモリが天井に群れをなして寝ていた。広いなあ。秋芳洞くらいある。ただ中を川が流れていないせいか、タイのせいか、鍾乳洞に入ったときのあのひんやり感がない。

戦場に架けた橋 そしてまたもボートに乗り、出発点に戻る。帰途、追加200バーツでカンチャナブリー鉄橋に寄ってもらう。ここは観光地。橋を歩いて渡る観光客と、それに土産物を売りつけようとする商人がいっぱいいる。同行の人に、「君たちの世代だと、戦場に架ける橋は知らないだろう」と言われる。
「いや、リメイク版を……」
「あの映画、リメイクされていないと思ったけどな」
 ええと、私が見たと思っていた映画は、何でしょう。クワイ川マーチだと思いこんでいるあの主題歌も、クワイ川マーチではないのでしょうか。最後に列車が川に転落したと思うんだけどな。いや、「キートン将軍」ではなく。

 帰りは渋滞に引っかかってしまい、遅々として進まぬ。八時からのキャバレーの時間が刻々と迫る。やむなくホテルに戻ることは断念し、汗と泥水と象の吹いた水に汚れた姿でキャバレーへ。
 このマンボキャバレーは、キャバレーと言っても女はひとりもおらず、全員男。ニューハーフというやつだ。カリプソと双璧のニューハーフショーで有名なところらしい。
マンボショー なるほど、みんな宝塚みたいな格好で踊るわ、各国の歌を歌うわ、さすがに芸達者だ、などと陳腐な駄洒落を言いながら見る。日本の歌も歌っていたが、日本代表が都はるみと山口百恵というのにはやや異論があるなあ。

 キャバレーを出るともう十時。飯を食わねば。とりあえずうろ覚えで、近所にある「黒田」という日本料理屋へ。日本酒と地鶏の握り、手羽先を頼む。味噌汁がうまい。鶏はさすがに味が濃い。アユタヤあたりで庭先を駆けまわっていた、あの軍鶏みたいな赤い鶏なのだろうか。勘定は630バーツとやや高めだが、日本酒が330バーツだから仕方ないか。
 なんだか一日早く日本に帰ったような気分になってしまった。

今日の収支
 残金 10350バーツ
 カンチャナブリーツアー 2400バーツ
 マンボニューハーフショー 360バーツ
 ウィスキー追加 100バーツ
 夕食(黒田) 630バーツ
 タクシー 70バーツ
 ビール、ワインクーラー 70バーツ
 残金 6700バーツ


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