Genesis y:12 カルネアデスの舟
"The boat of Karneades I"


「調べること‥‥」
1. 要するに司令は何をしようとしているのか?
2. セカンドインパクトは誰が起こしたのか?
「ということは‥‥」
3. 襲来するものが使徒でないならば、今のネルフの敵は誰か?
4. 冬月レポート
5. リツコの所在
さらにしばらく考えてミサトはメモに追加した。

「忘れるところだったわ」

今更かもしれないが。
6. 使徒とは何か?
7. エヴァンゲリオンとは何か?
ここまで書いてミサトはペンを放り出し、座ったまま背伸び。

「やだやだ。人間がおかしくなりそうだわ。 こんなことばっかりやってて加持はよく変にならなかったわね」

気を取り直してペンを拾う。加持もまた、 結局は大したことは教えてくれなかった。知るための手がかり、道具、 そしてセキュリティ細工のためのあれこれ。
自分でやれ、ということなんだろうと思う。

「リツコを見つけないことにはまず、とっかかりがないわね。
また、日向君に頼むのかな‥‥
でも旧市の本部からじゃ、 新市のどこかに居るはずのリツコの場所なんか分かんないわよねぇ‥‥」

とはいえ。

「ふむ? 頼んでみるか」

カチャ。電話でマコトを呼び出す。

「あ、日向君? ちょっとお願いがあるんだけど‥‥」

そう告げてミサトはマコトを外へ連れ出した。旧市のいつもの橋の上で頼んでみる。 そろそろ本当に場所は変えないといけないように思うが面倒だった。 それに、どうせ ‥‥、という気分もある。

「研究所のコンピュータに侵入すれば分かるんじゃないですか? いずれにせよ研究所のどこかでしょうから」
「でもガードかたいんじゃない?」
「そうですねえ。 こないだの件で、 技術部に記録がまわらないような仕掛け一応作っておいてはあります。 ようするにマギは隠れて使い放題になってるんで、突破はマギにまかせる、 ということでどうでしょうか」
「‥‥ マギの反応が悪くなってばれたりしない?」
「でも僕もマギも今は暇ですから」

この仕掛けは前回、結局役に立たなかった。 使い道ができたと喜ぶマコトにミサトは少し罪悪感を抱く。 明らかに利用しているだけであったから。

「‥‥ じゃ、よろしく」

自転車をこいで去って行くマコトを眺めながらミサトは心の中で手を合わせていた。


「あら? 誰か入って来てる‥‥」

ユイはコーヒーを片手に持ったままクラッキングの警告を発したコンピューターを眺めた。

「‥‥ んと、本部から、これは日向君かな?」

ログを確認すると、出どころは本部の作戦部のようだ。
向こう側に誰がいるのか、まではさすがに分からないものの。

「葛城さんに頼まれて、という所かしら‥‥
じゃ、まだほっといても大丈夫、かな」

もちろん、たとえマギを使っても機密には到達されない自信があるからだが、 なによりもミサトが直接は暴れ出すつもりが無いらしいのを知ってユイは安心した。

「これくらいは勘弁してあげましょう。 まだ本人は危ない事するほどのことではないみたいね」

と、なると遊びたくなるユイ、 カップを空にして喜々として端末に向かった。

「一応、壁は追加しておくことにして‥‥ これでしばらく悩んでくれるかな」

もしクラッキングの挙動から彼らが今何を知りたいのか分かるのなら、 話はずいぶんと楽になる。 ユイはクラッカーが叩いている扉の記録を解析し始めた。


今考えていることは、アスカにはあまり関係がない上に、 アスカのように簡単に片付ける人間に訊くようなことではない、とシンジは思いなおす。 一応ちゃんと反論する。

「何で僕が話があると思うの?」
「あんたの顔みてればわかるわよ。 なに悩んでんだかしらないけど、それあんたの悪いクセよ。
シンジは、」
「うん?」

かすかに口ごもって、アスカはシンジに背を向けた。

「ちゃんとあたしのこと救ってくれたんだからね。
もすこし自信もちなさいよね。
‥‥ 借りは返せないと気分悪いじゃないの‥‥」
「ありがとう‥‥‥‥ でもやっぱり僕の問題だから‥‥」

アスカは肩を落した。 話したくないものを無理に聞くわけにはいかないとはいえ、 話してくれると思っていただけに落胆するところはあった。 以前はアスカにはつまらないと思うようなこともけっこう訊いてきていたから。
シンジにとってそれだけの重みはもうないのだろうか?

「あたしじゃ駄目なの ‥‥」
「そ、そんなことはないよ」

シンジは観念した。
ほんとうに関係のないことだと思っていたのだけれど、
話をしないことにはおさまりそうになかった。

「トウジの足けがさせた時のことなんだけど」

話しにくそうなシンジの調子。 アスカは結局むりやり喋らせてしまった気になった。

「父さんはトウジを僕の手で怪我させた。‥‥‥ すごく嫌だったよ‥‥ 父さんのことが。
でも、僕はもう、あのときの僕じゃなくて、カヲル君を殺した僕なんだ。
もう父さんを責める資格なんかないのかもしれない、けど。
‥‥ だから僕は納得したいんだ。僕はどうすればよかったのか‥‥」

敵はやっつけるものである、 と割り切っているアスカにとってはあまり考えたことのない問題だった。
ごくつまらないことのように見えるけれども、 喋らせた罪悪感はアスカを真剣にさせた。

「‥‥ 司令の処置も、あんたのやったことも、 どっちもやらなければ皆が死んでいた、ということは納得してるわけね」
「うん」
「以前のあたしなら、やっつけないでどうすんのよ、位は言ったかもね‥‥」

しかし、そう答えてもここは意味がない。アスカは少し考えた。

「ちょっとした問題だしてあげる。

船が難破して、今 10 人乗りの小船に 10 人のって海を漂流しだしたとする。
で、そこに新たに一人、舷にしがみついたとする。
このため舟は沈みそうになった‥‥
この時、舟に乗ってる人達はどうすればいいか?
っていう問題なんだけど」
「‥‥ うん」
「11 人目の人を舟に上げれば、舟は沈む。 ほっておけば、11 人目の人はそのうち体温を奪われて死ぬ‥‥
あんたのは、 鈴原や司令みたいにシンジに身近な人が関係した出来事だから 冷静に考えられないのかもしれない。こういう状況だと、シンジならどうする?」

立ち止まってアスカはシンジと視線を合わせたが、
こんどはシンジが顔を伏せた。

「‥‥分からない。僕なら‥‥ 僕なら‥‥ 僕が舟から降りるかもしれない‥‥」

シンジらしい答に、アスカはため息をついた。
こういう答えを返す人間がエヴァに乗っているということ自体が 間違いであると思う。

「で、シンジのことを陸で心配してテレビの報道を見ているあんたの家族‥‥ 司令はともかく、おばさまや、それに例えば、あたしを悲しませるわけね?」
「‥‥」
「一応、釘さしておくけど。本当にそうなった時に、勝手に舟降りないでよね。 迷惑だから」
「じゃ、アスカならどうするのさ」

ようやく本来の調子を取り戻したアスカが決めつけた。

「どんなにうまくいったって、10 人しか助かんないのよ。
あとから来た 11 人目にはあきらめてもらうわ」
「それはおかしいよ‥‥ アスカが 11 人目だったらどうなるのさ‥‥」
「誰かを引きずり落してあたしが乗るわよ」

即答。

「別にあとから来た人が 11 人目って決まってるわけじゃないんだし。 まずは生き残る努力をすること。陸で心配している人への礼儀でもあると思うわ」
「‥‥ 残りの 10 人を生かそうと努力するんじゃいけない?」
「‥‥ あんたを助けるべく努力している 10 人、かどうかは知らないけど、 の努力はどうなるの?」
「僕を助けるべく努力している人達?」

いぶかしげに尋ねるシンジ。いるの? という顔。
少し怒ったアスカの言葉が強くなる。

「こないだの件でおばさまに怪我を治してもらってるのを別にしても、
忘れたとは言わさないわよ。あんたが使徒に取り込まれた時のこと。
ミサトやらリツコやらマヤやら、一週間もかけていろいろやってたこと、 あんた助かってから聞いてるはずでしょ!」

シンジがエントリープラグの中で融けた時は一ヶ月だったが、 その時のことはアスカは言わなかった。 なによりも当時の自分を思い出すのが嫌だったから。
アスカを助けた人々もまた、いた。
D 型装備もなしに高熱のマグマに飛び込んで来てくれたシンジ、
新市に来る時に面倒を見てくれたユイ。
そして、思い出したくもないが槍で使徒を撃ち抜いたレイ。
アスカは、あの時のことを思い出して眉をひそめる。 あの時は助けられたのが嫌で嫌でしょうがなかったけれど、 今では自分の肩の力がずいぶん抜けているのが分かった。
それにしても、今までアスカもまた、『引きずり落す』ことを当然のこととして、 それ以外のことを考えたことがあるわけではなかった。
今、いろいろなことを考えている自分、 そして目の前でなお考え続けているシンジを見て、 初めてシンジの、苦しみながら戦い続ける姿が理解できたような気がした。

「シンジ。あんた、 以前にあたしに『死んじゃだめだよ』とかなんとか言ってたわね?
あたしにそういうこと言っておいて、 なんで自分からさっさと舟を降りちゃだめなんだろうか、 などど悩み続けてるわけ?」

もっとも、聞かなくても分かる。

「トウジも、カヲル君も、やっぱり助けたかったじゃないか ‥‥」

10 人乗りの舟で 11 人助けることはできない。
そのことが分かった時点でアスカは考えることを止める。
シンジは、それでもなお自分以外の 11 人目をださない方法はないか考え続ける。

どっちが良いか、などということはアスカにも分かるわけはなかったが。
ここで考えるのを止めるとこれまでの自分なわけだ。アスカは微かに自嘲する。
とりあえずシンジには自分の結論は伝えておく。

「10 人乗りの舟で 11 人助けることは、どうやったって出来ないの。分かった?
そして、シンジが舟を降りればそれで済む、というほど簡単でもないの。
それがあんたの好みらしいけど」
「うん。ずいぶん考えやすくなった‥‥」
「ま、バカシンジだとそれが限度か‥‥」

呆れたふり。別にシンジが悩むのをからかう気はもう無かったが、 一朝一夕にして態度が改まるわけもなかった。 シンジも文字通りにその言葉を受け取る。

「だって、父さんは、僕の手で、トウジを傷つけさせたんだよ、僕の、この、手で!」

こぶしを握りしめてシンジは訴えた。一番重要な事。

「で、なんかそれに意味あるの?」

一歩引いて、 アスカは冷たく返した。 悩み続けることと、これは別なことにアスカは思う。

「え?」

アスカの言葉の冷たさに、シンジは驚いた。
目を瞠るシンジを無視してアスカは言葉を継いだ。

「シンジの乗ってない初号機だったら、 鈴原の乗った参号機を粉々にしてもシンジは心を痛めなかったとでも言うの?」

アスカは軟らかく微笑んだ。 シンジの考えそうなことが容易に想像がついたから。

「シンジはやっぱり、僕が出ていれば鈴原を助けられたんじゃないか、 って悩むんじゃないの?」
「‥‥」
「実際に出てみれば、自分ではどうすることもできなくて、 司令のコントロールで鈴原を怪我させることになったのに?」
「‥‥」
「いっとくけど。あの時、僕がおとなしく死んでいれば事は済んだんだ、 なんて、つまんないことは言わないでよ?
まさかないと思うけど、あんたがやられて、 しかも無事使徒の中から無傷で鈴原が助かったとして、で、 あんたがやられてるのを見て心を痛めた鈴原が自殺でもした日には あんた責任とれるの?」
「‥‥」
「シンジには、あんたも鈴原も助ける方法が分かんなかったんだから、 司令を責める権利はあんまりないわ」

ちょっと思いついて付け足す。

「‥‥ 司令は、 もしかしたら鈴原よりあんたのことを助けたかっただけかもしれないんだから‥‥」

シンジは瞠目した。意外なことを聞かされたように思う。

黙り込むシンジを見て、アスカも自分の考えに沈む。
シンジは司令に拘りすぎ。
あたしはママに拘りすぎ。
振り返ってみて全く人のことはよくわかると思う。

「アスカ?」

アスカが自分の考えに浸っていると、いつのまにかシンジがのぞき込んでいる。
心配そうな声。

「‥‥ 違うわよ。あんたには関係ないことよ‥‥」
「そう?」

すこし疑いの眼。むりやり喋らせた罪悪感が甦る。

「‥‥ ちょっとね、あたしもママに拘りすぎたかな、なんて‥‥」
「あんなことはもうやめてよ?」
「うるさいわね! もうやんないわよ。 あんたこそ思い詰めていきなり司令に銃つきつけたりしないでよ。 あんたにも前歴があるんだから‥‥」
「‥‥ そうかそうすればいいんだ ‥‥」
「ちょっと!」
「じょ、じょうだんだよ‥‥」
「ぜんぜん冗談に聞こえないのよ。まったく」

以前のミサトを締めあげるというアスカの発言は別に冗談でも何でもなかった。
シンジのこの冗談は本当に冗談なのだろうか?


学校でもシンジの表情は依然として暗いまま‥‥ でもない。少し表情は軽くなったように見える。
言うべきことは言ってしまったので、 アスカにはさすがに放っておく位しかできない。
それに他に考えるべきことがあった。今日の夕食。

「なんかアスカ今日元気ないわね」
「‥‥‥ ヒカリ ‥‥‥」
「何よ、じっと見つめちゃって。見つめあうなら碇君とやったら?」
「今朝やったわ ‥‥ ヒカリは鈴原と見つめあうの?
‥‥ 丁度いいか‥‥ ちょっと屋上につき合ってよ」

一瞬凄いことを聞いたような気がしたけれど、 ヒカリはとりあえずそのことは追求しなかった。

「何かあったの? 碇君もすこし変だけど」
「ああ、あいつはいいのよ。ほっといてやって。理由は分かってるから」
「そう。それならいいんだけど。アスカのはそれと関係があるの?」
「いまんとこ無いわ」

二人とも変で、しかもそれが互いに関係ないこと。 ヒカリには想像つかなかったけれども ‥‥ すると?

「そういえば、綾波さんといつのまにか仲良くなってるわよね」
「そお?」
「だって、前はぜったい近寄らなかったのに‥‥」
「レイの方がずいぶん変わったもの。とっつきやすくなったじゃない?」
「そうね。‥‥ で何なの?」

二人は屋上に着いた。

「別に相談、という訳じゃないんだけどね」
「うん」
「なんかなりゆきでね。今日、シンジに夕食作ったげることになってるのよ」
「きゃあ、アスカすごいじゃない、いつのまに!」

祝福一本調子のヒカリにアスカは苦笑した。

「誤解よ誤解。ちょっと怪我させちゃってさ、そのお詫び」
「いいのいいの。照れない照れない」
「で、アスカはどれくらいできるの? ‥‥ 今日じゃあ練習なんかできないものねぇ」
「たいていなんとかなるわよ。多分。‥‥ 本があれば」

本があればどうにかなると思うのは甘い、とヒカリは自分の経験に照らして思う。 まずそれだけでは大抵はどうにもならないような気がする。
ヒカリは顔には出さなかったつもりだったが。

「一応、今日の朝もシンジに作ったげたんだけど」

そこまで酷くない、というアスカの抗議の表情。

「‥‥ 何を?」
「パンと目玉焼きとソーセージ焼いたのと、サラダ」

切ることと、焼くことと、炒めることと、 それを仕上げることはできるらしい。

「なんだ、ひととおり出来るんじゃない。
‥‥ 自信、ないの?」
「自信? あるわよ」

本人そのつもりらしいが、いつもの自信がある、という顔ではなかった。 ヒカリも伊達に親友をやっているわけではない。

「‥‥ 大丈夫よ。食べてくれるの碇君でしょ」
「‥‥ ヒカリは最初のお弁当わたした時どうだったのよ」
「‥‥ あのときは、アスカにどんといけ、って言われたんだからね?」
「‥‥ シンジの方が料理は上手だからね」
「碇君優しいから、何作っても、おいし、って言ってくれるわよ」
「ま、ね。そういうところはあるわよね。あいつは」

アスカはすこし皮肉げに思う。
シンジはミサトの料理さえ、まずいとは口にしなかった。 ‥‥ さすがに旨いとも言わなかったとはいえ。

「それにしても、アスカが弱気、ねえ。 いつもの強気はどうしたのよ」
「ちょっとね、なにか勝手が違うのよ‥‥ 自分の分しか作ったことなかったからかな‥‥」
「というより、作ってあげる相手が碇君だからなんじゃないの?」
「‥‥ ふうん? ヒカリには心当たりあるの? ‥‥ なんにしても愚痴るなんてあたしらしくないわね。下行こ?」
「‥‥ がんばってね」

そういうヒカリの方も、あれからたいした進展があったわけではなかったが。


シンジはあいかわらずだし、 アスカには買物もあったので、今日は帰りは別々だった。
脇道に隠すように停めてあるルノーからクラクションが短く鳴って、 アスカの思考を中断した。

「あーすか」
「何よミサト。こそこそと」

考えを邪魔されて、アスカはすこし不機嫌になったが、
ミサトはそれには気がつかずにテープレコーダーを差し出してきた。

「ちょっちこれ聞いてくれる?」

‥‥‥ パターンオレンジで使徒じゃないんですけど‥‥‥ 使徒だ ‥‥‥

「なによ、これ何?」

夕食に考えを戻したい。 それしか考えていないアスカはいい加減に聞き返した。

「ここ 2 回のエヴァの形をした使徒は実は使徒じゃないってこと」
「ええー??」

ようやくミサトの言うことに気を向けた。使徒でないなら相手は何?
ミサトはアスカの疑問を読み取って話を続けた。

「でね、相手が何であるか、司令が何考えてるのか、知りたいの。 調べるの手伝ってくれる?
無意味な戦争やりたくないでしょ?」
「訊けば教えてくれるんじゃないの? ‥‥‥ んなことはないか。 今ミサトが知らないんじゃ。 で、なんであたしなの? ‥‥‥ 加持さんとか ‥‥」
「‥‥ 加持は今いないし、アスカが適任なのよー
シンジ君には、お父さんのことだから頼み辛いし、 レイはこんなこと手伝ってくれそうに無いでしょ?
こないだ私の家に入った腕と度胸を買って」
「ま、そうね。で、何しろと? 司令の自宅‥‥ シンジん家の屋探しでもするの?」
「司令はこのところ帰ってないんでしょ? 何かあるとも思えないし、 アスカもそういうの嫌でしょ?」
「そうね‥‥ シンジの家をかきまわすのは、ちょっと‥‥」
「これ、あたしのカード。今は本部の全面フリーパスに書き換えてあるんだけど、 これ使ってあたしがあした本部にいることにしておいてくれる?」
「アリバイ工作? それだけ?」
「危険なことさせるわけにはいかないでしょー。そんだけよ」

アスカは拍子抜けしたが、 実際そうそう危ないことにつき合うつもりも、確かになかった。

「わかったわ。ミサトはその間‥‥ 聞かない方がいいわね」
「ちょっちね」


一応、以前作ったことのあるビーフシチューを作ることにする。
アスカは本を広げて作りはじめた。

「どこまで皮むけば終るのかわかんないのがタマネギなのよね‥‥」
「ニンニクみたいにわかりやすくなっててくれてもいいのに‥‥」
「おっかしーなー‥‥ いつのまにか胡椒入れすぎ‥‥」
「まったく、少々、とか適当に、って言葉やめて欲しいわね‥‥」
「えーい、水でうすめちゃえ」
「‥‥ こんなものかな‥‥ う、薄い…」
「塩、塩、っと ‥‥」

普段は自分で作る時はここまで味にはこだわらないが、 シンジも食べるとなると話は別になった。
この悪戦苦闘、簡単にはケリがつきそうにないがアスカには諦めるつもりは毛頭ない。

ぴんぽーん‥‥

へえ? 自分から頼んだこととはいえ、 一抹の不安を感じないでもなかったシンジだがけっこう良い匂いに安心する。 もっとも、朝食はごく普通に出来ていたので食べられるものが出て来ることは 分かっていた。

「シンジぃ?」
「うん」

中へ入って、テーブルを見る。

「アスカ、どこで料理おぼえたのさ」
「覚えなかったらいまごろ死んでたわよ‥‥
というのはおおげさにしても
‥‥ 誰もあたしの面倒みてくれなかったもの ‥‥」
「そうなんだ ‥‥」
「シンジはいつ覚えたのよ。こっちに来てから?」
「うん。おじさんところでも時々やったけど。ミサトさんがあれだから」
「にしては上手いわね。なんで?」
「毎日だったから、じゃない?」

シンジはなんとなく手を合わせる。

「いただきます‥‥」

呆気にとられるアスカ。今までにこういうことをしたことはなかったはずと思う。 同居時代にまで遡ってもそういう記憶はない。

「‥‥ このビーフシチュー、美味しいよ」

この瞬間。 この時まで実は自分がかなりの緊張状態にあったことにアスカは気付いた。

「‥‥ ありがと」

あの悪戦苦闘をくぐり抜けた意味はあったらしかった。


「‥‥ごちそうさまでした」

やはり手を合わせてからシンジは席を立った。

「あとかたずけは僕がやるよ」
「客は座っていなさい」
「‥‥ じゃんけんで負けた方がやる、ということでどう?」
「何で負けた方なのよ」
「普通は負けた方が何かする、ってならない?」

負けることには自信があったのけれど、
じゃんけんに徹底的に弱いシンジにはこれくらいの細工では関係なかった。
シンジ、間違って勝ってしまう。

「あんた、本当にじゃんけん弱いのね‥‥ 負けたかったんじゃないの?」
「うん‥‥」

奥へ引っ込みかけてシンジは何かに躓いた。 拾い上げてみれば、カード?

「ん、これ、なんだ‥‥」
「あ、それ!」

洗い物をしかけていたアスカはシンジの言葉に振り向いて、それを見て慌てた。

「これミサトさんのカードだね? どうしたの?」
「‥‥ミサトが貸してくれたのよ」
「ID カードを他人に貸すはずないじゃないか。 本部にも入れなくなるのに」
「いいのよ! かわりに本部に居てくれ、って言われたんだから」

シンジは眉をひそめた。 レイのクローンの部屋にリツコさんに連れられていった時のミサトさんの話からするに、 ミサトさんのカードは ‥‥

「それっておかしくない?
‥‥ 本部にいないのに本部に居ることにしておいてくれ、
ってこと?」
「そうよ」
「他人のカード使って見つかったら‥‥」
「なんであたしが見つかると思うのよ」
「だって、ミサトさんのカードって‥‥ アスカは知ってるの?」
「何を?」
「改造カードなんじゃないのかな‥‥」
「そういえばミサトもそういう風なこと言ってた」
「そんなカードを他人に貸す?」
「いいのよ。返しなさい」

アスカはカードをひったくった。

「あ‥‥」

アスカが後片付けを終えてから、またきけばいい。 とりあえずシンジは追求をやめた。


アスカは今日はミサトのカードで本部入り。 最初はかまえたが特になにごともない。

「すっごいカード。ほんとにフリーパス、なんだけど、な」

昨夜のシンジの追求が結構きびしく、 あれこれ苦労させられたので、 せっかくだからということでちょっと使ってみたのだが ‥‥ 案外おもしろそうなものはない。 単に医療機械がいろいろ並んでいるだけの部屋が多い。
また別の扉。開けてみる‥‥ 開いた。

「うっ」

ダミープラグ生産施設。

「しっかりしなさい、アスカ‥‥ 話は聞いてたはずでしょ」

リツコが破壊した当時の姿のまま、放置されていた。

「これがレイのクローン‥‥」


「日向君の腕もたいしたことないわねえ」

まる一日、防壁の中を循環していて先へ進んでくれる様子がない。
ユイはクラッキングの進行度をもう一度、確認しようと振りかえると。
そこにミサトが銃をかまえて立っている。

「私を撃っても無駄だということは前見せたわよね」

ミサトは銃を降ろした。単なる意志表示だけのつもりだったので。

「そうね。だからあたしはアスカの真似をさせてもらうわ」
「人質になるシンジはここにはいないんだけど」
「アスカにあたしのカードを持たせて、 本部をうろつくようにいってあるの。 ‥‥ で、これ。密告用の電話」

左手に持つ電話を掲げるミサト。

「注意はしてたのに‥‥ 子供を巻き込むなんて‥‥」

ユイは眉をひそめた。もっとも、油断もあったのは確かだった。 少なくともクラッキングが終るまでは 何もするはずがないと思っていたのだから。

「これでもいろいろ考えたのよ。新市まで人質連れてきたんじゃ、 あなたがどんな手品使ってくるかわからないから、駄目ね、とか」
「‥‥」
「なりふりかまってらんないのよ。まず、リツコはどこ?
早くしないとアスカが保安局に捕まるか銃殺されるかするわよ」
「アスカちゃんはともかく葛城さん、 あなたそんなことして無事ですむとでも思ってるの?」
「もうネルフには戻らないつもりだから関係ないわ」
「あら、日向君に頼んだのはどうなってるの?
あっちからのクラッキングが終るまでは そういうことはないと思ってたんだけど‥‥」
「やっぱりばれてたのね。めくらましに丁度よかったでしょ?」

めくらましって、‥‥ 直接訊きに来ちゃってんのに、 めくらましも何もないとおもうけど‥‥
ミサトの表情は硬いままだったのでユイは口には出さなかった。

「でも銃が使えないのに、私が保安局に連絡いれるのあなた止められるの?」
「アスカがシンジ君を撃つのを止められなかったんだから、 あなたの A.T. フィールドはごく限定されたもののはず。 電話くらいなら、こうして、」

手近な電話を撃つ。

「破壊すればすむこと。 加持君のこと、事前に知ってたんでしょ。直前にあんな電話かけてくる位だし。 だから手加減しないわよ」
「ということは私がなにかしようとするたびに物が壊されていくわけね ‥‥」

ユイはため息をついた。

「ところでアスカで人質になるの?
それに捕まってもたいしたことないんじゃない? あなたにそそのかされた、ということで。
その程度の脅迫で、私が機密を漏らすとでも?」
「あなたは、そういう人です。でなければ A.T. フィールドを、 あの時に見せるようなことはしません。違いますか?」
「 ‥‥ 赤木リツコさんなら奥の部屋にいるわよ。 あなたには黙っていたかったけど」


次回予告 セカンドインパクトの翌日、 世界は地獄と化した。 次回、人柱の重み
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