兆し

 

 今年の夏は例年に無く最高だった。7月初め頃まではカラっとした暑さだったのが、夏

休みに入る頃から夏本番の遊ぶには最適な陽気となった。おかげで、あかりと以前から約

束していた海、祭り、花火に加え、遊園地に水族館、プールに映画と思い切り遊びまわっ

た。実際、こんなに遊んだのはガキの頃以来久しぶりだ。あかりは何処に連れて行っても

すごく喜んでくれるので、オレとしても連れて行き甲斐があったし、子供の様な笑顔を浮

かべながらはしゃぐこいつを見ているだけで楽しかった。そのおかげで、さすがに財布は

軽くなったが、あかりはオレに無理させまいとして事前に格安チケットを入手したり、昼

食には弁当を作って持ってきてくれたり、たまに割り勘にしたりで(あかりは毎回そうし

ようと言うが、オレにだって男のプライドがある)思っていた程の負担ではなかった。こ

うした点はさすがにしっかりしたものだ。ただ、人の財布の中身をしっかり覚えていて、

オレが金を払う度に細かく頭の中で計算して色々言ってくるのにはまいったが、まあそれ

はあくまで余談だ。

 

 そして高校生活のど真ん中である二学期。夏が暑かっただけに涼しくなるのが早いなと

思っている所へ、10月には早くも寒波が到来し、季節は一気に秋から冬への様相を深め

ていった。この時期は布団の温もりがやたら恋しくなるものだ。オレも早々に冬布団装備

に切り替え、その心地好さを満喫していた。

 

 ピンポーン、ピンポーン...「浩之ちゃん起きてる〜?」

 

 あかりが迎えにきた様だ。うーもうそんな時間か?なんか目が開かねえなあ。まあ、そ

のうち起こしに来るだろう。合鍵は既に渡してある。案の定、玄関でカチャと聞こえたか

と思うと、「おじゃましまーす」の声と共にトントントンと階段を上がる音が近づいてき

た。

 

 カチャ..「浩之ちゃん? ...」

 

 この後、オレの身体をユサユサ揺すって「浩之ちゃん起きてよ〜」とか言うんだぜ。

 毎度ワンパターンなやつだ。たまには違うことをしてみろっつーの。

 チュッ

 唇に柔らい感触。おお目覚めのキッスか。あかりにしちゃ中々気の利いた事するもんだ

...って、なぬ?!

 思い切り目が覚めた。パッと目を開けると、あかりが悪戯そうな、でも凄く嬉しそうな

顔で覗きこんでいる。

 

「おはよう浩之ちゃん。目ぇ覚めた?」

 

◇    ◇    ◇

 

「それでね、その男優の人が凄く素敵なの。」

 

 息が白くなりはじめた登校の道すがら、あかりは昨日見たTVの洋画について熱心に語

っていた。内容は現代の恋愛モノで、愛しあう2人が立場の違いなどあらゆる障壁を乗り

越えて最後には幸せを掴むというよくあるパターンだ。この手の映画では名の通った俳優

を使うのが普通だが、無名ながら実力派の新人を起用し、恋愛モノとしては多額の制作費

を投入した豪華な作りだった事もあって、予想以上のヒット作になった様だ。その後男優

とヒロインが実際に結婚したとかで人気はさらに高まり、クラスでも女子を中心に話題に

なっていた事がある。オレはこうした恋愛モノには興味は無いが、ほんの数ヶ月前に上映

された映画がもうTVで流れている事の方に驚いていた。

 それならわざわざ映画館に足を運ばなくても一寸待ってればタダで見られる訳だ。

 その金を別の事に使った方が有意義だよなと、全く関係ない事を考えていた。

 

「ねえ、聞いてる?」

「お、おう聞いてるぜ。」

「もう!ウソばっか。でも仕方無いか。浩之ちゃんこういうの好きじゃないものね。」

「まあ正直に言っちゃえばな。でもお前は気に入った訳だろ? 映画でそんなに熱中する

なんて珍しいじゃねえか。」

「だって本当に素晴らしかったんだよ〜。浩之ちゃんも見れば良かったのに〜。こんな

いい映画って分かっていたなら二人で一緒に見たのにな〜。」

 

 願い下げだ。大体こうした映画は彼女に対する付き合いの為にあると思っているので、

自分からわざわざ見たいとは思わない。あかりがどうしてもと言うなら一緒に見ない事も

無いが、オレ自身が楽しめるものでも無いしな...いや、こいつがどんな顔して見てい

たかは興味あるな。恐らく夢見る少女って感じで、うっとりとした顔して少女漫画の様に

目をキラキラさせながら見ていたに違いない。想像しただけで笑いが込み上げてきた。

 

「浩之ちゃん何笑ってるのよお。もお!」

「い、いや何でもねえ。なんでもねえよ(笑)」

「もういいわよ。知らない!」

「わりいわりい。そ、そう言えば今朝のアレさ、やっぱり映画の影響か?」

 

 え、という顔をし、みるみる顔を赤くするあかり。自分からしておいて恥ずかしいも

ないだろうに。少し考える様にしていたが、やがて恥ずかしそうに話しはじめた。

 

「ヒロインがそうやって恋人を起こすシーンがあるの。凄く感動しちゃった。子供の頃の

昔話しでそうしたシーンに凄く憧れた事があったんだけど、まさにその時の感動って感じ

だった。だから今日、浩之ちゃんが起きて来なかったら試してみたかったんだ。浩之ちゃ

んの寝顔見ていて昨日のシーン思い出して恥ずかしかったけどチャンスだと思って...

なんかこう心臓がドキドキして..不思議だよね。これが初めてのキスってわけでも無い

のに..」

 

 俯き加減で赤い顔をしながら嬉しそうに話すあかり。いつも思うけど、こんな些細な事

で感動出来るんだから、本当安上がりなやつだと思う。けど、そうしたあかりの気持ちは

凄く貴重なものに感じる。自分を飾らない素直な心。その心にオレもどれだけ救われたこ

とだろうか。

 

「それで、今のお気持ちは如何ですか?お嬢様。」

 

 ちょっと気取って胸に手を当て、軽く会釈する様に向き直るオレ。あかりは小首を少し

傾け、クスッと笑ったかと思うと、後ろ手に鞄を持ったままクルリと踵を返す。

 

「私、この街に生まれて良かった。浩之ちゃんに出会えてよかった。」

 

 恐らくは映画のセリフなのかもしれない。オレの前で踊る様にしてクルッと一回りした

途端、サアッと流れる風が吹いた。まるで映画の1シーンを見ている様だった。

 

◇    ◇    ◇

 

「あかり〜〜おっはよ〜〜〜」

 

 いつもの元気印の登場だ。さっきまでの和やかな雰囲気が一気に騒々しいものになった。

 そのギャップにドッと疲れるオレ。頼むから今日は静かにしてくれねえかなぁ。

 

「おやおや旦那。一体全体どうしなすって?朝からそんな疲れた顔して。年寄り臭いね〜。」

「うるせぇ。朝からお前みたいな元気過剰な奴に会うとドッと疲れるんだよ!」

「アンタ本当に年寄りみたいだよ。10代の若者が何言ってんの。もっとシャキっとしな

さいよシャキッと。」

 

 バンバンと容赦無くオレの背中を叩く。いてててて。本当に容赦が無い。

 

「イテテ馬鹿もうやめろって。なにやってんだお前は。」

「アンタが元気でる様にカツ入れてんじゃない。で、どう?」

「なにがだよ!」

「元気が出たかって聞いてんの。」

「ああ、お釣りがきて家が立つ位な。」

「当然よね。よしよし。」

 

 なにが「よしよし」だ!。あかりはそんな様子を見てクスクス笑ってる。志保は得意そ

うに胸を張り「いつでもカツ入れたげるからね〜」と嬉しそうにしている。全くこいつの

尽きる事のねえ元気は一体どこから来てるんだ。

 志保はもうオレには用はないとばかりにあかりに向き直った。

 

「ねえねえ、そういえば昨日の映画見た?」

「あ、志保も見たんだ。あれ良かったよね〜。あんないい映画だなんて知らなかったから

驚いちゃった。凄く感動したし、ラストシーンは泣いちゃったし。」

「うーやっぱりあかりもそう?お互い気が合うわね〜。私も最後は画面がよく見えない位

涙出ちゃった。あんなに泣いたのって久しぶりよね〜。」

 

 二人が映画の話題で盛り上がってる中、何となく疎外感を味わいながらオレは後に続い

た。実際興味の無い方からしてみれば、恋愛映画で何故そこまで盛り上がれるのか疑問で

すらあるのだが、そこは人それぞれだし、女性なら大抵はというのもあるだろう。ただ、

普段は恋愛なんて言葉に全く縁の無さそうな志保が、画面が見えなくなる程泣いたという

状況は想像するだけで目茶苦茶笑える。どうもオレは相手が似つかわしく無い事を言うと、

ついその状況を想像してしまうクセがある様だ。

 このクセは直さんといかんよな〜。

 そう思っている所に志保が「あーん、アタシもあんな素敵な恋愛した〜い」とさらに似

つかわしく無いイントネーションで言ったものだから、思わず「プッ.プハハハ」と笑い

が漏れちまった。それを聞いてあかりと志保が振り返る。

 

「なによ変な笑い方してぇ。気持ち悪いわね。何だってのよ?」

「い、いや別に。ただお前もそういうので泣く事があるんだなと思ってさ。」

「ちょっと。それってどういう意味よ!大体女の子同士の会話聞いてんじゃないわよ男の

クセに。」

 

 案の定絡んできやがった。ここでオレが引き下がればどうという事じゃないんだろうけ

ど、こうした場面ではどうしても売り言葉に買い言葉となってっしまう。

 

「何言ってんだ。大体お前の方から勝手に話し始めたんじゃねえか。それにそんなに大声

出して話してればイヤでも耳に入っちまうぜ。」

「だったら聞いてないフリでもしてなさいよ。わたしはあかりに話してるんだから。それ

に人の話しを横から聞いて笑うなんて根暗君そのものじゃないのよ。女の子に一番嫌われ

るキャラクターなんだからね。レディーに対する配慮のかけらも無いってところよね。」

「うるせえな。お前が笑わせる事言うからだろうが。なーにが『あーん、あたしも恋愛し

た〜い』だよ。普段は『ニュースニュース。志保ちゃん情報〜』なんてレディーには程遠

い事言ってるクセに。ギャップが有りすぎるんだよ。」

「う、うるさいわね。私だってたまにはそういう気分になるのよ!。あーまったくこの男

のおかげで折角の気分が台無しだわ。あかりもよくこんなのに毎日付き合っているもんよ

ね。少しは乙女心を理解出来る様に教育してあげた方がいいわよ。」

「ケッよく言うぜ。男心が何たるかも知らないネンネのくせに。」

「な、なんですって〜!」

「もう二人とも止めなよ〜。みんな見てるよ〜。」

 

 いけね!ま〜たやっちまった。あかりの声に気付いた時は既に登校中の学生集団の中だ

った。俺達の回りだけわざとらしく遠巻きに空間が開いている。ヒソヒソ声やクスクス声

に囲まれてオレ達3人は互いに沈黙したまま登校するハメとなった。実はこうした日は今

日が初めてって訳じゃあ無い。何回か恥ずかしい思いを互いにしているので気をつけてい

たつもりだったのだが...

 全く今日は何て日だ。まだ学校に着く前だってえのに一日の精力を使いきった気分だぜ。

 心の中で自分に悪態をつきながら黙々と学校前の坂を登って行った。

 

◇    ◇    ◇

 

 昼休み、あかりのいつもの弁当を食べたオレは一人屋上のベンチでボーっと日向ぼっこ

を楽しんでいた。あかりは5時限目の女子の体育で、用具の準備があるとかで早々に引き

上げていた。この時間に一人で居る事はあの日以来殆ど無かったが、こうした時間もたま

にはいいもんだ。空は抜けるように青く、雲ははるか遠くに筋状に伸びている。少し冷た

い風が何とも心地良い。オレは立ち上がり、フェンス越しに街を見下ろした。空気が澄ん

でるせいか、遠くの山並みまではっきりと見渡せる。何度見てもここからの景色は素晴ら

しい。

 

「うーん、このままサボっちまいたいねえ。」

 

 伸びをしながらの独り言。無論実行に移す気はない。やるならあかりも一緒の方が面白

いよな。まあ、あいつは何だかんだ言って止めに入るだろうけど。

 そんな事を思いながら、ふと反対側のフェンスの人影が目に入った。長いおさげ髪に眼

鏡の女の子。手摺にもたれて街を見下ろしている。それだけなら大した事じゃないが、彼

女はクラスメートだった。

 名前は保科智子。

 

(委員長じゃねえか。女子は体育の準備に行ってるんじゃねえのか?)

 

 彼女が屋上のフェンスから街を見下ろしているのはよく目にしていたが、クラスの女子

が全員参加である筈の体育準備を委員長自らすっぽかしている事にオレは驚いた。人付き

合いはともかくも、彼女はこうした決め事にはもっぱら厳しい筈なのに。

 思わず彼女の元に近づき、声をかける。

 

「よっ!どうした委員長。女子はもう体育の準備に行ってるみたいだぜ?」

「......」

 

 オレの方をチラとも見ず、相変わらずつまらなそうな顔をして街を見下ろしている。

 まあ、気が乗らないのかもしれねえな。

 オレは彼女の横に並び、別の話題を振る事にした。

 

「そういえばオレ達席が変ってから随分経つよな。新しい席というか、班の連中とはうま

くいってる?」

「........」

「いや、実際オレから見ても、正直言ってあまりうまくいってない様にみえるんだよな。

あまり役には立たないかもしれないけど、よければ相談にも乗るぜ?」

「..........」

「やっぱこういうのっておせっかいかな?でもクラスメートなんだし、もっと砕けた方が

いいと思うぜ。折角の高校生活なんだしさ。楽しく過ごせた方が絶対いいし。」

「............」

「あかりも委員長とは色々話しをしたいって言ってたぜ。あいつとは1年から一緒なんだ

ろ?今からでも交友を深められると思うぜ。ぜってーその方が楽しいって。」

「...............」

 

 やっぱり駄目か。以前もこうして話しかけた事があったが、同じ様に全くの無反応だっ

た。それでも最後には「ほっといてくれるか?」と反応があったけど、今回はさらに悪化

した様だ。

 完全に嫌われたかなこれは。

 それ以上は諦めて「まあ、考えてみてくれよ。じゃあな」と立ち去ろうとした。

 

「なあ。」

「え?あ、考えてくれるのか?」

「........」

「なんだどうしたんだよ? 何でも言ってくれよ。遠慮はいらねえぜ?」

「...神岸さんとつきおうとるんやろ?」

「え?あ、よく屋上に来てるからか?ま、まあそんな所かな。」

「........」

「その事に興味があるのか?まあ、そんなに人に話せる程の事じゃないけどな。けどどう

してそんな事をわざわざ?」

「それで仲間は変わり無いんか?」

「え?仲間って?」

「いつも回りにおる仲間や。佐藤君や長岡さん。今まで通りなんか?」

「?雅史はいつも通りだぜ。最も最近はサッカーの方が忙しいみたいで昼休みでも部室に

入り浸ってるけどな。志保ともほぼ毎朝会って、やっぱいつも通りだけどな?」

「そう.....」

「なあ、それがどうかしたのか?」

「別に...私もう行くわ。教えてくれてありがとう。」

 

 関西弁独特のイントネーションでお礼を言うと、委員長は屋上の出入り口に向かって歩

きはじめた。オレの方は委員長がいきなりそんな質問をした事にとまどっていた。

 考えもしなかった事だ。仲間に変わりが無いか..だと?。どういう意味だよ?

 もう一度問い質そうとした時、委員長がクルッと振り向き口を開いた。

 

「今朝の長岡さんとのやりとりな、私もその場で聞いていたんよ。回りは笑うてる人ばか

りやったけどな。私は笑えんかったわ。藤田くんの態度が酷すぎてな。」

 

 それだけ言うと、再度向きを変えて出入り口に消えていった。あまりの事にオレは何も

言えず。しばらく茫然としていた。

 オレの態度が酷い? 委員長は何を言ってるんだ?

 先程までの風が、やたら肌寒く感じる様になっていた。


「浸透」へ続く....

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