『十兵衛』 #9 の感想

(Last updated: Jun. 1, 1999)

粗筋
眼帯がなくなったことで餅つきする自由達。 そこに津村御影が訪れる。 かつて十兵衛に切られた者達が龍乗寺の恨みから解き放れたことを語り、 他の者も救って欲しいと自由に頼むが、自由はもう十兵衛ではないと断る。 しかし、四郎の決闘申込の真意を知った自由は ──
感想、話の構造として
ラストにむけて話が大きくうねるようにまとまりを見せ、話の大きさと豊かさを感じた。 しかも恐ろしく密度が高い。

#1 〜 #3 あたりでの、切られたキャラの「もいっかい修行してきます」の類、 ただの捨てセリフにしか思えなかったあれがしっかりと物語の本筋に織り込まれて復活する。 出てきたときは単なるスパイスにもなっていなかった「ママに似てる」がここで復活し、 翔子の筋に絡む。ま、もっとも翔子の筋はまだオマケみたいなもんだけども。

「あたしはあたしだけで精一杯だから。人のことは ....」
がきっちりここからの主題になるならこれは『十兵衛』という物語の主題でもあるし、 なんていうか、局所的なネタでラストへなだれ込むって感じじゃなくてちゃんと 13 話全体としての筋が通る。すごくいいです。

あとは堤先生の筋。「わしゃちょっと出かけてくるからにぃ」てのが気になりますな。

ひとつ書いておきたいと思うこと
大地監督の描くものは『十兵衛』にしても、その昔の『こどちゃ』にしても(他は知らない)、 同時に描かれているギャグとシリアスの振幅が非常に大きいという特徴がある。

それとひきかえにするように、 ギャグと語る時にシリアスの主筋がぴたっと止まってしまっているという難点があった。 Single task OS で coroutine が動いているかのように ... って分からんか。

たとえば前回のギャグの主要部分、よくできていた便器王女ネタが進んでいる間には やっぱり主筋の四郎の話が止まってしまっている。 あれだけ時間使っておいて結局は「便器王女じゃないっ!」の驚きの一言でしか使えていない。

今話は「(龍乗寺君の)隣に座っている子」の話にせよ、ギャグやってる間にも きっちり話が進む、シリアスとギャグが同時に語られて (調和とはもはや言わず)渾然一体となる、 ま、今回はもともとギャグの振幅が小さかったってのはあるにしても、 こういう、畳み掛けるといったごまかしをするでもなく、 でもしっかりと隙のない調和は良かった。

旨い料理は舌の上の味覚をぜんぶ使う料理だ ... と言われるのとほぼ同じ論理で、 面白い物語はそれを観る人の感覚の受容器の bandwidth をフルに使うものだと思う ... って比喩のほうがよっぽど分からんような気がするけども、 前回"To Heart" #8であまりに観るところが少なくて気色悪かった というのとは丁度逆に、すべての感覚につねに感じるところがあったというか。

翔子の筋を絵と間で語ろうとして動きが止まった瞬間に それがはっきりと分かる。
感覚が greedy に動いているので 絵が止まって流れで語っていた部分がなくなると 惰性で恐ろしく細かい動きまで吸収しようとし .... でてくる感想は「なんて雑な絵なんだ」だもの。
TV の走査線 1 本分の線の動きの差まで 見極めようとすると、.... やっぱ翔子の絵ぇ荒い(^^;

それに、 彩が御影を見て表情を変えるのはいいけど、その彩をみて翔子が目を潤ませるのが 少し早いんでないかなぁ。 もすこし翔子の心情じっくりつくって欲しかったかな。

感想、物語の ...
「あたしはあたしだけで精一杯だから。人のことは ....」
ってゆうたら
「それでええやん」
と思ってしまってはいけないのでしょうねぇ。実紗子ママ言うところの「紙に書く」 ってのはこういう時こそ役に立つような気がするんですけどね。
御影が眼帯を付けられなかった時点で「自由は十兵衛じゃない」という論理が 龍乗寺には通じなくなった訳で、あとは 「あたしはあたしだけで精一杯」の筋を押し通して 「龍乗寺が絡んでくるのもあたしのことだ」とするか、 「十兵衛は自由だ」とするか。 でも自由が十兵衛になった日には それを考えるきっかけになった四郎の想いがチャラになってしまう。 じっくりと考える暇を与え、そうで与えずに真子次郎が襲ってくるあたりは 前回の治療中に襲ってくるのと同じで、緊迫感は維持するんだけど、 すいません、自由と一緒にもちっと考える時間欲しかったです。このへん。

ハジメちゃんいまいちかもしんない。弱い者いじめはいけません。ん、反抗ネタあるかなあ。 ラスト、良い人的にお亡くなりになりそうな序盤なんだけども。

感想、演出について
真琴そっくりの御影に対して一瞬かつての御影を重ねて自由に認識させたのは 見た時はすこし煩かった。正装した御影の印象は薄かったので 「真琴そっくりってことで御影かな〜楽しみ楽しみ」ってトコをいきなりネタ割って ばらされたから(^^;

それと、もすこし翔子の筋の出番を増やしてやってください > 監督様。
他の筋がほとんど「自分こそが主筋」といわんばかりの でかい顔してのさばってるのに比べて、ちと筋の立て方が弱々しいっす。 ええキャラなのに可哀相すぎです。

今回、この一言
「この女。..... 本気だったか ....」
結論。なんだかんだいって脇筋の翔子の話しか見てなかったとかいうかもしんない。

『十兵衛』 #10 の感想

(Last updated: Jun. 17, 1999)

粗筋
睨みあう四郎とハジメ。その間に自由が割って入って二人を止める。
概観
前々回までの大きな流れを、前回、綺麗に整理して結局 ──
自由の主筋
自由でありつづけるにはどうするか?
四郎の主筋
竜乗寺への対立を深める四郎。
鯉之介の主筋
自由が自由でありつづけると自分の存在意義に関わる
翔子の主筋
失恋しかけ
彩の主筋
片想い
ハジメの主筋
四郎は敵だ
と都合 6 つの筋が立ち、それを御影という水先案内人が話を進める形。 で、今話で自由、四郎、ハジメとどちらかといえば主要な筋を片付けてしまったんだけど、 ううん、せっかく三つも修飾できる脇筋が展開されているのに まったく使わなかったなんてなんてもったいない。

今回、この一言
「頭で考えてできることはしよう?」
ここがヤマなんだろうけども、 でもコンテクスト上は 四郎からみてハジメと仲良くするのは「頭で考えてできること」の範疇には 入ってないんだよな ...

『十兵衛』 #11 の感想

(Last updated: Jun. 17, 1999)

粗筋
邪気の消えぬ龍乗寺本宅に忍びこむ御影はそこで 四郎に乗り移った竜乗寺醍醐に出会い、手傷を負う。 それを見つけた彩が彼女を家に連れ帰り、自由に自分の御影への想いを語るころ、 龍乗寺醍醐が二人の前に現われた ──
概観
竜乗寺醍醐くん。ほとんど『ロストユニバース』の敵役(名前なんてったっけ...)。
構造
今回は残りの翔子と彩の筋。 そのわりには翔子の筋が粗筋に出て来ていないが、翔子の解決は 彩の筋に絡んだとはいえ、 脇筋になってしまってるから粗筋には出て来れない ...

四郎の筋を前回あっさり解決してしまったわりには彩と自由の筋が複数回に渡るあたり、 こっちが物語全体の主筋で、友人関係に関する問題を先に置き、 後に家族関係の問題をもってくるってセンスがしっかりと大地監督ですな。

それにしても物語の筋から追い出されたバンカラ 3 人やハジメのギャグが寒い。 こういう展開にするなら四郎の筋を未解決(自由とまだ和解せず)のままにしておけば、 醍醐に乗り移られた四郎が物語から遠ざけられている間に ハジメが自由に告白するところなどが「鬼の居ぬ間に ...」という形で 主筋に絡んで存在感が出るのに ...

先生が辞めて、翔子が警告し、それが取り消され、 家に戻ったところで御影を介抱する彩を見、 驚いて家の外に出ると醍醐の襲撃が待っていたという流れは素直。
ただ醍醐の襲撃は御影との争いの時点で分かる訳で、 コンテクストで暗示するのは ちと冗長だと思う。 ここまできっちりと予定調和にはめ込むと、 解決編を予定調和に出来ない。つまり、「十兵衛でも自由でも自由は自由」 という論理で彩が自由を見ることはない ... かな。

とすると「十兵衛も自由」というのを「御影に惚れてる」とのバーターに使って 互いに許容したところで「御影が去って行く」ってのが形 ... と予想なんぞしてみる。
夫がいる、というのが何気に忘れ去られたふりをしているので、 きっとラストで絡んで来るに違いないと(^^;

今回、この一言
「その人は、── ママじゃないよ」

『十兵衛』 #12 の感想

(Last updated: Jun. 22, 1999)

粗筋
自由は十兵衛なのか? 戸惑い、あるいは悔やみながらも切り結ぶ十兵衛と醍醐のあとを負う彩。 自分のことだけ考えよと、戻ってこいと語りかける彩に、 先輩を助けるんだと自らの心を語る自由。 龍乗寺最強の剣士を敵に回す時、ついに『十兵衛』が姿をあらわす ──
概観
ED が流れはじめ ──
「こんなとこで終わるかぁ(悲鳴)!」
展開の手厚さ、小西寛子の一人 2.5 役の演じ分け、御影対醍醐の剣技、彩の叫び、BGM の流し方、 表情の描き込み、ED への入り方 ED の回想絵 ...
良かった。さすが最終回 - 1。 その証拠になんか「粗筋」も妙に気合いが入ってますな :-)

#10 の時に「なんでこう小さく...」と書いたけど、 これだけのネタをまだ残していたんなら納得かも。 分量的にそこまで面倒みらんないやね。 翔子も四郎も追い出され、鯉之介やハジメさえもほとんど追い出してしまい 完全に大人達(彩、御影、十兵衛、醍醐)の物語にしたかわり けっこう面倒見の良い展開でした。

「日常」の象徴がバンカラ三人になったのは ... まあ、どっちかというとシリアス的日常の象徴になる翔子達ではバランスがかえって悪いか? そのまま切り殺されそうだ。

ただね ... いきなり「ラブリー眼帯は自由の身体に荷が重い」は無いだろーが。 醍醐を敵に回して初めて表に出て来た欠陥とはいえ、 これがあるなら四郎はそんなに困ることはなかった。 御影が彩に語るシーンが説明的で、どうもこの件には好意的になれない。

ついで。ここまでシリアス展開になった時、次回予告もシリアスなのはいいけど 最後にある「『十兵衛ちゃん』最終回『夜が明けたら朝が来た』。おみのがしなく」の 十兵衛「ちゃん」がなんとなくギャグに浮いててヘン(^^;

殺陣
「殺気」が(オーラの絵とかいったものを使わずに)表現されている ... が、もうすこし詰められるな。醍醐の表情にリズムつーか旋律が無いんだよね。

たとえば僅かに醍醐の表情が変わり、場が止まってカメラが右にずれて醍醐の後ろの 十兵衛が構えているのを映し出すシーン。

そこまでの醍醐と御影の切り合いのテンポに全音休符を置いて止めたところだから 醍醐の表情が止まってそれに鑑賞者が(醍醐に僅かに遅れて)「ん」と気付いたところで 十兵衛が問答無用で醍醐の後ろから切り込んで醍醐が半身で受け流すのを 醍醐と御影の切り合いのテンポままで人物換えて流す、って方が個人的好み。
アニメのように十兵衛登場ではっきり止めてしまうなら殺気の表現に (難しいだろうけども)醍醐に表情つけて欲しかった ... 逆光で潰れているところに睨む目が光るという絵があまりにベタで 殺気表現を思うよりまえに醍醐と御影の切り合いと比較してしまって 「をいをい(呆)」となったから。

御影
真剣でしかも片方は嘲ってるし片方は苦しそうだけど、 でも御影も醍醐も楽しそうに 切り合いしてるように見えるのは気のせいですかねぇ。 そういう演出だとすれば、 別世界の人物がきちんと描けているという意味で凄いっす。

なんせ十兵衛が「なんでいまごろになってこんなことせなならんのだ?」 という空気をきっちり出して描かれてるからねぇ。

にしても、この展開だと御影は死なないな。やはりあるか? 津村天津ネタ。

「他人のことばっかり考えて、一番大切なものが、自由と、ママだってことを忘れてた ... これからは自分達のために生きよう、自分を守って生きよう、自由、二人で生きよう ....」
の結論の果てが
「自由だけでいろ、帰ってこい、自分のことだけ考えろ、 他人のことは考えるな」
というのが彩の限界か。こういうところで描かれる人物ってたいてい 思い直したあとにたどる思索には欠陥がないので新鮮だったかも。

自由が不可思議な倒れかたをした時さえ医者に連れていくことが出来なかったに対し、 御影の 2 度目の怪我にあっさり医者に連れて行った。 これ、もの凄い説得力があるけど、 自由との距離感の問題が主題な時にいいのかそれ? とか普通なら言いたくならないでもないところだけど、 一人一人がきっちり自分の物語をもっているというのは良いっす。 結局は自分自身の物語という裏打ちあってこその他人との付き合いだ。

今回、この一言
「あの時聞いてやらなくちゃいけなかったんだよ、あいつが悩んでることを、
何がなんでも訊いとかなくちゃいけなかったんだよっ ‥‥ !!」
セリフだけ見れば「ま、そうね。確かに良いかも」 と語って終わりでしかないかもしれないが、これが絶対的な説得力を持つよう 背景を描き込んできたその手厚さが重い。

『十兵衛』 #13 の感想

(Last updated: Jun. 30, 1999)

粗筋
初代十兵衛の遺言、ハジメの言葉をともに 他人の事情と切って捨てる彩。 彼は十兵衛から自由を取り返すべく 十兵衛に勝負を申し込み、 自らに太鼓大夫の霊を呼び込む。
彩が自由を取り返したのを見届けた瞬間、 『十兵衛』は刃を返して太鼓太夫を薙ぎ払った。
概観
ある意味、粗筋をどう書くかでその人の視点が見える、 というほどに充実した展開 ... のみならず死ぬ程めんどくさく絡みまくった筋。 鯉之介の筋、十兵衛と四郎の筋、いずれも重要な筋だったけど粗筋に収めようがなかった。 脇筋の展開も非常に密にあって。

で、力任せに押し切られました。ほとんど語られている内容を聞くだけ。

主筋
「龍乗寺 300 年の恨みをこの世から完全に断ち切るには この柳生十兵衛の剣をもって他にはない。 彩殿、すまぬ。自由殿の心、私の中に永久に葬らせて頂く」
という「仕事熱心」が
「パパ仕事いっぱいあるんだよ、パパがいないとパパの先生が困っちゃうんだ」
に重なるんねぇ ... まったく想像も思いつきもしませんでした。脱帽。

ただ、そういう勝算の見通しがない、つまり太鼓太夫に取り付かれるとは どういうことか明らかになっていない段階で、 取り付かせておいてどうにかするという方針を彩が採るべきかというと ... ちと御都合主義かも。

絵、演出
微妙に口パクが崩れててなんかもぅ...

彩が自由を抱き抱えて飛んだ時の角度と十兵衛と太鼓大夫の切り結んだ形とが あってねぇ... 音楽の使い方も感情をかきたてすぎ(途中で ED に入ったかと思ったぞ) で合ってるのかあってないのかよくわからん。

鯉之介が消える瞬間がリズムぴったりより 0.5 秒くらい早いのは良いです。 唐突さが良く出てて。

忘れ物
ほとんどすべての問題が解決されているが、..... タイトルにあるところの 「ラブリー眼帯の秘密」、残りの 4, 5, 6 って何だっけ。
今回、この一言
「俺が勝ったら自由べえを返せ!
よぉ、柳生十兵衛 ... 抜けよ」
ううん、難しい、今回は ... 自由の幸せ発言や鯉之介の悔悟、懺悔他、ノミネート級が 7, 8 箇所。
『十兵衛』という物語のまとめとして
.... なんで 13 話なんだ。 ラスト 3 話だけで十分に 1 クールこなせる内容があるじゃないか。 現状は詰め込み過ぎで人物描写が甘い ... いや、バイプレイヤーとしては 充実した描写なんだけど、それぞれの脇筋が本筋とみまごうほどっつーか、 本筋に完璧に組み込まれて立つので主人公的な描き込みが要求されているところ、 そこまでは描き込められていない。 たとえば「自由、帰ってこい」は 悪く見れば彩がやたら「家族」を前面に押して自由を縛ろうという描写にとれる。 「彩がそういう人物ではない」という描写がないもんだから綱渡りな演出になっている。

この人物の描写不足が、たぶん『十兵衛』の最大の難点なんではなかろうか。 各人物の思想信条動機の体系が不鮮明で人物の行動が何であれ鑑賞者は受け入れるしかない。 批判に耐える水準まで根拠を並べることができてこその説得力であり、 この観点では主要人物のそれぞれの行動に説得力が少し欠ける。

後半は彩の '語り' を中心に据え、その周りに各登場人物の行動を置く。 彩の '語り' を鑑賞者が自分のものとするには上に挙げたように彩の描写が危うい。 '語り' の支えに回るには周りの人物に感情移入が難しい。 敵に回すには clue が足りない。

良くできている。感動もできる。けれども ...

「そんなことは俺には関係ねぇ!」
のかもしれない。
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