〜 千鶴さん誕生日おめでとう記念&お題SS 〜
祝いの硬玉 〜 後編 〜
「えーと、それでは突然ですけれども、梓お姉ちゃんと楓お姉ちゃん、そして私の三人によりますお誕生日プレゼントをこれから発表しま〜す」
夕食兼、千鶴さんの誕生パーティーとなった柏木家の食卓では、初めの乾杯で飲んだシャンパンで少し赤くなった初音ちゃんからそんな声が上がっていた。
俺を含め、全員がそちらに注目する。
「おーいいぞいいぞ〜。初音頑張れ〜」
これは言うまでも無く梓の奴。
既に一升ビン片手に升を持ち、とても二十前の女の子とは思えない出来上がったスタイルで囃し立てている。酒グセの悪い完全おばさん状態だ。
「耕一ぃ〜。あんたの言う事は全部聞こえてんだよ!」
ガン!と飲み干した升でいきなりド頭を叩かれ、俺は再び頭を抱えた。
「梓!てめえさっきからいい加減にしろよな。大体未成年のクセしてお前は飲み過ぎなんだよ!」
「耕一こそあたしをおばさん呼ばわりするんじゃねえ!ったく、こんなにも可愛い二十歳前の美少女に向かってよくもそんな事が言えたもんだ」
「一升ビン持って升で酒かっくらってる奴が可愛い美少女なのか! 降山ではそういうのを美少女って言うのか!」
「いいじゃないかあ好きなんだからさぁ。ああそうだよ。こっちではこういうのを美少女って言うんだよぉ。ほれ!耕一も升を出せ!美少女からの酒を飲め!」
「ったく、オメーは相変わらず素直じゃねえんだからよぉ……っとっとっとっと。おいおいそれ零れるって零れるって!」
なんだかんだ言いながら俺も升を差し出し、並々と注がれたその日本酒をグイとばかりに一気に飲み干した。
「……んん……っぱあ!美味い!いやあ、この新銘柄の『次郎衛門』なかなかイケるなー。なんてえか、こうピリッと辛いのに加えて喉越しがスッキリしてていいんだよなー」
「だろだろー? まさに日本酒のスーパードライって感じだよね。いやあさすがは耕一!酒ってもんをよく分かってらっしゃる」
「ったりめーだっつーの。この俺を誰だと思ってんだ? 利き酒耕ちゃんといやあ、東京の方じゃあ一寸は名が通ってンだぜ?」
「ぎゃははは、酒利き耕ちゃんだってぇ? なんなのよそれ? あっはははははは笑える笑えるぅ」
「おー受けた受けた。よろしい、これからは俺の事を『酒の耕ちゃん』と呼びたまえ!」
「アズサ! 耕一さん! 二人ともいい加減にしなさい!!」
ピシッ!と突き抜ける様な一声が頭を貫く。瞬間固まりながら、俺と梓はゆっくりとそちらに顔を向けた。
確認するまでもなく、千鶴さんが静かな表情のまま怒っている姿が目に入った。身体の周りからは憤怒のオーラが吹き出し渦巻いている。
思わず二人して正座になった。
「初音が大事な発表をしようとしている時に、あなたたちは一体何をやっているんですか! 酔っぱらいのお酒がそんなに好きなら、一升ビンだけ持って外行ってやりなさい!」
「…ご、ゴメン千鶴姉。いやあ、つい調子に乗り過ぎちゃった………初音、ごめんね…」
「…す、すまん。反省しています。千鶴さん初音ちゃんごめんなさい…」
俺たちはシュンとなってしまった。やっぱり千鶴さんのこうした一喝は今でも本当にかなわない。
さすがは柏木家のお母さん役だと、俺は冷や汗と共に改めて実感していた。
「千鶴お姉ちゃん。私、気にしていないからそんなに怒らないで。耕一お兄ちゃんも梓お姉ちゃんもすっごく楽しそうにしているんだもの。そんなに怒っちゃ駄目だよ。私のお話しはその後だっていいんだもの。…私、皆がそうして楽しそうにしているのがすごく好き。それを見ているのも大好き。だからお姉ちゃんもそんなに怒らないで?」
「は、初音……」
くうぅぅううう〜〜、本当に何ていい子なんだろうか初音ちゃんは。やっぱり持つべきは素直な従妹だよな〜。
そんな無垢な心に打たれたのか、千鶴さんからはみるみる怒りが引いていくのが分かった。それどころか、今は赤くなって俯いてしまっている。自分でも怒り過ぎたと思ったのだろうか。
こんな中で、楓ちゃんだけはマイペースを保ちつつ、ご飯を片手に目の前の煮物をパクついていた。
「えーと、それでは改めて私の方から発表します。…千鶴お姉ちゃん、いつも家族皆の為に頑張ってくれて本当にありがとう。梓お姉ちゃんも、楓お姉ちゃんも、そして私も、千鶴お姉ちゃんには毎日とってもとっても感謝しています。そんなお姉ちゃんが一番喜ぶプレゼントを私を含めた妹三人で色々と考えました。…そして、きっとこれが一番喜んで貰えると思って選びました。お待たせしました〜。それでは発表しまーす」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
既にその内容を知っている梓や楓ちゃんですら、そうした初音ちゃんの言葉に緊張した面持ちで望んでいた。
何となく、ピンとした空気が食卓に張りつめる。
やがて初音ちゃんは、後ろ手に隠していたプレゼントを差し出した。
「じゃ〜〜ん。これがそのプレゼントで〜す。千鶴お姉ちゃん、手を出して?」
「は、はい…」
言われて、なんとなく恥ずかしそうに両手を差し出す千鶴さん。
まるで賞状を手渡すかの様な初音ちゃん。
やがて、リボンの付いた綺麗な千代紙で折られた封筒大のそれが、うやうやしく千鶴さんの手に渡された。
「千鶴お姉ちゃん。お誕生日おめでとうございま〜す」
「千鶴姉、おめでとう」
「…おめでとう、姉さん」
「千鶴さん、本当におめでとう」
パチパチパチパチパチと、今日何回目かの拍手。
千鶴さんは受け取ったプレゼントを胸に抱えながら「皆ありがとう。姉さん、とっても幸せだわ」と全員に変らぬ笑顔を見せていた。
「ねえ、これ早速見ていい?」
「うん。見て見て。それ、今じゃないと意味の無いプレゼントになっちゃうから」
初音ちゃんのそんな言葉に少し?な表情を見せながらも、千鶴さんは千代紙で包まれたものを開いていった。
やがて、その中身が現われる。
途端に、千鶴さんの瞳が大きく見開かれていった。
「…あなたたち、まさかこれって……」
「はい、そのまさかです。じゃあ梓お姉ちゃん、タクシーに連絡して?」
「もう楓が掛けにいった。…さて耕一、お前そんなTシャツに短パン姿じゃそこに行けないからな。フォーマルでいいから、ちゃんとした格好して行けよ? …ったってどうせロクなの持ってきてねーだろうからとりあえず何着か用意しておいた。耕一の部屋に置いてあるから、自分で好きなの選びなよ」
「…え? ちょ、一寸待てよ。一体何の話しだよ? それに、何処へ行けってんだよ?」
「それは千鶴姉に聞いてみな? 詳しく教えてくれるぜきっと」
ぷぷっと目の前で梓は手を当てて笑うと、俺に視線で促した。
そちらに顔を向けると、千鶴さんはその中身を俺の目の前にかざして凄く嬉しそうな顔をしている。
「耕一さん、これ、これ見てください!」
「…………? そのチケットがどうかしたの?」
「知らないんですか? これ、ここ降山では今もの凄く貴重なチケットなんですよ。手に入れようと思っても中々手に入らないんです」
千鶴さんは興奮気味に言ってくるけど、今日ここに到着したばかりの俺には何の事だかさっぱり分からない。そんな訳で、俺はそのチケットを受取り眺めてみた。
透かし入りの立派な紙にフォログラフが付き、極彩色の飾り文字で【The limestone cave in TAKAYAMA 『PAIR GAME』】と記されている。limestone caveとはどうやら鍾乳洞の事らしい。
「……何これ?」
そう聞いた途端、梓が待ってましたとばかりに嬉しそうな言葉を向けてきた。
「あんた大学生のクセにそんな英語も読めないの? あったま悪いねえ」
「読めねえ訳がねえだろ? 降山にある鍾乳洞って意味じゃねえか」
「じゃあ、そのPAIR GAMEって?」
「ペアでするゲームか何かだろ?」
「じゃあそのペアでするゲームって?」
「そんなの俺が知る訳無いだろう!」
少しイライラしつつ、わざと怒った顔を向ける。
しかしこたえた様子も無く、梓は両手を腰に当ててニヤニヤした表情を返してくる。
ンナろぉ!とばかりにさらに突っ込もうとした時、千鶴さんの慌てた声が後ろから上がった。
「耕一さん、後で私が説明します。それよりも早く着替えてください。タクシーが来てしまいますよ?」
「え?…あ、そうだった!」
そんな出かける理由も知らされないまま、酔い顔を直すべく俺は慌てて洗面所へと飛び込んだ。
後ろからは、「よっ!頑張れよ色男!」と囃し立てる梓の声が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
ガキイィィィン!
鉄の武器が側面からぶつかり合い火花を散らす!
一撃目でその力を見極めた俺は、次の突っ込みを牽制し、素早く左右にステップを踏みながら後退した。
しかし、向こうもそれは十分に分かっていた様だ。下がる方向に対してバッと一気に俺の頭上を飛び越えると、反対側に着地するやいなや俺の背中に向けて鋭い正確な突き槍を入れてきた。
ギィン!
後ろを向いたまま、気の感じるままに俺は彼女の槍を受け流した。単調な攻め方だけにかわしやすい。だがスピードが早いから目で追うのは自殺行為だ。
「ち…千鶴さん…」
そう言いながらも、俺は振り向きざま相手の真っ芯を狙って銛を突き入れていた。
しかし思った通り見切った様で、真上に飛び上がると一瞬俺の銛の柄上にトンと着地し、次には目にも止まらない蹴りを俺の顔面目掛けて見舞う!
「ぐあっ!」
直撃ではあったが、すかさず自ら後ろに飛んでダメージを減らし、二回三回と空中で回り着地した。瞬間!咄嗟の跳躍をもって右に回避する!
ザシュッ!
俺の居た場所に槍が打ち込まれた。それを引き抜く僅かな時間も見逃さない。
身体が突進した。銛先には彼女の側面が迫っている。
「避けて!」
自らの大声と共に、俺は自分の動きに思いきり逆らった。とたんに体中に激痛が走る。
「ぐあああああああああ!」
勢いの付いた身体はそのまま投げ出される様に前へ転がった。もはや身を守るどころではない。
このままでは刺される!だが、それも仕方ない。
そう思いながらも波状で来る激痛に、俺はそのままのたうち回った。
「!」
転がった身体で見たものは、俺と同じ激痛に耐えている千鶴さんの姿だった。うずくまり、身体をさかんに震わせながら大きく口を開いている。
その時になって、俺はようやく気付いた。
悲鳴を上げている事に。そして、そんな俺を見て自分も戦いを止めてくれた事に。
『どうした? 戦え!まだ決着は付いていないぞ!』
「ふざけるな!お前は何者だ!どうして俺たちが戦わなければならないんだ!!」
死ぬかと思える苦しみに何とか耐えながらも精一杯の声を出した。それ程に俺は怒っていた。
そいつは変らぬ口調で言葉を続けた。
『その激痛から逃れるには戦うしか術はない。それによって、お前らのこれまでの行いは許される。狩猟者であっても秩序は必要だ。自らの身体にてそれを示せ!さあ、戦え!』
「ぐぅう!ぐおおおおおおおおおおお!!」
そいつが言い終ると同時に、より一層の厳しい激痛が身体を襲う。体中を引き千切られているなんてもんじゃない。
殺してくれた方がどんなに楽かと思える程だ!
「千鶴さん!構えて!」
「は、はい!」
返事が聞こえた。同時に、槍先を向けたまま彼女が迫ってくる!
俺は素早く見切ってそれをかわすと、彼女の身体をそんな勢いと一緒に受け止めながら地面を転がった。
ガチャンと互いの武器が残される音が聞こえる。
「大丈夫か?」
「ええ何とか!でも、戦いを止めると激痛が!」
「止めなくていい!このまま戦い続けるんだ。力を拮抗させて時間を稼ぐ。あいつを止める方法はきっとある筈だ。探すんだ!」
「あるんですか?そんな方法が?」
「ある!絶対に!俺を信じろ!俺に命を預けろ!」
「分かりました!あなた!!」
ドン!
俺はそのまま彼女を突き飛ばした。戦い続けなければならない。そして何としてもこの状況から抜けてみせる。
鋭い爪を見せながら彼女が迫ってくる。赤い瞳をした、あの水門での似た状況。「いや違う!」と俺はすかさず呟いた。
ブン!と俺の目の前に爪をかすめながら伝わってくるそんな彼女の言葉。
…帰れますよね? 私たち、無事に帰れますよね?
…ああ、大丈夫さ。あの時とは違う。…これは、二人が生き延びる為の戦いなんだ。
ガキン!と互いの爪が触れ音を立てる。身体が次第に支配され、戦う事だけに意識が飲まれ始めていく。
…千鶴さん。いや、千鶴!
…はい!あなた。
……もう一度、呼んでくれ。…その呼び方でもう一度!
……いいえ、何度でも。…あなた、あなた、あなた!
「うおおおおおおおお!」
「ああぁぁぁああああ!」
叫びながら、戦いという死線の中にありがなら、それでも俺たちの意識は笑っていた。
◇ ◇ ◇
ペアゲーム。それは、降山で最近新たに見つかった鍾乳洞を利用した企業企画のイベントだった。
長さにしてゆうに一キロはあるという自然の洞内。その中でも鍾乳石が最も美しいとされる半分の区間が一般公開される事になった際、それに先立って、その素晴らしい美しさを静かな雰囲気の中で存分に味わって貰おうというアイディアが持ち上がったらしい。
それは二ヶ月という短い開催期間に加えて、参加出来るのは恋人もしくは夫婦同士の男女ペアに限られる。しかも一日二十四組までに限定されている。
その理由として、鍾乳洞内を巡るカップル同士が互いに離れて歩ける様、十分単位でのスタートになっている事と、オープンが夜の七時から十一時までの四時間という所が大きい。そんな訳で、このチケットの発行枚数は一千枚も無いそうだ。
しかもこの企画はそれだけに留まらず、洞内のコース上に散りばめられた「勾玉」の組み合わせゲームに人気が集中している。
乳白色をした勾玉はそれぞれ六箇所の見せ場スポットに存在し、そこから一つずつ持ってくる事が許されている。そして、そうした六個の勾玉を持って出口に到着した後、係員の目の前で、好きな組み合わせで勾玉を三組に合わせる…つまり向き合って円となる様に並べる。
それが完了した所で、係員は半透明のシートみたいなものを被せてくれる。すると不思議な事に、組みあわさった勾玉がそれぞれの色を持った幻想的な光を発するのだそうだ。
赤もあれば緑もあり、中には金色もあってそれが一番の大当たりだと、千鶴さんはタクシーの中で嬉しそうに話してくれた。まあ端的に言ってしまえば福引きみたいなものだ。
ただ、それによる景品は中々に豪華なものがある。
最低ランクでも輪島塗の箸に椀。九谷焼の夫婦茶椀。中ランクだと静音サーボモータ装備の全自動洗濯機や吹き出し口の無い粉塵拡散防止機能装備の掃除機に両面開きタイプの超急速冷凍ぶっかき氷作成機能付き大型冷蔵庫。MD+オートチェンジャCD+CD-R+DVD+DVD-R完全フル装備のミニコンポや32型超薄型壁掛けTVなどAV機器。
また、そうした家電以外にも超軽量合金製マンテンバイクや16mmから1000mmまで一式交換レンズの揃った有名メーカー製一眼レフセット。有名ブランドによるウッドからドライバー、エッジ、パター一式五十本ワンバックゴルフセットに、長さやエッジ角度の任意調整可能なスキー板にリアエントリーとフロントバック両機能合わせ持ちのスキー靴とのセット。さらには後頭部打撃防止機能付き「スノボーセット起き上がりこぼし君」なんてものもあって、それぞれ勾玉の色分けの中から自由に選べる様になっている。
当然、商品はこれだけではない。
さらに高額商品として、スポーティータイプセダンや4WDタイプのワゴン、土地付きの一戸建住宅なんてのもある。当然旅行もあって、ハワイ4泊6日からヨーロッパ10日間と、こちらも定番ながらに中々魅力的だ。しかも、勾玉の組み合わせによるこうした商品へのハズレは一切無いというのだから驚いてしまう。
そもそもこの鍾乳洞は、国内大手である来栖川グループの一つ『来栖川林業』が所有していた山林下から発見されたものであり、そうした観光スポットとしてオープンする際により企業宣伝を効果的に行う目的として、各事業部門からの協力をかなり上手く取りつけられた事が今回の豪華な景品につながっているという。
つまり、これを企画した企業側からすれば、損はハナから覚悟の上という事になる。
チケット代がペアで2万。入手困難なのも当然だろう。
『…梓は通学用にマウンテンバイクが欲しいなんて言ってましたけど、正直そうした景品の方はどうでもいいんです。…私、綺麗な鍾乳洞の中を耕一さんと一緒にゆっくりと歩けるのが凄く嬉しい。そして……どうしても欲しいものが一つあるんです』
『欲しいもの? 千鶴さんは会長職をしている位だし、大抵のものだったら手に入ると思うけど…』
『違いますよ耕一さん。そうしたお金で買えるものじゃないんです』
そんな彼女は両手を合わせたその指先に唇を付け、何かを思い出すかの様に目を閉じながら呟いた。
『噂なんですけどね。あるカップルがそうして洞内を巡って帰ってきた際に、係員に言ったんだそうです。景品はいらない。その代わり、この勾玉が欲しい。二人がこうして過ごせた素晴らしい時間の記念として持っていたいって申し出たそうなんです』
『……………』
『当然、係員としてはそんなマニュアルに無い事は出来ませんので、申し訳ありませんがって断ったんだそうです。景品の中には宝玉もいくつかあったので、特別にそっちにしてあげるとも言ったらしいんですけど、そのカップルはこの鍾乳洞で自分たちが選んだものだからって最後まで懇願し続けたそうなんですよ……』
『………それで、結局はどうなったの?』
その言葉を待っていたかの様に、彼女は俺の方に顔を向けると、うれしそうにそう言った。
『貰ったんだそうです。特別に二個だけって事で。勾玉の方は人体に無害な蛍光物質を含んだだけのセラミック製らしくて、それを開発した来栖川エレクトロニクスに係員の人が連絡を入れたそうですよ。最後には責任者の人まで出てきて、本当にこれは特別だからねって…』
『……………………』
『そのカップルが凄く嬉しそうに二つの勾玉を受け取って帰っていく姿を、係員の人たちはどう思って見ていたんでしょうね。それが実話かどうかは分かりませんけど、私、凄くいい話しだなって思ったんです。その時二人が受け取った勾玉を互いに合わせたら、シートを被せなくても美しく光り輝いたなんて言われていますけど、それすら何だか信じられる思いがするんです…』
そう言いながら、千鶴さんはまるで夢を見る少女の様なキラキラとした瞳を見せていた。
普段だったら一笑に付してしまう所だけど、この時はその願いを是非ともかなえてあげようと俺は心の中で決めていた。
『…実際に試してみようか。俺たちもその勾玉を貰って、そして二人して合わせてみよう。千鶴さんはどんな色がいいの?』
『……どんな色でも……耕一さんが選んでくださった色なら何でもいいです……』
『…そっか……じゃあ、俺はそんな色で千鶴さんを染められる訳だね。それは今から楽しみだ』
『……はい。耕一さんの好きな色で染めてください…』
冗談を言ったつもりだったが、千鶴さんは恥ずかしそうに頬を赤らめながら下を向いていた。
俺も自分の言った言葉に今さらながら恥ずかしくなって、ポリポリと思わず鼻の頭を掻いてしまっていた。
…勾玉を合わせる。それによって光り輝く色。
勾玉を………合わせる………
そうか!そんな簡単な事に何で気付かなかったんだ!
「ぐあああああああ!」
彼女の鉤爪で何度となく吹き飛ばされた俺は、チラと石像の位置を確認した。右後ろ約二十メートル。真正面からは彼女が再び迫ってくる。
素早く右に飛び、俺は叫んだ!
「考えがある!突き飛ばせ千鶴!」
「はい!」
広げた彼女の手で胸を突き飛ばされ、思い切り後ろに転がった。肋骨がギシッと軋む。だが、ドンピシャだ!
黒い台座にしこまた背中を打ち付けながらも、俺は目的場所に達していた。
「これで終わりだ!」
振り向きざま、その台座の上ににあった二つの勾玉の向きを変え、丸くなる様に合わせる。まるで吸いつくかの様に、それは一致した。
ガシュゥゥゥゥウウン....
機械が止まる様な音が響き、それと同時に束縛からの解放を感じた。おかげで身体が一気に重くなったが、同時に俺の目は彼女を探していた。
突き飛ばされた位置で、彼女は地面に伏していた。
大丈夫か?と駆け寄ろうとして、俺は動きを止めた。そんな格好のまま、右手にしっかりとVサインを作ってそれを振っている。
お茶目だと思いつつ、気の抜けた俺はそのまま台座にもたれ掛かった。
「……ったく、本当に今日は何て一日だ……」
この史跡が何だったのかは無論分からない。けど、そんな事は今はどうでも良かった。
見上げた石像の両目はすっかりと消え、完全に沈黙を保っている。どうやら雑魚共も出てくる様子は無い。ゲームで言えばコンプリートだ。
早く帰ろう。そんな事を思いながら、ようやくノロノロと身体を起こした。
『それがどうした』
その言葉と同時に、俺は再び倒れ伏した。あの束縛が再び戻ってきた。「終わりじゃねえのかよ!」と悪態を付いた。
『勾玉を合わせた位で、我の束縛から逃れられると思ったのか。愚か者め!』
「愚か者はテメーの方だろうが!ゲームはもう終ったんだ。俺たちは勝ったんだよ!いい加減にしやがれ!」
『我はこの場所にて長き年月を待った。それこそ自らの使命を忘れる程に。…そして、ようやく狩猟者は現われた。飛び切りの、しかも最高の美しい命を持った男女の狩猟者だ』
束縛は尚も続く。俺は再び彼女を見た。Vサインは既に無く、同じ様に束縛に耐えている姿が目に入った。
『お前ら程の狩猟者には、この先もう会う事はかなうまい。我の寿命も残り僅かだ。それならば、最後にお前たちのその美しき命の輝きを我に見せよ。我のこれまでの働きへの手向けとするのだ』
「ふざけるなああああああ!!」
俺は叫んだ!心底頭にきていた!
こいつは、テメーの私利私欲で俺たちをもて遊んでいるに過ぎなかったのだ。
ドス黒い怒りが身体の中から吹き上がり、それが引き金となって俺の中の鬼がみるみる解放されていく。
『無駄だ。鬼の力を解放すればする程に激痛がお前の身体を蝕むのだ。完全に解放すれば死にすら至る。それこそが我の喜び。我の希望』
「死ねるかあ!貴様をブチ殺して俺たちは生きる!生き残ってここから絶対に出てやる!」
『無駄なあがきは止めよ。苦しみたくなくば、さあ、戦え!』
「ぐぅああああああああああああアアアアアアア!!」
鬼の力で身体が膨張する度にその痛みは相乗的に増してくる。だが、この石像共をブチ壊すにはどうしてもこの力が必要だ。
俺は死なない、死んでたまるか!
激しい苦痛から、半場まで覚醒した鬼の力にて目の前の台座を俺は思い切り殴りつけた。
「!?」
何の材質で出来てるかは知らないが、鬼の力をしてもその台座にはヒビ一つ入らない。
だが、俺にはようやく分かった!
「鉄槍だ。持ってコい!早ク!」
「はい!」
鉄槍を手に、慌てて俺の側に来る千鶴さん。
だが、途中から燃える様に真っ赤な瞳へと変貌すると、その槍先は俺の心臓目掛けて突き進んできた。
「ガアアア!」
そんな彼女を仰いだ腕で振り倒す。勢いですっ飛んでいく彼女の姿を、俺は茫然と目で追っていた。
だが、空中で完全に体制を立て直すと、再びそれ以上の勢いで俺の心の臓を目指す。
「ヤメロ!チズル!」
「ゴメンナサイ!カラダガ!」
バアン!
再び俺は張り手で彼女を吹き飛ばした。並の人間なら、それだけで死んでいる筈だ。彼女の強靭さに頼るしか無い。
中途半端に覚醒した今の俺にとって、より抑圧され激痛の流れる身体は自ら動かすことすらままならなかった。
『無駄だと言っただろう』
勝ち誇った様にそんな言葉が響いてくる。くそう、どうしたらこいつに勝てるんだ?!
目の前からは再び彼女が迫ってくる。俺の強大な鬼の力に引き寄せられ、もはや強烈な本能のみで身体を動かされているに過ぎない。
万事休すなのか?
だが、その時俺はひらめいた。人間の意思を以ってそれを確信する!
「グゥウオオオオオオオオオアアアアアアアアア!!!」
鬼の力を全開にした。もはや、痛みという言葉すら当てはまらない想像を絶した苦痛が全身を包む。
だが、俺は死なない!こんな馬鹿な事で、死んでたまるか!
完全体となった俺は、その強大な力にて台座に組みついた!
「つらぬけ!千鶴!」
「はい!あなた!」
一瞬、お互いの意思が通じあった。既に互いの鬼が全力を出し切っているにも関らず。
しかも、その意識はまさしく人間そのものだった!
背中を通して胸の中が焼け付く様な衝撃が走る! 俺の身体を鉄槍が通過する。そして、その穂先は俺の胸を貫通した。
『待て!何をするお前ら!』
「遅いんだよ!この変態野郎!!」
穂先が確実に台座の中にめり込んでいく。彼女の力が、穂先にその硬度以上の力を与えているのが分かる。…深く…より深く…そして、確実に中心点を目指して。そいつの悲鳴と共に。
『止めろ!止めないか!狩猟者ごとき輩が何故我を!ヤメロ!』
バチン!!!
いきなり目の前が弾けた。すると突然、全ての方向ににスクリーンが張り巡らされたかの如く映像が始まった。場所は分からない。けど、ここと同じ洞窟らしい。そんな、期待すらしていない映画を強制的に見せられるかの様に映像が繰り広げられていく。
鬼の集団。大勢いる。それが互いに戦い、殺し合っている。さらに輪をかける様にして、魑魅魍魎共が鬼たちの命を奪っていく。
石回廊に転がる死体の山、山、山。もはや男も女も無い。さらにはそれをガツガツと食らう魍魎共。
そうした屍を踏みつけ、それでも鬼たちは進んでいく。さらにその数を減らしながら....
そうした旅の終着駅。そこは既に知っている場所だった。
二体の石像。台座の上に置かれた二つの勾玉。向かい合う、若い鬼の男と女。
やがて、二人は構えた。ボロボロになりがながら、互いに憂いを持った表情を残しながら、それでも二人は戦う意思をあらわにしていた。
『戦え!』
聞き慣れた声が響く。二人は弾かれた様に攻撃を開始した。その先がどんな運命であるかも分からずに、相手を殺すという目的のみで戦い続ける。
…だけど、俺には分かった。それは互いの目を見れば分かる。二人は、そんな戦いなどしたくは無かったのだ。
ここまで生き残れて、最後に二人だけとなって、その時になって初めて、互いが互いを思い合う気持ちを掴んだのだ。生きたいと思う、その気持ちに……
…やめてくれ………やめるんだ………やめろ………やめろおおおおおぉぉぉおあああああ!!!
「レラ…ゼ…オフ…ゼウ…スゼア…ヨーク…」
その言葉が自分の叫びに重なったと同時に、目の前の映像は瞬時にて消滅した。
視野に再び戻ってきたのは、次第にヒビの入っていく真っ黒な台座のそれだった。理解すると、俺は渾身の力を持ってそのヒビをより深いものとしていった。
バガアァァアアアン!
派手な音と共に、全ては砕けた。俺を押え込んでいた力は全て失われていた。両脇の石像は、すっかり置物と化していた。
「千鶴……」
真っ先に彼女を探した。それは、直に見つかった。
横たわってはおらず、目の前の少し離れた場所にしっかりと立っていた。疲れ切った表情ではあったが、大きなケガも無さそうだ。無事な様子に、思わずホッとする。
彼女の方も安心したのだろう。ホッとした表情を向けてくる。けど、そうした中に何かを言いたそうな、不思議な表情が混ざっていた。
何だろう?どうした?とこちらも表情で問い返す。たが、それに気付いたのか、一瞬ハッとした表情のあと、クルリと後ろを向いてしまった。
「…?」
疑問に思ったが、まずは自分の身体が先だ。俺は胸から突き出る槍を素手で掴むと、そのままズルズルと前に引き出した。激痛が伴ったが、先程までの痛みに比べたら屁でも無い。
そうして、血のりにまみれたその槍を俺はガランと放り出した。
その間にも、胸の傷はみるみる間に塞がっていく。これなら一時間もしないうちに完全に元通りになるだろう。
大丈夫と思った所で、ようやく鬼の力を解いた。…みるみる間に身体が人間の大きさへと組み直され、鬼としての部分は老廃物となって渇き落ちていく。
まるで残り火の様な、そんな燃える熱を身体中に残しながら、俺は完全に人の姿へと戻った。
そして先程から背姿しか見せない、そんな彼女にゆっくりと近づいていった。
「大丈夫か?」
「…ええ、大丈夫です」
そう言ったっきり、尚もこちらを振り向こうとしない。俺は口を開いた。
「ありがとう。臓器を意識して外してくれたんだね。おかげで助かったよ。…それにしても、さっきの言葉、あれは何だったの? まるで魔法の呪文か何かみたいだったけど」
「それは……」
その時になって、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。…瞳が、少しはれぼったくなっていた。
身体の痛みで泣いているのかと思ったが、そうでは無かった。明らかに別の理由だと直に分かった。
「…それは………魔法です………」
答えると同時に顔を両手で覆い、そのまま声を押し殺して泣き始めていた。
俺はどうしたらいいのか分からず、そんな姿を黙って見つめていた。
◇ ◇ ◇
自宅まで歩いてあと数十分と言える河川敷の道のりを、俺と千鶴さんは共に並びながら歩いていた。
五月とは言え、夜の風はまだまだ十分に寒い。これで素っ裸だったらとうに風邪を引いていただろう。千鶴さんが事前に服を預かってくれたお蔭だと俺は素直に感謝していた。
その千鶴さんも、ボロボロとなった服の上から俺からの上着を着ていた。ワンピース姿だけではあまりにもと思い、俺が羽織らせたものだ。
それでもこっちは素足、千鶴さんも下がボロボロなのは隠し様が無く、第三者にあらぬ疑いをかけられるのは必至だった。
それを恐れた俺たちは、出口の開いた鍾乳洞から観光鍾乳洞へと注意しながら戻っていった。途中振り返ると、迷い込んでしまった分岐路はすっかりと消えていた。
そのまま他のカップルや警備員に見つからない様、警戒ししつつ観光鍾乳洞を脱出する。警備カメラが十分ではなかったので姿を見られたとは思わないが、入場者と出場者の差が2名なのはやむを得ないだろう。その後、鍾乳洞の探索が行われたかもしれないが、結果として気付かぬうちに出たと判断する事になる筈だ。
それでもタクシーが使えないので、帰るには人里離れた山道を通るしか方法が無い。そんな訳で、俺と千鶴さんは引き続き鬼の力に頼りながらようやくここまで辿りついていた。
「それにしても、あれがそいつらの裁定執行所だったとはね。俺たちの裁判とかとは全然考え方が違うんだなあ…」
「……ええ、そうでなければ、ああした強大な力を持ったものとしての統制は取れなかったんでしょうね。 結局は殆どの者があの洞内で命を失ってしまうのですから……」
それは、まさに異文明が残した大いなる裁きの刑場だった。力が強大なもの同士における秩序の確立。それは、一度大罪を犯したものについては死をもって償うべきという考えが定着していた。つまり、あそこに送り込まれる者は死刑囚も同然だったのだ。
ただ、そうした中にあって唯一それを免れるチャンスも与えられている。それは、最後に残ったもの同士が互いに生き残る為の和睦……仲間同士の親和とも言える最低限の心が目覚めたかという点だった。
そうした心は、同性同士ではまず目覚めない。どちらかが死ぬまで死闘が繰り広げられ、結局は最後の勝者も断罪によって命を奪われる事になる。
それが可能なのは男女の二人が残った時。そして、互いに思いあう心が芽生えた時だけなのだ。
無論、そうした心があっても『裁定者』による闘争への力が跳ね返せない様では生き残りはまず不可能と言っていい。これまでの戦いで互いに恋い焦がれ、思い合い支え合いながらも、第三者の力を跳ね返せない者同士では互いの首を同時に裂き、刺し違えられればまだ幸せな方なのだ。
「…『裁定者』は完全に狂っていました。本来、そうした裁定を行う者は仲間の中でも公平無私と判断された者が厳しい審査の上着任する事になっています。ですが、長い年月の中で完全に肉体は失われ、精神のみが残る中で次第に変質してしまったのでしょう」
「本当なら、あの勾玉を合わせた時点で終っていたんだよね?」
「ええ、互いに殺し合いをするだけならそんな事をしているヒマなどありませんから。…単純ですけど上手い方法だと言えますね。そうした理由からも、あの『裁定者』はもはや滅せられるべき存在でしか無かったのです…」
「…成る程ねえ。それがあの呪文だった訳か………」
「…………………………」
詳しい事は後で全てお話しします…………その言葉を受けて、突っ込んだ質問は一切せずにここまで来ていた。
あの時、『裁定者』を貫いた時、彼女は一体何を見たのだろうか。そして、どうしてそんな魔法を知り、その意味を理解出来たのだろうか。
本当ならこの場で全てを聞いてみたいが、彼女に悩む所があるなら仕方が無い。たとえ無理に聞いたとしても、得られるものは何も無い事が俺には十分分かっていた。
千鶴さんは俺のそうした呪文の事には何も答えず、掛けてあげた上着をギュッと掴むと息苦しそうな表情を見せていた。
どうした? という言葉を思わず飲み込む。
彼女には考える時間を与えなければいけない。俺は、彼女の恋人なのだから……
「……わ、私……」
家までもうすぐという時になって、タタッ…と彼女は俺の前に出ると、まるでこれから告白をするかの様な表情を見せた。
息が大きくなり、肩が上下に揺れている。俺はその場に立ち止まった。
傍らを流れる川のせせらぎが、耳に優しく響いていた。
そしてその時になって、俺は今日が満月である事を知った。彼女の姿を視界から隠すかの様に、煌煌とした明るさが目に飛び込んでくる。
……やがて、そんな明るさに目が慣れると、彼女の素顔がよく見える様になった。
その瞳には、雫が溢れていた。
「………わたしは………………リズエル…………」
「………………」
「………あなたの大切な………かけがえの無いものをこの手で自ら奪った…………リズエル…………」
俺は、そんな彼女をじっと見つめていた。
まるでこのまま、月の光の中に溶けてしまうのではないか……そんな儚ささえ感じていた。
「……それが分かっていながら、私は……あなたを愛してしまった………受け入れてくれるかもしれない、心の何処かでそう思いながら、あの子を差し置いてるのが分かっていながら……………」
「………………………………」
伝えたい事を上手く伝えられない……そんな、子供の様なもどかしさがひしひしと伝わってくる。そして何を苦しんでいるのか、俺には薄々分かっていた。
姉としての自覚が、今でも彼女を苦しめている。それが、これからも一生つきまとってくる事を十分に理解しているからこそ、こんなにも思い悩み迷っている。
しかし……と、俺は思っていた。
人は、誰だって幸せになる権利というものがある。
そして、男であるなら、一人の女性を幸せにする資格が必要になってくるものなのだ。
「……柏木、耕一……それが、俺の名前だ…」
「……………………………」
「目の前の女性に問う。…名前は何だ?」
脅えた様な表情がその顔に広がった。彼女は俺の質問の意味を理解していた。
俯き、身体を振るわせながら答えに窮している。
俺は、そんな彼女の素顔をじっと捕らえていた。
「…………わ、わたしは…………………リ…」
「違う!!」
ビクッ!
彼女の身体が跳ねた。瞳に溢れていたものが流れる。
構わず、俺は続けた。
「……柏木、千鶴………それが、お前の名前だ。…そうだな?」
「……………………………」
「……そうだな?」
「…………………………は……はい…………」
俺はゴソゴソとポケットをまさぐると、二つのものを両手にしていた。
そして、それを目の前に差し出す。
彼女の瞳が見開かれていくのが分かった。
「…取ってごらん…」
「………はい……」
おどおどする様に俺に近づくと、左手にあるそれを取ろうとした。
瞬間、おれはその手を掴む。
ビクッ!とするのも構わずに、彼女の右手の上にそれを置いた。
「…合わせるぞ? いいな?」
「………はい、お願いします……」
彼女の右手は震えながらも、その片割れをしっかりとその上に置いていた。
もう一つの片割れを近づける。それは輝きこそ大分失われたものの、僅かに赤く濁った色をしていた。
……そして、あの台座で合わせた時と同様に、その二つをピッタリと合わせた。 まるで吸いつくかの様に、その二つは綺麗な円を描いていった。
「……………あっ…………」
彼女が短く声を出した。俺は自分の口元が笑みを結ぶのを感じていた。
その勾玉が、再び明るく輝きだしたから…
そして、その色は元の赤い色とは異なっていた。 とても落ち着ける、まさに彼女にぴったりの色だった。
「………緑色の……綺麗………まるで、翡翠みたい………」
「…俺は、その色にこれからのお前を染める。…いいね? 千鶴」
「……はい、耕一さん……」
そんな彼女を、俺は優しく抱き締めた。すっかり乱れてしまった、それでも艶やかで綺麗な黒髪に自分の顔を埋める。
そして、彼女は両手でその勾玉……硬玉を優しく包み、まるで胸元で祈りを捧げる様して、俺にその身体を預けてきた。
そうした髪を、俺は優しく撫でた。
「ハッピーバースデー、千鶴…」
「…ありがとうございます………あなた……」
ようやく迎えた二人だけの誕生日を、俺はいつまでも感じていたいと心の底から願っていた。
− 了 −
あとがき
このたびは私の初の痕SSをお読みくださり、本当にどうもありがとうございます。
正直、これまで多く書いてきたあかりちゃんSSとは全く異なる世界でしたので、書き始めは戸惑いの連続でした。それでも馴れるに従って次第に楽しいものとなり、最後までかなりノッて書けた様に思います。
ですがゲーム発売からかなりの年月日が経ち、こうした痕SSに目の肥えた方が多い中では本SSがどの様に感じられたのか、書き手として結構心配しています。
もし、何か心に残るものがありましたら、是非とも感想をお聞かせください(^^)。
さて、今回このお話しを綴るに辺り、『痕』を改めてリプレイしてみました。
しばらく忙しい時期が続いた事もあり、最近はこうしたビジュアルノベル系のゲームを殆どしなくなりましたが、それでも最近のシナリオ重視傾向の中で『痕』がどの程度のものであるのか再度確認したいという気持ちもあったんです。
事前予想では「ああ、懐かしいなあ」程度だろうと軽く考えていたんですね。
ところが実際に始めてみると、まるで初体験であるかの様に夢中となっていました。そして、全てのセリフを十分に読んだ上であっという間にフルコンプした自分がそこには居ました。いやはや、これには本当驚かされました(笑)
月日が経っても、良いものは良い。まさに、それを身を以って実感したと思います(^^ゞ
こうした素晴らしいゲームに出会えた事、そして、それを通じて多くの人に出会えた事、さらには今回、こうした千鶴さんお誕生日記念の「お題」としてしばらくSS作成から遠ざかっていた私に再び書くチャンスを与えてくれたボンドさん、その他本企画に参加された多くの方々に、末席からですが改めて感謝したいと思います(^^)。
今後は少しずつでも、こうした自分なりのSS世界を再び作っていこうと考えています。よろしければ、またお付き合いくださいませ。
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