#1 〜 #3 あたりでの、切られたキャラの「もいっかい修行してきます」の類、 ただの捨てセリフにしか思えなかったあれがしっかりと物語の本筋に織り込まれて復活する。 出てきたときは単なるスパイスにもなっていなかった「ママに似てる」がここで復活し、 翔子の筋に絡む。ま、もっとも翔子の筋はまだオマケみたいなもんだけども。
「あたしはあたしだけで精一杯だから。人のことは ....」がきっちりここからの主題になるならこれは『十兵衛』という物語の主題でもあるし、 なんていうか、局所的なネタでラストへなだれ込むって感じじゃなくてちゃんと 13 話全体としての筋が通る。すごくいいです。
あとは堤先生の筋。「わしゃちょっと出かけてくるからにぃ」てのが気になりますな。
それとひきかえにするように、 ギャグと語る時にシリアスの主筋がぴたっと止まってしまっているという難点があった。 Single task OS で coroutine が動いているかのように ... って分からんか。
たとえば前回のギャグの主要部分、よくできていた便器王女ネタが進んでいる間には やっぱり主筋の四郎の話が止まってしまっている。 あれだけ時間使っておいて結局は「便器王女じゃないっ!」の驚きの一言でしか使えていない。
今話は「(龍乗寺君の)隣に座っている子」の話にせよ、ギャグやってる間にも きっちり話が進む、シリアスとギャグが同時に語られて (調和とはもはや言わず)渾然一体となる、 ま、今回はもともとギャグの振幅が小さかったってのはあるにしても、 こういう、畳み掛けるといったごまかしをするでもなく、 でもしっかりと隙のない調和は良かった。
旨い料理は舌の上の味覚をぜんぶ使う料理だ ... と言われるのとほぼ同じ論理で、 面白い物語はそれを観る人の感覚の受容器の bandwidth をフルに使うものだと思う ... って比喩のほうがよっぽど分からんような気がするけども、 前回"To Heart" #8であまりに観るところが少なくて気色悪かった というのとは丁度逆に、すべての感覚につねに感じるところがあったというか。
翔子の筋を絵と間で語ろうとして動きが止まった瞬間に
それがはっきりと分かる。
感覚が greedy に動いているので
絵が止まって流れで語っていた部分がなくなると
惰性で恐ろしく細かい動きまで吸収しようとし ....
でてくる感想は「なんて雑な絵なんだ」だもの。
TV の走査線 1 本分の線の動きの差まで
見極めようとすると、.... やっぱ翔子の絵ぇ荒い(^^;
それに、 彩が御影を見て表情を変えるのはいいけど、その彩をみて翔子が目を潤ませるのが 少し早いんでないかなぁ。 もすこし翔子の心情じっくりつくって欲しかったかな。
「あたしはあたしだけで精一杯だから。人のことは ....」ってゆうたら
「それでええやん」と思ってしまってはいけないのでしょうねぇ。実紗子ママ言うところの「紙に書く」 ってのはこういう時こそ役に立つような気がするんですけどね。
ハジメちゃんいまいちかもしんない。弱い者いじめはいけません。ん、反抗ネタあるかなあ。 ラスト、良い人的にお亡くなりになりそうな序盤なんだけども。
それと、もすこし翔子の筋の出番を増やしてやってください > 監督様。
他の筋がほとんど「自分こそが主筋」といわんばかりの
でかい顔してのさばってるのに比べて、ちと筋の立て方が弱々しいっす。
ええキャラなのに可哀相すぎです。
「この女。..... 本気だったか ....」結論。なんだかんだいって脇筋の翔子の話しか見てなかったとかいうかもしんない。
「頭で考えてできることはしよう?」ここがヤマなんだろうけども、 でもコンテクスト上は 四郎からみてハジメと仲良くするのは「頭で考えてできること」の範疇には 入ってないんだよな ...
四郎の筋を前回あっさり解決してしまったわりには彩と自由の筋が複数回に渡るあたり、 こっちが物語全体の主筋で、友人関係に関する問題を先に置き、 後に家族関係の問題をもってくるってセンスがしっかりと大地監督ですな。
それにしても物語の筋から追い出されたバンカラ 3 人やハジメのギャグが寒い。 こういう展開にするなら四郎の筋を未解決(自由とまだ和解せず)のままにしておけば、 醍醐に乗り移られた四郎が物語から遠ざけられている間に ハジメが自由に告白するところなどが「鬼の居ぬ間に ...」という形で 主筋に絡んで存在感が出るのに ...
先生が辞めて、翔子が警告し、それが取り消され、
家に戻ったところで御影を介抱する彩を見、
驚いて家の外に出ると醍醐の襲撃が待っていたという流れは素直。
ただ醍醐の襲撃は御影との争いの時点で分かる訳で、
コンテクストで暗示するのは
ちと冗長だと思う。
ここまできっちりと予定調和にはめ込むと、
解決編を予定調和に出来ない。つまり、「十兵衛でも自由でも自由は自由」
という論理で彩が自由を見ることはない ... かな。
とすると「十兵衛も自由」というのを「御影に惚れてる」とのバーターに使って
互いに許容したところで「御影が去って行く」ってのが形 ...
と予想なんぞしてみる。
夫がいる、というのが何気に忘れ去られたふりをしているので、
きっとラストで絡んで来るに違いないと(^^;
「その人は、── ママじゃないよ」
「こんなとこで終わるかぁ(悲鳴)!」展開の手厚さ、小西寛子の一人 2.5 役の演じ分け、御影対醍醐の剣技、彩の叫び、BGM の流し方、 表情の描き込み、ED への入り方 ED の回想絵 ...
#10 の時に「なんでこう小さく...」と書いたけど、 これだけのネタをまだ残していたんなら納得かも。 分量的にそこまで面倒みらんないやね。 翔子も四郎も追い出され、鯉之介やハジメさえもほとんど追い出してしまい 完全に大人達(彩、御影、十兵衛、醍醐)の物語にしたかわり けっこう面倒見の良い展開でした。
「日常」の象徴がバンカラ三人になったのは ... まあ、どっちかというとシリアス的日常の象徴になる翔子達ではバランスがかえって悪いか? そのまま切り殺されそうだ。
ただね ... いきなり「ラブリー眼帯は自由の身体に荷が重い」は無いだろーが。 醍醐を敵に回して初めて表に出て来た欠陥とはいえ、 これがあるなら四郎はそんなに困ることはなかった。 御影が彩に語るシーンが説明的で、どうもこの件には好意的になれない。
ついで。ここまでシリアス展開になった時、次回予告もシリアスなのはいいけど 最後にある「『十兵衛ちゃん』最終回『夜が明けたら朝が来た』。おみのがしなく」の 十兵衛「ちゃん」がなんとなくギャグに浮いててヘン(^^;
たとえば僅かに醍醐の表情が変わり、場が止まってカメラが右にずれて醍醐の後ろの 十兵衛が構えているのを映し出すシーン。
そこまでの醍醐と御影の切り合いのテンポに全音休符を置いて止めたところだから
醍醐の表情が止まってそれに鑑賞者が(醍醐に僅かに遅れて)「ん」と気付いたところで
十兵衛が問答無用で醍醐の後ろから切り込んで醍醐が半身で受け流すのを
醍醐と御影の切り合いのテンポままで人物換えて流す、って方が個人的好み。
アニメのように十兵衛登場ではっきり止めてしまうなら殺気の表現に
(難しいだろうけども)醍醐に表情つけて欲しかった ...
逆光で潰れているところに睨む目が光るという絵があまりにベタで
殺気表現を思うよりまえに醍醐と御影の切り合いと比較してしまって
「をいをい(呆)」となったから。
なんせ十兵衛が「なんでいまごろになってこんなことせなならんのだ?」 という空気をきっちり出して描かれてるからねぇ。
にしても、この展開だと御影は死なないな。やはりあるか? 津村天津ネタ。
「他人のことばっかり考えて、一番大切なものが、自由と、ママだってことを忘れてた ... これからは自分達のために生きよう、自分を守って生きよう、自由、二人で生きよう ....」の結論の果てが
「自由だけでいろ、帰ってこい、自分のことだけ考えろ、 他人のことは考えるな」というのが彩の限界か。こういうところで描かれる人物ってたいてい 思い直したあとにたどる思索には欠陥がないので新鮮だったかも。
自由が不可思議な倒れかたをした時さえ医者に連れていくことが出来なかったに対し、 御影の 2 度目の怪我にあっさり医者に連れて行った。 これ、もの凄い説得力があるけど、 自由との距離感の問題が主題な時にいいのかそれ? とか普通なら言いたくならないでもないところだけど、 一人一人がきっちり自分の物語をもっているというのは良いっす。 結局は自分自身の物語という裏打ちあってこその他人との付き合いだ。
「あの時聞いてやらなくちゃいけなかったんだよ、あいつが悩んでることを、セリフだけ見れば「ま、そうね。確かに良いかも」 と語って終わりでしかないかもしれないが、これが絶対的な説得力を持つよう 背景を描き込んできたその手厚さが重い。
何がなんでも訊いとかなくちゃいけなかったんだよっ ‥‥ !!」
で、力任せに押し切られました。ほとんど語られている内容を聞くだけ。
「龍乗寺 300 年の恨みをこの世から完全に断ち切るには この柳生十兵衛の剣をもって他にはない。 彩殿、すまぬ。自由殿の心、私の中に永久に葬らせて頂く」という「仕事熱心」が
「パパ仕事いっぱいあるんだよ、パパがいないとパパの先生が困っちゃうんだ」に重なるんねぇ ... まったく想像も思いつきもしませんでした。脱帽。
ただ、そういう勝算の見通しがない、つまり太鼓太夫に取り付かれるとは どういうことか明らかになっていない段階で、 取り付かせておいてどうにかするという方針を彩が採るべきかというと ... ちと御都合主義かも。
彩が自由を抱き抱えて飛んだ時の角度と十兵衛と太鼓大夫の切り結んだ形とが あってねぇ... 音楽の使い方も感情をかきたてすぎ(途中で ED に入ったかと思ったぞ) で合ってるのかあってないのかよくわからん。
鯉之介が消える瞬間がリズムぴったりより 0.5 秒くらい早いのは良いです。 唐突さが良く出てて。
「俺が勝ったら自由べえを返せ!ううん、難しい、今回は ... 自由の幸せ発言や鯉之介の悔悟、懺悔他、ノミネート級が 7, 8 箇所。
よぉ、柳生十兵衛 ... 抜けよ」
この人物の描写不足が、たぶん『十兵衛』の最大の難点なんではなかろうか。 各人物の思想信条動機の体系が不鮮明で人物の行動が何であれ鑑賞者は受け入れるしかない。 批判に耐える水準まで根拠を並べることができてこその説得力であり、 この観点では主要人物のそれぞれの行動に説得力が少し欠ける。
後半は彩の '語り' を中心に据え、その周りに各登場人物の行動を置く。 彩の '語り' を鑑賞者が自分のものとするには上に挙げたように彩の描写が危うい。 '語り' の支えに回るには周りの人物に感情移入が難しい。 敵に回すには clue が足りない。
良くできている。感動もできる。けれども ...
「そんなことは俺には関係ねぇ!」のかもしれない。