「思い」 第一話
「珍しいね。お前から、そんな事を言ってくるなんてさ」
富也(とみなり)はそう返すと、潜り込んでいた車の下から顔を出した。
油まみれの薄汚いツナギ。白地が全く見られない汚れた軍手。そして、首に巻いた隆山温泉と書かれた汗臭い手拭い。いかにも下町の、自動車整備工場社員というそんな姿。
それだけに、インテリ眼鏡にボブカットという素顔がどうにもマッチしない。
指摘もしたが、本人いわく「これはオレのトレードマークだからな」とあっては返す言葉も無い。
「なら、一寸待ってろよ。立ち話も何だしな。…っと、よっと」
言うと床下から這い出し、軍手を外しながら顔の回りを手拭いでゴシゴシ擦る。汚れを広げてる様にしか見えないが、気分の問題なのだろう。
背中にはボブカットのシルエットをアレンジした会社のロゴマーク。来栖川系列の自動車会社「ボブ」を地で行くデザインだ。
しかし、いくら会社の為とは言え、自分の奥さんにまでボブカットを要求するのはやり過ぎだ。
「まずは事務所に上がろう。…それにしてもお前、貯えの方は大丈夫なのか?会社、倒産したんだろ?」
「ああ、その月の給与と退職金として三ヶ月分がとりあえず支給されたから当座は問題無いよ。クビじゃないから失業保険もしばらく入るしな」
「何だ、なら貯めておきゃいいじゃないか。それとも再就職のアテがあるとか?」
「いや、まだだ。けど、俺一人が食っていくには問題無い。いざとなればバイトという道もある」
そんな俺の言葉に「おいおい」という表情ぶつけてくる富也。
次のセリフは直ぐに分かった。
「お前、由美子嬢と結婚する気はないのか?付き合い長いだろ?」
ふん、大きなお世話だ。そう思いながらも素で返してやる。
「…もう、3年近くになるかな。けど、結婚対象というよりは友達みたいなものさ」
「あっちはそうはそう思ってないかもしれないぞ? まあ、これはプライベートだからな。オレが口出す事じゃあないけどさ」
言いながら富也は破顔となる。
彼女と付き合いだした頃、根掘り葉掘り聞き出そうとした奴だ。言葉とは裏腹にもっと探りたいに違いない。
だれが喋るか!と一瞥し、俺は先頭立って歩きだしていた。
そこは、工場の二階にあった。
建物脇のスチール階段をカンカンと上がり、安っぽいプレハブ作りの扉をおもむろに開ける。中に入るとさすがに暖房がきいており、ホッとする。
事務机で伝票計算をしていたチヨさんがこちらを向き、笑顔で会釈してくれた。
「チヨさんこんにちは。精がでるね」
「ええ、おかげさまで。今、お茶入れますね」
屈託の無い笑顔でそう応えると立ち上がり、身体を揺する様に給湯室に入っていった。
確か今年で五十も半ばだと思ったが、手腕はいささかも衰える所が無く、今でもボブの事務作業を一手に引き受けている。
最古参でありながら少しも奢った所が無く、柔和な笑顔に人柄の良さが伺える。若かりし頃はかなりモテたという話だが、それも道理だろう。
その姿を認めながら応接のソファーに腰を下ろす。スプリングがすっかりヘタり、変な音と共に身体が沈み込む。
自分で顔をしかめながら、社長机でゴソゴソやってる富也に声を掛けた。
「なあ、もう買い替えたらどうだ?来客用とはとても思えんぞ。座り心地が悪いったらありゃしない」
「そうかぁ?別にスプリングが刺さる訳じゃないんだろ?まだ使えるのに、そんな勿体無い事は出来ないよ」
「結構儲かってるんだろ? その気になりゃあ、工場を建て替える事だって出来るって聞いてるぜ?」
「優先からしたら全然下だね。過分の贅沢はボクのポリシーに反するし……お!あったあった。これこれ」
やがて、チヨさんがお茶を持ってきてくれた。
定番の蓋付きの高級茶と高級和菓子。俺は遊びに来てるだけだからと言っても必ずこれを出してくれる。その心遣いがとても嬉しい。
お礼を言って蓋を開け、お茶を一杯すすった所で富也が戻ってきた。
「待たせたね。久々だったんで資料がすっかり埋もれちゃってたよ」
「なんだ、思った程商売になってねえんだな。あまり景気が良く無いのか?」
「車の方は変わらず絶好調さ。新規商談も今月は既に十件目だし、整備や修理は言うまでも無い。まあ、そこらの同規模の整備工場より儲かってるのは事実だよ。ボクには人望があるからね」
「フツー自分で言うか?お前はよ」
笑いはしたが、富也を慕って一切を任せているユーザは実際少なくなかった。親の代から着々と築いてきた信頼を、こいつがしっかり受け継ぎ、開花させた結果だった。
学生時代から堅実な奴ではあったが、こうした商売面では大きくプラスになっているのだろう。
そいつは俺の前に座ると資料をバッと広げ、開口一番そう言った。
「それで早速だけど、薫はどういったセリオ型が希望なんだ?」
◇ ◇ ◇
館山薫。それが俺の名前だ。子供の頃は「かおる」という女みたいな名前がイヤだったし、それで回りからも随分とからかわれたりしたものだ。
だが、それだけ覚えやすい名前だからだろうか、小学校ではからかいの対象でも、中学高校ともなれば気軽に話し掛けて来る奴の方が多くなった。おかげで男女を問わず、遊び相手に事欠いた記憶は無い。
しかし、所詮は遊びであり、親友と呼べる奴は一人も出来なかった。最も、初めからそんなものは望んで無かった。青春漫画によくある様な、やたら汗臭い友情など欲しいとも思わない。
そうした大学時代。学部の名簿順で連なったのをきっかけに、俺は館林富也と知り合う事になる。
変にニヒッた自分と違い、奴は入学当時から将来の展望を持っていた。親父さんの自動車整備工場を引き継ぎたい。そして自分のカラーを出した信頼ある商売を始めたい。
そんな話を繰り返し、熱っぽく語る富也。
「親の仕事を引き継ぐなんて随分と夢の無い話だな。もう少し人生を大きいスケールで語れねえのか?」
そんな茶々を入れる自分。
しかし、分かっていた。富也の夢に嫉妬している自分に。だからこそ、こいつとの付き合いもあり得ないと俺はこの時点で確信していた。
実際、それは態度に現われた。そして本当なら、そんな態度を取った時点で付き合いはとっくに終わっていた筈だ。
だが、富也は別だった。
「良ければ一緒に会社をやらないか?後々は薫の独立を手助けしてもいいし、何なら共同経営という形もいいと思ってるんだ」
目が点になった。そして突然思った。馬鹿じゃねえのか?
想像以上のとんだお人好しだった。少なくとも、会ってすぐの奴に言うセリフじゃ無い。
それとも、こいつ流の挨拶なのだろうか?変な奴。
真剣にそう感じた。だから、「アホか、お前は」と言葉を残し、その場を早々に立ち去っていた。
「ボクは真剣だよ。いつだってね」
後ろから掛けられたそんな言葉。そして、全ての予想が間違っていたと知ったのは一ヶ月も経ってからだろうか。
何が気に入られたのかは知らない。ただ、奴の方から何かにつけて話し掛けてくる。そして自分も、変な奴だなとは思ったが別に邪魔とも感じなかった。結局は流すままになっていったと言える。
やがて、いつしか自然と行動を共にする様になっていく。
そして気付いた時には、気持ちを打ち明け、いつでも協力し合える親友らしきものが出来あがっていた。
そのまま、四年という月日が過ぎていた。
「そろそろ返事を貰える頃だよね。当然、ウチに来てくれるんだろ?」
卒業という二文字が見えた頃、富也は再び就職話を持ち出してきた。
嬉しかった。だが、それでも俺は断わった。
甘えている様でもあったし、社会人生活はゼロからスタートしたかった。
「え?やりたい事が見つかった? どんな事?」
結局、俺が選んだのは靴の製造メーカーだった。仕事は靴のデザイン。靴の新作イメージや、実際の量産図面を引いたりするのが主な仕事だった。
正直、心から望んでの仕事では無い。しかし、面接でのそこの社長との会話で、気持ちは大きく変化した。
「まだまだ小さな会社です。ですから一つの職種としての仕事だけでなく、色んな仕事をやって貰う事になると思います。勿論、それは私も例外ではありません。互いに勉強し、不足分を補い合って、より会社を伸ばしてみませんか?」
二十人足らずの小さな会社だ。不安を感じなかったといえばウソになる。けど、若かった事もあって自分を試してみたい気持ちの方が強かった。
その場で入社を決意し、俺は社長と硬い握手を交わしていた。
「…そうか、なら仕方が無い。お前が決めたのなら頑張ってみろよ。ボクも応援しているからさ」
富也の言葉を素直に受けた。
俺にしては、幸先のよいスタートだった。
◇ ◇ ◇
「おいおい一寸待ってくれよ。それじゃあそのセリオ型を指名で欲しいという事か?」
「ああ、お前なら何とかなると思ったんだが…」
富也は大げさにバンザイをしてみせる。お手上げという事らしい。
「いくらお前の頼みでもそりゃ無理だよ。そんな事故にあったロボットは大抵廃棄処分で登録抹消となってるのが普通なんだ。例えウチでの修理が可能だったとしても、一度メーカー送りとなって登録番号を更新され、中古品扱いで再販される事になる。そうなると、事故の内容を調べるには本社に直接登録番号変更の内訳も含めて調べて貰わなければならない。当然タダでとはいかないんだ。秘匿事項だしね。こちらの端末からチョイチョイと検索出来れば楽なんだけど……まあ、諦めろよ。そこまで執着したもんでも無いんだろ?」
「そこを何とかならないか?」
おちゃらけた表情が富也から消えた。本当に困っている様だ。
「まいったなあ〜。大体そうしたメイドロボットについてはメーカーも口が固いんだよね。再度市場に出す時、前の使用状態ってのは一番突っ込まれやすい情報なんだ。当たり前だけど、それが外部に漏れるのを極端に嫌うからねメーカーってのは。いくらボクでもかなり難しいな」
「頼む、お前なら何とかなると思っての事なんだ。この通りだ」
「うーーん…………まあ、他ならぬお前の頼みだ。父さんの頃からのコネも含めて当たってみるよ。来栖川の中央にも何人か知り合いが居るからね」
それを聞いて少しホッとしていた。まだ入手出来るかは分からないにしても、一歩前進には違いない。
「ありがとう富也。恩にきるよ」
「いいって。その代わりバッチリならパントマイムにボトル入りでお前の奢りだぜ?」
「おいおいおい、失業者にタカるのかよ。あの店は高いんだ。勘弁してくれよ」
「よく言う。失業者のくせにセリオ型を買うんだろ?まあ、それじゃあ再就職の時にでも頼むぜ?」
尚も文句を言おうと思ってハタと気付く。こいつ以外に、あのセリオを入手出来る奴を俺は知らない。
さらに高い買い物になったと、俺はため息を付いた。
「仕方無い。…ただ、しばらくはバイト暮らしだから当分は無理だぜ?」
「…なあ、薫。その話しなんだけどさ」
富也は真面目な顔を向けた。何を言いたいかは分かっている。
それでも、耳だけは姿勢を正していた。
「お前さえよければ、今からでもウチに来ないか?父さんのコネや技術面での信頼から、ようやくメイドロボットの販売権を獲得出来たんだ。だからこそ人が欲しい。優秀で気心が知れてるなら言う事は無い。分かるだろ?ボクを助けて欲しいんだ。どうだろう?待遇面では決して悪い様にはしないよ。考えてみてくれないか?」
これが終了間際のドラマなら、ここまで請われて断わるシーンなど無いだろう。
だが、現実のオレはやっぱり馬鹿だった。
「富也、サンキューな。だけど、今は一寸考えてみたいんだ。しばらくは色んなバイトを経験して、自分の生き方ってのをもう一回考えてみたいとも思ってる。その上で、やっぱりお前の所に世話になるのが良いという事なら、その時はそうさせて貰うよ」
「本当か?本当だな? 分かった。待ってるからな。まあ、セリオ型の方は任せておけよ。悪い様にはしないからさ」
富也はもう俺の就職が決定した気で居るらしい。可能性を言っただけなのに気の早い奴だ。
でも、昔からこうした所は本当に変わらない。そして、それがやはり嬉しい。
何となく、俺は勤め先だった社長の顔を思い出していた。顔も性格も全く違うのだが、どこか似ている感じがした。
「さて、それじゃ引き上げるわ。そろそろ約束の時間だしな」
「ほほー、マメだねえ。由美子嬢だろ?よろしく言っといてくれよ。車にメイドロボットにとご用命は是非『ボブ』にお任せをってさ」
「俺はここの社員じゃねーよ。まあ仕方無い。バレてんならお前も顔を出さないか? きっと喜ぶぞ」
「止めておくよ。まだ仕事もあるしね。まあ、いずれお前はそうなるんだから、今のうちに営業練習でもしておいてくれ」
「ざけんな!アホ!」
中指を突き出して突きつけてやる。アッカンベーで応酬する富也。
やがてチヨさんがフフフフと笑う。
「あらあらごめんなさい。でも、二人とも本当子供みたいよ? もういい大人なんだから…ね?」
急に恥かしくなり、お茶の礼を言って俺はその場をそそくさと引き上げた。暖かい部屋から寒空の下へ。
再び鉛色の空を見上げながら、そんな厳しい季節を寒風に感じてみる。
いい大人なんだから……か。
確かにそうだ。もう、若いという歳じゃない。だけど、年寄りという訳でも無い。
ジャンパーに手を入れ身を屈めながら、俺は由美子の待つ場所へと足早に急いでいた。