「ふたごのおひめさま」 の感想


資料
粗筋
ある国につばさ姫、ヒカル姫という双子の姫がいた。 ある時、魔法使いによって魔女に変えられたつばさ姫が城を攻めてきた。 彼女の魔法の威力は大きく、城は魔法使いに占拠されてしまう。 唯一人、かろうじて逃れたヒカル姫は隣国の王子の手をかり、勝手知ったるかつての城に潜入した ──
概観
あまりにレベル高い ... ので小学 4 年生の書いた劇ということを忘れることにする。 とすると、論理の飛躍やキャラのバランス崩れがすこしあるな。 とくにつばさ姫のキャラとしての弱さが気になる。
文章表現
とりあえずどーでもいい点から。

ナレーションのたまいて曰く「それは、悪い魔法使いでした」── 登場したばっかで何も悪いことしてない人物に向かっていきなり「悪い」ってなんやねん。 全編通してナレーションは「悪い魔法使い」を連呼するが、... 小学 4 年生にあわせた文章なんだろうねぇ。 悪いやつは登場したそばから悪いやつに決まってると。

勧善懲悪つうても、こういう物語の流れだと ふつーラストで「優しい心をもつ」つばさ姫によって一命をとりとめそうなんだが、あっさり処罰されてしまうあたり、 論理の構成は単純である。

非常に童話的な表現だと思ったのは、もう一つある。 ふつー人物紹介んとこで「とても優しい心をしています」という、 内心レベルを直接検討しないと分からないようなことは書けない。 「お花が大好きだから、優しい」というのはアリだと思う(ちと単純だが)が、ここはそういう形でもない。

物静かなり、ペットに優しいなり、ともかく観察したもので表現してくるとこだろう。 一方のヒカル姫が「おてんば」とみたまんまで表現されてることでもあるし。

まぁ、直接潜ってしまったのも分からんでもないけど。

つばさ姫
全編通してバキバキに主役はったヒカル姫と違い、 つばさ姫はあっという間に拐われて操られ、自分の意志をとりもどすのはラストになってから。 ... キャラ立てるヒマもありませんな。

最初の紹介で「おてんば」の一言のヒカル姫 vs 「お花が大好きで、とても優しい心をしている」と二言で説明されてるつばさ姫と 一見つばさ姫のほうが贔屓されてるようにも見えるが、 でずっぱりでキャラ表現を重ね、しかも「おてんば」であることが意味をもったヒカル姫に対し、 「お花が大好き」も「とても優しい心をしている」ことも本編で何の意味もなかったつばさ姫と、 キャラの立ちかたの差はすさまじく大きいぞぅ。

そりゃあ原作者の相沢翔からすればつばさのキャラ立てなんて今さらするまでもないかもしれないが、 ... だから忘れてたのだろうが(いやさ、意識的にも描き出したくなかったのかもしれないが)、 それじゃ双子が双子である意味が半分くらいない。

いかにしてヒカル姫は逃れたか
「さあ、次はあいつだ」
魔法使いがつばさ姫に命じ、ヒカル姫を岩にかえようとする。ヒカル姫は切々とつばさ姫に訴える ── という絵になるシーンではあるが、 ... あー、このままだとヒカル姫も岩に変えられちゃうんですが。

考え方は 3 つ。

  1. つばさ姫は魔法をかけなかった。
  2. 魔法をかけたが、ヒカル姫には通じなかった。
  3. 魔法使いが気をかえてつばさ姫に魔法を止めさせた。
1. だと魔法使いが別の魔法をつかうだけのことだな。 2. でもそうだろうが、このケースで一度は岩になる魔法がかかり、 しかし魔法のかかりが浅くて自動的に回復してしまった... てのはアリだと思う。 双子の特殊性ということで。 ただ、ナレーションのたまいて曰く「帰るところもなく ... 」ということにはならないし、 せっかくのシーンがボケるような気がする。

てことで 3. ですか ... 「お前らの悲しんでる姿を見てるとますます力が湧いてくる」ので、ヒカル姫を岩に変えてしまうよりも 彼女に泣いててくれたほうが都合がよい面があるということで。 この場合、「さあ、次はあいつだ」の直後に魔法使いが心がわりしたシーンが必要になるが、 それは本編では描写されてないと。

でもやっぱうまいこと絵にならないと思う。本編で描写された区切りが もっとも絵的に美しい形になるので見過ごされたのだろうが、この部分、脚本の論理がちとおかしいと思う。

魔法使いとしてのつばさ姫とヒカル姫
「双子」であるというネタは二つ使われている。

ひとつはラストちかくでのヒカル姫がつばさ姫になりかわるシーン。 もうひとつが、魔法の使えるヒカル姫である。

魔法使いが語ったところによれば、

  1. 「よし、いままでよくやった。褒めてやるぞ」
  2. 「失敗は許さんぞ」
  3. 「さぁつばさ姫、おまえにしか出来ないあの魔法を使うのだ」
  4. 「つばさ姫は魔法で魔女になったのだ」
1. によって、4. 「魔法で魔女になった」にもかかわらず、魔女であるためには努力が要ったことがわかる。

2. によってつばさ姫が魔法使いの操り人形ではないこともわかる。 これは 1. にも対応している。魔法の修行をするということ自体は魔法使いの制御にあっても、 魔法を身につけたこと自体はつばさ姫の努力によるものだということだから。

3. によって、人を岩に変える魔法は余人の使えるものではない ... ことによっては(呪文は知ってても)魔法使い自身は使えないものであることがわかる。

にもかかわらず、解呪だけとはいえ、対応する魔法は呪文を教わったヒカル姫にも(呪文を聴いたそばから!)使えた。

人を岩にかえる魔法は一定の才能を必要とするらしい。 しかも、覚えるのに時間がかかる。つばさ姫は 1 ヵ月かかった。

解呪の言葉はヒカル姫は覚えたそばから使えたから、 基本的に呪文は唱えれば (素質の有無はともかく、修行はしないでも) 魔法は発動する。 同じ素質をもつことになっているらしい つばさ姫が魔法を覚えるということ自体に 1 ヵ月といった長い時間が要ったわけではない。

では 1 ヵ月という時間は何に使ったか?

... ヒカル姫がその場で覚えられるような短い呪文をつばさ姫は 1 ヵ月かかって覚えたというんでも矛盾は無いが、 あまりにつばさ姫が ... つまりはつばさがどんくさすぎることになってしまうのと、 そこまでアレだと魔法使いも「いままでよくやった」とは言わんだろう ... 言うかな? 言うにしても涙ながしながら言うような気がする。

ひとつの可能性として、「おまえにしか出来ない」魔法があることに気付くのに 1 ヵ月かかったかもしれない。 一定の素養を必要とする魔法だから、つばさ姫が使えるとは魔法使いも思っていなかった (ので唱えさせることもしなかった)。 たまたま使えたのをみて、じゃあってんでその場で覚えさせた ... というのはありだと思うが、 こういう状況で「よし、いままでよくやった。褒めてやるぞ」とは、やっぱり言わないような気がする。

やはり、この呪文を 1 ヵ月という時間をかけて覚えたと考えざるをえないだろう。

以上を矛盾なく構成すると、だな。こうなる:

人を岩にする魔法は呪文が単純なわりに比較的難しい魔法の部類に入り、一定以上の資質を必要とする。 おなじ資質を必要とするものの解呪の魔法は遥かに簡単で、適当に唱えても発動する。
かけにくく外しやすい、しかも一定の素養が要る魔法なんて、... きっとあっという間に廃れたにちがいない。
最後の戦い
メタファもいろいろ掛かっていて興味深い劇だが、ラストの魔法使いとの戦いにも二つある。

最初、剣の稽古をつばさ姫は断った。 ラスト、ヒカル姫が「さあつばさ姫、一緒に悪い魔法使いを倒しましょう」と語るのにたいし、 つばさ姫はヒカル姫から剣を受け取った。

うるさいこと言や、これは「優しい心をもつ」ことになっているつばさ姫の変心である。 いろいろあってヒカル姫に染まってきた ── という内容に対応する暗喩があるのかどうか (後述するが、あると見たほうが面白い)。

また、「悪い魔法使いは空の彼方へ飛ばされてしま」った。おもいっきり止めをさされているわりに死んでない。 もちろん死んだことを暗喩してはいるが、その暗喩の仕方が ...

翔からみて、空を飛ぶことは夢である。だが、たぶん、翔の「死」の象徴でもあるのだろう。

ついでにいえば、つばさ(姫)に明示的に人を殺させるつもりがなかった、 通しで見れば、ヒカルから剣を受け取らせておきながら殺人を明示してはいないという、 翔の内心の苛立ちをあらわしている ... とまで読んでいいのだと思う。

努力-報酬の構造
ふつーに見て:
   ヒカル姫の努力 → ヒカル姫が国を取り戻すのに成功 → 王子とくっついてめでたしめでたし
という努力-報酬系の構造があるはずだ ... つーか、童話的な構造のとこにこれがないと座りが悪い。

この 3 つの点を一番シンプルに捌こうとすると、ラストで王子がヒカル姫とくっつく ── という流れが浮かび上がる。

これを回避しようとすると、だな、何の条件の付加もなしだと童話とは思えない程やっかいな状況が出現する。 つばさ姫とヒカル姫と隣国の王子との三角関係という ... これは原作者の相沢翔からすれば暗喩として現れることすら忌避したい状況だろうから、考慮しない。

さて。「王子がヒカル姫とくっつく」という流れも出来れば回避したいはずである。 (原作者の興味の中心に居る)つばさ姫が孤立してしまうからだ ── が ...

── ここから先はかなり強烈な深読みになる。注意されたし。

もちろん翔は作家として表向きこの流れを回避したかった。 それでおそらくは上記 3 点を意識的に省略してしまったのだろう。 だが、物語そのものから自動的に透けてみえるこの流れは、 実は翔の無意識の願いではなかったか。

「ヒカルちゃん邪魔」
という (をい)。

のちの 9 話で明らかになるが、翔がつばさを個別認識したのはヒカルが来る前だった。 つまり、ヒカルによって変化していくつばさをすべて見ているわけである ... 自分よりも強大な影響力をもつヒカルにたいして反感を抱かなかったはずがない。 さっさと誰かとくっついて(つばさの周囲から)退場してくれ ... ということを無意識のうちに願ったのではないか。 「王子様」が登場する話のわりにその王子が活躍しないのも、 王子が原作者でないことをあらわしている。

#7 の感想で「つばさ = 魔法をかけられた者、ヒカル = その魔法を解く者(解いた者)」 だろうとも書いたが、まあいろいろと複雑な感情があるわけではある。

にしてもマジメな書き出しでラストはコレかい ...

今回、この一言
「わたしはヒカル姫だっ」
実はかなり芝居っ気もあるヒカル姫。べつにわざわざ名乗らんでも ... いや恰好良かったけどね。
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