薄井ゆうじの森
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■ドードー鳥の飼育 <2> 戻る

 ドードー鳥の飼育は、思ったよりも体力と根気のいる仕事だった。広い砂地をスコップとローラーで整地して、ドードー鳥が足を怪我しないように小石や釘や瓶のかけらを丁寧に取り除く。それが終わったらペンキの缶を持ってケージをくまなく見てまわり、鉄柵の錆が浮き出た部分にやすりをかけて、その上からペンキを塗る。そういった清掃とメンテナンスに関する作業が山のようにあった。一日が終われば、その日の作業内容を日誌に克明に記録しなければならない。その一連の仕事を遅滞なくこなせるようになるまで、二週間ほどかかった。
 桜の季節になり、ドードー舎の砂地には小さな貝殻をまき散らしたみたいに、桜の花びらがいちめんに降りそそいだ。それを一枚ずつ取り除いていく。そういう作業をしながらときどきケージのなかをそっと見まわすのだが、あいかわらずドードー鳥がいる様子はなかった。本当に、ここにいるのだろうか。ときどき砂地の上に、もみじの葉の形をした鳥の足跡らしいものを発見することがある。それがドードー鳥の足跡だと思うけれど、確証はない。ナオミにそのことを訊いてみたが彼女は、「絶滅した鳥に足跡なんてあるわけないでしょう」と笑って取り合ってくれない。
 ドードー鳥の飼育において特徴的なことがあった。それは、餌をやる必要がまったくないことである。そのことは僕の作業をとても楽なものにしたが、ではドードー鳥は何を食べて日々を過ごしているのか、まったく見当もつかなかった。ナオミは、「砂地に生えている小さな雑草は引き抜かないように」と、僕に何度も念を押した。ドードー鳥が食べるのかと質問すると、「これから成長するものを摘み取ることは、いい影響を与えないはずだから」と答えるだけだった。絶滅した鳥の飼育というのは、なかなかやっかいな一面を持っているようだった。
 ドードー鳥の飼育をはじめてから二箇月が経った。最近では砂地の上に、鳥の足跡らしいものを頻繁に見かけるようになった。そして先週は、小さな黒い粒を数個発見した。ドードー鳥のふんではないかと思って大切に保管してあるが、そのことはまだナオミに確かめていない。いつか自然にわかるようになるかもしれないと思うようになってきたのだ。そして今日、ケージの南側で小さな羽毛を一枚発見した。それは、いままでに見たことのない美しい羽毛だった。どこかから風に飛ばされてきたのかもしれないが、ドードー鳥の羽毛の可能性もある。僕はそれを大事に作業日誌の間に挟んでおいた。こうしていろいろなものが見つかったりすると、ドードー鳥の飼育というのも、なかなか楽しいものだと思うようになってきた。
 動物園には毎日、たくさんの入園者がある。人びとはいろいろな動物を見てまわり、あの動物は首が長いだの、これは脚が太いだのと勝手なことを言いながら園内を歩きまわっている。だがドードー舎の前に、ひとはまったく寄りつこうとしない。それは、とても悲しいことだった。誰も寄りつかない原因は僕の飼育方法が未熟だということもあるだろうが、ドードー鳥が絶滅した鳥だということも大いに関係しているに違いない。それについてナオミは、こう説明した。
「あなたに見えない鳥が、どうして入園者に見えるの。あなたが見えるようになりさえすれば、ドードー舎の前にもたくさんひとが集まるはずよ」
 彼女の言う意味が、近頃ではすこしわかるようになってきた。こういうことを進歩というのだろう。そう思いながら僕は砂地に散らばっている羽毛やふんらしきものをせっせと拾い集め、ケージの鉄柵をこまめにペイントしてまわった。いまでは羽毛はそこらじゅうに散らばり、ふんはあちこちにパラパラと落ちているようになった。それらを収集して、その数や落ちていた場所を作業日誌に克明に記録するのは、とてもやり甲斐のある仕事だった。
 僕はすこしずつ、飼育係としての自信を持ちはじめていた。その自信が決定的なものになったのは、ドードー鳥の飼育をはじめてからちょうど三箇月が経ったある午後のことだった。昼寝から目覚めて飼育小屋の窓から外を見たとき、ケージのむこうに、ひとが三人立って熱心になかを覗きこんでいるのに気がついたのだ。親子だろうか、男女と、それに手を引かれた小さな子供が手すりに体をあずけて、一心にケージのなかを見つめている。ときおり、子供が砂地の一角を指さす。すると両親がそっちを見て何か話を交わし、三人はうれしそうに笑うのだ。さらにはカメラを持ち出して、ドードー舎の前にならんで、自動シャッターで写真を撮りはじめたのだった。
 その光景を窓から見て、僕はあやうく涙が出そうになった。家族とは、ああでなければならない。休日には動物園にやって来て、ドードー鳥といっしょに写真を撮る。それが正しい家族というものなのだ。僕には何も見えないが、あの家族にはドードー鳥が見えている。そのことが、何よりもうれしかった。
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