Genesis y:16 アスカ、帰国
"I miss you ..."


「えぇ!? アスカ帰っちゃうのぉ!」
「間違わないように。向こうに行ってくるだけよ」

アスカがヒカリに釘をさすと、ヒカリが上目使いに覗き込んで来た。

「でも ‥‥ 何時こっちに戻るのか分かんないんでしょ? ‥‥ 碇君は?」
「もう知ってるわよ」
「そうじゃなくて ‥‥ 言わなくていいの? もう会えないかも ‥‥」
「何を?」
「自分の気持ち ‥‥」
「だから、何をよ」
「アスカ!」
「ヒカリの言いたいこと位わかるわよ」

アスカは肩をすくめた。

「別にそんなこともないでしょ。帰ってくるわよ」

二ヶ月で!
新市を造るのに一ヶ月だから、準備期間入れて二ヶ月、というところが アスカの心づもりだった。
期間は誰も明言してくれなかったけれど、 荷物の量についてユイに探りをいれたところ、 おおむねその位という感触。

「‥‥ いいけど ‥‥ それにしても急な話ねぇ ‥‥ 明日?」
「うん。ごめん、ヒカリ。ちょっと忙しくてさ。飛行機、明日って決ったの、 昨日だったの」

アスカには多少、うしろめたい気分があった。
軍も使っていいのなら、もう少し日程に選択肢があった。 修学旅行に行けなかったことをまだ根に持っていたアスカは、 弐号機は持っていかなくてもいい、 ということを聞いた瞬間に思いついたわがままを押し切っていた。
それで何も問題はないとアスカは思っていたのだけれど、 不思議なことに、飛行機は毎日飛んでいるのになぜか日を選べない。
同行者がマヤでなくミサトであれば、
日程が不自由になったしわ寄せがミサトにいくのであれば、
心が痛まずにすんだとアスカは思う。

「せんべつも何も用意する暇ないじゃない ‥‥」
「ヒカリ、あんたねぇ ‥‥ どうしてもあたしに帰って来て欲しくないみたいねぇ ‥‥」
「だって、そんな先のことは分からないわよ ‥‥
また疎開があるかもしれないし、 第一、レイなんかしょっちゅう大怪我してたじゃない?
アスカがいないあいだに碇君に何があるか分かんないっていうのに ‥‥」

ヒカリの懸念も分かる。アスカは目を伏せた。
今やっている戦争はよくわからない。
せっかく使徒との戦いが無くなったと聞いたのに。
でも。

「この街からの疎開なんて考えなくていいんじゃない?
前回だって避難警報は新市には出なかったんでしょ?
大丈夫だって。‥‥ レイもいるんだし」

それにあたしは二ヶ月で帰ってくる。
アスカは心の中で、これで何度目かになる決意を、また、誓った。


「アスカぁ、行くよぉ」

シンジが隣家に声をかけると、ドアのすぐ内側から返事がかえってきた。

「ちょっと、待ちなさい。あんたこれくらい持ちなさいよね」

ドアが開いて、アスカが顔を出し、両手でスーツケースを引き出し始めた。

「これくらいって、なにこのスーツケース。何でこんなに一杯荷物が?」
「そお? たいした量ないじゃない?」

量の感覚が違う。
シンジははじめ呆然としていたが、 これを自分が運ぶのに思い至って、うんざりしてきた。

「だって、いつ帰ってくるか分かんないのよ?
家中の荷物全部もってくのが当然なのにこれだけよ?」

ぜんぜん慰めにもなんにもなっていない。

「‥‥ だって、すぐ帰って来るって言わなかった?」

もっとも、アスカがドイツに持って行く荷物をスーツケースに収めたということは、 アスカが旅行のつもりでいることを示してはいた。

「向こうは寒いから、洋服の量自体がちょっと多いのよ」
「そうか ‥‥ ってことはアスカ。 もしかしてこれ全部、向こうから持って来てた服?」
「こっちがこんなに暑いなんてちょっと盲点だったのよねぇ。 全然、着るチャンスなかったわ」
「あれ、じゃこっちで着てたのは ‥‥」
「あんたバカ? 赤道を越える船に乗ってこっちに来たのよ?」
「あ、そうか」

エレベーターはともかく、 廊下を引きずっているうちにシンジは手が赤くなって来た。 手をもちかえる。
下に降りて、 車のトランクの中にすでに置かれていたマヤのスーツケースを見て、 シンジもアスカの荷物の量に納得した。
アスカ程ではないけれど、シンジの感覚にしてみれば少し多い。

「マヤさん。女の人ってやっぱり荷物増えるんですか?」

アスカのスーツケースをマヤの車に乗せながら、シンジはマヤに尋ねた。
‥‥ 重い。車の後部が沈む。
ちらと振り返ってアスカの荷物を見て、マヤが答えた。

「あの荷物? そういうものよ。シンジ君。
ほんとは前に送っとければね ‥‥
日どりが決ってからの余裕がなかったのよ」

トランクを閉めながら、言わんとすることにシンジも思い当たる。

「ああ、アスカがごねたから」
「ごねたって何よ! ごねたって!」
「だって、なんでわざわざ第三新東京空港から行くのさ!」
「いいじゃない! あたし、日本で飛行機に乗ったことないんだから!」

助手席に陣どって沈黙を守っていたレイが車から顔を出した。

「二人とも、なんでこんな時に喧嘩するの?
碇君。喧嘩したままでドイツに行かせちゃうと、あとで悲しくならない?
アスカ。喧嘩したままでドイツに行っちゃうと、あとで悲しくなるよ?」

ぴたっと口論が止む。
静かに語る時のレイには、ときどき妙な迫力がある。二人は顔を見合わせた。


二台の車が空港に着く。
後ろの車には、民間機で行くことになったためについたアスカのボディーガード になる保安局の人達。

「飛行機かぁ ‥‥ そういえば、弐号機はどうなってるの?」

車から降りながら、シンジが尋ねた。

「あんたバカ? 民間機に弐号機、乗せられると思ってんの?」
「じゃ、弐号機は日本に置いたままなの?」
「そうよ。あたし専用の弐号機は日本に置いてあるの。
その辺を間違えないでよ。すぐに日本に帰ってくるんだからね」
「アスカ ‥‥」

アスカはしばらくスーツケースを転がすシンジを横から眺めていたが、 日本にやってきた時のことを思い起こして、微妙な違いに気がついた。
荷物を引っ張って体を軽く前かがみにしているにもかかわらず、 シンジの視線の高さ。

「シンジ。ストップ」
「何? アスカ」

立ち止まるシンジを見て。やっぱり。

「‥‥ あんた、いつの間にやら、あたしより背、高くなってない?」

アスカが日本に来た時は、わずかにアスカの方がシンジより背が高かった筈。

「うん。5 cm 伸びたんだ」

にっこり笑ったシンジの返事。

「たく、背ばっかり伸びちゃって ‥‥」

軽くため息をついて、シンジの背を叩いた。

「じゃ、スーツケース位、軽いわね?」
「えーと ‥‥」
「カウンターはあそこよ」

券を渡されたシンジは溜息をついて、 マヤと並んで荷物をカウンターまで引っ張っていった。
カウンターで手続きを始めるのまで確認して、アスカは振り返った。

「ところで、レイ」
「何、アスカ」
「いちおう、確認しときたいんだけど」
「なに?」
「あんた、シンジの ‥‥‥ やっぱりいいわ」

墓穴を掘るような気もするし、 自分からあれこれ言った手前、「シンジの母親のクローン」 だからどうこうと強調する訳にもいかない。アスカには言い様がなかった。


搭乗時刻。
シンジはエスカレーターで下って行く二人を暫く眺めていた。
視界から二人が消えて、自分が肩を落していたことに気が付いて、 一瞬シンジはミサトにからかわれることを覚悟して振り返った。
けれど、
そこにミサトがいるはずはなかった。

「そうか、ミサトさんは ‥‥」

シンジはまだミサトが居ないということに慣れていなかった。
目のあたりにしていたにもかかわらず。
こういう時に、あの独特の、

「シンちゃ〜ん」

という声がかかるような気が、まだしていた。

シンジが第三新東京市にやってきた時、 初めて会った人が葛城一尉だった。
そしてシンジが父親の所から逃げ出して以来、 3 年ぶりに手にいれた家族でもあった。
ミサトとの同居時代はひたすらこき使われていたような気もするのも、 つい先日まではいい思い出となっていたのだけれど。

シンジは今までネルフを二度逃げ出した。
アスカがネルフで問題を起こしたのはシンジが知る限りで三回。 この五回とも全て事無きを得たといってよかった。
みんなもとどおりになった。
では、ミサトさんもいつか?
そう信じたいシンジだった。
それにしても。

「リツコさんもどっかいっちゃったし ‥‥
マヤさん、アスカもドイツへ行っちゃった」

ネルフ本部から、 シンジが割によく話した人のかなりがいなくなっていた。
あとは綾波を除けば ‥‥ マコトさん、シゲルさん位だろうか?
本部の人の顔を順に思い浮かべてみる。

「碇君?」

レイの声にシンジは顔を上げた。

「うん ‥‥ やっぱりちょっと淋しいかな、って」
「そう」
「今のネルフ本部で ‥‥ 僕が話す人って ‥‥ もう綾波くらいしかいないものね」
「碇君。私は ‥‥ もともと碇司令と碇君しかいなかったけど ‥‥」
「あ、ごめん。変なこと言っちゃったね」
「でも、嬉しかったから、いいわ」
「?」

シンジが聞き返そうとすると、レイはシンジに背を向けた。

「戻りましょ」
「‥‥ そうか」
「どしたの? 碇君」
「マヤさん、車で来たんだよね」
「ええ」
「ということは、車、駐車場に置きっぱなし ‥‥
本当にすぐ帰ってくるつもりなんだ」
「‥‥ 安心した?」
「ん。じゃ、帰ろ」

帰りは空港線リニア。珍しく旧市まで延びている鉄道だった。
新市の置き換えのことを考えて旧市の市街中心部にはもともと駅が無い。 新市での鉄道建設のため、旧市でも用地のみ空けてあったが、 必要に迫られた市が最低限の鉄道を引いた、その線がこの空港線だった。
まだ空港線を新市へ向ける工事は行なわれていない。

「このまま帰る? それとも、途中の本部に寄ってく?」
「本部? 碇君 ‥‥ 行ってもしょうがないって、 さっき、自分で言わなかった?」
「ん、いやでもなんかこのまま帰るの、もったいないような ‥‥
ほら、今から学校行っても、もう誰もいないし」
「別のところ?」
「じゃ、えーと ‥‥」
「新市に入ってから、ショッピングセンターにでも行くの?
私はそれでもいいけど、碇君は制服のままでいい?」

学校へ直行する予定だったため、二人とも制服。

「あ、そうか」


ドイツ、ミュンヘン空港。
飛行機の窓の外にはゆっくりと降りつもる雪。

「雪、か ‥‥ 」

見なれていた風景。
着陸には支障はなかったらしい。定時に着いた。
アスカがしばらくぶりのドイツの空気を味わいながら 通路を歩いていると、前方でアスカに手をあげた人物がいた。
アル。 痩身長躯、半年ぶりの顔。もっとも長躯というのはこの半年、 日本人を見なれていたせいで、空港のコンコースの人の山の中では たいしたことはない。
ただし、妙に似合わないやや崩れた服装は、多少、目立った。
服装が崩れだしたのは、ドイツに加持がやってきてからのことの筈。 妙に似合わないという印象は、大学時代に持った記憶がアスカには なかったから
‥‥ といったことを思っていると、その彼から挨拶。

「おやおや、アスカ。ひさしぶり。無事、生きてたようだねぇ」

聞いているうちに次第に腹が立ってくる口調にも変わりなし。

「アル。あんたもね。その口、健在なようね」
「そりゃ特技の一つだもの」
「で、お迎えはあんたって訳?」
「いいや? 僕は君達にくっついてきた彼らに紙一枚渡しに来ただけ」

そう言って、アスカの後ろに控える黒服の二人を視線で示し、

「君達の出迎えは ‥‥ ほら来た。彼だよ」

アルは振り返りもせずに自分の後ろを親指でさした。
どうやって知ったのか疑問に思ったアスカだがそれを口に出す前に、 その迎えの人物を見てそれどころではなくなった。

「パパ!?」
「半年ぶりかな? アスカ」
「そうね。パパ。なんでこんなところに居るの?」
「仕事でな。つもる話の前に、 後ろで戸惑っている女性に挨拶させてくれんかな?」

アスカが旧交を暖めている間、 後ろで所在なげにしていたマヤのことにようやくアスカも思い至った。
すこし脇にどく。

「伊吹マヤ博士、ですな。私は惣流 アレクサンデル ジークフリート と申します。 はじめまして」
「はじめまして。こんどの計画の保健部の担当の方ですね。私は伊吹 マヤ、 技術部の顧問をさせていただくことになっています」

この場でそのまま二人が話しこみそうになるのを、戻って来たアルが止めた。

「それじゃ、行きませんか? これほどの人達が集まっているというのは、 僕達にとってもあまりぞっとしませんので」

コンコースのど真中。アレクはさすがにばつが悪そうに頭をかいた。


ネルフのドイツ支部に向かう車の中でアスカはアレクに尋ねた。

「で、何でパパがここに居る訳?」
「私は LCL 都市計画の保健部門の担当なのさ。 お前の心身状態によっては沈めた直後の人々の健康に 影響が出るんでな。
お前の健康状態の確認のために一刻でも早くこの目で見ておきたかった、 という訳なんだが ‥‥
父親が娘の心配して迎えにきちゃいかんか?」

アレクが不安そうな顔でアスカの方を覗き見ているが、 それが演技かもしれないという点で、アスカは信用していなかった。
とはいえ。

「‥‥ そんなことは言わないけど」
「ほう」
「何、感心してんのよ」
「いやなに、やけに素直になったと思っただけだ。
『かわいい子供には旅をさせよ』
とはよく言ったものだな。
キョウコの格言好き、煩いだけかと思っていたが、
格言というもの、それなりに実用性があった訳だ」
「そんなことにパパが今更、感心しないでよ!」
「‥‥ すまん」

パパが素直に謝ったことこそ珍しいこと、とアスカはすこし驚いた。

「‥‥ あたしの健康って、何?」
「お前、ちょっと前まで入院してたろうが」
「そういうこともちゃんと知ってるんだ」
「それはそうだ。見知らぬ経歴の者にこういう役は任せんよ」
「私があのまんまだったら、ミュンヘンはどうしていたの?」
「もちろん LCL 化したさ。多少遅れたかもしれないが、お前無しにな。
第三新東京市だって、碇博士なしにも LCL 化する位はできただろうよ。
都市まるごとの運命を一人の子供の精神状態に掛けるはずがないだろう?」
「そうかしら。世界の命運をたった 3 人の子供の肩にのせたネルフですもの」
「もちろんやむを得ない場合は仕方がないさ。
だいたい、ミュンヘンはともかく他の街の LCL 化はどうするんだと思う?」
「‥‥ 一応、順を踏んでいる訳ね」
「もちろんそうだとも。 ‥‥ それにしても本当に変わったなあ。
3 人か ‥‥ ? 出かける前はお前は全部自分の肩にのせてなかったかな?」

たった半年前。
アスカが意気揚々と 艦隊の待つベネチア港へ向かった時のことを二人とも思い起こした。
もっとも、アスカが輸送機に乗る時にアレクがその場に居た訳ではない。
日本へ向かうと決ったことの報告は、アスカはアレクにしていなかった。

「‥‥ 尊敬に値する人ならば、ちゃんと数に加えるわよ」

ハンドルを握ったまま、アレクが笑いだした。

「くっくっくっ ‥‥ そうか」
「何笑ってんのよ!」
「碇シンジ ‥‥ とか言ったか? 第三の適格者。けっこうかわいい坊やだったな?」
「どういう意味よ」
「うーむ、そういう所は変わってないな。 ま、いいさ。‥‥ ほら、着いたぞ。
久しぶりのネルフ、ドイツ支部だ。 しばらくは今のミュンヘンに慣れてもらう。
なに、半年前とたいして変わった訳ではない。こっちには使徒はこなかったし、 それに都市を拡張整備する金も 第三新東京市ほど貰っているわけではないからな」

大雑把な予定をアスカに告げて、アレクは車を停めた。

「‥‥ 泊まるところはアル君に案内してもらえ」


アスカとアレクの車の後ろをついていく車の中。

「アル君 ‥‥ でしたっけ?」

バックミラーにアルは目を向けた。

「アルブレヒト デューラーといいます。 アル、でもいいですよ。何です? 伊吹博士」
「あたしもマヤでいいわよ。アル君? アスカちゃんとは、前からのお知合い?」
「そりゃ、彼女は日本に行く前はここに居たんですから、 知人もいるわけで、僕もその一人、という訳ですけど」
「あの ‥‥ 『無事、生きてた』って、どういう意味なんですか?」
「あ、あれですか? 僕の口ぐせみたいなものですから、気にしないで下さい」
「そうなんですか? アスカちゃん、 ちょっと前まで栄養失調で入院してたから、 言い方が気になっちゃって。ごめんなさい」
「‥‥ その件なら何故か僕も知ってますけど。 そうですね、知ってたから言った、 って部分もあったかもしれませんね。
さて、」

駐車場に入った。 隣の車から降り立ったアスカが待っている。
アルが降りると、話しかけてきた。

「アル。家は前と同じ?」

アルはアレクの方を見たが、アレクは無表情。

「残念ながら。こっちは第三新東京市ほど部屋が余ってなくてね。 いつ戻って来るのやら、分からん人のために部屋を空けたままには できなかったのさ。
そういう訳だから、こっちの宿舎を使ってくれないか?」

そう言って、アルはアスカとマヤの二人を支部の隣の宿舎に案内した。
マヤを一つ手前の部屋に案内したあと、

「さて、お姫さまのお部屋はこちらでございます」

単なる宿舎と称して、 二人にはそれぞれ新市のマンションのより大きい部屋を割り当てられていた。

「余ってないったって、やっぱり東京の部屋より広いわよねぇ」

アスカはざっと眺め回して、 ミサトの家に上がり込んだ時の感想が正しかったと確信した。
もっとも、一人で住むのでなくミサトとの同居となったのには、 もともと第七使徒との戦いに備えてのことという事情があり、 ミサトのマンションも空き室だらけだったので、一人で住むとすれば、 それなりの空間が手に入った筈ではあった。

「‥‥ さっさとミサトのところ出とくべきだったわ」

そうしなかった理由もあるにはあったし、 新市の今の家で一人住むのは淋しいと思うこともあったのだけれど。


「‥‥ ところで、アル。あんた、加持さんの消息しらない?
ここんとこずっと会ってないのよ。
もしかしてこっちに戻ってたりしない?」
「加持さん? ああ、それなら知ってる」
「どこに居るの?」
「どこって言うか、天国、いや地獄かな? に居るよ」
「え?」
「殺されたらしいね。
日本の 2 課の連中がガードについていて何事だ、 なんてみんな怒ってたよ。
日本の中だけの話なのに、 なんでかドイツにまで矛盾した指令が流れて来るという、 訳の分からん状況だったんで、 しょうがないから 3 課で逆探かけたら、 辿りつく前にケリがついちまった。
まだ、ごちゃごちゃやってる奴はいるけどね」
「アル。ごちゃごちゃやってる奴ってもしかしてあんた?」
「‥‥ 世の中には偶然とか、たまたま、 とかそういう時に使われる言葉はいくらでもあるのだよ。
それに、実際にも、今はアスカも知ってるような こと位しかまだ知らないと思うから訊いても無駄だよ」
「あたしも知ってるようなこと? 例えば、ファースト ‥‥ 綾波レイの出生の話とか?」
「知ってるよ。いやあ、あれは凄かった。
碇ユイが復活して現物からの通信が来るまでは、 誰も知らなかったってあたりが特にね。
碇ユイと綾波レイ。この二人を並べてみれば、何らかの関係がある、 なんてすぐに思いつきそうなものなのに、 碇ユイの写真ってこの 10 年、どこにもなかったらしいよ。
碇ユイを直接知っているようなのは綾波レイの出生のあたりは 知ってて当然の連中ばっかりだから本当によく出来てる。
それに、綾波レイが今年 15 才になるのなら、 ファーストチルドレンの育成はセカンドインパクト直後から やってたことになる。
本部も用意がいいよ。本当に」
「そんなはずは ‥‥」
「え?」


久しぶりのミュンヘンでの生活。
もっとも、アスカにとってはあまり良い思い出はなかった。
母親のこと。そして父親のこと。さらに義母のこと。
褒められるためにスキップを繰り返し、一去年のうちに卒業してしまった大学。
年が十も違えば、友人ができるはずはなかった。
同じくスキップして入って来ていたアルとでさえ、 たいしたつき合いがあった訳ではなかった。
周囲と互角に張り合うために身についた 強気一辺倒の殻のせいもあったかもしれない、 と今になって思う。

実際、多少は口をきいた人とも会うことがあったけれど、最初の一言は アルを除いてみな同じだった。

「ひとあたり、軟らかくなったわね」

ときたものだ。
アルの最初の一言は彼らの一言より腹が立ったが ‥‥

やっぱりバカにしたくなる連中も多かったけれど。

「それでも、シンジにバカって言った数よりは少ないかな?」

一通りミュンヘンの生活に慣れた頃、アレクが告げた。

「さて、そろそろ始めるぞ。 まずはブートストラップのための施設を沈めるところからだ」
「あたしは何をするの?」
「エントリープラグに入って、聖書の最初の一節を唱えていてくれ」
「‥‥ それ、本当に何か関係あるの?」

アスカが呆れて聞き返すと、アレクは笑って手を振った。

「なに、本人の精神状態だけが問題なのさ。
別に、混沌に穴を開けた ‥‥ でもかまわんが、
世界は終末を向かえた ‥‥ というのだけは止めてくれよ」


新市に入る時はもう、一瞬にして行なわれるので、 ゆっくりと自分がシンクロ、溶けていく感覚は久しぶりのこと。
新市が出来た後、もう一度、体を旧市に置いて新市に入ってみたとき以来だから。

初めに神は天地を創造された。
地は混沌であって、
闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

目を閉じながら口に出さずに唱える。

「光あれ ‥‥」

いきなり目の前がホワイトアウトした。

こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。

光と闇から昼と夜ができ、光は大地を照らす。
自分の格好を見てアスカはつぶやいた。

「預言者の格好、という訳ね。さて次は ‥‥」

主なる神は、東の方のエデンに園を設け、

そしてエデンの園が生まれる ‥‥ かわりに今、
自分が居るはずの建物が生えた。

「ふうん ‥‥ いきなり散文的になったわね。
せっかく、人がいい気分に浸ってる時に、 なにあのビル」

中に入る。今、自分が居るはずの部屋にはちゃんとエントリープラグもあった。
もっとも、中は空。

「アダムくらいは居てくれてもいいと思うけど」

コンソールの通信機のスイッチを入れてみる。

「だれか聞いてる人いますか ‥‥ ?」
『よく聞こえるよ』

返事があるとは思わなかった。この声!

「パパ? なんでこんなところにいるの?」
『第一声の権利だけさ。もう替わるぞ』
『‥‥ こちらでは 6 日が経っている。 そちらではどれくらいの時間が過ぎた?』
「あたし、時計してないものねぇ ‥‥」

エントリープラグに入った時はプラグスーツだったはずだが、 今はだぶだぶの布を体に巻いているだけ。
当然、時計は持っていない。

「そうね。体感時間としては、1 日位かな。そろそろ眠いわ」

建物にある筈の掛け時計のことを思い出す。後ろを振り返ると、 ちゃんと掛かっていた。日付入りで。

「‥‥ ふうん。ここの時計だと確かに 6 日経ってるようね」
『ならば予定通りだな。
定着プロセスは今始めたばかりだから、 あと 1 日だけそちらに居てくれればいい。
寝ててもかまわんよ』
「じゃ、あたしは寝るわ ‥‥ おやすみ。パパ」
『‥‥ ああ、おやすみ』


次回予告 新ミュンヘンの建設が始まる頃、 アスカは第三新東京市への攻撃の噂を聞く。 揺れる心がミュンヘンをも揺るがす。 次回、第二の LCL 化都市
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