Genesis y:2 転校生 綾波レイ
"State transition"


「バカシンジっ!!」

アスカはシンジの部屋に入るなり怒鳴った。

「わっ!」
「よーやくお目覚めね、バカシンジ?」

アスカの実感だった。 横目で見れば、 まったく気が付かなかったようだけれども、 目覚しは所定の時刻に鳴ったはずではあるらしい。

「‥‥‥‥‥‥ 何だ、‥‥‥‥ アスカか ‥‥‥‥」

まだ少し眩しいらしく、シンジは腕で眼を覆っている。
アスカはこの言い方が少し気に触った。腰に手をあてて睨む。

「なんだとはなによ。こうして毎朝遅刻しないように起こしにきてやっているのに、 それが ‥‥ 幼なじみに捧げる感謝の言葉?」

「幼なじみ」という言葉、少し違和感。心当たりがないでもないけれど、 そのことを思うと顔が赤くなるのでアスカは考えないことにしている。

「ああ、ありがと ‥‥‥‥ だから ‥‥ もう少し寝かせて ‥‥‥‥ すぅ ‥‥」

シンジの安らかな顔をみてなんとなく気分をよくしたアスカだが、 さすがに寝かせたままにするわけにはいかなかった。もう 8 時を回っている。

「なに甘えてんの!」

いつも通り、実力で布団から追い出すしかないらしい。
アスカは気合いをこめて布団をはぎとった。

「もおっ、さっさと起きなさい、よっ!
‥‥ きゃああエッチちかん変態しんじらんない!!」

たてつづけのアスカの怒鳴り声にシンジはようやく目が醒めた。 アスカの大声の理由に思い当たって、あわてて身を隠す。

「しかたないだろ、朝なんだからぁ!」


シンジとアスカのやりとりはいつも叩き起こすための大声と、悲鳴とで成る。 だから全て隣の台所につつぬけだった。 洗いものをしながらユイは食卓で新聞を読んでいる夫に向かってため息をついた。

「シンジったらせっかくアスカちゃんが迎えに来てくれているというのに、 しょうのない子ね」
「ああ」
「あなたも新聞ばかり読んでないでさっさと支度してください」
「ああ」
「もう。いい歳してシンジと変わらないんだから」
「君の支度はいいのか」
「ハイいつでも」

ユイは今日ようやく冬月先生がこちらに渡ってくることを思い起こした。 もう様子は知られているとは思うのだけれど、 しかし二人して遅刻するところを先生に見られるのはやはり恥ずかしい。

「‥‥‥ 会議に遅れて冬月先生におこごと言われるの、 私なんですよ」
「君はもてるからな」

こういうタイミングでこういうことを言う。 こういうところ結構かわいいのに、なんで皆不思議がるのかしら。ユイは思う。

「‥‥ ばか言ってないで、さっさと着替えてください」
「君の準備はいいのか」
「ええ、いつでもどうぞ」
「わかったよ、ユイ」

ゲンドウはようやく腰をあげ、なかった。
アスカちゃんと同じようにするとして、そうね、 たとえば椅子から蹴落とさなきゃダメかしら、 などと過激なことを考えているとアスカの声が耳に入って来た。

「‥‥ ほら、さっさとしなさいよ」
「わかってるよ、ほんっとうるさいんだから、アスカは」

声に目を向けると、 顔を真っ赤にしたアスカと顔の右頬だけ赤くしたシンジが 仲良くじゃれあっている。

「なんですってぇ!」

ぱん! シンジの左頬も赤くなったようだ。それを眺めていると、 アスカがユイに気がついた。 ユイの視線の意味はすぐわかる。アスカは微かに赤くなった。

「‥‥ じゃあおばさま、いってきます」
「いってきます ‥‥」
「はい、いってらっしゃい」

やっぱり夫を椅子から蹴り落すことにしたユイは、夫に振り向いて睨んだ。

「ほらもう、あなた、いつまで読んでるんですか」
「ああ、わかっているよ、ユイ」

ゲンドウもその殺気には気が付いてのろのろと新聞を横の椅子におく。
ユイは腰に手をあて、ゲンドウをまだ軽く睨んだまま。

「そう。わかればいいんです」


アスカ、シンジの二人はいつものとおり通学路を走っていた。 走って通うことに慣れてしまい、走りながら会話もできるようになっている。

「今日、また転校生が来るんだよね」
「まあね、ここも来年には遷都されて新たな首都になるんですもの。 どんどん人は増えていくわよ」
「そうだね。どんな娘かな? かわいい娘だったらいいな」

いつのまに女子と決まったのよ、 と心のなかで突っ込みながら、アスカはすこしむくれた。
顔を見られないように少し下がってついていったのが、 よかったのかわるかったのか ‥‥


綾波レイもまた学校を目指して走っていた。

「ハァ、ハァ、ああっ、‥‥‥ 遅刻遅刻ぅ! 初日から遅刻じゃ、 かなりヤバいってかんじだよね。ハァ、ハァ」

トーストを口にくわえながら、器用につぶやいた。 しかしトーストを口にくわえていることもあって息が上がるのは早かった。 交差点で速度を緩めてしまえばさすがに再び加速できるかどうかレイにはもう自信がなかった。
でもふつう避けてくれるよね、
とそのまま交差点を左に折れて駆け抜けようとして、 右からなにかがものすごい勢いでとびこんできたのを感じる。

「あっ!?」

レイは左に曲がり切れずそのまま相手を正面から突きとばしてしまったが、 自分もまた後ろにふっ飛ばされてしまった。

「シンジ!」

アスカの叫び声。シンジは左から何かが来た、と思う間もなく突きとばされていた。

「つーぅ、いったぁ ‥‥」

レイもまた顔をしかめていた。 うしろに倒されてかろうじて後頭部は打たなかったものの、 おもいっきり背中を地面に叩きつけられていた。 いまようやく半身おこしたばかり。

「いたたた ‥‥」

背中の痛みが少しおさまった頃、ようやくレイは自分の格好に気がついた。 ちょうどその時に頭を抱えていたシンジが顔を起こす。 シンジのまっ正面にレイ。

「ん?」

レイはさりげなくいそいで自分のスカートをととのえ、シンジに謝った。

「えへへ、ごめんねぇー。マジで急いでたんだ。ホントごめんねー」

学校に間に合うかどうか、かなり危ない。
トースト落しちゃったよう、朝ご飯あれだけなのに‥‥‥‥
心の中で泣きながらレイは返事も聞かず走り出した。
レイのトーストは衝突で落し、スズメのエサになっていた。 今もなお歩道の端で 2 羽、トーストのかけらをつついている。

「はあ‥‥」

呆然としたシンジの生返事。レイの走っていく姿を何時までも眺めている。
その後ろで、今日、三度目のビンタをアスカが用意していた。

ただでさえ時間ぎりぎりの上のトラブル。 それでもシンジ、アスカの登校はかろうじて間に合った。 すでに鐘は鳴り始めていたが、先生はまだ来ていなかった。

「なんかあったんか?」

いつもは走りながらかけこむとはいえ、 そこそこのタイミングで登校してくるのを知っているトウジがシンジに尋ねてきた。

「え、ああ、じつは ‥‥」

話をきいてトウジは激昂した。シンジのむなぐらをつかむ。

「なぁにいい? で、見たんか? その女のパンツ」
「べつに、見たってわけじゃ ‥‥」

シンジはその時の情景を頭に思い浮かべた。 すこしだけシンジの顔がほころぶ。

「‥‥‥‥‥ チラッとだけ」
「かーっ。朝っぱらから、運のええやっちゃなー」

トウジは心底うらやましそうに嘆息した。
少し離れてそれを見ていたヒカリはトウジにつかつかと歩み寄って、 いきなり耳を掴む。

「鈴原こそ、朝っぱらからなにバカなこと言ってんのよ!」
「いていてててて、いきなりなにすんのやもぉ、いいんちょー」

トウジはため息をついた。

「ほら、さっさと花瓶のお水かえてきて! 週番でしょ」
「ほんまうるさいやっちゃなあ」
「なんですってえ!」

トウジから解放されたシンジはそれを眺めながらケンスケにささやきかけた。 ヒカリには聞かれないようにして。

「尻に敷かれるタイプだな、トウジって」

ヒカリはトウジを見ていてそんなことは耳に入っていなかったが、 こちらはどちらかというとシンジの方を見ていたアスカはそれを耳にして少し呆れた。

「あんたもでしょ」
「‥‥ なんでぼくが尻に敷かれるタイプなんだよ」

一瞬思い当たる顔のシンジは、しかし反論した。

「なによ、ホントのこと言ったまでじゃないの」
「なんでだよ!」
「見たまんまじゃない」
「だいたいアスカがいつも ‥‥‥‥‥」

シンジとの会話をアスカに中断されたケンスケ、会話には加わらずその場を離れた。

「平和だねぇ‥‥」

そして窓際で一人暇そうにひなたぼっこしながらつぶやく。 外を眺めているうちにケンスケは爆音を立ててルノーが正門から突っ込んで来るのを目にした。 このルノーは学校の駐車場めがけてスピンターン一発で停車してのけた。 ルノーのエンジンを止めてミサトが降りたつ。
それに気がついてケンスケはビデオを取り出した。トウジも花瓶を置いてとんできた。
きれいにスピンターンが決まったことに気分が良いらしいミサト、実は遅刻。

「おおっ! ミサト先生や!」

視線! ケンスケがカメラを回しているのに気がついたミサトは、普段どおり 3 階のケンスケのカメラにむかって V サイン。

「おおおー、やっぱええなあ、ミサト先生は」
「なによ、さんバカトリオが。バっカみたい」

トウジがひたっているのになんとなく不満なヒカリと、 シンジまでそちらに向かったのでおいてかれたアスカとが口をそろえた。

暫くしてようやくミサトが教室に入って来た。 ホームルームが始まる。

「きりーっ、れい、ちゃくせき!」
「よろこべ、男子! きょうはウワサの転校生を紹介する!」

一斉に視線がそちらへ動く。

「綾波レイ、です。よろしく」
「ああーっ!!」

今朝の子だ! シンジはおもわず声を上げた。
シンジの声にそちらを向いてレイも驚く。

「あっ、あんた! 今朝のパンツのぞき魔!」

それはヒドい、おもわず棒立ちになったシンジのかわりにアスカが横から。

「ちょっと、言い掛かりはやめてよ! あんたが勝手に見せたんじゃない」

あれ? そういえばあのとき近くにいたような気がする。レイは思った。
わざとらしく交互に顔を見やりながらちょっと追求。

「あんたこそなに? すぐにこの子かばっちゃってさ? なに、できてるわけふたり?」
「う‥‥ た、ただの幼なじみよ! うっさいわねえ」

図星だったことをレイは知った。これは楽しそう!

「ちょっと授業中よ! 静かにしてください! 先生!」

ヒカリが止めに入ってミサトを見るも、
偶然の恐ろしさというものに関心していたミサトはいきなり話をふられて慌てる。

「あらー、楽しそうじゃない。あたしも興味あるわ、続けてちょうだい」

ミサト、つい本音で答えてしまった。
ヒカリは一瞬天を仰ぐ。そういう先生だと分かってはいても、 ここまでやるとは思っていなかった。おもわず自分の甘さと役回りを呪う。
レイもまた、少し驚いた。止めに入ったヒカリに少し同情したが、 追求の手を緩めるつもりはさらさらなかった。


冬月は窓からふと外を眺めて、車から二人が降りてくるのをみつけた。
遅刻夫婦の到着。

「冬月先生、お久しぶりです」
「ああ、元気そうだな。11 年振りかね」
「いやですわ、毎日会ってましたでしょ」

初号機と対面するのを会っているとは言わないと思うが口には出さない。 冬月はゲンドウをみやって、

「で、仕事を私に押しつけて、まさか遊んでいたわけじゃあるまいな?」

ゲンドウは苦笑して、

「明後日からは俺も本部にもどるさ。そろそろ老人どもが退屈するころだ」
「息子との同居はどんな感じかね? うまくやっているか?」

瞬間ゲンドウは表情を消した。かわりにユイが答える。

「先生、それはまだわかりません。でも大丈夫ですよ。この人がこんなにかわいいこと、 一緒に住んで思い出したでしょうから」

確かにここのところの碇はすこし角がとれたような気もするが、 かといって 10 年もほったらかしにしたことが帳消しになるわけでもあるまい。 冬月はユイの楽観的な観測には半信半疑だった。
母親の言うことだから一理はあるのだろう。しかし、ゲンドウを「かわいい」 と言う感覚が息子と共有できるかどうかには疑問が残ると思う。

「碇を『かわいい』と思うのはやはりユイ君だけだと思うのだがね。まあいい、 こんな所で立ち話していても仕方ない」

三人は中に入った。

「ようやく今日、レイをこちらに転校させた ‥‥‥」


いつのまにやらヒカリとトウジの関係にまで話が及び、 アスカ、レイ、ヒカリの壮絶な舌戦は結局チャイムが鳴っておわりを告げた。
当事者であるにもかかわらずシンジは、 まったく口を挟めずにただレイを眺め、 かすかに感じる既視感について考えつづけていた。

「それと、シンジ君? ひとつ貸しだからね」

レイが告げるのを耳にして、いつのまに名前を知ったのか疑問に思う。 アスカが連呼していたことに考えをめぐらせていると、 隣の席にレイが腰かけた。
シンジの驚いた表情を見て、レイ。

「聞いてなかったの? 先生が言ってたわよ。私の席はここ、って」
「ミサト先生 ‥‥‥ わざとだなぁ ‥‥‥」

全然生徒に信用のない、ミサト。

「そういえばシンジ君って名字なんていうの? 名前で呼んでると誰かさんが怒りそうでねぇ」
「碇。碇シンジ。さっき綾波とやりあってたのが惣流アスカ」
「べつにそっちは尋いてないわよ」
こういう時はアスカが割り込んでくることになっているのに、 背中に視線も感じないことをシンジは少し疑問に思う。
シンジのその視線の動きを理解してレイは笑った。

「‥‥ アスカさんはどっかいっちゃってるわよ? それみはからってから席についたんだもの」

アスカの席はシンジをはさんで綾波とは反対側。 後ろを振り向けば、たしかに席は空。
戻って来てからが恐かったりして‥‥
シンジはこれからの生活のことを思った。


たまたまレイの見えない昼休み。シンジがアスカに問いかけて来た。

「アスカぁ、綾波ってなんとなく見覚えない?」
「あんたねぇ‥‥‥ でもそういえばなんとなく身に覚えのある嫌悪感があるのよねぇ」

この話題は楽しくない。 シンジが首をかしげる。アスカの心の内を読んだように。

「って、それは違うんじゃない?」
「それはあんたもでしょうが。初対面があれだからって!」
「そんなんじゃないよ!」
「そう?」


次回予告 人々が平和な生活を夢みる時、その街はすでにもとの街ではなかった。 アスカは自らの心が偽りのものであることを知る。 次回、在るべき心
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