Genesis y:2.15 14 年前、この日に
"The Reason why I celebrate"


「あ、アスカ、おはよう」
「‥‥ なんであんたがこんなに早く起きんのよ」

あたしが起こしにシンジの部屋に入った時、シンジは既に起きだしていた。 制服にも着替え終っている。 微笑んで見つめるシンジに、 少し不機嫌ながら、あたしは挨拶を返した。

「おはよ。‥‥ なに、今日は槍でもふんのかしらね」

上から降る雨をみるように、掌をかざして見上げる。 窓のカーテンの向こうは明るく、快晴であることを告げていた。 当然だ。あたしの誕生日だし。

「ん、‥‥ ほんとは、もちょっと早く起きるつもりだったんだけど」
「で ‥‥?」
「今日くらいは、アスカん家のベル、鳴らしたかったな ‥‥」

やっぱり槍が降るんではないだろうか。 あたしは首を傾げて、シンジの次の言葉を促した。

「‥‥‥‥ 誕生日、おめでとうって、いいたかったな」

下を向いて、ぼそっとつぶやくシンジ。つまり、彼も覚えていた訳だ。 ここのところ、少し遠かったシンジを近しく感じた。 玄関口であたしがドアを開けたところでそう言うという演出は一所懸命考えたものだろう。 嬉しさは、しかし顔にださずにぶっきらぼうに、

「‥‥ 今言えば?」
「え、あ、うん。‥‥ 誕生日、おめでとう」

頭を捻った演出も奇麗さっぱり台無しにして口の中でもごもごと言う。 でも、これなら今日の午後は少し期待できるかもしれない。

「‥‥ あんたバカ? ま、いいわ、ありがと。‥‥ 朝御飯は?」
「まだ。‥‥ でも間に合わないね。学校、行こ」
「‥‥ あんたがボケてたからね ‥‥」

朝食にも間に合わない時刻に起きだしておいて、あたしを起こしに来るなんて、 不遜もいいところだったけど、そこまでは言わずにおいた。


学校が終ると、あたしはヒカリの誘いも断ってまっすぐ一直線に家に戻った。 すまなさそうにヒカリのを断った時、それはヒカリも半ば予期していたようで、 快く解放してくれた。

「あとで、教えてね」

ヒカリが笑いながら言うその言葉を思い出して、あたしは少し顔を赤らめた。 まあ、月曜には忘れていることを祈ろう。 誰もいない家の中へ駆け込んで、自分の部屋の洋服ダンスの前にとりつく。 時計に目をやって、あと 2 時間ほどあるのを知ってあたしは思わず叫んだ。

「たった!?」


ピンポーン ‥‥
風呂から上がって、着替えて出かける準備が出来たところで、 シンジが迎えに来た。

「はーい」

ドアを開けて、

「センターの服んとこでいいのよね?」
「うん」

服を買ってもらう、それが今日の約束。

「でも ‥‥」
「でも何よ」
「なんでそんなに一杯、服、要るの? その服でだって、‥‥ その」
「なによ」

「十分に奇麗じゃない」‥‥ のたぐいをちょっと期待するも、

「‥‥ その、それで十分だと思うけど」

シンジが言わないのが悪いんだからね、と 心の中でため息をつき、つむじを曲げて、

「残念だったわね。不十分だってあたしが思ってんだから、それでいいのよ」
「‥‥ あんまり良くない ‥‥」
「何か言った?」
「何も ‥‥」


シンジが選んだ服の値段に彼は眼を丸くした。 無言で哀願するシンジを無視し、それを押し付ける。 その買物の後、あたし達二人はデパート内のハンバーガーショップに入った。

「ハンバーガーショップってあたりがあんたらしくていいわね」
「しょうがないじゃないか ‥‥ もうお金ないんだし」
「買うもの決めてあったんでしょ? それくらいの余分、持ってなかったの?」
「だって、まえ来た時はアスカ、さっさと片付けちゃったし ‥‥」
「そういやそうか。でも見当もつかなかった、ってのが ‥‥」
「そんなの、見たことも聞いたこともないのに、無理言わないでよ」
「ま、そうね。あんたがそんなことに詳しかったら驚くわ」

隅の二人用のテーブルについて、

「あらためて。アスカ、誕生日、おめでとう」

紙コップのジュースで乾杯。もちろん音なんかしない。どこか間の抜けた儀式。 でも、シンジのほころんだ顔を眺めていると、そんなことも忘れられる。

「ありがと。シンジに追い付いたわね」
「ふ。半年だけだけどね」
「あ、シンジのくせに生意気!」
「いいじゃないか、少しくらい、これくらいしか勝てるのってないんだから」
「料理もあるでしょうが。認めるの嫌だけど。
‥‥ でも、あんた、」

紙コップを置いて、シンジの顔をのぞき込んだ。

「それってかえって情なくない? あんたのが年上ってことでしょ?」
「あ、そうか」
「シンジのお兄様は、年下のアスカ様に料理除いて誇れるものがありませんって?
‥‥‥ なんか腹立つわね。料理もなんとかしよう」
「今日から半年は同い年だもの。‥‥ 半年の間になんとか」
「そうくるか。‥‥ でも、半年でなにするの?」
「えーと、いろいろと」

ぼそぼそと、でも表情にはごまかす中に決意が透けてみえる。
椅子に座りなおし、背伸びして、

「あーあ。半年もバカシンジと同い年?
誕生日なんて、なんであんのかしら。一つ棺桶に近付くだけじゃない。
それのどこが嬉しいのかしらね」

あたしがそう言うと、 テーブルにコップを置いてシンジが妙に真剣な表情で、

「違うよ。アスカ。
‥‥ 14 年たったことを祝うんじゃない、ん、それもあるけど、
14 年前の今日、この日に、アスカがここに生まれ出たことを祝うんだ。
今アスカが僕の目の前に居るのは、‥‥ 14 年前の、今日があったからなんだから。
‥‥ だから、僕も祝うんだから」

少し驚いてシンジの顔を見つめ直した。 そして、その強い視線に耐えかねて目を逸す。 あたしは俯いて、

「うん ‥‥ ありがと」

シンジに聞こえるかどうか位の声で礼を告げる。 シンジのあたたかい視線にくるまれた中で、 14 年前に思いを馳せてあたしはうち震えていた。 太陽に照らされた闇に浮かぶ地球のイメージ。 14 年前の今日の地球、あたしが生まれ出た瞬間。

客観的に考えて、シンジに出来てあたしに出来ないことは少ない。 常に、シンジを含む他の人達の上に立とうと努力してきたからだし、 そういう自分を誇りに思ってきた ‥‥ つもりだった。
それでも、 シンジから 14 年前にあたしがこの地上に生まれたことを祝われるほどのことを、 あたしはシンジにしてきただろうか。

膝の上に置いた包みをぎゅっと握る。 プレゼントの意味も知らなかったことに気付く。 喉が詰まり、眼が潤んでくる。あたしは必死でそれに耐えた。
シンジに知られる訳にはいかない。 あたしはシンジの前で泣くつもりはないっ!

「アスカ ‥‥?」

シンジがあたしの変調に気付いて、心配げに声を掛けてくる。

「な ‥‥ なんでもない」
「‥‥ そう? ‥‥」

それだけでシンジはあたしをそっとしておいてくれた。
そして長い、実に長い戦いが始まった。 身体に力がはいっているようには見えないようにしながら、 肩の震えを押え込み、心臓の鼓動を抑え、喉が開くまで待ちつつ、 潤んだ眼の充血が引くの待ち、 シンジがどこまで不自然に思うかどうかを雰囲気で推し量る。 シンジが向こうをむいていてくれれば、その間にやりたいこともいっぱいあるけど、 気遣わし気にこちらを眺めて待っているシンジが一瞬たりとも目を放すはずはなかった。
そして、席を立つこともできない。 怒って席を立ったと思われたくない。 と、何とかする方法を思いつく。 黙って席を立ち、そのまま化粧室へできるだけ自然に向かう。 背後で呆れているらしいシンジは後でシメることにした。


「アスカ。しっかりしなさい」

洗面台に手をかけ、正面の鏡の中の自分を見つめ、叱咤する。

「何を動揺してんのよ! たかがバカシンジの言うことでしょ?」

頭の中で彼の言葉が跳ね返る。 しばらくして、ようやく肩の震えもおさまり、心も静まった。

「‥‥ ふう」

ため息をひとつついて、泣いた眼が腫れてないかどうか確認し、あたしは席に戻った。


「その、ごめん、気付かなくて」

席に戻った時のシンジの第一声。

「‥‥ あんたバカ? なに勘違いしてんのよ、 なに思ったのか知らないけど、違うわよ」
「そう? でも、ごめん、なんだか、でも、やっぱり、その、‥‥ 」
「この件については発言禁止! 推測もしちゃ駄目。いいわね?」
「‥‥ うん」

それからあたし達は、 いいかげん見捨てられていたハンバーガーの残りを片付けて店を出た。 二人のデートらしく帰るころにはやっぱり少し気まずい、 でもいつもとは違った空気がそこにはあった。

「シンジ」
「‥‥ 何?」
「最高の、プレゼントだったよ」
「‥‥ そう?」

嬉しそうな顔をするシンジに少し意地悪もしたくなって、 シンジが下げている包みを指して、

「うん。これのことじゃないけどね」
「って、なんのことだよ ‥‥」
「シンジは知らなくていいの」
「ちえっ」

そう言って頬を膨らますシンジの腕に飛びついて肩に凭れかかる。
とたんに腕が硬直し顔を赤らめるシンジを眺め、 あたしはひとしきり笑いころげた。


作者コメント。 ── アスカと同じ言葉を語る者にこの小話を贈る。
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