タイ旅行記その5:恐怖の帰途
11月5日(金)
ピピ島もこれでお別れ。ホテルのロビーに八時半集合、九時の船でクラビーへ。
この船が細長いのだ。プーケット・ピピ島間の船と全長は変わらないが細い。収容可能乗客90人といったところ。乗り込んだ客は20人くらい。プーケットに比べ、やはりクラビーはまだ開けていないのか。
この船の船窓はいいかげんなつくりで、しっかりと閉まっていない。閉めていてもだんだんと緩んでくる。だから窓際に座ると、飛沫がかかってびしょぬれになる恐れがある。内側の方がいい。以上、忠告まで。
クラビーの街は普通の田舎街。特にこれといった見どころもない。
とりあえずジョイントチケットの旅行代理店に行く。十一時のバスに乗ろうと思えば乗れたのだが、昼食をとりたいので一時のバスを予約した。実はこれが間違いだったとも知らず。シーフードでも食おうかと思ったが、近所のレストランは欧米風のサンドイッチやピザの店があるだけだ。屋台ならあるが、時間が稼げないしなあ。一時間以上あるのだし。やむなく、従業員のおねいさんが可愛い店でシーフードピザを頼む。
十二時四十分、再び旅行代理店へ。一時、軽トラックの荷台を座席に改造したソンテウが来る。このときはまだ、この車でバスターミナルまで行くものだと思っていた。
内陸の赤土と海岸の白砂、これがタイ南部のコントラストを形づくっている。その街道をトラックは疾走する。いつまでも疾走する。埃が巻きかえる。目を開けていられないほどだ。振動はひどい。尻と足がしびれるほどだ。座席は狭い。身動きができないほどだ。同行者は全員欧米人。親夫婦と娘夫婦の四人。夫婦かどうか分からない若いカップル。若い夫婦と子供二人。この親夫婦の旦那の方が、ちょっと怖い。プロレスラーのディック・マードックが悪役に転向したような巨漢で、軍隊映画の連隊長でも演じたらはまり役になりそう。それが、こちらを時々睨み付ける。あああ。それにカップルは私の隣でキスなんか交わしやがるし。若夫婦の旦那がウディ・アレンに似た気弱そうな人だったのがまだしもの救いか。
我々を乗せて、トラックはいつまでも疾走する。おい、この車で、三時間の長旅を、スラターニーまで行くつもりか。そう運転手に聞こうと思ったが、聞けない、聞きたくない。
ひたすらトラックは走る。それをバスが追い越していく。ああ、あのバスに乗れたら、どんなにか幸せだろう。あのバスに乗れたら。一時間ほどの恐怖の疾走の後、トラックはターミナルに止まった。荷物をおろす。どうやらここで乗り換えのようだ。ばんざい。生きていてよかった。
ところが乗り換えのバスが来ない。運転手はどこかに消えてしまった。不安が高まる。我々はここに置き去りにされたのか。どういうことなんだ。どうすることもできない無力な私は、とりあえずアイスコーヒーを頼む。おねいさんはネスカフェの粉末を大さじ二、クリープを大さじ四、そして砂糖を大さじ六、水を少々入れてぐわらぐぅわらがっしゃがっしゃとかき混ぜ、大量の氷を入れてこちらに渡した。味は甘すぎるコーヒー牛乳。しまった、せめてホットだったら、砂糖の分量はこちらで決められるのだが。置き去りにされる不安が頂点に達した頃、ようやくバスが現れる。ほっ。一時間の待ち時間であった。ここからスラ・ターニーの駅まで、エアコンバスで一時間半。この帰途の中ではいちばん快適であった。しばし安らぎの時。でも冷房が寒すぎる。
駅についたのが四時半。電車の出発まで、一時間半ほどある。ぼんやりしていたら駅員らしいおねいさんに誘導される。何のことはない、駅前の軽食レストランに連れてこられたのだ。まあ、ビールでも飲んで待とうと思っていたのだから、これでいいか。
ビール二本を消費し、時計を見ると、あらら、出発十分前。慌てて店を出る。んもう、おねいさんたら、教えてくれないんだから。
駅に行き出発ホームを確認。すると駅員、「その電車は三十分遅れています」だと。ああ、だからおねいさんはあんなに落ち着いていたのか。くそう。
とにかくホームで三十分待ち、ようやく電車が到着。乗り込んだ寝台車は、二名の対面シートだった。私の対面は、というと、頭を剃り、髭面でサングラスをかけた男。赤星昇一郎の人相をもっと悪くしたような感じ、といえばいいだろうか。タイ人は剃髪しても髭は生やさない。ラオス人だろうか。怖い。
とりあえず座り、曖昧な笑顔を浮かべるがラオス人は無表情。そのうちボーイが、夕食を食べるかどうか聞いてきた。140バーツのを頼む。ビールも頼む。するとボーイは、テーブルを私とラオス人の間に設営し始めた。狭くなる。ラオス人の表情が険しくなったようだ。ああどうしよう。
どうすることもできずビールを飲む。食事はなかなか来ない。八時が過ぎ、周りはベッドのセッティングを始めたところもあるというのに、まだ私とラオス人の間には、テーブルとビールがあるだけだ。ラオス人は険しい表情でタイ語の新聞を読み始めた。ああ。
ようやく食事が来る。駅弁スタイルではなく、それぞれの皿にラップをかけたラーメン屋の出前スタイル。トムヤムクンと、鶏肉とニンニク芽のオイスターソース炒め、ライス、そしてデザートのパイナップル。不味くはないが、美味くもない。今回は物珍しさから頼んだが、本当は駅で売っていた豚バラと卵の煮込みかけご飯のほうがうまいだろうなあ。多分ずっと安いし。九時になって、ようやくこちらの座席もベッドのセッティングが始まる。ラオス人に、「私の食事でベッドが遅れて申し訳ない」と謝ると、「何でもないよ」と言ってくれた。ああ、ラオス人、いい人だった。
ベッドを作るとそこはもうひとりだけの空間。窓越しに南部の風景が通り過ぎる。ほとんど漆黒の闇の中で、ところどころ明かりがともる。南部の線路沿いの田舎街、一軒家。あの明かりの中でどんな生活があるのだろう、ひょっとしたらあの家では、少女が私を乗せた夜汽車をいっしんに見つめているかもしれない。ひょっとしたらこんな田舎で一生を終わるのは嫌だ、バンコクに出たいと思い詰めているのかもしれない。少女はやがて親のいいつけに背き、家出をする。同じ夜汽車でバンコクへ。バンコクで彼女は幸せだろうか。悪い業者に騙されて売春宿に売られないだろうか。ああ、少女の幸せを星に祈る。星は出ていないけど。
夜汽車はいつも感傷を誘う。
11月6日(土)
六時半ごろ起こされ、ベッドを椅子に再セット。まだなんだか眠い。田園風景を見ながらうとうとしていると、ラオス人はいつの間にか降りていた。終点のひとつ前の駅らしい。やがてファランボーンに到着。七時半。あわてて降りる。最初、川の渡し船で移動するつもりだったが、行ってみると船が出る気配がない。風体の悪い人物が数人たむろしているのみだ。観光客などひとりもいない。これですっかりおじけづき、トゥクトゥクで移動。50バーツ。
カオサン通りの少し先、プラ・アティットの渡し場近くにあるゲストハウス、New Merry X。評判がいいのでここに行くことにした。ところが、チェックインタイムは12時だというのだ。しくしく。とりあえず荷物だけ預けることにして、時間を潰そう。両替をしようとしたが、まだ八時。銀行開店は九時半だ。とりあえずふらふら歩く。カオサン通りは予想通りの感じ。変なTシャツや、偽造証明書、名刺の店、旅行代理店、洋風の軽食屋、ゲストハウスが立ち並ぶ。隣のマーケットでは衣料品やタイ料理の屋台が並ぶ。
まだ十時。ふと見ると道路の向かいに観光バスが止まっている。そうか、ここは博物館だった。行ってみよう。
といって歩いたのだが、なぜか違う場所へ。広い構内、雑然とした雰囲気、随所に貼られたバイト募集のビラ、通る人物が若い。なぜか懐かしい光景。ああ、ここは大学だ。また迷ってしまった。やっとのことで博物館へ。入り口近くで、アユタヤから来たと称する人物に、今日は一部しか開いていないよ、それに学生で混雑しているよ、といわれた。確かに学生は多かったが、全部開いていたぞ。またタイ人のいつもの発言か?
しかしタイの歴史、美術、式典などで使うキンキラキンの輿、武器、紙幣、などなど。あまりの分量に、さすがに疲れてしまった。武器のところで日本刀が展示されていたが、すっかり刃が抜けてしまっていた。保存がちゃんとしていないのか、よほどなまくらなのか。
一時にチェックインしたら、シャワー付きルームがもう埋まっていた。しくしく。とりあえず明日にはシャワー付きルームが空くということなので、それを信じて待つしかない。100バーツの部屋に案内して貰う。六畳ほどの正方形の部屋にベッドとサイドテーブル。それだけ。天井には大きなファン。壁にむき出しの蛍光灯。それだけが設備。トイレとシャワーは共同だ。独房みたいなもんだな。
とりあえずトイレへ。予想した通り、タイ式の紙のないトイレ。尻を水で洗い、後はティッシュでふく。これはトイレでなくごみ箱へ。
シャワーは水だけだが、とにかく人心地ついた。やれやれ。
下でビールを飲み、部屋で夕方まで休む。五時過ぎ、部屋を出てバンランプー市場へ。実は、パンツが足りなくなったことに気づいたのだ。この市場はバンコクでも有数の衣料品の市場として有名なのだ。その通り、Tシャツ、ジーンズ、ブラジャー、パンスト、カッターシャツからウェディングドレスまで実にもう何でもある。
ところが男物のパンツだけはないのだ。ないったらないのだ。安くて並べる価値がないからなのか。衣料品の市場で、パンツひとつ探すのにこんなに苦労するとは思わなかったぞ。結局、前の開いていないブリーフをかろうじて購入。BVDみたいな前開きのブリーフが欲しかったが、そんなのどこにもなかった。そういえば、十年前にも、ロンドンでブリーフを探して苦労したことがあったな。旅行者の皆さん、Tシャツやジーンズは世界中どこにでもあります。しかし、パンツだけは日本から持参することをお勧めします。その後カオサンをうろつく。とりあえずビールでも、と思ったが、飲食店はどの店も混んでいて入れない。偽証明書の屋台が数件。80バーツでジャーナリストのライセンスが作れる。雑文ライターの証明書が作れないか交渉したが、断られた。
ホテルの近くで買った「バンコク週報」によると、南部の雨期は12月まで続くそうだ。なるほどね。しくしく。今日と昨日の収支
残金 8200バーツ
ホテル清算 3泊+ランドリー、飲み物 5400バーツ
昼食(クラビ) 150バーツ
休憩(スラターニー)130バーツ
夕食+ビール(車内) 340バーツ
トゥクトゥク 50バーツ
シェーク 25バーツ
博物館 40バーツ
ゲストハウス 100バーツ(毎日清算)
ビール 30バーツ
バンコク週報 85バーツ
Tシャツ 180バーツ
パンツ2枚 58バーツ
ウィスキー、水、トレペ 110バーツ
夕食 70バーツ
ビール、つまみ 50バーツ
残金 1300バーツ