k:2 忘れ得ぬ想い
"To your heart"

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やはり身体がもともと弱かったせいか治りは遅く、新学期には栞は間に合わなかった。 ただ、復学したとはいえ、たまに休むことのあった彼女だったから 級友は特にその原因について疑いをもつことはなかったらしい。
彼女は結局 3 日ほど遅れて新学期の登校になった。

「おはようございます」
「おはよう。ようやく学校か?」
「はい」
「あまり休んでると来年も 1 年生だぞ」
「そんなこと言う人嫌いです ‥‥」
「特に来年はな、恐ろしい年なんだぞ」
「?」
「なんとっ! おまえの姉は学校に来なくなるんだぞ、恐ろしいだろう」
「‥‥」
「二人して美坂を留年させるというのはどうだ?」
「‥‥」
「悪かった。ごめん」

「もしかして相沢君って栞に敷かれてる?」
「うお、な、なんでここに」
「あたしと栞って同じ家に住んでるんだけど」
「それはそうか ‥‥ でも俺と同じ家に住んでるはずの名雪はここには居ないぞ」
「いるよ 〜」
「おお、声はすれど姿は見えず」
「ここにちゃんといるよ〜」
「‥‥ なにやってる、名雪」
「ずっとここにいたー」
「そうか、隠行の術か。やるな」
「そんなの使えないよー」
「いや、歩きながら眠れる名雪ならそれぐらいマスターしていそうだ ‥‥」
「もしかして酷いこと言ってる?」
「いや、たぶん事実しか言ってないと思う」
「そうね」

「バカやってるメンバーが一人増えてるな」
「よう、実に久しぶりだ、北川君」
「そうか、相沢は一週間ほど学校さぼりだったな」
「そうなんですか?」
「こらこら、栞ちゃんが真に受けてるじゃないか。俺の印象が悪くなったらどうしてくれる」
「本性見せて襲ってるんならこれ以上悪くなることはないだろうに」

「この健康超優良児に付き合うのも大変だろう? この北川に乗り換えるならいつでも言ってくれ。すぐにかけつけてあげるよ」
「ふーん。北川君も栞がいいんだ。もてるわね〜栞って」
「将を射んとすればまずは馬を ‥‥ じゃなくてだな、」
「私、馬なんですか?」
「あ、栞ちゃんは、ええと馬かも。 相沢と話してるそばから口挟むとパコーンってけっとばすという」
「存分にけっとばされてくれ。骨は拾ってやる」
「相沢ぁー」

「遅れるよ〜」
「名雪に言われるとは心外だ ‥‥ 北川?」
「相当にヤバいぞ」
「走るか」


「美坂、あとで話がある」
「栞のこと?」
「どっちかというと、お前のことだ」

「姉妹仲は良さそうだな」
「見た目はね」

「お前、栞を忘れてたいと言ってたよな ‥‥ それで、俺、けっこう偉そうなことを言った気がする」

事の発端は俺があゆのことを忘れていたせいだ。すまん。

「名雪、もしかしたらお前、7 年前、俺がこの街から帰る日のことを覚えているか?」
「あ、裕一、思い出したの?」
「ああ。そのことについてはあとで謝るから、 」


「奇跡がどうこうってどういうこと? なんで栞が自殺しなきゃいけないの? 相沢君、ハッピーエンドだって言ったじゃないの!」
「悪い」


「『月宮あゆ』という子がいる ── いや、居た。 7 年前、そこの森の奥で俺と遊んでいるうちに木から落ちて重傷を負って そのままずっとその状態だったんだけど、こないだ亡くなった」
「‥‥」
「信じれられないだろうが、俺がこの街に来て 2 日目だか 3 日目のうちに 俺はあゆに会った。そこの商店街で ‥‥
あいつはたいてい商店街にいて、だから栞とか、名雪もあゆに会ったことがある。
本人はそのころ病院で眠ったまんまだったのに。

7 年前、事故が起きる直前だったと思う。俺はあゆに 3 つの願いごとがかなう、 という遊びをしていて、確か 2 つはその場でかなって、3 つ目が残ったまんまだったと思う。

「栞は ──。いや、もう少し前のことから始めよう。
栞の病気がどれくらい重かったのか、俺は本当のところは知らないが、 いま生きてるのは奇跡だって言ってたよな?」
「ええ。本当に ‥‥」
「栞もそう言っていた。なあ、美坂。奇跡が誰かの手によって生まれたんだとしたら、 お前はどうする?」
「そうね ‥‥ 感謝するかな」
「その誰かの命との引き替えだったら?
栞は、自分の奇跡があゆが自分の命と引き替えに起こしたもんだって思い込んでるんだよ。
あゆが 7 年前、俺とした最後の奇跡と引き替えに自分が助かったんだと思ってるんだ」

「相沢君は信じてるの?」
「──。まあ確かに中途半端な奇跡の起こし方はいかにもあゆなんだけど ‥‥
違うよ。こういうのじゃ俺が喜ばないことくらいあゆは知ってるはすなんだ。 だから、違う。栞が俺達の前にいられるのは決してあいつのおかげなんかじゃない」

それに俺は ── どうせなら生きてるあゆにも会いたかったよ。


「裕一さん‥‥」
「ただでさえ身体が弱いのに無理しやがって ‥‥
来年、海に行けなくなったらどうするんだ、今年いけなかったのに。 2 年も 3 年もお前の水着姿おがめないのはごめんだぞ。我慢するのは今年だけだ」
「裕一さん言い方がいやらしいです ‥‥」

「なあ、栞、俺、なんか栞にひどいことしたか?」

栞は首を横にふった。

「じゃあ美坂が?」

彼女はさきほどより強く首を横にふった。

「栞 ‥‥ 俺、傷ついていいか ‥‥?」

今度は彼女が縦に首をふる。

「「そんなこと言う人嫌いです」」

二人の声が重なった。

「な、なぜ分かった、この一発ギャグ、秘蔵の逸品だったのにっ!」
「裕一さんの表情、分かりやすいですから」
「そ、そうか ‥‥ コンビが組めるまであと一息だな。精進してくれたまえ」
「はい」
「‥‥ なんだか話がずれてるぞ。なんだったっけ?」

「どうして手首を切った?」

「だいたいのところは見当がついてるけど ‥‥ 栞の口から聞きたい」

彼女の右手がベッドから伸びて裕一の T シャツの裾をきゅっとつかむ。

「あ、あゆさん ‥‥」

裕一はため息をついた。

「なあ、栞。 がけっぷちの恐怖をお前は味わってきたんだ、もういいだろう? あゆのことはすべて俺が背負う。もともと俺の責任だし。 栞は気にするな。あいつが命を賭けて起こした奇跡を無駄にしたら あいつが泣くぞ。
栞は悪くない、悪くないんだ。お前が心から願ったから ‥‥ 奇跡が起きたんだ。 あゆは関係ない。これはあいつの夢なんかじゃない。 あゆは 7 年前から意識不明で、そのまま亡くなった、それだけだ。 二度とそんなことはするな。お前が居なくなるかもしれないと、俺に思わせないでくれ。
あゆのことは俺が背負うから ‥‥ お前は生きていていいんだ。あゆの分も。 約束しただろう、ずっと側にいる、一生そばにいるって ‥‥」

「でも、もし。もし栞が ── どうしても、いや、俺ももしかしたらと思ってるくらいだから、 栞はもっとか? もし、あゆが起こした奇跡だと思うことがあったら、 あゆのことは絶対に忘れないでいよう。二人で、ずっと。 店先からかっぱらってきたタイ焼きをぱくついていれば幸せそうな顔をしている、あゆのことを。 三度にわたってお前をこの世につなぎとめたんだから、あいつの奇跡もさすがに打止めだろう?

贈物はもらっとくもんだ。申し訳ないからといって返品したりしたら泣くぞ、あいつ。 最高の礼をつくして、もらっておけばいいんだ ── あゆの分まで。


その帰り道、裕一はなんとなく違和感があったのでその原因をと探すと、 なぜか名雪がむくれていた。

「‥‥ おい?」
「裕一、ひどい」
「なにが?」
「わたし、薄情者じゃないよ」
「は?」
「栞ちゃんとの会話、ぜんぶ聞いちゃったもん」
「それで?」
「あゆちゃんのことわたしも覚えてるもん」
「うん。良いことだと思うぞ」
「だから、覚えてるのは二人だけじゃないもん」
「そっか ‥‥ 悪い」
「でも許したける。完全に二人の世界に入ってたってことだもんね。
大事にするのよ、栞ちゃん。裕一にはもったいないよ」
「ああ」

裕一に先を譲り、彼が「ただいま」というのを外で聞きながら名雪はつぶやいた。

「でも裕一 ‥‥ わたし、やっぱり栞ちゃんが羨ましいよ ‥‥」


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