Genesis y:15 偽の報告
"A false report"


プルルル‥‥‥ カチャ

『はい。こちら日向です』
「あたしよ」
『!』

驚愕の空気がミサトに届く。

『ちょっとマズいですよ‥‥ この回線は!』
「そんなことないわ。置き土産の一つよ。
諜報部回りの線全部切ってあるから聞かれてないはずなんだけど」
『そうじゃなくって! 今は僕も監視されてるんですよ!』
「あ、ごめん。マギ監視の線のパスワード‥‥ 教えてくれる? それだけでいいから」
『すいません。それは ‥‥ 駄目です』
「‥‥ それで、正解よ。じゃ、さよなら」

ミサトは電話を切った。長電話の訳にはいかない。

「んー、ちょっち早まったかな‥‥
しっかし、裏かくのあれくらいしかなかったしなぁ‥‥」

新市管理の都合から、全ての回線がいったんマギを通っている。
常時全回線の監視をしている訳ではないにせよ、マギへの外部からのアクセスは 今は厳しくチェックされるだろう。
実際、加持のデータのサポートがあってさえ、 今さっきやってみた限りでは入れなかった。

「仕方ない。中へ入るしか、ないか」

ミサトは、新品のカードを手に取って眺めた。
アスカに渡したもともとの自分のカードの他に、加持の言う 36 の方法のうちの一つが、 この新しいカードだった。
多分、加持自身によるサポートもあったのだろう、かなり遅れてとはいえ、届いた。

「何よ‥‥ 加持の奴、
どうせならマギ全権アクセスのカードくれればいいのに‥‥」

アスカに渡したカードと違い、中へ入ったという記録の残らないカード。
しかし、このカードによるマギへのアクセスレベルは多分、 加持が最終的に公式に得たレベルであって、 自由にアクセスできる訳ではなかった。

「ま、そしたら副司令をどうこうなんて、するはずないわね」

最後の電話での、副司令との取り引きも気になったけれど。

「それにしても、司令と副司令って、一心同体だと思ってたけど、 違うのかしら。副司令独自に、取り引きなんて‥‥」

マコトのクラッキングの陰で加持のサポートを得て手にしたこと。
冬月レポートの存在。ネルフの全セキュリティのデータ。 外に居ても、中に居るのと同じだと思ったからこそ、 留まることに拘らなかったのだけれど、やっぱり中へ入らなければならないらしい。

「あーあ」


「‥‥ あらあら‥‥ やっぱりそうなの?」

侵入は簡単だった。それは加持に感謝するミサト。
マコトが用意した、マギを経由しない回線関連のデータを引き出した後、
ついでに調べ物。

「何がそうなの?」

長居しすぎた、という思いが頭を駆け抜ける。これはレイの声。

「こんなところで、何してるの?」

振り返ると、戸口にやっぱりレイが立っていた。

「ちょっちね ‥‥ あなたのことをね、調べてただけよ」
「私のこと? 私、のことは赤木博士から聞いたんじゃないの?」
「そっちじゃなくて、17番目の使徒の事件のことよ」

微かにレイの顔色が変わる。黙り込むレイにミサトは追求してみた。

「あなた、あの時どこに居たの?」
「私に訊かなくても ‥‥ もう知ってるんでしょ」

ミサトは頷いた。

「そうね。‥‥ ほんとはリツコに訊きに行ったんだけど。
リツコの説明だけじゃまだ嘘があったなんて思わなかったものね‥‥
あなた、欠番になってる第 2 の使徒ってやつ?」
「‥‥ 知らないわ。だったらどうするの?」
「だったら、父のかたきをうたさせてもらうわ。
そうでないなら‥‥ あたしとしてはここに用はもうないんだけど、
逃してもらえるのかしら?」
「逃して、碇君達に迷惑かけるわけにはいかないわ。
それに、葛城三佐が捕まらないと、アスカ出してもらえない」
「ん、そうらしいわね。
でもレイ。あなたがそこに居る限り私は外にでられないけど、
あなたはそこに居る限り誰にも連絡できないわ。
‥‥ 電話もってないわよね。本部の中だから」

淡々とした会話。
ここでミサトは口調を切替えた。 レイに意味があるとは思っていないけれど、気休め。

「そこをどきなさい。レイ」
「私はどかないわ。それに連絡もできるもの。
本部の中で使徒の反応がでれば ‥‥ そうすれば誰かが必ず調べに来る ‥‥」
「止めなさい。レイ。
そんなことをしてあなたも使徒として扱われる危険を犯すことはないでしょう」

レイが微笑むのを見て、ミサトはいぶかんだ。
まさか本気? 確かに司令あたりは驚きそうにないけれど。

「止めてもいいけど ‥‥ でも手遅れよ。ほら、足音がする」

ミサトもレイの背後の廊下に足音を聞いた。 しかし横目で音の方に目をやったレイの顔が曇る。

「綾波? 何してるの?」
「碇君 ‥‥」

シンジが戸口から中をのぞき込んで来た。

「? ‥‥ ミ、ミサトさん!」

シンジの驚きを無視してレイが言う。

「碇君。保安局に連絡を取ってくれる?
葛城三佐がここにいることを。私は葛城三佐を見ているわ」
「シンジ君。そこを動けば、レイを撃つわ」

あわてて銃を取り出したミサトだが、実は意味がないことに気がついた。

「レイ。シンジ君はあのことを知ってるの?」
「知ってる、かもしれない ‥‥」

シンジ君を狙う場合。レイが庇うだろうし、シンジ君も自分が狙われていることを 気にはしないだろう‥‥
レイを狙う場合。レイの心持ちにかかわらず、うまくいけばシンジ君が庇うだろう‥‥
ミサトの計算は一瞬のうちにおこなわれた。

二人ともシンジを見つめる。

「え、何の話 ‥‥」

二人を交互に眺めながら、シンジは少しうろたえた。
ミサトが重ねて。

「もう一度言うわ。二人とも、そこをどきなさい。どかなければレイを撃ちます」

‥‥ これでシンジ君がレイを説得してくれれば ‥‥
ミサトは祈った。

綾波? そういえば、あの時。
初号機の手の中のカヲル君が上を見た、 その視線の先には ‥‥ 誰かが居たような気がする。
あれは ‥‥ 綾波?
頭の上で A.T.フィールドが張られる感覚は、では?
シンジには何故そんなことを思い出したのかは分からなかったけれど。

シンジの、その表情をレイもミサトも見逃さなかった。
ミサトは落胆した。逃げられないかもしれない。
視線をミサトに戻してレイもつぶやいた。

「そう ‥‥ 知ってるの ‥‥」

もっとも、隣のシンジにも聞こえない程の小声。

「綾波。道を開けて。ミサトさんが通れない」

シンジのきっぱりとした物言いにレイは振り向いた。

「碇君!」
「ごめん、綾波。ちょっと守りきれそうにない。‥‥ この距離の銃からは」
「碇君 ‥‥」
「そうそう ‥‥ どいてくれればいいの ‥‥」

ミサトが廊下の向こうに消える頃、ようやくレイがシンジに話しかけた。

「碇君 ‥‥ 撃たれてもかまわなかったのに ‥‥」
「だめだよ。そういうのは ‥‥
そんなんじゃ、 僕もみんなもしょっちゅう心配してなきゃいけないじゃない?
それに、もし ‥‥‥‥ だったとしても ‥‥‥」

小声。レイは聞き取れなかったけれども、変わる表情。
意味するところは分かったから。

「じゃ、ミサトさんがここにいたってこと、報告しとこ?」

顔をあげてシンジはそう告げた。
連絡を入れた後の帰り道。

「碇君。碇君はなんであんな所に? あそこ、別に何もないのに ‥‥」
「なんとなく、綾波がいるような気がしたから ‥‥ 綾波は?」
「たまたま」
「たまたま?」
「うん。あの先に前よく行ってた部屋があるの。それだけ」


「逃げられました」

報告を聞いて冬月は唖然とした。 加持ならともかく、 彼女に保安局を出し抜く程の能力があるとも思えなかったから。

「なぜだね。君達が報告を受けた時点では葛城君はまだ本部の中にいたんだろう? それらしい扉を全て封鎖すれば終りではないか?」
「封鎖した筈の扉の幾つかが開けられていました。 現在、葛城元三佐の所有するカードもしくはそれに類似したものは、 ネルフのセキュリティをほとんど全て通過するもののようです」
「そんなばかな‥‥ ではこれからも出入り自由、ということかね?」
「セキュリティシステムの書き換えを始めていますが、それが終了するまでは、 そういうことです」
「書き換え自体のデータが盗られている、などということはないんだろうな?」
「それはないでしょう。現在、全ての回線が物理的に外部と切断されています」
「しかしな‥‥ 以前に使徒がマギに侵入してきた時は、回線なんぞ使わなかったからな。 で、その葛城君のカードの出どころは? そんなものが出回ってはかなわん」
「惣流アスカの所持していたカードも細工されていました。 加工した者が同じであるとすると、 加持リョウジがやったことと思われます」
「なんだ、彼はそんなものまで持っていたのか?」
「過去にわたって記録を調べ直して見ましたが、 彼自身が改造カードを使ったことは一度も無いようです。 そのため発見が遅れました」
「うーむ ‥‥」

加持との取り引きの結果をまだ手にしていない冬月は憮然とした。
さりげなくいったいどれだけのことが彼の手元にあったのやら。

「そんなカードを持っているんじゃ、独房の前にも監視置いとかなけりゃならん。 これでは同じことだ。惣流アスカを解放しておけ」
「わかりました」


どうやら解放されるらしいことをユイから聞いたシンジは、 再び本部に向かった。本部がらちょうど出てくるところのアスカを見つけ、 かけよって声をかける。

「‥‥ アスカ、よかったあ ‥‥」

とりあえず元気そうなアスカを見て安堵。

「よかったじゃないわよ。ミサトが捕まれば出られることになってたのは、 あんたも知ってたのよね。逃したって話は聞いたわよ」
「そ、それは、」

完全にもとに戻っている。

「ごめん」
「ミサトについては、 あたしはどうこう言う資格ないから謝んなくてもいいわよ。
で、なんで逃した訳?」
「ちょっと、銃で脅されて」
「あ、それなら仕方ないわね」

アスカがあんまり簡単に引いたのでシンジは少し拍子抜けした。
おそるおそる訂正してみる。

「んと、僕じゃなくて、綾波が、なんだけど、ね」
「似たようなもんでしょ」

呆れたようなアスカの顔を眺めながら、シンジは思う。
確かに、知りたくないこと、知らせたくないことというものはある ‥‥


レイはベッドの枕に顔を伏せた。

「碇君。‥‥ ありがとう ‥‥ でも、誤解しないでね」


そのままアスカはシンジの家によばれた。 もっとも、それをシンジが伝える前にアスカから行くと言い出していた。
シンジの家でユイが出迎える。

「ごめんなさい ‥‥」

アスカの第一声。
すっかり萎縮してしまっているのを見て、ユイは肩を落した。
シンジも中へ入ろうとして足が止まる。

「アスカ ‥‥」
「‥‥ 体の方はもう大丈夫なの?」
「はい」
「悪いと思ってる?」
「はい」

アスカ、下を向いたまま。

「‥‥ しょうがないわねぇ ‥‥ アスカちゃんどうしちゃったの?」
「ごめんなさい ‥‥」

このままだと、そもそも家の中に入ろうとさえしないだろう。 ユイは手ぶりで二人を招き入れた。

「ったく。いいのよ。私の方はたいしたこと起きなかったんだから。 そんなに縮こまっちゃ、送別会も楽しくできないでしょ?」
「送別会? 母さん?」

家にあがりながらシンジが聞き返した。

「気分転換にドイツにでも行って来なさい」
「え‥‥‥」

アスカが顔を上げた。真っ青。

「母さん‥‥ それは酷いよ。いいじゃないか‥‥ みんな無事だったんだから」
「シンジ。いいのよ ‥‥ それだけのことはしたんだから ‥‥」
「なに、泣きそうな顔してんの。
単に、仕事よ。仕事。終ったらさっさと帰って来なさいよ」

ユイは屈んでアスカと目線をあわせた。

「帰って来たら ‥‥‥ アスカちゃん、こっちで一緒に住む?
どうもうちの人は徹底してシンジとは一緒に住みたくないらしいし、 部屋余ってるし、 隣の独り暮らし、というのも心配だし、 シンジにもその方が都合が良さそうだし、」
「母さん!」

ユイはアスカの青い顔にようやく赤みがさしてきたのを見てほっとした。
もっとも、 せっかくのシンジの赤い顔とアスカの青い顔の対照の面白みはなくなったけれど。

「何か間違ったこと言ったかしら?」

一瞬シンジを見て、とぼける。

「それに見てないと何するか分かんないし ‥‥ ね」
「ごめんなさい‥‥」
「ほら、その『ごめんなさい』っての止めなさい。 そんなのはシンジ一人でたくさん。 ‥‥ ちゃんと、この家に帰ってきなさいよ」

アスカの表情が軟らかくなる。 ユイはそれを見てから、二人に椅子をすすめ、 自分は適当な飲物を探して冷蔵庫に向いた。
アスカがようやく口を開く。

「‥‥ はい。
おばさまが、どうしてそうおっしゃって下さるのか、よく分かります。 だから、‥‥ その心だけ、受け取らせて下さい。
あたしは、やっぱり‥‥ 自分の家に、ここの隣の家に、帰って来ます」

手を止めて、ユイは答えた。

「‥‥ そうね。ちょっと‥‥ あなたが一番きつい時に、一番きつい言い方 だったかもしれないと思って‥‥ ごめんなさい?
ところで、シンジと一緒に住むの、嫌? 以前の一緒に住んでた時は、どうだったの?」

返事をきくまでは手を動かすつもりのないらしいユイを眺めながら、 アスカは答えを探した。ちょっとした沈黙のすえ。

「あ、以前、ミサトの家で住んでた時は、 寝てる間にシンジにキスされましたけど」
「だから、やってないって!」

アスカもユイもシンジの言葉を聞いていない。ユイはアスカを見たまま、

「あら、それは問題ねぇ。
で、もう一回尋くけど、シンジと一緒に住むの、嫌?」
「あのう ‥‥‥ おばさま?」
「何でしょう?」

にっこり笑ってユイは首を傾げた。アスカ、ため息一つついて、

「‥‥ 別に、嫌じゃないですけど。前、同じ所で住んでた訳ですし」
「ということは、寝てる間にシンジにキスされたのは怒ってない、と」

二人が横のシンジを見れば、 無視されつづけたシンジが声にならない声で抗議を上げている。

「‥‥ 今、一所懸命となりで弁解してますから」
「なるほど」


次回予告 ユイはミュンヘンの LCL 化のためにアスカを帰国させた。 アスカは久しぶりに父親と対面する。 次回、アスカ、帰国
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